第8話 怪異ノ序

 いつも通りに平凡で爽やかな朝は、登校中から始まる。

 これもまた「いざ行かん」と同行された貴之は、あやめに一言物申す。


「……お前は、何をしている」


 毎朝毎夕のことながら、あやめの動きはちゃかちゃかとせわしない。肩に引っさげた太刀袋に手を掛けては、道々の隅から隅までいちいち目を光らせて歩く。

 例えば、キョロキョロと周囲を見渡すと、すぐさま曲がり角に背を当てながら、慎重に先を覗き込んだかと思えば「よし、いいぞ」などと手招きしてくる始末だ。

 そんな後姿はいつものことだが、端的に言って挙動不審である。


「だから何をしていると言っただろうが」


 うんざりとした顔の貴之が、不審者の後ろから頭のてっぺんをべしんと叩く。不意討ちを受けたあやめは「ひきゅうっ!」と小さくいなないた。


「いっ、云うたろうが! 貴様を災厄から護るようにじゃ!」

「挙動が怪し過ぎて、俺にとって今一番の災厄はお前だぞ」


 いと怪しげなこの姿を警察官に見られれば、退きならんに相違ない。

 言い訳がましく反抗するあやめの頭を、ぐいっと片手で押さえつける。あやめは背が低いので、押さえつけるは実に容易い。


「んなっ、何をする! ええい、やめい、やめいぃっ!」

「もう少し落ち着け、みっともない」

「むっ……む、むむぅ……」


 あやめはようやく構えを解いた。されどむくれっ面は未だ収まらぬ。


「しっかし、貴様ぁ」

「なんだ」

「貴様の云う災厄など一向に現れんではないか」


 なるほど。何も起こらぬ淡々とした日常に、あやめはれているのだ。

 その気持ち、分からぬでもない。何せこれほどまでに小さく貧弱な身体など、遥か千数百年前は、幼少のみぎりに味わったきり。天下無双の悪鬼として長らくすごした身の上にゃ、さぞ心許無こころもとなかろう。


何時いつになったら災厄は来るというのじゃ?」


 云われて貴之は、わざとらしく腕を組んで考え込む振りをする。だが自ら進んで何かを為さずとも、自ずと災厄が降りかかると知っている。

 いずれも人の世を揺るがす程の大災厄、日本国をも揺るがし兼ねぬ――と、彼の老人は云っていた。ならば嶄九郎の時のように、災厄を呼び込みもせずとも向こうから勝手にやってくるに違いない、と貴之は踏んでいる。そんな大災厄に貴之が、自ら飛び込む義理などない。無駄に労せずとも良かろうというものだ。


