第6話 学園ノ理・破

 さて、鬼娘が上月邸の家をでて数日後のことである。

 或る平凡な朝のHRホームルームで、担任教師が転校生を紹介するとのたまった。


「それじゃ、自己紹介を」

「あー……儂は貴島きじまあやめという。皆の衆、宜しく頼む」


 学校指定の制服に身を包み、長い袋を肩に下げた女子高生がそこに居た。

 挨拶もそこそこにまるで愛想がない。仏頂面にぶっきら棒な様相である。にも関わらず、教室内は一瞬にして静かなる喧騒に包まれることと相成った。


 何しろその転校生の、容姿たるや仙姿玉質せんしぎょくしつ光彩奪目こうさいだつもくとは斯くや、と云わんばかり。類稀なる美少女振りに、衆目は男女問わず釘付けとなった。あやめの風貌や容貌は、ご覧の通りだ。


 濡羽ぬればの如く麗しき黒髪は、膝下まで届かんや。

 金剛石ダイヤの如く輝く瞳に、桜桃の如き艶やかな口唇くちびる

 玉の如き白皙はくせきの頬には、ほんのりと紅がし。

 鈴を転がすような澄み渡る声は、清楚可憐にして凛と響く。

 まるで童女わらべのように背丈は低いが、相反して色香漂うは豊満な胸元。

 絵に描いたかの如き容姿端麗さに、声と吐息を洩らさぬ者は無し。


 自己紹介では顔を真っ赤にしていたが、決して緊張からではない。ひらひらの可愛らしき制服に身を包み、公衆の面前に晒すを恥じていたのだ。


 稀代の悪鬼――鬼島嶄九郎は、決して約束を違えることなく、貴之の通う高校へと無事に入学を果たした。奇しくも貴之と同じクラスに配されたは、運よくと云うべきか。さもなくば、戸籍謄本やら住民票やら何やら、元極道どもがどうやら裏で手を回したか。


「あー、そうだな……貴島君の席は――」

「やい、教師よ。儂は其処そこな男……否、上月貴之の隣が良い」


 誰しもが予想し得ぬ台詞に、今度こそ教室中が喧騒に包まれた。

 云うが早いが答えも聞かず、あやめは貴之へ向けすたすたと歩み寄る。


 そうして、仁王立ちすると小首を傾げ「如何いかにせん」などと問う。

 さりとて、隣席は埋まっている。如何にせんも何もない。

 しかして、隣は気の善い女子で、すんなり席を譲ってくれた。


 仕方なしに貴之があやめに代わり「ありがとう」と礼を述べるを見て、己の席の無事な確保を窺い知るや、鬼娘――改め、あやめはようやく息をつく。

 腕組みをしたままどっかと腰を下ろし、貴之を横目でじろり睨むと、


「フン、久しいな」


 などとのたまって形ばかり恰好を付けようが、久しいも何もない。


「何を云うか、昨日も家に来ただろ」


 元々は、身の丈十尺を優に超える悪鬼の身。それが最近世に出たばかり。今の今まで何もかも、部下どもに遣らせていたのが仇となったか。右も左も分からずに、しょっちゅう貴之に泣きついて居る。


「ったく、飯はどうする、電車に乗れんと、よくもまぁ次から次へと」

「し、仕方なかろうもん……知らんもんは知らん!」

「それでよく独り暮らしをするなどと出て行ったな」

「わ、儂かて、斯様かようなことに成ろうとは思わなんだ」

「挙句、昨日は唐突に「肉が食いたい」などと抜かして夕飯を」

「か、金はちゃんと払っただろう!?」

「結局、その制服だって一緒に買いに行っ――」

「うっうう、五月蠅うるさい! こっここ、殺すぞ!」

「ほう、そうか。れるもんなら、ってみろ」

「ぐぬぬぬ……」


 額と額を突き合わせギスギスと交える会話は、げに殺伐とした脅し合い。だが二人の周囲には、互いに顔を寄せ合ったようで、随分と仲が良いと見える。

 そのせいでか、あちらこちらで二人の仲を、ひそひそと噂する声が漏れ出づる。そこここでは、男女の仲を見たかギリギリと歯軋りするそねむ男子、あやめは仙姿玉質で羨ましいと妬む女子等々、クラスの中じゃ少数派でもどうやったって視線が痛い。

 やれやれ、これは面倒なことになったものだ。貴之は溜息と共に独り言ちる。




 さて、暫し騒めき止まぬ教室内であったが、授業が始まる頃にはとんと静かになった。

 そこで貴之は、視線を合わさぬよう前を向いたまま、ぼそりとあやめに問うてみた。


「上手いこと、姓と名を改めて潜りこんだな」

「フン、苦労したぞ。お前がまるで別の姓名にせいと云うからのぅ」


 貴之とてそう命じたのは、あまり大きな意味はない。

 悪鬼だ、鬼娘だからと、鬼と付く名はあからさまであろう。それに「元々は嶄九郎だから嶄子ざんこ」などと容易く付けられても、それはそれでまた困る。

 なので、周囲に馴染む名を付けよ。単にそれだけの事であった。


「貴島のキの字は、鬼の字を避けたのじゃが、どうじゃ?」

「それくらい、馴染む程度で好きにしろ」


 そう命じたまでは良いものの、貴之はあやめのその後の動向を詳細まで存ぜぬ。だが、あれやこれやと裏の世界へ手を回し、どうやら戸籍を入手したようだ。

 それ以上は面倒臭い話になりそうなので、掘り下げて聞くのを止めている。


「チッ、素っ気ない奴め……いつか必ず殺すぞ」

「しかしまた、手の込んだ名前を付けたもんだな」

「なんじゃそら。下衆な詮索するな。いつか殺す」

「ならば随分とお似合いじゃないか」

「ん、んんっ? そうか?」

「『殺す』が口癖で、名が『あやめ』とは、よくできている」

「どういう意味じゃ、それは?」

「言葉遊びの意味通りさ」

「? ……むっ、『あやめ』と『あやめ』をかけたのか!」


 説明をしてようやっと気付いたようだ。


「貴様、この名を愚弄するな。ころ……」


 またもや「殺す」と言いかけて、すんでのところで云い留まった。

 これでは相手の思う壺。相手の手のひらなど御免蒙ごめんこうむる。


「むむ、いや、あれだ、なんだ、その」


 言い留まったまでは良かったが、あやめは二の句が上手くげぬ。

 もごもごと言い淀んだのをいいことに、貴之はもう一つ聞いてみる。


「その肩に掛けっぱなしの長い袋はなんだ?」

「こりゃ儂の太刀じゃ。何せ貴様を護身せにゃならん」


 貴之には心当たりが有る。

 あの惨劇の日――屋敷の土蔵より持ち出した、桐のはこにあった太刀か。


「お前はそんなものを持ち歩いているのか」

「当たり前じゃ。この身の上で太刀がなくして何とせん」


 あやめの云う事は一理ある。一理あるがそれでは困る。


「お前だって銃刀法違反くらいは知っているだろう?」

「フン、安心せい。普段は木刀の姿に変えておるわい」


 今の世では木刀だって十分危険な代物だ。後で云って聞かせねば。

 しかしこの世間知らずな調子では、目には見えぬ部分も気にかかる。


「ところで買ってやったアレは、ちゃんと着けているんだろうな」

「くっ……そ、そりゃそうじゃ。し、仕方なかろうもん……」


 買ってやったアレとは、女性用下着の事である。

 今はネット通販という便利なものがあって何より助かった。身に着けるものを何も持たぬ鬼娘に、餞別代りと大量に買って持たせたのだ。無論その代金は、嶄九郎の隠し口座より頂戴したが。


「ならば良かった」

「良かないわい! あんなちっこい可愛げなモンばかり選びよってからに……!」


 あやめは可愛い顔をすっかり困惑させ、急に太腿ふとももの間をもじもじとさせ始めた。

 選ぶも何も、貴之には女性物の流行り廃りなど、からきし分からぬ。だから人気ランキングトップテンから、適当に見繕ってやっただけだ。


「あんな……愛敬あいぎゃうもんを……儂が、千年悪鬼のこの儂が……」


 そう云ってあやめは、音が立つ程悔しそうに歯軋りをする。

 かつて大きな牙があった辺りは、可愛い犬歯が生えるばかり。今やキリキリと歯噛む顔すら可愛らしいときたものである。


「うん? よろこんでいるのか?」

「阿呆が! お悔やみ申し上げとるんじゃ!!」


 頭に血が上ったせいか言葉使いが何やらおかしいが、云いたいことはよく分かる。

 授業中なので一応ひそけき声なれど、ほぼ衷心ちゅうしんよりの悲鳴に近い。それでも声のトーンを抑えるは、ガサツに見えて気遣いはできているようだ。


「考えてみぃ! あの薄布のヒラヒラに、恐々と足を通す儂の気持ちを!」

「ふむ」

「穿いておるのかおらんのか。微妙な肌触りでふぅわりと尻を包まれるんじゃぞ?!」

「ふむ」

「男として越中褌えっちゅうふんどししか知らぬ、この儂が……!」

「ふむ」

「しかも、鏡の中にはむしゃぶりつきたくなる美少女が居るのに!」

「ふむ?」

「何の反応もせん……」

「んん?」

「何の、反応も、せんのじゃ……」


 終ぞ消え入りそうな声となり、俯いたその顔をよくよく見れば泣きそうだった。両の拳を握りしめ、ぷるぷると震えるはバンビの如し。男としての喪失感が、徐々にその心身を蝕んでいるらしい。

