第14話 狐火来たりなば・破

 教室にて、ある日の昼休み――


「どうした、夜更かしでもしているのか?」

「ふぁ、んっぷ……な、なんじゃ、藪から棒に」


 飛び出た欠伸あくびを、あやめは無理矢理に飲み込んだ。

 唐突な質問に不意を突かれるとは、まさにこの事。よもや貴之に睡眠不足を気取られようとは。その見た目、昼寝を耐え切れず、転寝うたたねした自分に驚く子猫の如し。


「な、何故そう思う?」

「何故ってお前……」

「今のあくびはノーカン! ノーカンじゃもん!」

「いや、お前授業中に寝てただろ」


 どうやらあやめは授業中、こくりこくりと舟を漕いでいたらしい。それすら気づかぬとは、なんという迂闊な事か。自分としたことが情けない。

 小さき身体は幼さと相まって、舟を漕ぐ姿はわらべが如し――そう貴之に云われては、赤面するやら腹立たしいやら。複雑な気分であることこの上なし。


 あの日よりあやめは毎晩、ずっと悪夢に魘されている。こうも立て続けに夢見が悪けりゃ、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた千年悪鬼と云えども、さもありなん。

 然りとてあやめの夢見悪さを伝え聞かぬ貴之である。さてはあやめの寝不足は、先日より続いてあろう尾行の件が係わるか。貴之は勝手にそう察して声を掛けたのだ。

 いくら黙っていようとも、寝不足を気取られては意味を成さぬ。千年悪鬼とした事が、若輩から気遣われるとは。あやめはもう恥ずかしゅうて仕方ない。


「今日は休め」

「そうはいかぬ」

「だが休め」

「いやさ、そうはいかぬ」

「それでは役に立たんだろ」

「うにに……それは、命令か」

「……そうだ」


 契約であり命令とあらば仕方なし。あやめはつんと尖らせた唇を噛む。

 ふと我に返ったように「そういえば」と、あやめが今日の用事を問いかけた。


「貴之よ、部活はあるのか」

「ある」


 貴之の所属する部活とは、野球部のことである。

 強豪校でもなんでもない我が校の部活は実に緩し。正式部員レギュラーでもない限り、週に三日程度出ればそれで良い。云わば遊戯あそびのような部活動である。


「随分と暇な活動じゃな」

「そうだな」

「まぁいい……ならばその間に一眠りさせて貰うわい」


 あやめはそう言い残し、ふらふらとした足取りでどこぞへ去ぬ。野良猫でもあるまいし、どこで一眠りすると云うのやら。


「意地でも休んでなるものか」


 と云わんばかりに、何やらぶつくさと呟きながら去っていった。

 あやめの頼りなき後ろ姿を見た貴之は、困り表情かおで見送るより他になかった。


 ◆ ◆ ◆


 なんだかんだと、すっかり夜も更けた帰り道。

 聞けば貴之の予想通り、登下校中の尾行は尾行で未だに続いているらしい。睡眠不足と相まってそれは、あやめの気持ちを掻き乱し、より一層苛立たせているようだ。

 一方で、気配を感じることのできぬ貴之は、まるで動じることは無し。普通の人間ならさも当然のこと。尾行の気配なんぞ、終ぞ感じることはないのだから。

 だからあやめの云う事を、貴之はただ「そうか」と聞き流す。だが気という気を感じ取るあやめはそうは行かぬ。その表情かおを見るに、精神を削り取られているようだ。


「ええい、最早捨て置けぬ!」


 遂にあやめの堪忍袋の緒が切れたか。あやめはそう云い捨てて刀剣袋の紐を解こうとす。じりじりと追い詰めるが如き尾行に、終ぞ耐え切れなくなったのだ。

 今にも攻撃を仕掛けようとするあやめに、貴之は「待て待て」と止めに入る。


「安心せい、貴様にゃ指一本触れさせんわい」

「ダメだ。俺は待てと言っている」


