第2話 悪鬼ノ序

 最初に貴之の目へ飛び込んできたのは、純和風な畳敷きの大広間だった。

 何百もの人数で大宴会が開けそうな大広間には、無機質な色をした畳と襖と障子がずらりと並ぶ。明かりの乏しい室内は、奥へ奥へと目をやるにつれ暗闇の中へ影を落とす。続いて左右へ目をやれば、坐して居並ぶ男たちの姿があった。


 これはまるで、時代劇は映画の舞台装置セットのようだ、と貴之は思った。


 夜目に慣らして居並ぶ男たちの出で立ちを見るに、かみしもを身に付けた侍方――ではなく、如何にもそのスジの稼業と思しき男衆といった風体である。

 こうなると時代劇から打って変わって、任侠映画は大立ち回りのシーンに使われそうな舞台装置に見えてくるから不思議なものだ。


 さてこの大広間。座敷の奥座は奥の奥、そのまた更にずっと奥――深い闇に包まれた向こう側に、黒い山のような塊が見えた。

 ようよう闇に慣れた目で黒山の塊を眺むれば、ゆらりゆらりと左右に揺れているのが分かる。そのゆらりゆらりと揺れる黒山を、じっと目を凝らしてよくよく見やれば、黄色く濁って光る双眸そうぼうが、ぎょろりと動くではないか。


 黒い山のような塊と思しきそれは、黒い山のような大男であった。


 言葉にするに偉丈夫――などと、そんな生易しいものではない。それが人であると気付くまで、かなりの時間を要する程の巨体である。否、それを人と呼んでいいものか。


 今や目隠しをされていた理由がよく分かる。その容貌、実に怪異。


 丸太の様に太い手足に、天井に頭を擦り付けんばかりの巨躯。たっぷりの黒鬚を蓄えた下顎からは、突き出た二本の太い牙。ギョロリと剥き出た双眸はギラギラと輝き、明らかに人のそれとは異なる。何より厳つく張り出した額に備わる大きな瘤は、鬼の角を容易に連想させた。


 それほど容貌魁偉――否、容貌怪異・・な大男が、胡坐をかいて鎮座していた。


 普段ならこの容貌を見やるに、声を上げてひっくり返ってもおかしくはなかろう。

 だが『三つの掟』を胸にした、貴之の心は千々ちぢと乱れることなく。不思議と恐怖に支配されぬ。その態度、まるで特撮か任侠映画でも眺むるかの如しである。事実、現実離れし過ぎたこの状況を、貴之はまるで映画シネマのように感じていた。


 暫し待つと黒山の塊の様な大男は、巨躯をひとつ揺らして鷹揚に口を開いた。


「おう、儂が鬼島嶄九郎きじまざんくろうじゃ……」


 その声、果たしてくだんの主の声である。

 鬼島嶄九郎と名乗るその大男――貴之との間合いは大広間を十間ほど。相当の距離を置き対峙しているが、の声は支障なくよく聞こえ、よく響く。


「ほう、なんじゃ。儂を見ても声を上げんか」

「なに、どうということはない」

「ふん、そうか」


 貴之はやはりしれっと嘘をついた。すると嶄九郎は肝の座った貴之へ愈々いよいよ興味を惹かれた様で、顎髭をじょりじょりと大きな音を立てて撫で繰り回しつつ、目ン玉をギロリとひん剥いて睨め付ける。

 それでも開き直った貴之は、ますます肝が据わって何食わぬ顔で嶄九郎を見返した。


「ふぅむ……小僧の豪胆に免じて、ちと昔話をしてやろう」


 獣が低く呻り声を上げる様にそう告げると、自らについて滔々と語り出した。


「儂はな、いにしえより生き続けた『鬼』じゃ」


 かつて大悪党として京の都を荒らし尽くした『悪鬼』である――と彼は云う。

 飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代。各々の時代で悪鬼は思う存分に暴れまくった。

 天を裂き、地を砕き、人を喰らう。その強大なる力を以てして、人は為す術なく蹂躙され、悪鬼は勝手気ままに跋扈ばっこする。そんな時代を千年余り過したという。


「だが幾千年の時を経て、儂らの身体にも終ぞ限界が訪れた……これをとくと見ぃ」


 節くれ立った手足には、膨れ上がった巨大な瘤が幾つもこびり付く。分厚い皮膚はひび割れて、身をよじる度にギシギシと軋む。胴回りはひと数人が取り囲もうと、囲みきれぬ巨樹の幹が如しである。

