第16話 夢幻ノ匣・序
さて、昨夜の爆発によるアパート損壊は、老朽化した
あやめを襲撃せし兇徒らの鮮やかな手口と妖術の使用により、物理的な証拠は一切残さじ。また該当の号室は不幸中の幸いに、専有使用者の留守にて怪我人は無し。
よって単なる物損事故として、粛々と処理されつつある――と、噂を聞き集めていた貴之が事件の概要を伝えると、
「まったく警察の怠慢じゃな! 国家権力っちゅーもんは、まったく! ここに酷い目にあった可哀想な娘が居るというに! や、儂は男じゃけど! 男じゃけどな!!」
などとベッドの上で身動きとれぬまま、憤ってムクれるあやめの姿があった。
元々がヤクザ者だけに警察には不信感があるようだが、それは逆恨みと云うもの。身から出た錆である。かといって警察沙汰になったところで更に困るのは鬼娘も同様。よって双方痛み分けということで、これ以上は顔を突っ込まぬが吉であろう。
「それと例の一件だがな……」
「おう、あの『わんぼっくすかー』なるものか、忌々しい!」
「まるで姿形も見えず。事故現場すら見つかってないらしい」
するとあやめは考えあぐねた様子で、顎に手を当て「むう」と唸った。
電柱柱の
だが例のワゴン車は最早、匣が如き残骸に過ぎず、動くことすらままならず。
さしもの敵の親分とて、チンピラもろとも潔く始末したのは思えない。さりとてどこにあるのかどのようにあるのか、とんと見当がつかぬ。
「ううむ、件の妖による隠れ家の仕業か、若しくは
「どちらにせよ、あやめの隠れ家もなくなったけどな」
「や、喧しいわ!」
こうして自称・可哀想な娘は、我が根城と称したる棲家を丸ごと失った。
嘗ての伝手を頼ろうも、昨夜の件から察するによもや危険。世間知らずなあやめには、他の宿を借りるような智慧も手段も持ち得ない。
よって暫しの宿として、貴之の家に寝泊りする他に手はあらんや。
「お、おうぅ……マ、マジかよ……」
「ああマジだ、が、ちょっと待て。どこで覚えた、その言葉」
どうもこの悪鬼、最近は学校にも慣れ、
それはさておき、同居について暫し
「し、信じておるぞ。信じておるからなっ!」
などと申されど、元より悪鬼の本性を知ったる貴之である。
如何に純和風美少女の身形と相成れど、おいそれと手を出す気に成らぬ。
はてさて、悪鬼はアパートに残されていたなけなしの家財一式を、どこで買い付けたか唐草模様の大きな風呂敷一つに詰め込んで、随分と不格好な身形にて参上仕った。その姿につい吹き出しそうになるを、貴之はぐっと抑え込む。
何故か膨れっ面のあやめは、勝手知ったる他人の家とばかりにずかずかと上がり込むと、何やらきょろきょろと見回して
「
と云い捨て占拠すると、勝手にそこを立ち入り禁止とした。
「お前、さっきまで俺のベッドで寝てたじゃないか」
「ふぇ、そ、それはそれ! これはこれじゃ!!」
ムキになったあやめにそれ以上突っ込めど致し方なし。
貴之とて助平根性を出したが故に、問題発覚となっては導師の威厳に関わるし、悪鬼に祟られるのは本意ではない。触らぬ悪鬼に祟りなし――とし、その提案を飲むを是とした。
悪鬼の癖して純和風な外見同様、意外や内面も身持ちの固い性格のようだ。
「儂とて、他の部屋には立ち入らぬと誓おうぞ」
「キッチンで飯を食う時は、どうする?」
「う、そ、それは……」
「風呂とトイレは?」
「ふぐぐっ、ぶ、武士の情け……」
「何が武士だ。まぁいい、そこは中立地帯だ。その代わり掃除は分担だぞ」
「うむ、感謝する。心得たぞ!」
あやめは「ふんす」と鼻息荒く、何故か右手を差し出した。
そうしてあやめは貴之と、何故か固い握手を交わすのであった。
◆ ◆ ◆
こうして朝餉と夕餉の際は、あやめと自宅で食卓を囲むことと相成った。