 街中で真剣を抜き放ちて如何にせん。立ちどころに警察沙汰で御用になるは必定。只でさえ目に見えたる厄介な状況を、益々複雑にする気は貴之にない。


「儂ゃ、貴様を護ると云うたら護る!」

「違う、そうじゃない」

「なんじゃ、男に二言はないぞ! ……あ、いや、今は女じゃが」

「そういう小ネタは挟まなくていいから」

「こっ、小ネタじゃないわい! くそっ!」


 そうこう云って人影を追う内に、何時の間にか人の居らぬ路地へ入った。

 ぽつり、ぽつりとの燈る――道々に火の玉が現れた。

 その灯は、どこかへ二人を誘導するかのよう。

 云わずもがな、この蒼き灯は、狐火のそれである。


「くっ、ここでも彼奴あやつらか!」


 夢で見た狐火にいざなわれ、あやめはダダッと疾り出した。

 あやめ同様に貴之もその目で狐火を確認すれど、当然夢のそれは知り得ぬ所だ。貴之にとっては以前ショッピングモールで見た狐火と何ら変わらじ。ただテレビの怪談番組によくある「柳の下の幽霊によく付属している火の玉」のようだ、と思う程度である。

 疾り出したあやめは最早、止まることを知らぬ猪が如し。人の身ではおいそれと追いつけぬ、獣の疾さで人気のない住宅街を駆けに駆け抜ける。貴之はただただ見失わぬよう必死に目で追いつつ、駆け続けるのみであった。


「ふぅむ、なんじゃここは?」


 やがてあやめが辿り着いた先は、マンションの建設現場。地盤改良に掘り返された残土の山はうずたかく、トラックやら重機やら廃材やらが、雑然と放られていた。

 ようやく貴之が追い付くと、どうやら二人はここに誘い込まれたようである。

 ふらり、ふらり――物陰から亡霊の如く現れたは、その姿から察するに工事関係者やチンピラか。明らかにその瞳は正気を失っている。色香に惑った男たちが、妖狐の術に踊らされているのだ。


「ふふん、こちとら虫の居所が悪かったところじゃ…!」


 あやめはそう呟いて、ぶるんぶるんと腕を撫す。

 それと同時に大きな乳房が、ぶるんぶるんと揺れるを、両の手で抑えて赤面する。


「……見たか?」

「見た……が、前を見ろあやめ!」


 呻り声を上げた不死人ゾンビが如き人間どもは、次々にあやめへ襲い掛かった。だが幾ら襲い掛かれども、当の鬼娘はひらりひらりと右へ左へその身を躱す。


「ふふん、鬼とて『やっとう』は得意じゃぞ!」

「殺すなよ、あやめ」


 肩へ引っさげた『形見』と称する刀剣を抜こうとするあやめに、またも貴之は「不殺」を命じた。云われたあやめは当然の如く、またも憤る。


「なんじゃまたか、ここでもか! 何故じゃ!」

「あやめよ、殺さば『敵の策』に嵌るぞ」

「むっ、なんじゃと!?」


 相手が取り憑かれただけの人間ならば、それは殺人だ。できる限り避けたい。

 だがショッピングモールの時と同じ状況に、同じ説明を繰り返すは莫迦らしい。尤もらしい嘘をつこうと、貴之は咄嗟の思いつきで『敵の策』だと口にした。


「敵の策に堕ちるは下の下策。殺さずに切り抜けるが得策だ」

「むむむ、そうか。ならば仕方ない」


 あやめには、貴之が強大な力を持つ仙術使いだという刷り込みがある。落ち着き払った態度で含みを持たせれば、それだけで貴之の言葉は効力を持つ。

 あやめは新たに「ふぅむ」とひとつ唸ると、目論見ありげに貴之を仰ぎ見て、


「前にも云うたがな」


 自慢の日本刀を鞘走らせると、目前高くひょいと構える。


「儂のこの妖刀は、持ち手の精神に呼応してその姿を変える」


 あやめの言葉そのままに、念じれば刀剣は忽ち形を変え始めた。

 見る間に姿を変えたるは――誰しもが覚えのある『鬼の金棒』。鋼鉄の八角棒に尖った鋲をあしらえた、通称・金砕棒。その形こそ、桃太郎や一寸法師などの絵本でよく見る鬼が手にするあの『鬼の金棒』である。


