第17話 夢幻ノ匣・破
然りとてあやめは、今日も今日とて敵を探して東奔西走にひた走る。
夜な夜な愛用の日本刀一本を肩に引っ下げて、眠らぬ都会の街中を飛びに飛び回った。
敵は今、妖力の回復に努めている筈――そう読んだあやめは、
その姿、手柄を立てねばと必死に嗅ぎ回るわんこの如し。しかし自ら進んでやると云うならば、わざわざ差し挟む口は無し。好きにさせるかと放って置くこととした。
「それで釣果は?」
「……坊主じゃ」
それ見た事か。
夕餉の後には恒例となりし夜更けの探索も、今日で三日目。敵の尻尾は依然掴めず。時間ばかりが無駄に過ぎ
まるで得られぬ手掛かりに、あやめは犬歯をきりきりと噛み締めて悔しがる。この有様と相成れど、懲りぬあやめはどうしても踏ん切りが着かぬようだ。
「ぬぐぐ、折角の好機と云うに……!」
「とは云えチンピラたちは、情報を何も持っていないのだろう?」
「ううむ、その通りじゃ……何者かに操られておるだけじゃった」
「ならば無駄骨だよ」
チンピラどもを見掛けては、片っ端からふん捕まえて尋問しようが、彼奴らは何も覚えて居らぬ。決まって姿を見せるのは、魅了の術に操られた木偶の坊ばかり。そう簡単には敵の本丸、狐の尻尾は掴ませぬと見える。
「だから慌てるなと云っただろう」
「しかしこのままでは、敵の思う壺ぞ!」
「まぁ、落ち着け」
貴之から熱い茶を差し出され、あやめはふぅふぅと息を吹き掛ける。
湯気の向こうの貴之をジト目でじっと睨めど、相も変わらず「今はその刻ではない」と動く気配を頑として見せず。それがあやめには大変不満たらたらである。
だが貴之は行動で示す代わりに、抜け抜けと無駄口を叩いてきた。
「今のお前に、ぴったりの
「うん、それは何ぞ?」
「骨折り損の草臥れ儲け」
叩かれたあやめはと云えば、鳩が豆鉄砲を喰らった
貴之とて、あやめに
「あやめよ」
「何じゃ!」
「災厄は
「何故じゃ、何故そう思う?」
そこで打たれた貴之の説明は、こうである。
敵は既に二度の襲撃に失敗している。執念深く慎重で狡猾な敵ならば、確実に仕留められる瞬間を狙う。その時迄は決して動く事はあるまい。だが智者は智に溺れるもの。用意周到に罠を張り巡らせた敵が、我らを狙う時こそ最大の好機と成ろう。
――と、相も変わらず貴之は、息を吐くように尤もらしい嘘を付いた。
なるほど、貴之にそう諭されれば、何故かその気になるから不思議なものだ。
あやめはへの字に口を曲げたままであったが、何故かすうっと腑に落ちて、気持ちもすぅっと落ち着いた。よって近頃のあやめはと云えば、何時の間にやら包み隠さず貴之に相談するようになっている。ただ一つ、悪夢の件を除いては。
「まぁ、冷めぬ内に茶を啜れ」
「おう」
「あふぁ、ちかれたびー」
つい油断をしたのだろうか、妙な言葉を口にした。
「なんだそれは?」
「こ、これは秋田の方言だ。その昔流行ったのだ!」
「何だかおばさん臭いな」
「う、うるちゃい、黙れ!」
また噛んだ。あやめの白皙の頬が、薄らと緋に染まり也にけり。
疲れている時はこの舌足らずが、どうしようもなくなるらしい。
「ええい、放っておけ!」
「そうか、悪かったな。煎餅喰うか?」
「喰う」
「どうだ、美味いか」
「うむ、美味い」
また近頃のあやめは、貴之から差し出されたものを何の躊躇いもなく喰うようになった。
どうやら本邦初、鬼娘の餌付けに成功したようだ――などと冗談はさて置き、この辺りも何やら心境の変化の一部であろうか。
