第5話 学園ノ理・序

 嶄九郎――否、嶄九郎よりその身を転じたる美少女を、貴之は家へ連れ帰る。

 幸い、自宅は一軒家。しかも都合よく一人暮らしである。暫しの間ならば、共に暮らすに支障なし。こうして鬼の娘と貴之は、奇妙な共同生活を送ることと相成った。


 数日の間、鬼の娘はぷぇぷぇとだらしなく水を吐いた。

 主な症状は、急激な身体の変化に伴う吐き気と頭痛。特に方向感覚が狂い、歩く事すらままならぬ。意地を張って立ち上がろうにも、ふらふらとよろけては貴之にその身を預けるばかり。まずは回復を図らねば、どうにもしようがなさそうだ。

 空いていた部屋を宛がうと、鬼娘きむすめは暫し病床に臥す日々となった。


 これぞまさしく『鬼の霍乱かくらん』である。


 寝込んでしまったその間、仕方がないので貴之が世話をすることにした。

 情けを掛けるわけではないが、このままではとんと使い物にならぬ。次なる災厄の際には、きっと役立ってもらわねば。自分にそう云い聞かせて看病をする。

 消化に良さそうな重湯おもゆを飲ませても、鬼娘は何度も吐き戻す。そうして吐き戻す度に、貴之は何も言わず片付ける破目と相成った。


「ふぐぐ、す、すまぬ、すまぬのぅ……」


 顔を歪めて申し訳なさ気に礼は告げるものの、そもそもの根源は貴之の術である。

 それを思い出しては怒り心頭。だがすぐさま自らの不甲斐なさに意気消沈。それを幾度も飽きずに繰り返す。そうやって忙しなくくるくると変わる表情は、形貌の良い美少女が故に、見ていて飽きぬ。いとおかし。

 それでも病床の身では気力が長く続かぬようで、すぐに萎えてしまうようだ。あれよと不貞腐れた様になって、力なくベッドへ潜りこむ。そんな状態が暫く続いた。


◆ ◆ ◆


 そうして世話を焼き続けていた、ある日のことである。

 鬼娘は、五分粥であればようやっと口にできるまでに回復した。そこで貴之は、件の殺戮の夜にふと気に掛った或ることを聞いてみた。


「あの夜、お前は俺に自らの過去を語ったな。あれは何故だ?」

「あれは……そうだな、貴様のような人間が、珍しかったのだ」


 意地を張り通すのにも疲れたか。それとも散々世話になった礼からか。

 鬼娘は床に伏せったまま白い天井を見上げると、忌々しげに呻いた。


「数百年ぶりだったんじゃ……」

「何がだ?」

「あんな姿と成り果てた儂を、平気の平左で眺める人間など」


 醜悪な姿形と成り果てた自分と対等に張り合って、些かも怯むことない口を利く。そんな当たり前であったことが、実に久方ぶりであったと鬼娘は云う。

 の身体を見ては如何なる者も仰天し、白目を剥いて倒れてしまう。長年寝食を共にした古参の部下どもでさえ、恐々とおそれてはばからぬ。


 くつわと肩を共に並べ、前へ先へと歩む者。

 やいばと血を共に交え、命を賭して挑む者。


「久しくもこんな者と出逢うことなど、微塵も思わなんだ」


 だからこそ興味を持った。興味を惹かれてしまった。

 だが純粋な興味こそ、此度こたびの敗因を招く結果と成ろうとは。


「鬼にとって人間とは……難儀なものよのぅ」


 美少女の身と成り果てた稀代の悪鬼が、悔しそうに流麗な眉を歪ませた。

 その表情かおですらどこか愛らしく、まるで伊呂波歌留多いろはかるたの勝負で負けたかのような、純真可憐な乙女の如き仕草と顔付きである。


「人間とは相分かった。では、お前のいう『鬼』とはなんだ」

「そうだな……『鬼』とは、人と隔絶した別の種の名称よ」


 彼――否、今や彼女の云う『鬼』とは、人とかけ離れた種族の名であるという。

 人類とは生命の樹のいずこかで枝分かれし、全く別の進化を遂げた生命体。圧倒的な生命力と、卓越した身体能力を有する、ひとつの種族。

 他の追従を赦さぬ、常軌を逸した存在。それはまさに『神』や『龍』の如し。

 その能力は、人間の数十倍に達する膂力りょりょくのみならず。時に神秘の呪術を操り、その身体は無限に成長を続け、永久とも云える長寿を誇る。既知の生物とは一線を画し、人の世の物差しには相反し、相容れぬ生き物――それが、『鬼』。


「だがな、前に云うた通り、儂らの身体にも終ぞ限界が訪れてしもうた」


 平安の世を荒し回った鬼たちの身に訪れた或る変化――戦国時代は中頃のことだ。

 悠久の時を経て、無限に成長を重ねる能力。それが時として仇となる。歳月を重ねるにつれ無駄な巨躯と相成って、逆に身動きが取れなくなったのだ。


其処そこで鬼たちは、一族に伝わる呪法を解禁することにした」


 永き眠りを経て、自らを再生させる鬼の呪法。この呪法により、無駄に巨躯と成り果てた身体を捨て、生まれ変わることができる。これぞ鬼の秘術、転生の術。

 鬼たちはそう確信し、地獄と呼ばれる地下へと身を隠すことと相成った。そうして江戸の治世を前にする頃、全ての鬼は長き眠りに就いたのだ。自らの身体と命を再生させるために。新たなる野望を胸にいだいて。

 やがて世は移ろい、数百年の眠りから終戦前後の世に突如目覚めたが――


「目論見は外れておった。儂の身体は何故か再生されなんだ」


 無事に目覚めはしたものの、転生を果たせていなかった。

 何がどうしてこうなったのか。とんと皆目見当もつかぬ。


「要するに、お前だけ転生に失敗したということか」

「その通りじゃ」


 しかし生に執着する嶄九郎は諦めぬ。いや、諦められぬ。力を取り戻す方法は、未だ他にあると考えた。実に鬼の身らしい単純明快な方法で。


「そこで千人殺しを狙い、人の血肉を喰らったのだな?」

「うむ……だが儂の野望もあと一歩のところで……あな口惜しや……」


 九百九十九人の命を奪いて、千人殺しにあと一人と迫りながら届かず。よって力を取り戻すことあたわず。その上、苦楽を共にした部下どもも全てを失った。


 あなや、千年悪鬼の末路と云えば、そら見たことか。

 今や清純可憐な美少女の身と相成りて、洟垂はなたれ小僧の小間使い。


 悠久の刻を生きた豪の者には、あまりにあんまりな仕打ち。

 斯様かような身の上に相成ろうとは、どうしようもなく無念で悔しかろう。


 そう考えて貴之は、口角を上げて「にやり」と迂闊に微笑んだ。

 だがそれを見た鬼娘からは、思わず「くすり」と自虐的な笑みが零れた。


 奇妙な縁とその結末に、つい互いに笑わずには居れなかったのだ。


「ところでお前さん、家族は居らんのか」

「なんだ、急にどうした」

「いやな、こんな広い家に一人暮らしとは思えんでな。ほれ、この部屋も……」


 ここでひとつ心地行った鬼娘が、思わぬ形で貴之に逆質問をした。

 ぐるりと周囲を見回せば、質素だが一通りの家具が揃う部屋の中。しかもそこここに年頃の少女が住んでいたと思しき痕跡も見受けられる。

 その急な問いかけに、貴之はさも重たそうに口を開く。


「俺には昔、妹が……いた」

「いた?」

「ああ、今はいない」


 歯切れの悪い漠然とした答えに、鬼娘はムムッと口をへの字に曲げた。


「どういう意味だ? では親御はどうした」

「昔の話よ。お前に話す義理は無かろう」


 貴之のどこかいんのある口調に、鬼娘は触れてはならぬ心情の機微に触れた気になった。

 何やらこの小僧にも、人に話せぬ事情があるのやも知れぬ。でなければあれほどの仙術を使いこなすにあたわぬであろう。

 そう考えて「むぅ」と唸ると、それ以上は口を閉ざすこととしたようだ。


「まぁ、そうじゃな……人には云えぬこともあろうて」

「いいから黙って粥を食え」

「おう、遠慮なく馳走になるぞ」


 今や、か弱き美少女の身の上である。一口に食えば火傷する。

 ふぅふぅと息を吹きかけながら、慎重に、少しずつ粥を口へ運んだ。


◆ ◆ ◆


 美少女とその身を変えた嶄九郎の、復調までに二週間かかった。

 回復すると嶄九郎は身分を変え、近所にアパートを借りると云い出した。


「出て行くのか」

「おう、当たり前じゃ! 『男女七歳にして席を同じうせず』と云うじゃろうが!」

「まぁ、今はすっかり女だからな。恥ずかしいし心配だろう。気持ちは察する」

「うっ、五月蠅うるさい、五月蠅い五月蠅いっ! わ、儂を愚弄するなっ!!」


 と云うのが、その理由のようである。


 惨劇のあった件の屋敷は、嶄九郎が裏の世界へ手を回し、ことごとく処分した。大量の血痕が残る家財一式を、全て裏の掃除屋に始末させ売り払ったのだ。

 各支部に残っていた部下どもに電話で指示を出し、全ての仕事を完遂させた。

 指示当初、あまりに可愛いらしい少女の声で飛ばされる苛烈な指示に、部下たちは戸惑っていたようだ。だが嶄九郎は以前から、部下への連絡つなぎに女を使うことがよくあった。故に部下どももやがて慣れ、粛々と命に従って速やかに処理は完遂されたという。

