第6話 学園ノ理・破
さて、鬼娘が上月邸の家を
或る平凡な朝の
「それじゃ、自己紹介を」
「あー……儂は
学校指定の制服に身を包み、長い袋を肩に下げた女子高生がそこに居た。
挨拶もそこそこにまるで愛想がない。仏頂面にぶっきら棒な様相である。にも関わらず、教室内は一瞬にして静かなる喧騒に包まれることと相成った。
何しろその転校生の、容姿たるや
玉の如き
鈴を転がすような澄み渡る声は、清楚可憐にして凛と響く。
まるで
絵に描いたかの如き容姿端麗さに、声と吐息を洩らさぬ者は無し。
自己紹介では顔を真っ赤にしていたが、決して緊張からではない。ひらひらの可愛らしき制服に身を包み、公衆の面前に晒すを恥じていたのだ。
稀代の悪鬼――鬼島嶄九郎は、決して約束を違えることなく、貴之の通う高校へと無事に入学を果たした。奇しくも貴之と同じクラスに配されたは、運よくと云うべきか。さもなくば、戸籍謄本やら住民票やら何やら、元極道どもがどうやら裏で手を回したか。
「あー、そうだな……貴島君の席は――」
「やい、教師よ。儂は
誰しもが予想し得ぬ台詞に、今度こそ教室中が喧騒に包まれた。
云うが早いが答えも聞かず、あやめは貴之へ向けすたすたと歩み寄る。
そうして、仁王立ちすると小首を傾げ「
さりとて、隣席は埋まっている。如何にせんも何もない。
しかして、隣は気の善い女子で、すんなり席を譲ってくれた。
仕方なしに貴之があやめに代わり「ありがとう」と礼を述べるを見て、己の席の無事な確保を窺い知るや、鬼娘――改め、あやめはようやく息をつく。
腕組みをしたままどっかと腰を下ろし、貴之を横目でじろり睨むと、
「フン、久しいな」
などとのたまって形ばかり恰好を付けようが、久しいも何もない。
「何を云うか、昨日も家に来ただろ」
元々は、身の丈十尺を優に超える悪鬼の身。それが最近世に出たばかり。今の今まで何もかも、部下どもに遣らせていたのが仇となったか。右も左も分からずに、しょっちゅう貴之に泣きついて居る。
「ったく、飯はどうする、電車に乗れんと、よくもまぁ次から次へと」
「し、仕方なかろうもん……知らんもんは知らん!」
「それでよく独り暮らしをするなどと出て行ったな」
「わ、儂かて、
「挙句、昨日は唐突に「肉が食いたい」などと抜かして夕飯を」
「か、金はちゃんと払っただろう!?」
「結局、その制服だって一緒に買いに行っ――」
「うっうう、
「ほう、そうか。
「ぐぬぬぬ……」
額と額を突き合わせギスギスと交える会話は、げに殺伐とした脅し合い。だが二人の周囲には、互いに顔を寄せ合ったようで、随分と仲が良いと見える。
そのせいでか、あちらこちらで二人の仲を、ひそひそと噂する声が漏れ出づる。そこここでは、男女の仲を見たかギリギリと歯軋りする
やれやれ、これは面倒なことになったものだ。貴之は溜息と共に独り言ちる。
さて、暫し騒めき止まぬ教室内であったが、授業が始まる頃にはとんと静かになった。
そこで貴之は、視線を合わさぬよう前を向いたまま、ぼそりとあやめに問うてみた。
「上手いこと、姓と名を改めて潜りこんだな」
「フン、苦労したぞ。お前がまるで別の姓名にせいと云うからのぅ」
貴之とてそう命じたのは、あまり大きな意味はない。
悪鬼だ、鬼娘だからと、鬼と付く名はあからさまであろう。それに「元々は嶄九郎だから
なので、周囲に馴染む名を付けよ。単にそれだけの事であった。
「貴島のキの字は、鬼の字を避けたのじゃが、どうじゃ?」
「それくらい、馴染む程度で好きにしろ」
そう命じたまでは良いものの、貴之はあやめのその後の動向を詳細まで存ぜぬ。だが、あれやこれやと裏の世界へ手を回し、どうやら戸籍を入手したようだ。
