第24話 悪鬼ト妖狐・破

 さて、全裸の芙蓉をそのままとする訳にはいかぬ。

 以前あやめが学友らに唆されてショッピングモールで買ったものの「ひらひらとして気に喰わぬ」という理由で放置していた、ワンピースを着せてやった。

 白色を基調とし皐月さつき柄をあしらった夏服であったが、意外やこれがよく似合う。


「ほう、馬子にも衣装じゃな」

「くふふぅ、妾の方が鬼娘よりも似合うじゃろ?」

「ふーむ、そう云う悪い口はこれか、これかの?」

「くふへ、ひゃめ、ひゃめぃ! くひふぃ!」


 あやめにぐいぐいと頬っぺを引っ張られ、涙目の芙蓉は必死に抵抗する。

 ところで貴之には、ひとつ気に掛る事があった。


「このワンピースは、あやめもよく似合うんじゃないか?」

「そ、そうかの?」

「何故これを着なかった」

「これは、その、儂には可愛過ぎじゃし、その……」

「他にも何か理由があるのか?」

「だって……ぱ、ぱんつが危険じゃし……」


 はてパンツが危険とな。貴之も初めて耳にする、げに面妖な言葉である。要するにあやめは、ひらひらし過ぎる故のパンチラを気にしたのだろう。

 返答に困ったように恥じ入るあやめの後ろでは、鏡の前ではしゃいだ芙蓉が、対照的にくるんくるんと身を翻して、つるんとした白き生尻を垣間見せていた。


「あはははっ! 五月は皐月でワンピの皐月柄、どちらも好きーっ!」

「ええい、ぱんつは危険じゃ! ぱんつを穿かんか、ぱんつを!!」


 峻厳な面持ちで、全身全霊を以て「ぱんつ」と叫んでいたのである。

 天真爛漫な幼児おさなごが残る芙蓉とは裏腹に、あやめは謹厳実直な頑固親父なんのその。双方ともに白と黒かのように、まさに対照的な二人であった。


「貴様は! もう少し! 恥を知れ!!」

「ふぎゃ?! いいい、痛い痛い! ふーっ、ふぎぎーっ!?」


 あやめが拳骨げんこつを、芙蓉の蟀谷こめかみにごりごりと押し当てる。

 これは所謂いわゆる『梅干し』と呼ばれる、罰ゲーム的拷問である。しかしこのままでは埒が明かぬと、貴之が仲裁に割って入る。


「ええい、止めんか。とりあえず芙蓉よ」

「ふ、ふぎぃ……は、はい?」

「お前はどこを棲家とする気だ」


 聞けば芙蓉は今まで高級ホテルを転々とするか、妖気を磨り減らしてからは龍脈の通り道である学校地下の暗渠をねぐらとしていたそうだ。

 ではこれから災厄を迎えるにあたって、芙蓉のねぐらは如何にせん。


「では其処そこの鬼娘同様、妾もここに棲むえぇ」

「なんじゃ貴様は、急に図々しい」

「妾かて、術者さまを御守りせねば心配じゃしのぅ」


 芙蓉はあやめと同じく上月家に留まることを宣言した。見事務めを終えて元の姿に戻るまで、貴之を警護せねば気が気ではないと抜かす。

 そこであやめがぴんと来た顔をして、意地悪くニヤリと哂うた。


「ふむ、それじゃ貴様も学校へ通うがいいぞ」

「はぁ? が、学校じゃと? 千年妖狐の妾が、童どもの通う学校へなど……」

「そうだな、それがいいだろう」


 そう提案するあやめに、貴之もすぐに賛同した。

 見れば芙蓉の身長は丁度あやめと同じくらい。姿形は幼いと云えど、欧州風のすらりと伸びた長い手足は、日本の平均的高校生女子と比してそう遜色はない。この程度で在らば、高校生の中に交じっても十分に通用しようというものだ。