「儂は悪鬼じゃ、刃物は好かぬ。これこそ故に鬼の相棒ぞ!」


 あやめが構えたるこの金砕棒は、金属バットより太く長く、物干し竿よりは短いか。満足げな表情で堂々と構えたるも、よろりとよろけた。


「おっととっと……この身体にこの金棒は、ちと鈍いな」

「おい、大丈夫か?」

「なぁに、こういうものはブン廻しゃそれでいいんじゃ!」


 あやめはニヤリと口の端をあげると、ペロリと舌を出し振り回す。

 鬼気を漲らせブン廻した金砕棒を器用に操れば、敵をその先っぽへ引っ掛けて、ブンと音を立ててブン投げる。そうやって次から次へと襲い来る人間どもを、ぽんぽんと布切れの様に吹っ飛ばす。その行為、実に爽快。投げるも爽快、見るも爽快。

 殺さずといえど久々の大暴れは、鬱憤溜まった所へより来て気持ちいい。


「そりゃそりゃそりゃそりゃ、わーはははっ!」

「おい、図に乗るなよ」

「わははっ、分かってるぅわうわ、あなやぁッ!!」


 あやめは古典的な叫び声を残すと、あっという間にどこかへ消え去った。


 足元に突然穿たれたは巨大な穴。

 調子に乗って罠に嵌り、「あなや」と叫んで落とし穴に落ちたのだ。


 古典的な罠に、ものの見事に引っかかったものである。気持ちよく金棒をブン廻していたあやめには、途端に地面が消え去ったようにしか思えなかった。

 貴之が云った傍からこれである。上手い話にゃ裏がある。急がば回れ。敵と思しき者どもが、建築現場までわざわざ誘い込んだは、さてはこれが狙いであろう。


「おいあやめ、大丈夫か」


 貴之が落とし穴の淵へと走り寄ると、穴の底で不様に尻を突き出して、突っ伏しているあやめの姿が見えた。もがもがともがくその姿、きはめてみすぼらし。

 落とし穴にあやめを嵌めて満足したか。人間たちは妖術から解放されて、その場にバタバタと崩れ落ち気絶してゆく。きっと今日の出来事など、記憶からすっぽり抜け落ちているに違いない。

 あやめは漸く顔を上げ、口やら鼻やらへ入った土を「ぷえっ」と吐き出した。


「うぐぐぐ……儂としたことが、あな口惜しや」

「おい、穴の底の様子はどうだ?」

「む……くんくん。おや、何か臭うな?」


 その言葉を聞きて貴之は、すぐさま踵を反して地へ伏せた。


 ぽっ……


 小さき火影――穴の底で狐火が灯った。

 瞬時に火焔の柱が立ちて、爆音は甲高く周囲に轟く。瓦斯ガス特有の大爆発が巻き起こったのだ。がろんがろんと音を立て、幾つものプロパンのボンベが降って来た。

 濛々と立ち上る土煙と砂埃が落ち着くを待って、貴之は顔を上げた。


「おい……あやめ、無事か?」

「な……何とか無事じゃ」


 土煙の向こう側、存外に無事なあやめがひょっこり顔を出す。

 けほけほと咳込みながら現れたその姿、土埃に塗れて如何にも滑稽。普段は艶やかな黒髪もすっかり乱れて、心なしか焦げ臭い。


「よく無事だったな」

「うむ……『縮地』という技でな。咄嗟に思い出したわい」


 あやめ曰く、その『縮地』という鬼の技で、落とし穴より脱出したらしい。

 それは鬼気を脚に籠め、一気に解き放ちて、地の尺を縮めるが如き疾さで走り跳ぶ技であると云う。なんでも極めれば一日に千里を駆けるも可能だと云うが、その噂、噂ばかりで実は定かな話ではないらしい。