それ以上は面倒臭い話になりそうなので、掘り下げて聞くのを止めている。
「チッ、素っ気ない奴め……いつか必ず殺すぞ」
「しかしまた、手の込んだ名前を付けたもんだな」
「なんじゃそら。下衆な詮索するな。いつか殺す」
「ならば随分とお似合いじゃないか」
「ん、んんっ? そうか?」
「『殺す』が口癖で、名が『あやめ』とは、よくできている」
「どういう意味じゃ、それは?」
「言葉遊びの意味通りさ」
「? ……むっ、『
説明をしてようやっと気付いたようだ。
「貴様、この名を愚弄するな。ころ……」
またもや「殺す」と言いかけて、
これでは相手の思う壺。相手の手のひらなど
「むむ、いや、あれだ、なんだ、その」
言い留まったまでは良かったが、あやめは二の句が上手く
もごもごと言い淀んだのをいいことに、貴之はもう一つ聞いてみる。
「その肩に掛けっぱなしの長い袋はなんだ?」
「こりゃ儂の太刀じゃ。何せ貴様を護身せにゃならん」
貴之には心当たりが有る。
あの惨劇の日――屋敷の土蔵より持ち出した、桐の
「お前はそんなものを持ち歩いているのか」
「当たり前じゃ。この身の上で太刀がなくして何とせん」
あやめの云う事は一理ある。一理あるがそれでは困る。
「お前だって銃刀法違反くらいは知っているだろう?」
「フン、安心せい。普段は木刀の姿に変えておるわい」
今の世では木刀だって十分危険な代物だ。後で云って聞かせねば。
しかしこの世間知らずな調子では、目には見えぬ部分も気にかかる。
「ところで買ってやったアレは、ちゃんと着けているんだろうな」
「くっ……そ、そりゃそうじゃ。し、仕方なかろうもん……」
買ってやったアレとは、女性用下着の事である。
今はネット通販という便利なものがあって何より助かった。身に着けるものを何も持たぬ鬼娘に、餞別代りと大量に買って持たせたのだ。無論その代金は、嶄九郎の隠し口座より頂戴したが。
「ならば良かった」
「良かないわい! あんなちっこい可愛げなモンばかり選びよってからに……!」
あやめは可愛い顔をすっかり困惑させ、急に
選ぶも何も、貴之には女性物の流行り廃りなど、からきし分からぬ。だから人気ランキングトップテンから、適当に見繕ってやっただけだ。
「あんな……
そう云ってあやめは、音が立つ程悔しそうに歯軋りをする。
「うん?
「阿呆が! お悔やみ申し上げとるんじゃ!!」
頭に血が上ったせいか言葉使いが何やらおかしいが、云いたいことはよく分かる。
授業中なので一応ひそけき声なれど、ほぼ
「考えてみぃ! あの薄布のヒラヒラに、恐々と足を通す儂の気持ちを!」
「ふむ」
「穿いておるのかおらんのか。微妙な肌触りでふぅわりと尻を包まれるんじゃぞ?!」
「ふむ」
「男として
「ふむ」
「しかも、鏡の中にはむしゃぶりつきたくなる美少女が居るのに!」
「ふむ?」
「何の反応もせん……」
「んん?」
「何の、反応も、せんのじゃ……」
終ぞ消え入りそうな声となり、俯いたその顔をよくよく見れば泣きそうだった。両の拳を握りしめ、ぷるぷると震えるはバンビの如し。男としての喪失感が、徐々にその心身を蝕んでいるらしい。
千年の時を連れ添った『相棒』を失った悪鬼とはこれ程までに憐れなものか。だが情けを禁じられた貴之は、心の中で「ドンマイ」と祈るばかりである。
はてさて、そんな怱怱たる転校初日は、休み時間のことである。
「貴島さん」
不意にあやめへ声が掛った。振り向けば女子が三人。ひとりは面倒見のいいクラスの委員長。あとの二人は、その彼女と仲の良い友人だ。
「なんじゃ、何用か?」