独り暮らしで家計の遣り繰りが必須である貴之は、外食をあまり好まない。簡単な料理であれば自分でとっとと作ってしまう主義である。
するとあやめが自然と食卓へ寄ってくるので、拒むことなく喰わせてやっている。その代わり、たまにテーブルの上に金銭が置かれているのは、あやめのささやかな心付けだろうと黙って受け取ることにした。
今日も今日とて夕餉のでき上がりを見計らったかのように、キッチン横に
「できたぞ」
「お、おう」
毎度の事であるが、嬉し恥ずかし頬を紅潮させ現れるあやめの姿は、恐れ多くも御相伴に預かりに来た野良猫の如し。但し純和風美少女然とした悪鬼であるからややこしい。
情けをかけてはならぬ――老人の言葉が頭を過るも「これは契約の一環、餌付けの一種」と割り切れば、どことなくそんな気がしてきたので良しとした。
「おお、今宵は
「そうだ。カレイの煮付けだ」
「儂は煮付けは好きじゃ、煮付けは大好きじゃぞ!」
何故か二度告げて舌をぺろりと出す姿は、やはりいと愛らし猫の如し。だが貴之はそんな気持ちを億尾も出さず、黙って白飯を茶碗に盛って手渡してやる。
あやめは待ちきれぬのか、食事の挨拶もそこそこに箸を取れば、好物と云うだけあって見事な箸捌きで、
「ふむむ、それにしても美味い」
早速カレイの煮付けを頬張ると、あやめは感心した表情で呟いた。
そう云えば、あやめと暮らす様になって気付いたことがひとつある。貴之の作る飯を、やけに「美味い、美味い」と云って食うのだ。
鰈の身を止めどなくちゃっちゃと口へ運ぶあやめに、それとなく聞いてみた。
「俺は云う程、大した腕ではないぞ」
「だが……美味い」
「今まで何を食っていたんだ」
「握り飯じゃ」
そういえば昼飯も、コンビニのおにぎりを食べていた事を思い出す。
「他には?」
「握り飯じゃ」
「何故他の物を食わん」
「う、い、如何にせんか分からん」
今の今までそればかり食べて過ごしてきたと見える。どうもこの悪鬼、コンビニで「温めますか」の意味を解せず。弁当を温める会話すら交わせなんだと相分かった。
呆れ果てて二の句が継げず、忙しなく箸を運ぶあやめの姿に暫し見入った。するとあやめは、忙しなかった箸を不意に止め、急に「ふぅむ」と唸った。
「どうやら儂は、思い違いをしていたようじゃ」
「何の話だ?」
「いや当初はな、ただ単に『温かい食事は美味いもんだ』とばかり思うておったが……どうもこの身体に転生してより、儂の味覚そのものが変化しているようじゃ」
「どう変化しているんだ?」
「ううむ、そうじゃな……料理の素材の味そのものがよう分かるようなった。それに辛い味が駄目になった代わりに、甘い味を美味いと感じるようなった」
転生して以来、味がより繊細に、より鮮明に。また味覚に変化が生じたせいで、好みも変化しているように感じられるのだと云う。
あやめ曰く、種の限界を迎えて
「だからな、今は食事が楽しい……それとな、貴之よ。ひとりで食う飯よりも、二人で喰う飯の方が美味い。儂は貴之と喰うのが楽しみで仕方ないぞ」
あやめは恥ずかしげもなく満面の笑みで、さも嬉しげに云い放った。
さて改めて云うまでもなく、鬼娘の容姿たるや言わずもがな。
だが受けた貴之は、眉ひとつ動かさぬ。感情を只管殺して「そうか」とだけ呟いた。ここで悪鬼に情を掛けて、魂を貪り食われる訳にはいかぬ。
その代わりにひとつだけ、声厳かに偽って、大仰に嘯いてやる事を閃いた。
「ならば明日の昼、お前を或る場所へ連れて行こう」
「何じゃ急に改まって……
「それは、生徒による最高にして最大の合戦場……学食だ」
「な、なんじゃと!? が、学食じゃと?!」
期せずしてあやめが大真面目に驚愕の声を上げた。
物を知らぬあやめとて、学食は幾度か目にしている。目にはしているが、余りの軍勢と威勢に惧れをなし、立ち入ること敵わじ。嘗て遭遇した
「ひ、昼時に美味そうな香りを漂わせる、あの
「そうだ……そこは『食の激戦区』と云えるだろう」
「か、斯様な場所に、儂は立ち向かえるじゃろか……」
怯えきって震え声になってしもうた鬼娘に、貴之は力強く云い放つ。
「任せて置け。俺が学食の使い方をお前に伝授してやる」
「おお、
そういうことになった。
さて、暫し黙々と煮付けと白飯を交互に口へ運ぶ時間が続いたが、やがて夕餉が進むにつれ、話題は何時しか
「そういえば、尾行は最近どうなっている?」
「むぐむぐ……そうじゃな、最近はとんと気配を感じぬ」
あやめ曰く、じりじりとしつこく続いていた嫌がらせのような尾行はピタリと止んようだ。さては失敗に懲りたか。または同じ策は用いず、同じ轍を踏まぬつもりか。
「若しくは、じゃ」
見えぬ目下の敵を振り返らば、膨大な狐火を操り、大いに人心を惑わし、大掛かりな罠を仕込む。それには多大な妖力を必要とする筈だ。よってに妖力を無駄に使い過ぎ、
「ふむ、その線も捨てきれんな」
「だろう! ならば今こそ反撃の好機ではないか、貴之!」
「分かった、分かったから喰った米を飛ばすな、あやめ」
「うぐ、これは
そう注意すると、自らをはしたないと思ったか。あやめは恥ずかしそうにむぐむぐと口を窄めた。この辺りの礼儀作法は、何故か弁えている悪鬼である。
話の腰を折られたものの、あやめは次こそはと咀嚼したものを「うっくん」としっかり飲み込んで、言葉を継ぐ。
「兎にも角にもな、この好機を逃さば、再び厄介な手口で襲われるは必定ぞ!」
「まぁ、慌てるな」
そう云って貴之は、ずずっと豆腐の味噌汁を啜った。
闇雲に動いても詮無きこと。何も得られぬでは堂々巡りで意味がない。
だが貴之は、いずれ確実に反撃の好機はやってくる、と知っている。何故ならば、災厄は必ずや貴之に降り懸かるからである。
「いやさ、貴之よ」
「なんだ」
「慎重居士も結構だがな、じわじわと嬲り殺されるのは御免だぞ」
確かに、あやめの云うことも一理ある。
片や無尽蔵が如き妖力を持ち、妖術により様々な手駒を操る。
片や小娘の姿となった間抜けな鬼と、只の人間。たった二人。
このままでは、攻め手の無さと決定的な駒不足に、消耗戦を強いられよう。
「まるで真綿で首を絞められるようじゃて……」
「うん? どういう意味だ?」
「あ、いや……なんでもないじゃ」
あやめは誤魔化そうとして、語尾が変になった。
うっかり口に仕掛けたが、未だにあの『悪夢』は止まぬ。尾行こそピタリと止めども、日々心休まる事は無し。だが貴之に気取られるは、恥――とばかりにひた隠す。故に貴之は、あやめの悪夢を委細承知していない。
などと思い返さば、ここであやめは妙な違和感に突き当たった。
「むむ、腑に落ちん……」
「何がだ?」
「いやさ、敵の手口よ」
ようようと首を捻って思い返すに、尾行に落とし穴、死なぬ程度の派手な爆発――と、妖力を大いに浪費する癖に、大袈裟で子供騙しの嫌がらせに近い仕掛けが多い。
反面、悪夢の様に精神を
貴之には前述を口にし後述は黙すも、手管がちぐはぐでどうにも気色悪い。
「余程の自信家か、妖力の浪費を厭わぬか……」
「
「ムムム……ム? どちらも似たようなものではないか!」
「ほう、気付いたか」
「たっ、貴之まで儂を愚弄するかっ!」
そう怒鳴ると、あやめは顔を真っ赤にして頬を膨らます。
怒鳴って多少は気が紛れたか、膨れたままの
「あやめよ」
「何じゃ?」
「俺と共にあるのだ。大船に乗ったが如く構えるがいい」
「……おう!」
この一言で、先程までとは打って変わった
だがしかし、あやめにとっては貴之が、これまでに判断を誤ったことはない。その点では、確かに尊敬と信頼に値する。そうあやめは思い始めていた。
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