 それにも増してこの妖狐。独りで放っておくには、やや不安があるが――


「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、だな」

「ひ、ひいぃっ、そ、そんな、妾は、妾は……」

「よぅし、決まりじゃな! あっはははっ!」


 いくら拒絶しようが、芙蓉に選択の余地は無し。

 自分のやられたことは棚に上げ、あやめはひらすら笑い転げた。


「もう好きにせい……して、妾はどこに棲めばよい」

「ほほぅ、急に殊勝なことじゃな」


 縄張り意識からか、芙蓉は自分の棲家を余程気に掛ける。

 そうと睨んだあやめが、即座に芙蓉へ噛み付いた。


「そうじゃな……所詮は野干やかんじゃし、縁の下辺りがかろ」

「好い事あるか! 部屋の中が好いわ!!」


 あやめの提案を、芙蓉は叫んで即座に却下する。

 完全にニート化し始めている元は九尾の……否、八尾だった狐である。


「それもそうじゃな。またあんなに獣臭くなっても敵わん」

「くっ、くうぅぅん……」


 貴之の言葉に、芙蓉は白面を真っ赤にして恥じ入った。

 獣臭さを散々指摘された上、隈なく洗われたが余程堪えた様だ。

 しかし芙蓉は、めげずに気張って食い下がる。


「そうじゃこの家はざっと見廻して、幾つか部屋がありそうじゃし……」


 品定めをするように、芙蓉は室内を見渡し始めた。

 計算高い妖狐は、全体の家の形状から幾つかの部屋がある事は知れる。


「では、あちらの部屋はどうじゃ。儂に丁度良さそうな小部屋のようじゃぞ!」

「他の部屋は駄目だ」


 芙蓉の提案を、貴之は即座に却下した。

 それと同時に、あやめがげに鋭き眼光で芙蓉を睨む。


「家主の云う事は聴くべきじゃ」

「で、でも、妾は……」

「貴之が為らぬと云ったら、為らぬ!」

「あ、あうぅ……」


 あやめの一喝に、芙蓉は一瞬にして口籠って黙した。

 こう見えてこの悪鬼、純和風な外見同様で身持ちが固く義理堅い。家主が為らぬと云う事は、絶対に守る性格である。警戒心剥き出しに当たる姿は、まるで番犬が如し。

 新参者、ましてや昨日の敵ともなれば、あやめの態度は然もありなん。


「あちらは貴之の親御殿と妹君の部屋がある。因って立ち入りは罷り為らん!」


 あやめが芙蓉に厳しくそう云い付けるには、理由がある。

 以前、あやめが貴之の家族について訊ねた時のこと。いつも明快な貴之が歯切れが悪く、どこかいんある口調で「昔の話」と言を濁した。あやめはこの時、貴之の家族については触れてはならぬ因縁の、過去の琴線と見受けたり。