「これでは何時まで経っても元の姿に戻れんぞ」


 そうは思えど、このままあやめが納得する筈もなし。そこで貴之は余裕を見せつける振りをして、ぶーたれるあやめを少々揶揄からかってやることにした。


「ほぅ、そうか。それは僥倖ぎょうこう

「んなっ、にゃんだと!?」


 貴之の台詞を聞いた悪鬼が、慌て過ぎて台詞を噛んだ。舌足らずで小さな身体の使い方にまだ慣れておらぬらしい。顔を赤くして俯き気味に恥じるその姿、いと愛らし。

 そうは思えどおくびにも立てず、貴之は悠然と見下してこう云った。


「そうだな、悪鬼を再び人の世に解き放つを心苦しく思っていたところだ。災厄が起きねば、それはそれで。嗚呼、善き哉、善き哉」

「ななっ……さ、さてはこれも貴様の策じゃな?! なのじゃな?! そうはいかんぞ!!」


 憤慨したあやめは、その日から隙を見ては自ら怪異を探し回る様になった。

 無駄であろうがなかろうが。それはそれで助かるな、と思う貴之である。


◆ ◆ ◆


 さて、ある学校の昼休み時間のこと。

 あやめは何やら、裏の世界でまことしやかに流れた怪情報を聞きつけたか、貴之の下へ持ってきた。昔取った杵柄であろうか。裏社会へは、未だに顔役が効くらしい。

 そんなあやめの当たった怪情報――いわゆる怪異とは、以下の通りである。


「どうもな、裏の世界に混乱が生じとる」


 あやめの前身である嶄九郎無き後、その縄張りに介入する者があり。その縄張りの内で、様々な小競り合いやトラブルが頻発しているようだ。

 かつて裏社会で絶大な勢力を誇ったたがの役割を担う嶄九郎が消え、この地域の箍が外れるとなれば、裏社会の秩序が乱れている所為せいもあるという。


「じゃがな、ちぃとばっかり様子がおかしい」


 裏であろうが表であろうが、どんなものにも流れがある。それが世界の決まり事だとあやめは云う。だが最近、その決まりを大きく逸脱した、別の流れを嗅ぎ取った。

 主だった事件としては、人が人としての意志を持たぬが如く、突拍子もない事件や事故を起こす。ヤクザの仕業に見られるも、その手口は裏社会の決まり事と大きく異なる。

 さらに街中のどこにでも居そうな悪餓鬼ワルガキたちも絡んだ、意図を掴みかねる仕業であるようだ。


「しかもな、その事件の首謀者は皆、犯した罪の記憶をまるで持っておらん」


 あやめ曰く、その異変を指して「まるで何者かに操られているようじゃ」との感想を漏らす。だがこれらはあやかしの手による怪異なのか、未だ不明な点も多い。

 そんなあやめの報を受けて「どうじゃ?」と問われた貴之は、「そうか」と呟いたきり黙りこくった。


「んん、どうした貴様、これには興味なしか?」

「あるといえばある。だがないといえばない」

「なんじゃそれは。頓知とんちか?」


 頓知でもなんでもなく、それ以上の感想が無かっただけである。

 災厄と呼ぶには小さ過ぎ、単に事件と呼ぶには怪異とは云えぬ。すなわち普通の高校生である貴之には、どうにも判断の付けようがないのだ。ただ胸に輝く二つの珠がうんともすんとも云わぬをみるに、どうやらこれは貴之を狙う災厄では無さそうだ。

 だがそのまま放置するのもまた別の話なので、そのままあやめに任せることとした。




 そうして昼休みに終わりを告げ、その放課後のこと。


「おい貴様、どうしよう……?」


 またしてもあやめが、おろおろとした表情で話しかけてきた。

 きょろきょろと周囲を窺いながら机の陰へと隠れるを見るに、何かあったか。

 聞けばくだんの級友三人娘より、誘われて遊びに行く約束と相成ったという。


「しかし、だ」


 大災厄の契約に基づき、儂は貴様を護らねばならぬ。

 だが断ろうにも義理がある。渡世の義理は果たさねば、男がすたる。


「今は女だけどな」

「うっうう、うるさいうるさいっ!」

「それでどこへ遊びに行くんだ?」

「ええと、確か『しょっぴんぐもーる』と云うておったぞ」


 駅前のショッピングモールならば、貴之もよく行く場所である。老人と出会ったあの日も、確かモール内にある本屋へと足を運ぼうとしていた途中であった。

 だがあやめは元々悪鬼の身ゆえ、斯様かような場所へ足を運んだ経験がない。しかも今は女子おなごの身の上。何をどうしていいのか分からず困り果てて、貴之に相談を持ち掛けた、というわけだ。


「行ってこい」

「なっ……?! き、貴様、儂を見捨てると云うのか!?」

「見捨てるも何も、仕方がないだろう」

「わわわ、儂は貴様を護らねばならぬ立場ぞ!」

「とはいえ敵の目を欺く為にも、普段の生活を確立しておいた方がいい」

「なんと、敵の目とな!?」

「そうだ。木の葉を隠すのは森の中、さ」

「むむむ、小娘の姿をした鬼ならば、女生徒の中か……」


 貴之はそれっぽく云ってみただけだが、どうやら納得し――


「い、いやいやしかし、わ、儂は貴様を護らねばならぬ立場、ぞ?」

「同じ台詞を既に聞いたぞ」


 見上げる様に覗き込む顔からして、どうやら貴之に引き留めて欲しいらしい。子犬のような懇願の眼差まなざしからして「な、分かるじゃろ?」と忖度してくる。だがそうはいかん。都合よく渚たちの姿を見かけたので、手招きして隠れていたあやめを指差した。