 最終的に嶄九郎以下本部の者は、極秘裏に海外へ身を隠したとして事を収めた。こうして今回の事件は、完全に闇の世界の奥底へ隠蔽されたのである。


「鬼の血の盟約に従い、生命財産一切合切、全て灰燼に帰すがよい」


 稀代の悪鬼・鬼島嶄九郎の名を遺す、冷厳なる最期の言質である。

 聞けば正直、背筋が凍るような話であった。如何に悪党揃いとは云え、二十余人もの人間が殺されて、末席含めて全て諸とも存在を抹消されたのだ。

 だが貴之は老人との『掟』を貫いて、表情ひとつ崩さずにその話を聞いて答えた。


「だが、人を呪わば穴二つ。我が術中に掛かれば、身体と魂を貪り喰われること必定」

「わ、わかった……儂も肝に銘じる」


 気を強く保たねばならぬ。何か弱味を握られた瞬間、たちまち肉体ごと魂を貪り喰われん――鬼の娘との関係は、絶妙な天秤の上に成り立っているのではなかろうか。


「おう、それよりもじゃ」


 そんな闇の世界から外の世界へ弾き出されて転げ出た、鬼娘が貴之に訊ねた。


「これから貴様は、どうするつもりじゃ」

「どうもこうも、普段通り学校に通うだけだ」

「何を莫迦なことを云うとるか! 大災厄の事じゃ。学校なんぞ通うとる場合か!」


 鬼娘は、端正な顔立ちを真っ赤にさせて抗議する。

 何しろ貴之が死ねば己まで術の力により、立ちどころに身体を、魂を、貪り喰われると信じきっている。犬死の様な道連れは御免蒙ると、生に執着する鬼の娘は物申す。

 貴之が貸してやったぶかぶかな臙脂えんじ色のジャージ姿で、か細い手足をバタバタさせて喚き散らすと、外出すら許すまじと無茶な主張をし始めた。


「ええい、学校なんぞ行くな! そんなことで、儂は死にとうないぞ!」

「なぁに、安心しろ」

「おお、なんじゃ。なんぞ策でもあるのか?」

「死など、どうということはない」

「あばばば、莫迦な! そんな話なぞ、しちゃおらんわ!」


 貴之はここ数日の慣れた調子で、誤魔化しながら小莫迦にする。

 もちろん日本を揺るがす大災厄とやらは気に掛かるが、自分の落第も気に掛かる。そもそも貴之が自ら進んで積極的にできることなど何もなく、何もせずとも災厄は自然と向こうから自ずとやってくるのだ。――にも拘らず、鬼娘は貴之に断固抗議する。


「いかんいかん! 絶対に駄目じゃ!」

「なぁに、お前は一度死んだ身だ。小さいことなど気にするな」

「ッキャーッ、気にするわ! 凄く気にするわ!!」

「なんだ男のくせに。女みたいな悲鳴を上げるもんだな」

「むっ、むうううぅぅーっ……!」


 貴之がそう揶揄からかうと、知らず知らずの内に女子おなごの様な金切り声を上げたを恥じたようだ。鬼娘は真っ赤になって、ぷうっと膨れっ面をした。

 そうやってのらりくらりとした答弁を繰り返す貴之に、このままでは埒が明かぬと感じたか。自分が如何にせんと鬼の娘は考えた。


「こうなりゃ貴様には、徹底的な『ぼでーがーど』が必要じゃ!」

「そうか。ならばこれからお前も学校に通うがいい」

「そんっ……が、こっ、ふ……ふ、ふええっ?」


 同じ学校へ通えば護衛も容易かろうと、無茶を承知で誘ってみせた。

 予想外の返答に、鬼の娘は文字通りあろうことか目玉を白黒させ始めた。


「なっ、なっ……」

「分かったら、教科書とか文具とか入学の準備をしておけ」

「ちょ、ちょっと待たんか、儂は千年生きた悪鬼ぞ!」


 云うが早いか憤慨したか、将又はたまた戸惑ったか。白皙の頬が真っ赤に染めると、白黒とした目玉がすぐさま転じて、くるくる目玉が泳ぎ出す。

 それでも捉え所のない貴之は一瞥くれると、弁舌さながら意味不明にこう云った。


「駅前のデパートの中に、テーラー宮脇という店がある」

「あん、それがなんじゃ?」

「そこでうちの制服が買える」

「なぁっ?! 何を莫迦な!! あんなヒラヒラしたモノを儂に着ろと云うか!?」

「和服なら、男物の着物だってヒラヒラするモノだろう?」

「わわわ、儂はおのこぞ!!」

「今は女だ。鏡を見てから顔を言え」

「ああああ、あなや、あなやぁ! くくくぅ……っ!」


 小さな足で地団駄を踏むと、たぁんたぁんと小気味よい音を立てる。

 元・嶄九郎である鬼娘は、キリキリと歯噛みしながら命令に従うことと相成った。

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