 その出来事をしかと覚えたる、あやめの義理堅さは今も変わる事は無し。

 終ぞぴんと張り詰めた空気に、芙蓉は急に無口となった。青菜に塩が如く項垂れて、自らの迂闊さを恥じているかのようだ。そこで貴之が芙蓉に助け舟を出してやる。


「では、天井裏はどうだ」

「天井裏?」


 香月家に三階はないが、屋根裏収納が存在している。雑多な物を置く物置と化した部屋である。貴之が芙蓉をそこへ案内すると、彼女は思いの外に喜んだ。


「わっわっ、妾はここが好いぞ! 天に近いのが実に好い!」


 確かに。八尾の狐の頃、最高級ホテルにある高層階に棲んでいたことがあると云う。


「フン、莫迦と煙は高いところが好き、じゃな」

「う、うるさいもん、やらいでかだもん! がるる」


 悪鬼と妖狐、二人とも幼児退行したかの様にいがみ合っているようだ。

 さて、天井裏は明り取り用の小さな窓があるだけで、決して快適ではない。だが芙蓉が気に入ったと云うのであれば、それに越したことはなかろう。

 こうして天井裏は芙蓉の陣地。一階居間リビングはあやめの陣地。天に妖狐、地に悪鬼。香月家の割り当ては、斯様な布陣と相成った。

 早速天井裏へ引き籠った芙蓉の姿を見届けると、あやめは貴之に告げた。


「おい、貴之よ。儂は彼奴あやつを信用せんぞ」


 彼奴は天下にその名を轟かす、悪事を働きし名高き妖獣がひとつ。如何に幼き身体と相成れど、易々と野放しにはできまい――とあやめは云う。

 されどその言葉、まるで自分の事をすっかり棚に上げた様な云い様である。貴之は顔に出さぬが、心の内でつい苦笑する。


「儂は決して騙されん」

「ならば、お前はそれでいい」


 強硬なあやめに貴之がそう告げると、あやめは憮然とした顔を見せた。だが貴之の言ノ葉には必ず裏がある。それにはたと気付くと、あやめはすぐさま機嫌を直した。


「お……おおっ! 儂に任せておけ!」


 あやめは芙蓉の件を貴之に、任され、託されたと感じたのだ。張り切って胸をドンと叩くと、大きな乳房がたゆんと揺れた。

 そうして何時もの様に、真っ赤になって恥じ入るのである。


◆ ◆ ◆


 深夜となり、風呂から上がった貴之が自室で床に就こうかという時分。

 消灯すべくスイッチへ手を掛けようとした刹那、扉をノックする者ありけり。何事かと扉を開かば、そこにはパジャマ姿の芙蓉がいた。

 このパジャマには見覚えがある。どうやらあやめより借り受けたらしい。


「あの……術者さま……」


 芙蓉はそう云うとパジャマの端を掴み、もじもじとするばかりで要領を得ない。

 そこで仕方なしに、貴之から訊ねてみる事にした。


「どうした、眠れないのか?」

「わっ、そ、そんなわけあるかえぇ!」


 唐突に憤慨する芙蓉である。もしや図星であろうか。だがこのままでは埒が明かぬ。取り敢えず部屋へ招き入れる事とした。

 ベッドの端へ座るよう促せば、芙蓉は素直に従っておっかなびっくり腰掛ける。それを見届けた貴之は、そのすぐ隣に座して訊ねた。


「どうした。包み隠さず話してみろ」

「そ、その、妾は……」

「なんだ」

「妾は……こ、怖い……」

「怖い?」


 悪鬼・あやめと互角以上に渡り合った大妖怪の台詞とはとても思えぬ。

 その言葉に興味を持った貴之は、詳しく聞いてみる事にした。


「どういうことだ?」

「あの悪鬼は、妾と互角……いや、きっとそれ以上じゃ」

「何故そう思う」

「術者さまを護りつつ、妾と闘っておったからじゃ」


 貴之は、芙蓉にそう云われて初めて気が付いた。

 あの大決戦の大激闘で、その場にいた貴之に傷一つない。


「妾は幾度となく術者さまを狙い、幾度となく悪鬼の刀に弾き返された」


 あやめはずっと――貴之を護りつつ闘っていたのだ。

 そうして約束を寸分違えず、貴之を護り抜いたのだ。


「対して妾は、げに無力……憐れな小さき身と相成りて、妖力をすっかり失った。先の大災厄に当たる闘いで、妾が役に立つとはとても思えぬのじゃ……」


 芙蓉の言葉は、とても演技に見えぬ。

 落胆の色は深く濃い――と、貴之は読み取った。


「妾は……弱い……」


 ずっと富士の樹海地下深くに引き籠っていた、八尾の狐である。