「あ、いたいた」

「さ、行こう貴島さん」


 その瞬間にあやめは「あなや!」と叫んだ。古文の授業で有名な、驚いた時に発する感動詞である。実際に云うものなのか、と貴之は妙なところで感心した。


「行ってこい。みんなの為に行ってこい」

「ひっ、ひぃぃ……き、貴様ぁっ!」


 子犬から子猫へと成り果てて、目を白黒させるとは。いと憐れなりにけり。

 何とは無しに渚はニコリと、ゆかりはニヤニヤしながら会話が弾む。


「絶対に可愛いよ、貴島さん」

「そうそう、貴島さんならきっとカワイイ服とか絶対似合うからさー」

「ショッピングモールなら、選り取り見取りの盛り沢山だし」

「それな。色々と着せ替えるの、チョー楽しみ!!」

「えっ……えっ?」


 なるほど、そういう計画か。

 確かにこれほど着せ替えに適した超絶美少女は、早々に存在しまい。


「ねっ、雪もそう思うでしょ?」

「うん、あの……かわいい」


 ゆかりの機に乗じたか、いつもは前髪に顔を隠れた雪もほんのりと紅が差す。

 然して往生際が悪いあやめは、一縷の望みを賭けたか貴之を縋る。


「お、おい、儂は貴様を護らねば……」

「渡世の義理はどこ行った?」

「う、うぐぐっ!」


 こうして退路は断たれた。もうどうしようもなかろう。まさに『まな板の鯉』である。

 あやめは恨めしそうにうっすらと涙を浮かべながら「お、おのれー」と呟いて、頬をぷーっと膨らませたのは、今できる精一杯の抵抗か、それとも破滅の罠か。


「貴島さん、黒のゴスロリとか絶対似合うって!」

「えっ? なんっ……えっ?」

「さ、行こう行こう!」

「ちょ、ま、えっ……? きっ、きさ……貴之?」

「頑張って勤めを果たして来い、あやめ」


 まさにその姿、ムショヘ送り出す囚人の如くなりにけり。


「たっ、たっ、たす……たかゆき、たかゆきぃぃぃーッ?!」


 ずるずると引き摺られてゆくあやめは「見捨てるな」と云わんばかりの顔をしている。だがこれ以上はどうすることもできぬ。行って女同士の友情を温め合ってくるがよい。

 こうして恥辱にまみれるであろう後の展開に、合掌するのである。


◆ ◆ ◆


 翌朝。登校の迎えに来た玄関には、げっそりしたあやめがいた。

 すっかり同級生らの着せ替え人形と化したあやめは、アパレル店員にまでも散々弄もてあそばれた後、最終的にランジェリーショップへ連れて行かれたらしい。

 男子禁制、終ぞ敵わぬ未知の領域へまで足を踏み入れるとは。


「妙に律儀なヤツだな」

「う、うるさい、うるちゃい!」


 またも噛んだ。

 舌足らずを恥じるその姿、やはりいと愛らし。


「ううう……」

「だいぶお疲れの様だな」

「いまだ目の中に、星がチカチカ舞い散っておるわい……」

「そうか」


 いまだ目を白黒とさせているあやめに、これ以上かける言葉は他にない。


「それにしても、まっこと摩訶不思議じゃ」


 あやめが目を回しながら、ポツリと呟いた。


「ここひと月近くの間、貴様と寝食と共に行動してきたが……貴様は至って普通だ。何処どこにでもいる普通の少年だ」


 疲れきった表情で目頭を押さえつつ、あやめは悔しそうに云う。

 ここのところしてやられ続けて、どうやら少々参っているようである。


「そんな貴様に騙まし討たれたかと思うと、悔しゅうて仕方ない」


 多少は慰めてやりたいが、老人から教わった『掟』がある。情けを掛けるわけにはいかぬ。そこで貴之は、やれやれといった風体で、軽く嘘をついてみた。


「そう思うなら、あやめは誇っていい」

「んん? どういう意味じゃ?」

「俺が普通だったから、お前は騙されたんだ」


 貴之は情けを掛けられぬが、『掟』により自らを偽ることができる。

 故に自らを偽って、もう一つ大口を叩いてやることにした。


「普通じゃなかったら、警戒されてこう上手く事が運ばなかっただろうよ」

「なるほど……木の葉を隠すのは森の中、か」


 そう云うと、あやめはポンと膝を打った。

 先日の口を衝いた格言を、図らずもよく覚えていたものだ。


「貴様が普通だったから、儂は騙されたのか」


 あやめは「ふーむ」と顎に指を当てて呻った。

 そう俯いて眉根を寄せ、難しい顔を暫し、


「そうか。そう言われれば、そうか」


 ようやく得心のいった顔を向けると、にっかりと微笑んだ。

 心底より、清々しさすら感じる笑顔である。


「うむ、儂が負けたのも納得がいく。胸のつかえが取れたぞ」

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