「落ち着いたか」
「うむ」
「ならばカリカリせずに、ゆっくり休め。」
「なるほど、貴之の云う通りだ。今日は休ませ……て、貰うぞ……」
途端にうとうととし始めたあやめは、疲れ切っていたのか。
◆ ◆ ◆
深夜――丑三つ時を疾うに越えた頃合いか。
あやめがふと目を覚ますとそこは、「我が領地ぞ!」と貴之に云い放った
迂闊にも、寝入ってしまった
この失態、どうしたことか。貴之にどう思われたか。気には掛かるが、聞くに聞けまい。だが何とはなしに胸の内が騒いで、階上へ音を立てぬようそろりそろりと階段を上がる。
そこには貴之の部屋がある。真っ暗闇の中、きぃと音を立てて戸を開かば、貴之は果たして
背を向けて寝る貴之を目にし、何故かあやめは「ほぅ」と胸を撫で下ろす。
「はぁ、儂は何をしておるか……当たり前であろうに」
妙な不安は胸の内。
「ひぅ……っ!」
あやめは思わず息を呑み、小さな悲鳴を漏らしてしもうた。
何故ならば、こちらを向いた貴之のその顔は、不気味な狐面を付けていたのだ。余りの驚きに、小さな身の丈は全身の身の毛が瞬時に
こうも容易く寝入るとは。自らの身体にしては、どうも勝手が違うと思っていたが。ここは最早、敵の陣地のど真ん中。何時もの悪夢の中であるようだ。
「く、くそっ、抜かったわ!」
あやめが失態を嘆く合間にも、偽貴之はあれよと分身を繰り返し、あやめの周囲を取り囲まんとする程の、幾多の人影と相成った。
貴之の家内にしては、尺が合わぬもここは夢の中。何とでも自由が利くらしい。狐面の男らに取り囲まれて、然う然う身動きが取れそうにない。
「夜更けぬ先に、帰らせおはしませ……」
夜が更けない前に、お帰りあそばせ――
狐面を付けし分身たちは、狐面たちは口々に何時もの台詞を口にする。
そう呟く度に獣のような鋭き爪で、あやめに引っ掻き傷を与えてゆく。だが反対に、あやめが幾ら徒手空拳に攻撃を繰り出そうと、まるで当たらぬ。
「夜更けぬ先に、帰らせおはしませ……」
「くそっ、夜更けぬ先と云えど、今は疾うに夜更けぞ!」
あやめが幾ら叫ぼうと、攻撃の手は止まず。一向に埒が明かぬ。真っ暗闇の中で響く幽けき声――次第に本能的な恐怖が呼び起される。
「夜更けぬ先に、帰らせおはしませ……」
その声に上を見上げると、手が届かぬ程にすっかり高くなった天井の中空に、真白き
「夜更けぬ先に、帰らせおはしませ……」
相変わらず女は同じ言葉しか口にせぬ。
何時もの堂々巡りと相成るか。そう思うた瞬間である。
「くふふ……とおりゃんせ、とおりゃんせ……」
何時もとは違う節を、女が口にし始めた。
これは江戸の世に生み出されし童唄。永き眠りより目覚めし後に、あやめもよく耳にしたものだ。そしてあやめにはこの歌の意味に心当たりがある。
なればこの唄を女が口にするには、違う事なく
然りとてあやめに余裕は露程もなし。次第に追い詰められ
「ふふ、命乞いを叫んだらどうえぇ?」
紗の垂衣の向こう側で、端正な蒼白い顔を歪ませて
「何を云うか、命乞いなど死んでも叫ばん!」
女の老獪な挑発に、あやめの心は益々頑なになった。
だが拒否をすればする程に、攻撃の手は激しさを増し鬼娘の柔肌を傷付ける。皮膚は裂け、血肉が飛び散り、次から次へと
敵の爪先には蠱毒が仕込まれて居るのか。傷口への激痛は元より、痺れや痒み、発汗に発熱、あらゆる苦痛があやめの小さな身を襲う。
これ程に、酷い