と、ばかりにあやめは睨め付けんとす。そこで貴之はあやめに肘を入れ、すぐさま止めるように注意を促す。転校初日から騒動を起こすは、勘弁願いたいところである。
「私はね、クラス委員をしている
「私はゆかりで、こっちは
「校内で分からないことがあったら何でも聞いてよ」
この渚と云う少女。クラス委員長を引き受けるだけあって、なかなかの才媛であった。器量好しも去る事ながら、面倒見も気立ても良く、クラスの人気者だ。ただし貴之とて今までに接点がないので、これ以上は詳しく知らぬ。
「おお……おい貴様、こういう場合はどうする?」
にも拘らず、あやめは選りに選って貴之に助けを求めて来た。
そのあわあわと口を動かす姿は、蛇に睨まれた蛙の如く。いと憐れ
「自己紹介だ。お前もすればいい」
「そ、それは、命令か?」
そこであやめは妙な事を聞いてきた。
「……そうだ」
「な、ならば、仕方なし」
ゴクリと唾を呑む。だがそれ程のことではない。
「わ、儂ゃあ、貴島あやめ、じゃ……どうじゃ?」
「いちいち俺に聞くな」
わざわざ振り向いて確認する様は、主人の顔色を窺う飼い犬の如し。
どうしてこうなった、千年悪鬼よ。
「わし?」
「……じゃ?」
そうだった。クラスの女子三名、言葉のまんま忘れてた。
貴之はすっかり慣れてしまったが、口調がどうにも普通ではない。
「ああ、こいつは広島出身でな。そっち特有の方言なんだ」
貴之は口から出任せ、嘘偽りのフォローをこそこそと入れてやった。
全てを偽り騙すべし――老人と交わした『三つの掟』通り。だが広島の方言など一切知らぬ。いい加減である。心の奥底では「広島スマン」と唱えておく。
「へぇーっ、そうなんだー」
三人とも広島とは縁もゆかりもなかったようだ。
特に疑うことなく貴之の言を受け入れた。
「ところで上月くんと貴島さんって知り合いなの?」
「まぁ……そうだな。知り合いだ」
やはり誰しもが気になるところであらんや。
朝の様子を見られた今では、わざわざ偽っても仕方なし。
「へぇーっ、そうなんだ!」
「なんか、意外……」
何が意外かは聞かずもがな。
ここは「
貴之は
「二人とも、どこで知り合ったの?」
「それは、ネトゲだ」
「ネ、ネトゲ?!」
「そうだ。しかもあやめは廃課金厨のネトゲ廃人だ」
「廃課金厨のネトゲ廃人?!」
あやめは困惑した表情でオロオロとやり取りを眺めていたが、終ぞ耐え切れんようなって、貴之の袖口をくいくいと引っ張って訊ねた。
「お、おい、貴様、『ねとげはいじん』ってなんじゃ?」
「そうだな。あやめにも分かりやすいように今風に言えば、ペンフレンドだ」
「ぺんふれんど……?」
「文通仲間だ」
「文通仲間……おう、それで
ようやっと、あやめは得心のいった顔をした。
恐る恐るの様子で、渚があやめに訊ねた。
「あの……貴島さんって、本当にそうなの?」
「おう、そうじゃ。儂ゃあ『ねとげ
「それも重度の」
「おう? そうじゃ。重度の『ねとげ俳人』じゃ」
「そ、そうなんだー……へぇぇーっ……」
三人は、それ以上突っ込んで関係を探ることなく去っていった。
遠くから「コミュ障なのかな……?」などと云う声が漏れ聞こえる。
なるほど。やはり老人の云う『掟』を守れば切り抜けられるものなのだ。
「おい、貴様。なんぞ
「いや、掴みはバッチリだ」
「ばっちりか」
「ああ、これなら現代人とそう簡単に見分けは付くまい」
「おお、そうか、そうなのか! そうだな、うむ。分かっておったわい!」
あやめは「ワハハ!」と声を上げ、愉快そうに笑った。
ちなみに――この時の誤解が解けるのは、数か月後の事である。
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