 こうなるともう簡単な身動きすらもままなるまい。だが鬼には、力を取り戻す術があると云う。それも実に単純明快な術で。


「人を喰らうが鬼の常ならば、道理に従い人の血肉を喰らわばよい」


 人の血肉を千人すすれ。

 さすれば鬼の力は蘇る――そう、鬼の口伝にあるのだと云う。


「つまり、千人殺し……」

「そうじゃ。そうして儂は、力を取り戻す」


 鬼の力と戦後の混乱期を利して血肉を啜り、嶄九郎はのし上がる。ヤクザ家業でその身を立てて、人の血肉を次々と餌に変えて。

 これまでに喰らった人数は、喰らいも喰ったり、やれ九百と七十五人。

 今や手足と従える子分どもは、鬼の眷属に負けず劣らぬ小鬼しょうきとなった。この者どもは、如何なる悪事をも意と解さぬ、悪虐非道の猛者揃い。


「あと二十五人殺せば、儂の力は蘇る。力が蘇らば、生温い世など思うがままぞ。儂と子分どもでこの世の、日の本全てを再び荒し尽くしてくれようぞ……!」


 そんな親分の言葉を聞いて悦んだのが、居並ぶ子分どもである。にたりにたりと嘲笑しては、我先にと自らの悪事自慢をし始めた。

 やれ何人騙した、やれ何人貶めた、やれ何人脅した、やれ何人殺しただの。

 いずれの者も非道極まりない悪行の数々を、やいのやいのと騒ぎ立てる。どいつもこいつも、人の所業とは到底思えぬ悪行三昧のようである。

 ここに居並ぶ者どもは、正真正銘の、決して赦されざる悪党揃いであった。


「いいか小僧。偶然にして不幸な縁を呪いつつ、命を以て復活の礎となれい!」


 嶄九郎は、地獄の底から響くかの恫喝で、貴之を脅しつけた。

 そんな中、貴之は聞いているのかいないのか。まるで表情を崩さず、げに涼しげな澄まし顔で平然と佇むこの不思議な少年に、嶄九郎は訝しげな顔をした。


「おい小僧、どうした。恐ろしくて声も出ないか!」


 すると貴之は、何を思ったか唐突に「ハハハ!」と声を上げて高笑いした。この天にも届かんばかりの大笑いには、悪党どもの方がぎょっとする程である。


「ハハハ! なんと可笑しい! これは笑わずにいられない!」


 などと大笑いしながらのたまった。これには悪党どもも堪らず呻く。何しろ居並んだ悪逆非道の徒を前にして、こんな反応を見せた人間は未だ嘗て居ない。

 大見得を切って脅し掛けた嶄九郎も、これには堪らず声を荒らげた。


「なッ……何が可笑しいか、小僧!」

「これは失敬。随分と矛盾したことを言うもので、つい」


 貴之はここぞ正念場と、肺腑の底から吐き出すよう尚以て声を張りて問うた。

 曰く「らば何故、すぐにでも力を取り戻さない」と。


 さてもさても、この日この時、この場所で。

 従える手下どもは、ざっと数えて二十数余人。

 人を喰らって力が戻るならば、そこに居並ぶ手下どもを迷わず喰らえばよい。

 さすれば、今すぐにでも力は取り戻せよう。

 さすれば、この世は思いのままと相成ろう。

 はてさてどうしてそれなのに。何故なにゆえどうもしないのか。

 貴殿が人を喰らう鬼であると云うなれば、しかと証拠を見せてみよ。

 もしも居並ぶ手下どもを喰らい尽くし、その数が見事、九百九十九人とならば――


「自分は喜んで千人目の餌食となりましょうや」


 貴之の堂々たる口上にその理屈、至極尤もである。

 すると嶄九郎の親分は、手下の数を指差して数え始めた。


「ひぃふぅみぃ……ふぅむ、しかと丁度二十四人か」


 その場の誰もがそう思った。よって手下どもは目に見えて動揺す。

 或る者はその身をかちかちに硬直させ、また或る者はぶるぶると震え出す。

 或る者はダラダラと脂汗を流し、また或る者はそわそわと落ち着きを無くす。


 当の嶄九郎といえば「ムムム……」と唸り声を上げると急に黙り込んだ。

 大きな目玉を更に引ん剥いて、ギョロギョロと周囲を睨め回す。

 その眼力、金剛力士も斯や。

 圧倒的な迫力に、悪党どもはますます怯え、縮こまる。


「やれやれ小僧、全く無茶苦茶な事を云いよる」


 流石の千年悪鬼ですら、それは無理な話だと思ったようである。

 周囲に控える手下どもから、気の抜けた笑いと安堵の溜息が漏れた。

 そうして、場の空気が緩んだ――かに見えた、その瞬間である。


「だが、貴様の云い分も一理ある」


 そう云うが早いか、嶄九郎の横に控える側近二人の上半身が消し飛んだ。

 あっという間に、嶄九郎の半身が血飛沫のあけに染まった。

 悪鬼は驚くべき瞬速で両手を広げ、人の上半身を一握りしただけである。

 手の内に残った肉塊を、くっちゃくっちゃと咀嚼して、嶄九郎はほくそ笑む。


「儂ゃあ、うに待ち草臥くたびれておったところじゃ」

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