「くぅぅっ、それにつけても次から次へと……おのれぇ……!」

「あやめ、愚痴ってる場合じゃない」


 貴之の云う通り、愚図愚図している暇などない。爆発音を聞きつけた野次馬どもが集まる前に、この場を抜け出さねばならぬ。

 あやめは周囲より素早く人の気配を読みて、最良の方角を見定める。二人は人の流れに逆らうことなく、極めて自然を装って工事現場を抜け出した。

 なんとか誰にも目撃されることなく、無事にその場を切り抜ける事ができたようだ。

 そうして帰路へと就いた道すがら、あやめがポツリと呟いた。


「貴様の……や、貴之の云う事を聞いとりゃ良かった……」


 あやめは疲れ切った表情で、珍しく反省の弁を口にした。

 普段から貴様、貴様と云い捨てるところをわざわざ云い直したは、貴之に配慮してか。止める貴之を振り切って勇み出たのだ。流石の悪鬼も自らの非を認めざるを得ない。


「これに懲りたならば、俺の云う事を聞くんだな」

「相分かった。肝に銘じよう……」


 悪鬼にしては珍しく、弱気の弁である。

 それもその筈、ふらふらとした足元は、赤子の如く覚束おぼつかぬ。


「どうした」

「うう……実はあの『縮地』という技は、随分と鬼気を喰う……」


 そのせいで身体の自由が上手く利かぬらしい。

 巨漢、偉丈夫な豪鬼の身より、か弱き乙女に転生してまだ間もない。身体の使い方は去るものながら、鬼気の使い方も充分とは云えぬようだ。

 貴之は分かれ道の十字路で、ぶつくさ文句を垂れるあやめに訊ねた。


「さて、どうする」

「今日はもう疲れた……」

「その様子で大丈夫なのか?」

「なに、休めば鬼気は戻る」

「おい、この刀はどうする」


 頼りなくよろりよろける鬼娘に、かの刀剣はいつの間にやら持たされていた。貴之の手に依って今や、鞘はおろか錦の刀剣袋に結び目堅くキッチリと収められている。


「ええい、預かっておれ……どうせ明日の朝、迎えに行くわい」


 別れ際にそう云い残すと、あやめは振り返ることなくアパートへ去っていった。

 自らが『忘れ形見』と称する愛刀ですら、持つのは荷物と億劫らしい。だがこれは、或る意味貴之を信頼した証と云うべきか。

 へたれ気味な鬼娘の背中を見送って、貴之は家に帰りつつ暫し考えた。

 此度こたびの災厄は、少々智慧が回る奴のようだ――と。

 姿は見せず、自らは手を下さず、次々と手の込んだ罠を仕掛ける。

 お構いなしに力任せな嶄九郎の時とは対照的に、狡猾的で効率性を選り好むような、まるで異なる性質のやり口だ。ただ、あやめだけを狙っているのが、やけに気に掛かる。

 となると、狙いはやはり、腹の中へ収めた蒼い石か。


 そう考えて貴之は、そこではたと気が付いた。


 間抜けなようで、あやめは手練れ。あれ程大掛かりに仕掛けた罠を、見事躱して切り抜けた。まんまと罠に嵌ったあやめは大層悔しかろうが、それらを全て掻い潜られた敵もさぞかし悔しかろう。

 だが相対する敵は智慧者。まさかこの機をこのまま見過ごすだろうか。

 そう閃いて貴之が、ふと振り返った方角より――


 どぅんっ!


 乾いた爆発音が、夜も更けた住宅街に響き渡った。

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