 経験は浅く、初めての勝負では惨敗し、からきし自信を失った。

 妖力は失せ、心根は弱く、途方に暮れてここに来たのだ。


「どうすればよいか、とんと分からぬ……」


 然してどうしたものか。貴之は心の内で首を捻った。

 放っておくわけにはいかぬ。然りとて妖狐を慰めた事などない。

 情けをかけてはならぬ――老人と交わした『三つの掟』もある。

 ええい、ままよ。こうなれば口から出るに任せるか。


「ならば、お前は役立たずか」

「あうぅ、術者さま……妾を捨てないでたも……」


 涙目で懇願する芙蓉に、貴之は厳粛な声で応えた。


「為らば武力はあやめに任せ、お前はその智慧ちえを寄越せ」

「妾の……智慧を?」

「そうだ。智略、智謀で俺に力を貸せばいい」


 貴之の言ノ葉コトノハを聞きて、芙蓉の顔が一瞬にして晴れ渡った。その表情はまるで、曇天模様の雲間が割れて、明るい日差しがすぅっと零れたが如きである。

 経験は浅かれど、妖力は失えど、千年近くの時を掛けて溜めに溜め込んだ智慧は、決して消え失せることはない。それであれば、役に立つ事もきっと在ろう。

 芙蓉は何やら頷いて、意を決した顔をした。そんな表情を見せたかと思えば、急にふわりと優し気な、柔らかい顔付きと相成った。


「くふふぅ……狐はな、術者さま……」

「うん?」

「受けた恩は決して忘れぬ。恩返しくらいするわいゃ」


 これは一体どうしたことか。

 貴之へ擦り寄る様に肩を寄せると、急にそう主張し始めた。


「狐はな、義理堅い生き物なのじゃ」

「そういうものか」

「そうじゃぞー? 術者さまは『ごんぎつね』を知らんかえぇ」

「ごんぎつねといえば、新美南吉の……あの物語か?」

「そうじゃ」


 狐の代表格は、あの『ごんぎつね』であると、芙蓉は笑顔で語る。

 かの『ごんぎつね』の様に助けられた恩に報いるべく、命を賭しても義理を果たす。


「無論、あの鬼の娘は、妾を信用せんかも知れんがのぅ」


 芙蓉はそう云うと、自嘲気味に「くふふぅ」と笑った。

 なるほど、確かにあやめは芙蓉をまるで信用していない。

 芙蓉の不安は、それを敏感に感じ取っていたせいもあろう。

 それは野生の勘か――いや、彼女は頭と気の良く回る者なのだ。

 芙蓉のそんな一面を、貴之は改めて感じ取っていた。


「それで用件はそれだけか?」

「いんや、大判の布なるものを寄越してくりゃれ」


 芙蓉は野生の獣が如く落ち着かぬ様子で、貴之の後ろの方へじつと眺め入る。


「はぁ? あのバスタオ……大判の布の事か?」


 そう云えば日中に、薄汚れた毛玉――もとい、芙蓉に使ってやったっけ。

 はてさて。件のバスタオルは使い済みで、確か洗濯カゴへ入れたはずだが。


「そうじゃ。妾はそれが欲しいのじゃ」


 また芙蓉は、急に妙なことを云い出したものである。

 貴之が衣装ケースから新しいものを、渋々引き出そうとすると、


「嗚呼っ、駄目じゃ! そっちのそれ、それが好い」

「これは……俺が使って、そのままのやつだぞ」


 芙蓉は、椅子の背に引っ掛けてあった使い古しのバスタオルを指差した。

 貴之が風呂上がりに濡れていた頭を拭いて、そのままにしていた物である。


「そうじゃ。妾はそれが欲しいのじゃ」


 これは親戚から進呈で頂いた、二枚セットの片割れだったが如何に。

 仕方がないので、使い済みのバスタオルを渡してやる。


「こんなのでいいのか」

「い、いいのじゃ。妾は居候じゃから仕方ないのじゃ」

「だから今、新しいものを……」

「い、いいのじゃ、これで!」


 芙蓉は不貞腐れた顔で強硬に云い張ると、タオルを身体にぐしぐしと擦り付けた。


「いいか、もう返さんからな! これは妾の匂いを付けたのじゃからな!」


 そう云い残すと、貴之の部屋を出て行った。

 ギシギシと天井裏へ上る音が聞こえると、すぐ静かになる。

 身体と共に心も子供になったか。一体何だったのかよく分からない。

 もしかしたら狐の習性かも知れないが、流石に知る由もなかった。


「変な奴だ……」


 そう呟いて貴之は、今度こそベッドへ横になるのであった。

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