第参ノ災厄
第22話 序段・初夏即事
春光過ぎ去りて万緑となし、余寒消え去りて専ら薄暑と化す。
和風月名の名を呼べば、もう間もなくして
この時節柄となれば梅雨入り宣言へと突入し、滞ることなく梅雨明けしていくのが通例であろう。雨か曇りか、時々晴れか。念には念を入れて折り畳み傘を持っていくか。
いつも天気予想のニュースやサイトに齧りつきながら、月並みながらも憂鬱な日々が繰り返される。誰しもがそう考えているはずだ。
しかし今年になると梅雨入りどころか、誰も彼もが朗らかで和やかなニュースをとんと寄越さない。何故ならば、テレビやラジオの放送各局、新聞、雑誌、インターネット等々、どこもかしこも異常気象の前触れかと、ニュース速報が相次いでいるのだ。
全国各地に至ってはここ数週間、雨が一粒たりとも降っていない。かと思えば、いつの間にやらゲリラ豪雨があちらこちらへと沸き立ってきよる。まるで変幻自在に七転八倒、世間一般は空前絶後かの如し。
よって気象庁やマスコミ各所は批判を浴びて、視聴者の矢面に立たされておる。
マスコミ各種のコメンテーターは、いつもであれば批判や諫言の御託を並べ、切った張ったのひと悶着がお決まりだったところだ。しかし最前線の現場では、
そんな訳で兎にも角にも、気象予報士や科学者やコメンテーターらは皆こぞって曰く「異常気象に他ならず」と、声を大にして鳴りやまぬ。さらには視聴者やネットユーザーなどまでもが、みんなこぞって丁々発止にやりあっておられる。
特にネット上では、様々な憶測やら
どちらにせよ、日本中の科学者どもが気象観測のデータを鑑みるに、今季限りは匙を投げるしかない。ただただうだるような暑さと
もちろん、何故か隣に付き纏っておられる、まっこと美少女と御座候へば――
「ええい、今度は暑いぞ! 何とかならぬか、貴之よ!」
「なんだなんだ、鬱陶しい」
「う、うっとーしいとはないじゃろ、うっとーしいとは!」
否、うだるような暑さと鬱陶しさしか残っていないとは、まさにこのこと。
高校生・
何が「らしくない」かと問われれば、まずは異常な蒸し暑さだと答えるだろう。貴之の記憶が正しければ五月も下旬と相成れば、多少なりとも梅雨入り間近となったはずだ。
気象庁の発表によると、この炎天下は梅雨型の気圧配置とやらが、何処へと行方をくらましたせいだと抜かす。故に戸惑ったか、
いつも思い返せば日本列島はここ数年、異常気象が続いていると云われて久しい。冷夏だとか、暖冬だとか、猛暑だとか、厳寒だとか。また愚痴りたくなるが、そういった言葉をニュースで聞かない年の方が珍しいんじゃなかろうか。
「まさに暑さは罪じゃ、日照りの天災じゃ!」
暑さ寒さも彼岸まで――は、どこへやら。今日に限って下校中の昼下がりでは、アスファルトが焼けつくほど暑いせいで思考停止状態。もう気怠さしか残ってない、とんだ真夏日である。
「なぁ、そうは思わんか、貴之よ」
それ故に仕方がなかったのだろうか。
「そこで相談なんじゃが……のぅのぅ聞いておるのか貴之、たーかーゆきー!」
「ならばこっち見るな、袖をぐいぐい引っ張るな」
そうだった。云われてみれば、暑さが祟ってぼんやりと考え事をしていたせいか、隣にいた騒々しくて鬱陶しい美少女の概要を忘れてかけていた。
貴之の隣に
「あん? 何か云ったか?」
「どちらを両天秤に掛けるか……迷うな」
「なんの話じゃ?」
「貴島あやめと掛けまして、うだる暑さと解く」
「んんん、その心は?」
「双方ともにウザいでしょう」
「だーかーらー、なんの話じゃ?!」
などと頬を膨らめてぶ-たれながらも、貴之の袖を優しく指でつまむ。珍しい。あちらを立てればこちらが立たず、か。まるで拗ねた黒猫の様子でおねだりしているようである。
「まぁいい、申し開きしてみよ」
「う、うむ……いや貴之よ、頼みがあるんじゃ」
「なんだ?」
「ええと、だからー、あの、その……」
あやめはごにょごにょと口ごもっていて要領を得ない。要領を得ないが、話だけは聞いてやる。暫くすると意を決したか、口火を切った。