「ひ、くっ……た……っ」
幾度となく口の端から「助けて」と叫びそうになる。
転げて出そうになった弱音を、幾度となく抑え込む。
「ふふふふ、命乞いかえぇ?」
「く、くあっ、たっ……っ」
助けて、助けて、たすけて、たすけて……
心身ともに限界を超えた時、あやめは決意した。
敵に命乞いを叫ぶくらいなら――
「た、貴之ーッ!! たかゆきぃぃーッッ!!」
轡を並べて共に
あやめは、心の奥底から、貴之の名を叫んだ。
「来ぬ来ぬ……くふふふぅ……」
狐面の男たちは次第に燃え盛る狐火と姿を変え、あやめの身体を焼き尽くさんとす。
如何に夢の中の出来事とは云え、精神が燃え尽きて滅すれば、身体が残ろうと死んだと同じ事。周囲を囲んだ大量の狐火に、逃げる術はなし。絶体絶命の窮地と覚悟した。
その
「呼んだか?」
手近な部屋の扉が、ガチャリと音を立て容易く開いた。
そこに現れたるは、その名を呼びし待ち人の。狐面など付けてはおらぬ。紛うことなきく正真正銘の貴之の姿であった。
「たっ……たかゆき……たかゆきぃ……」
つい
精も根も尽き果てて、立つ事敵わず。貴之の何時もと変わらぬ普通の顔立ちが、今宵に限っては随分と有難く、そして頼もしく見えた。
「すまぬ……儂はもう駄目じゃ……」
「あやめよ、何が駄目なんだ?」
「儂は、役立たずじゃ……」
あやめは珍しく後悔を口にして、がっくりと
「いや、何を云う。お前は今こそ役に立つ」
「斯様な手負いの身体で、いったい何ができようぞ……」
「自分の姿をよく見てみろ。傷の一つも有りはしないぞ」
貴之にそう云われて自らを顧みれば、立ちどころに傷が癒え、服の破れが塞がってゆく。たちまちのうちに、身体どころか服にすら傷一つなき姿となった。
「ア、アリャリャッ?!」
「どうだ?」
「こ、これはしたり……」
まさに狐に抓まれた気分である。
なれば貴之に身を預け、姫の如く抱きかかえられるなど、羞恥の至り。
余りの恥ずかしさに、あやめは身を縮み込ませて顔を覆ってしまった。
「まぁいい、お前は少し休んでいろ」
そう云って貴之は、あやめに背中を向ける。
何をする気かと見守れば、立ち塞がるように狩衣の女に面と向かった。
「き、気を付けよ、奴らは火を使うぞ!」
「そうか。ならば俺は魔人、火を噴いて自在に操る炎の魔人」
そう云い放った貴之は、口から凄まじい猛火を噴いた。轟と音を立て噴出された炎は、狐火たちをあっという間に飲み込んで、跡形もなく消し飛ばす。
これには流石の悪鬼も「あなや」と驚いて、トンビ座りのままに腰を抜かす。
「そして風。風も自在に操るぞ」
そう云い放った貴之は、轟音と共に風が逆巻き空を飛んだかと思えば、あれよあれよと狐火どもを蹴散らすと、狩り衣の女すら吹き飛ばす八面六臂の大活躍を見せた。
これには流石のあやめも驚いて、声すら出なく成り掛けた。
確かにここはあやめの夢の中。夢の中であれば、何があろうが不思議ではない。
然れども如何に高位術士の貴之とは云え、これまでにない不可思議な術の連続。普段の貴之とは異なった、云い得ぬ違和感が漏れ出ずる事にあやめは気が付いた。
「ま、待て!」
「どうした、あやめよ」
「き、貴様は貴之じゃが、貴之じゃないな……何者だ!」
「ほっほほ、よくぞ気付いた……」
その貴之は口角を上げ、自信に満ちた表情でニヤリと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます