第壱ノ災厄

第1話 悪鬼襲来

 上月貴之こうづきたかゆきは都内の公立高校に通う、ごく平凡な男子高校生である。

 学年は二年にして成績は至って普通。得意な科目は歴史全般。苦手な科目は数学全般。そこそこの読書家で、まぁまぁの努力家。そしてちょっと変わり者。これがクラスメイトらの語る貴之評であった。


 どう変わり者かと問われても、彼の周囲から明確な返答は返ってこない。これといって特徴はなく掴み所のない性格が「ちょっと変わり者」という皮算用に繋がっているらしい。

 時には思慮深く接するかと思えば、また時には軽率であり周囲を惑わす。汲々と物事に取り組んだかと思えば、唐突に丸投げして飄々と論点をはぐらかす。ちゃらんぽらんな性格かと思いきや真っ当至極な性格もあり、クラスの意見の間ではまちまちであった。


 要するに皆がこぞって追随するは、この少年は、手よりも先に口が早く動く性質たちである。その性格は、その場、その時で、くるりくるりとよく変ず。

 例えば貴之は、この春休み明けから急に部活を変えて野球部へ入部した。この突拍子もない行動は、クラスメイトらにとってはちょっと変わり者の一環と映ったであろう。


 さて――そんな貴之は今、いつ如何なる時にして何処にいて思うや。

 端的に申すれば、何故か後ろ手に縛られて薄暗い土蔵の中にいる。


 あの老人との出会いから数日経ったある日のことだ。人気のない通学路を下校中、突如背後から何者かに襲われて、白いワゴン車の中へ無理矢理押し込められたのだ。

 襲撃者らは、この手の仕事に余程慣れているようで、手際よく目隠し手錠に猿轡さるぐつわを噛まされると、あっという間に身動きがとれぬように相成った。

 老人の予言通り、貴之はう災厄に見舞われてしまったのである。


 なあに、ここまでは疾っくに分かっていたことだ。怯えるに値しない。

 老人の云うことを全て鵜呑みにしたわけではないが、なんぞあろうとなかろうと、腹を括っていただけのことである。

 覚悟を決めた貴之は、改めて老人の云い残した『三つの掟』を改めて思い返す。


 一つ「恐怖に呑まれてはならぬ――常に平静を保つべし」


 そうだ。常に平静を保ちて決して恐怖に呑まれてはならぬ。さもなくば肉を貪り食われてしまう――と、の老人は云っていた。

 言葉の意味はよく分からぬ。だが努々ゆめゆめ忘れることなかれ、だ。


 さて先程より貴之が拉致されてから、彼是かれこれ小一時間が経過する。

 じっと我慢をしていたが、すっかり暇を持て余してしまった。静まり返った周辺に人の気配は一切感じぬ。ならば現状くらいは把握しておこうと考えた。


 そこで目隠しを石畳の床に擦りつけると、存外杜撰ぞんがいずさんに片目だけ解けた。

 瞳を徐々に慣らして暗がりへ目を凝らせば、木箱やら古びた壺やらが山と積まれて置かれてあった。感触から予想はしていたが、果たしてここは想像通りの土蔵である。

 上方には朧げな薄明かりあり。見やれば明かり取りの窓があった。格子が嵌められたその窓からは、半弦の月と鉄塔が見える。なるほど、土蔵の内部を照らすこの薄明りは、きっとあの月によるものであろう。