「
「アレ?」
「ええい、アレじゃ、例のアレじゃ!」
「例のアレ?」
「ほ、ほれ、あのテーラー宮脇っちゅう店があるんじゃろ?」
店といえば主に、学校指定の制服の仕立屋、駅前のデパートの中にある。
六月と云えば衣替え。衣替えと云えば制服。制服と云えば夏服の季節。あやめが欲するは、意外や意外、制服の夏服であった。
……意外? いや、待て待て。あやめを
だがしかし貴之は、いつも欠かさぬ約束を常に思い出す。
一つ「恐怖に呑まれてはならぬ――常に平静を保つべし」
一つ「情けをかけてはならぬ――温情は
一つ「
この「三つの掟」を必ず護らねば、男が
「そうか、分かった」
「おう、分かってくれたか!」
素直なあやめは、パッと花が咲いたような顔で嬉々としておる。
「それにしても、知らなかったな」
「おう、そうじゃろそうじゃろ!」
「まさか『スク水』がご所望とは」
「おん? なんじゃそりゃ?」
「もちろん『スクール水着』の略称だ」
「ち、ちちち、ちゃうわ!」
衣替えの時期には間近ではあるが、体育について関係がないとは云い切れぬ。
あやめとて「そういう服装もあるのか」とまごついておる。元々は千年の時を経た男にて、学校規則は知る由もなし。水着とは、もちろん冗談――ではなく、嘘にしておく。
「わ、儂は
初夏の温度と体温の上昇同じく、
「昔っから男子たるもの、泳ぐ時は素っ裸で川の崖から飛び込むモンじゃが……」
だが今や、容貌魁偉の大男から小柄な美少女へと、大逆転なる性転換と相成った。
千年もの間に継がれ続いた悪鬼より、ほんの数ヶ月の間にか弱い少女の身体となってしまうと、もう居ても立ってもいられずモジモジとしておる。いと愛らしい。
「どどど、どうすればいいんじゃ、貴之よ」
「自らが、どちらか一方を選ぶがいい」
「そんっ……夏ふ、すくっ、ふ……ふ、ふええっ?」
「夏服かスク水か、若しくは全裸か」
「んにゃーっ! んなことあるかーっ!!」
顔は元より耳まで真っ赤になって恥ずかしよる。全裸とは流石に冗談である。
「いずれにせよ、己の選択を決めよ」
「うぬぬぅ……」
全裸はさておき、制服の夏服かすくーる水着か、水着か夏服か……生きるべきか死すべきか、それが問題だ。まるで、しぇーくすぴあの戯曲『はむれっと』の如くなりにけり。
とどのつまり、学校指定の夏服制服とすくーる水着とやらを両方とも買わねば。
などと、あやめはぶつくさと呟きながら、夏はまだかまだかと待ち望むのである。
◆ ◆ ◆
さてもさても。季春が終わる皐月の末日。
「貴之、貴之、たかゆき、たぁかーゆきぃーっ!!」
日曜日の昼下がり。妙に嬉々としたあやめの叫び声が外から響く。
その声に呼ばれた貴之が二階の窓から顔を覗かせると、あやめが庭に立っていた。
「用があるなら、せめて呼び鈴を押して貰えんか」
「
何故か分からぬが、あやめは叱られても嬉々としている。余程、何か別の興味をそそられたのか。どうしたと問えば、手に持った毛玉の様な物を「ホレ」と見せた。
「なんだそれは?」
「キツネじゃ。庭でウロウロしておった!」
よくよく見ればこの毛玉、件の仔狐・
あやめ曰く、庭で
「貴之よ、いなり寿司にして喰っちまおう!」
だがいなり寿司は、狐を調理して作る料理ではない。
あやめは妙に嬉々として、珍しく戯言を繰り返す。
「さぁて、煮て焼いて喰ろうてやろうか、くっくくく……」
「どうしたあやめ、妙に
「なに、あの厄介な妖狐がの……こうなれば可愛いもんじゃとな」
「なるほど、同類相憐れむか」
「どどど、どういう意味じゃ!?」
一方の仔狐はと云えば、しおらしく摘まれたままとなっておる。
むくれたあやめは「処分は如何ようにもせい」と貴之に差し出した。
「ま、話くらいは聞いてやる」
何の用でここへ来たか。聞かん事には埒が開かぬ。
ともすれば、有益な情報があるやも知れん。
貴之はとりあえず、仔狐を家内へ上げることにした。
「それにしても獣臭くて堪らんぞ」
「確かにそうだな」
玄関先であやめが鼻をつまんで愚痴る。野外より室内は、臭い立つが道理だ。