 千年の時を連れ添った『相棒』を失った悪鬼とはこれ程までに憐れなものか。だが情けを禁じられた貴之は、心の中で「ドンマイ」と祈るばかりである。




 はてさて、そんな怱怱たる転校初日は、休み時間のことである。


「貴島さん」


 不意にあやめへ声が掛った。振り向けば女子が三人。ひとりは面倒見のいいクラスの委員長。あとの二人は、その彼女と仲の良い友人だ。


「なんじゃ、何用か?」


 と、ばかりにあやめは睨め付けんとす。そこで貴之はあやめに肘を入れ、すぐさま止めるように注意を促す。転校初日から騒動を起こすは、勘弁願いたいところである。


「私はね、クラス委員をしている東山 渚とおやまなぎさっていうの」

「私はゆかりで、こっちはゆき。よろしく」

「校内で分からないことがあったら何でも聞いてよ」


 この渚と云う少女。クラス委員長を引き受けるだけあって、なかなかの才媛であった。器量好しも去る事ながら、面倒見も気立ても良く、クラスの人気者だ。ただし貴之とて今までに接点がないので、これ以上は詳しく知らぬ。


「おお……おい貴様、こういう場合はどうする?」


 にも拘らず、あやめは選りに選って貴之に助けを求めて来た。

 そのあわあわと口を動かす姿は、蛇に睨まれた蛙の如く。いと憐れなりにけり。いざ仕方なし。貴之は溜息交じりにアドバイスを送ってやる。


「自己紹介だ。お前もすればいい」

「そ、それは、命令か?」


 そこであやめは妙な事を聞いてきた。


「……そうだ」

「な、ならば、仕方なし」


 ゴクリと唾を呑む。だがそれ程のことではない。


「わ、儂ゃあ、貴島あやめ、じゃ……どうじゃ?」

「いちいち俺に聞くな」


 わざわざ振り向いて確認する様は、主人の顔色を窺う飼い犬の如し。

 どうしてこうなった、千年悪鬼よ。


「わし?」

「……じゃ?」


 そうだった。クラスの女子三名、言葉のまんま忘れてた。

 貴之はすっかり慣れてしまったが、口調がどうにも普通ではない。


「ああ、こいつは広島出身でな。そっち特有の方言なんだ」


 貴之は口から出任せ、嘘偽りのフォローをこそこそと入れてやった。

 全てを偽り騙すべし――老人と交わした『三つの掟』通り。だが広島の方言など一切知らぬ。いい加減である。心の奥底では「広島スマン」と唱えておく。


「へぇーっ、そうなんだー」


 三人とも広島とは縁もゆかりもなかったようだ。

 特に疑うことなく貴之の言を受け入れた。


「ところで上月くんと貴島さんって知り合いなの?」

「まぁ……そうだな。知り合いだ」


 やはり誰しもが気になるところであらんや。

 朝の様子を見られた今では、わざわざ偽っても仕方なし。


「へぇーっ、そうなんだ!」

「なんか、意外……」


 何が意外かは聞かずもがな。羞花閉月しゅうかへいげつな美少女と、平凡な男子生徒が知り合いとは如何にせん。誰もがそれを知りたかろう。だがちょっぴり気に障る。


 ここは「真実まことを示してはならぬ――全てを偽り騙すべし」だ。


 貴之はの老人と約束通り、全てを偽り騙してやることにした。


「二人とも、どこで知り合ったの?」

「それは、ネトゲだ」

「ネ、ネトゲ?!」

「そうだ。しかもあやめは廃課金厨のネトゲ廃人だ」

「廃課金厨のネトゲ廃人?!」


 あやめは困惑した表情でオロオロとやり取りを眺めていたが、終ぞ耐え切れんようなって、貴之の袖口をくいくいと引っ張って訊ねた。


「お、おい、貴様、『ねとげはいじん』ってなんじゃ?」

「そうだな。あやめにも分かりやすいように今風に言えば、ペンフレンドだ」

「ぺんふれんど……?」

「文通仲間だ」

「文通仲間……おう、それで俳人はいじんか。ならば分かるぞ」


 ようやっと、あやめは得心のいった顔をした。

 恐る恐るの様子で、渚があやめに訊ねた。


「あの……貴島さんって、本当にそうなの?」

「おう、そうじゃ。儂ゃあ『ねとげ俳人はいじん』じゃぞ」

「それも重度の」

「おう? そうじゃ。重度の『ねとげ俳人』じゃ」

「そ、そうなんだー……へぇぇーっ……」


 三人は、それ以上突っ込んで関係を探ることなく去っていった。

 遠くから「コミュ障なのかな……?」などと云う声が漏れ聞こえる。

 なるほど。やはり老人の云う『掟』を守れば切り抜けられるものなのだ。


「おい、貴様。なんぞ女子おなごどもに引かれてはおらなんだか?」

「いや、掴みはバッチリだ」

「ばっちりか」

「ああ、これなら現代人とそう簡単に見分けは付くまい」

「おお、そうか、そうなのか! そうだな、うむ。分かっておったわい!」


 あやめは「ワハハ!」と声を上げ、愉快そうに笑った。

 ちなみに――この時の誤解が解けるのは、数か月後の事である。

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