 蔵の中はどうということはない。余所よそと変わり映えのない雑多な物置と化した土蔵である。だが気かかる所がひとつ、貴之の目にどうにもとどまった。

 それは桐のはこ。無垢板で造られたその匣は、一目見て高級なものと当てが付く。

 何故高級と感じたか――そう思うには訳があった。埃を被った他の物品とは異なって、その周辺はことごとく掃き清められ、仰々しく供えられていたからである。

 そうして暫しこの匣を眺めてみたが、これ以上得られる目ぼしいものは何もない。目隠しを再び床石へ擦りつけると、元の見えぬ状態へと戻す。

 そうして身体を起こし胡坐あぐらを掻くと、平静を装ってじっと静かにしておくことにした。


 暗がりのまま土蔵の中に放置され、更に小一時間程は経った頃か。

 ようやく背後の重い鉄扉が開いた音がしたかと思えば、すぐさま荒々しく両腕を掴まれた。これは立って歩けという事だろう。目隠しと手錠のままに引き立てられる様である。


 数人の足音と共に、板張りの廊下がキィキィと音を鳴らせて軋む。長い廊下を通り抜けたその先――強引に座らせられたこの場所からは、畳の感触が伝わってきた。

 どうやら屋敷の大広間に通されたか。年季の入った板張りの長廊下や、今じゃ珍しかろう土蔵の件を思為おもいなすに、ここは随分と広くて古い屋敷のようだ。


 貴之の座した周囲へと、集中して耳を研ぎ澄ませば、押し殺す人の息遣い――これはとても一人や二人のものではない。少なくとも数十人の気配はあろう。

 やがて何も見えぬ周囲から、ぽつり、ぽつりと、男たちの声が聞こえてきた。


「コイツか、あのジジィの孫って野郎は……」

「そうよ……組のシノギを持ち逃げした、喰えねぇジジィの孫だ……」

「名は上月貴之こうづきたかゆき……両親は不在、一人暮らし……」


 この会話を耳にして、貴之は初めて事情を理解した。

 そうか。自分と老人の関係はそういう事になっているようだ。

 老人は確か「しゅをかけた」と云っていた。言葉の意味はよく分からぬ。恐らく「そう思わせる様に仕組んだ」ということだろう。

 なんてことをしてくれた。そう漏らすも普段ならば詮無きことである。にも拘らずこの時の貴之は、何故かそうはならぬ。のんべんだらりと「縁は異なものというが、こういうこともあるのか」などと、恨み節をぼやくことなく他人事のように考えていた。

 もしやこういうところが「ちょっと変わり者」と云われる所以ゆえんであろうか。


「小僧……八つ裂きにしてやりてぇなぁ……」


 ぼつり――不吉な言葉が、貴之の耳朶じだに触れた。

 その声を切っ掛けとしたか。周囲に居並ぶと思しき者どもが、堰を切ったかの様におぞましい罵声を浴びせかけ始める。


「指ぃ全部切り取って、どこぞのジジィへ送りつけようぞ」

「いやぁ、それよりも目玉だ。目玉がいい。片目えぐって一発よ」

「人間の骨は、二百と六本……端から端まで全てへし折ってやらんか」

「へし折るなんざ勿体ねぇ。ぜぇんぶ螺子ネジり切ろうぜぇ……」

「今の世で若造一人、行方知れずになるこたぁ特段不思議な事じゃねぇ」

「ヒヒヒ……じりじりとなぶり殺してやろう……」


 目隠しに手錠を施され身動きのとれぬ貴之に、脅し文句が続々と浴びせられた。

 闇暗き地獄の底から現れて、地を這い廻るが如きざわめき声。それらは徐々に増え、貴之の身体へ這い上がり、形状を持たない触手のようにねっとりと絡まりまとわり付く。

 両目を塞がれた世界で響く恐嚇きょうかくの声が、これほどまでに恐ろしいとは。


 だが――決して恐怖に呑まれてはならぬ。一切の怯えを見せてはならぬ。

 それが老人と結んだ『三つの掟』のひとつである。


 そうと覚悟を決めた貴之は、静かに呼吸を整えると、あえ胡坐あぐらをゆるりと組み直す。だらりと肩の力を解きほぐし、より泰然自若たいぜんじじゃくに振る舞うこととした。

 周囲の者どもの脅し文句なんぞ、雑音に変えれば恐るるに足らず。ぴーちくぱーちく雀がさえずりゃ、何のこともなくたかが知れてる。心頭滅却すれば火もまた涼し――と、そういうもんだと決め込んだのだ。

 そうして暫くしていると、いきなりどうしたことか。


「ええい、いい加減にせんか野郎ども!」


 雷鳴の轟きが如き怒声が、大広間に響き渡った。これに応じたか、周囲のぞぞめく声が、一瞬にして掻き消えて静まり返る。

 あっという間にこの場を制した雷鳴の、この一喝はここの屋敷のぬしであろうか。


「てめぇらがいくら囀りわめこうが、当の本人が涼しい顔ではむし滑稽こっけいじゃわい……!」


 貫禄ある重厚な声が大広間に響き渡る度、周囲が委縮しおおのく様子は、目隠し越しでも良く分かる。

 屋敷の主は、慄然とした周囲を意に介さず。顎鬚に手をやって撫でつけていたかのように、じょりじょりと大きな音を立てていた。

 の声の主は、倦ねた様子で「ふむぅ……」と唸り声を上げると、


「おい小僧、怖くはないのか?」


 万物が震え上がりそうな程、圧倒的な声の重圧を持って問うた。

 この声の主は、どうやら落ち着き払った貴之の姿に疑問を持ったようだ。


 なるほど――この問いを受けて、貴之は一つの確信を得た。

 恐怖に呑まれぬ態度を見せたお蔭で、声の主は貴之に興味を持った。即ち老人云う『三つの掟』を守り通せば、『三つの力』を使いこなして万事上手く運ぶのではないか。

 そこで貴之は、更にもう一つ「掟通りにしてみよう」と閃いた。じっくりと肺腑に空気を溜め込むと、朗々と声を張って声の主の質問に答えた。


「何一つ怖いものなどありはしない」


 全くの嘘である。心底怖い。

 だがこれぞ、老人と交わした『三つの掟』がひとつ。


 一つ『真実まことを示してはならぬ――全てを偽り騙すべし』


 ここで貴之は、あえて試した。

 しんと静まり返った周囲を余所に、貴之は立て続けに堂々と嘘をついた。


「寧ろ、愉快痛快極まりない」


 と、高らかに云うや否や、見事の見事にかんらからからと打ち笑った。

 周囲にいた誰しもが、怒気含む悔しげな声か、或いは、驚きを含む唸り声で騒めいただろうか――いや、誰一人も嘆息すら漏れず。口をあんぐりと開いたまま。ますます静寂に包まれていた。


 先程までと打って変わった反応を受けて、これで貴之の腹は据わった。

 恐怖に呑まれぬ大胆不敵な態度を以てして会話の好機は創られたならば、怖いものなど何もない。何一つ真実を示さぬ舌先三寸で、この悪縁を転じることができるやも知れぬ。

 改めて居住いずまいを正すと貴之は、あらかじめ用意していた口上を切った。


「やあやあ、お控えなすって、お控えなすって。御敷居内おしきいない、御免下されまし。此処ここは鬼島一家御当主が御屋敷、目前の主は鬼島嶄九郎きじまざんくろう親分様で御座いましょうや」


 朗々と、げに朗々と。ヤクザといえば仁義を切るものであろうかと、勝手気ままに我儘に、且つワザとらしく大仰に云い立てて、ただ見せかけただけの代物である。

 目隠しをされて見えぬはずの場所と、屋敷の主の正体を続けざまに云い当てた――と、周囲の者どもは誰しもがそう目に映ったのであろう。だがそれは予め用意しておいた口上だ。の老人から聞いていたからこそ、知っている名前と場所である。

 前以て教えて貰った大親分の名前は勿論のこと、それを基として鬼島一家に関する情報をインターネットで調べ上げた場所――つまり住所は、ほんの先刻まで土蔵の格子窓から垣間見えた半弦の月と鉄塔の位置を鑑みるに、疑う余地もなく自明の理であった。


「さて親分様、待ちいたるが如何にせん」


 当然と云えば当然だが、普段の貴之と比ぶれば、真実などひとっ欠片カケラも在らず。何もかも、一切合財、十中八九、自作自演。大嘘中の大嘘を、打ちも打ったり大芝居。あまりにも思い切ったことをしたものだ、と自分自身でも呆れかえる程であった。

 これが「ちょっと変わり者」との評価を受ける貴之の、時折ブッ飛んだ所為である。


「ムムム……」


 しかし突拍子もないこの云い様に、居並ぶ周囲の男たちは目を白黒とさせた。

 中でも屋敷の主の、虎の如き低い唸り声が、縁の下から響くかのようだ。


「……面白い奴だ。おい、戒めを解いてやれ」


 なんとこれが、嘘か幻か、魔法の様に見事功を奏した。

 声の主――鬼島嶄九郎は、関心を示す。貴之の豪胆に興をそそられたのである。


 こうして目隠しと手錠を外された貴之は、声の主と対面する次第と相成った。

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