鬼は人より随分と鼻が利く。あやめはあからさまに顰めっ面を見せた。その言葉、密かに女心――ならぬ、狐心を傷つけたようで、芙蓉は口を半開きに開けて喪心隠しきれず。
「このまま家の中をうろつかれては敵わんな」
貴之はあやめから仔狐をひょいと貰い受けると、そのまま風呂場へ直行した。
不安そうな顔をして黙りこくっていた仔狐が、ここで漸く声を上げて哭いた。
「わ、ひぃっ、止め、あっ、水は……だめぇっ!」
「駄目も何もあるか」
貴之は摘み上げた仔狐を、洗面器の中へと放り込む。
問答無用でシャワーの蛇口を捻ると、情を掛けずに水を掛けた。
「ひゃん! ……ゆ、赦してたも……赦し、嗚呼、嗚呼っ!」
あやめはニヨニヨと「水責めじゃ」などと嬉しそうにほざきよる。
ならばよし。こうなったら徹底的に「虐待してやろうぞ」と意を決す。もちろん嘘である。水責めでも拷問でもなんでもなく、単なる行水であった。
何せ本日は晴天なり。そして異常気象の真っ只中だ。紛れもなく珍しくもない真夏日であったから、水浴びにはもってこいであろう。
「ひゃんっ! ひゃああぁあぁん……っ!」
まずは水で洗ったが、相当な獣脂の塊が残っておった。頑固な汚れがなかなかとれぬ。仕方がないので水温調節を敢行し、これでもかとボディーソープを塗りつけてやる。
そして手櫛のように使い倒して、じっくり、たっぷり、
「ええいどうだ、これでもか!」
「あひんっ、らめぇ……きも、ち、い、らめぇぇ……っ」
まるで幼女の嬌声のようだが、知らぬ存ぜぬ、聞かなかったことにしてやる。
慄いているのか、悦んでいるのか。気分が良いのか、悪いのか。とんと見当がつかぬ。何せ仔狐の身姿では表情やら感情なんぞ、てんで見分けがつかぬからだ。
最後には、洗面器の中のまんまでじゃぶじゃぶと、全身隈なくすすぎ流してやる。
当の芙蓉は観念したか。抵抗空しく目を白黒させたまま。全身を弄られる様に、何もかも全てを全身全霊、綺麗さっぱり洗われた。洗われまくった。洗われまくってやった。
これぞまさに邪道で外道。悪の限りを尽くしてやったのだ。多分。
「こんなの……初めてなのに……御無体なぁ……」
「なんじゃ
呆れ顔のあやめを余所に、芙蓉は「よよよよ」と泣き崩れた。
辱めを受けながらも、何故かほんのりと恍惚な声が混じって哭きよる。
貴之は冷酷な面持ちで、芙蓉の後ろからバスタオルを掛けてやった。
「さて、お前にはコイツがお似合いだ」
「んぷぁっ……こ、この肌触りは?」
「どこにでもある普通の……大判の布だ」
いや、単なるバスタオルである。嘘を吐くつもりないが、なんとなくである。
肌触りは程好いが、ちょっと前に親戚から進呈で頂いたバスタオルだ。たまたま脱衣所の収納棚に置いていて、ずっと使い古していた。ただそれだけのものである。
行水の後にそぼ濡れた毛玉の狐を、このバスタオルを使って丹念に拭いてやる。
「これは……くんくん、これはもしやっぴぃやぁあぁぁーっ!!」
何も告げずにヘアドライヤーでスイッチオン。これはまさしく『熱風責め』である。
仔狐の身体へドライヤーを当ててみれば、風力は問題なく、熱量も丁度良し。ブラシで整えながら、満遍無く全体的に乾かしてやる。時間はたっぷりとある。全身隈なく虐め尽くすまで丁寧に整容して……否、拷問してやった。つもりだ。
「ほぉ……」
漸く終わるとあやめとしては珍しく、軽く息を呑みながら目を見開いた。
「あやめよ、どうだ?」
「ふ、ふん! まぁまぁ、じゃな」
なんということだろうか。仔狐は汚れた毛玉より瞬く間に見違えて、小さくとも凛とした血統書付の仔猫の様に相成った。
輝く毛並は、
恐らくこの仔狐は、直感的に野生の勘が働いたのだろう。きゅるんと小首を傾げ、円らな瞳でじつとこちらを見ているようだ。
「さて、話を聞こうか」
再び首根っこを摘み上げると、
項垂れたままであった芙蓉は、貴之の声でついとこちらへ顔を上げた。
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