鬼神純情伝!
めたるぞんび
鬼神純情伝!
Prologue 少年と老人
高校生・
何が「らしくない」かと問われれば、まずは異常な肌寒さだと答えるだろう。貴之の記憶が正しければ三月も中旬と相成れば、多少は麗らかな陽気であったはずだ。
気象庁の発表によると、この寒空は西高東低冬型の気圧配置とやらが、軽々に立ち退かぬせいだと抜かす。故に花曇りの下、桜は開花の気配すら見せぬ。
思い返せば日本列島はここ数年、異常気象が続いていると云われて久しい。冷夏だとか、暖冬だとか、猛暑だとか、厳寒だとか。そういった言葉をニュースで聞かない年の方が珍しいんじゃなかろうか。
とはいえ貴之は、今春で高校二年生――たかが十六回目の春である。
日本の歴史に比ぶれば、たかが知れた回数しか経ちゃいない――などと暇に飽かしてぶつくさと
期末テスト明けに自らへのご褒美で買ったゲームは、如何ともし難いハズレで
そこへ狙ったような寒風が吹き付けて、貴之はいまだ手放せぬダッフルコートの襟を立てた。後から思い返すに、今日ほど春らしくない寒々とした一日は、貴之の人生になかった。
いずれにせよ、春の到来が待ち遠しい。寒いのは大の苦手である。
こうして駅前を通り抜け、昼下がりの繁華街を通りかかった時のことである。
陽の射し込まぬ路地裏で、ガラの悪い男に絡まれている老人の姿が目に付いた。距離があるので何事を話しているのか分からない。だが聞こえてくるのは、ドスを利かせて脅す男の声。対するは、弱々しく受け応える老人の声。背を路地の壁へ押し付けられて、老人はすっかり困り果てているようだった。
遠目にその様子を眺むるに、如何にもそのスジと思しき男に
だが貴之とまるで関係のない出来事である。このまま見て見ぬ振りも已むを得ぬ。一介の学生風情である貴之に何ができようか。否、何もできまい。
――にも拘らず、どこかこの状況が無性に気にかかる。
そうして様子を窺いつつ目を離せずにいると、
貴之の視線に気付いた男は「何を見ていやがる。さっさとあっちへ行け小僧」と云わんばかりの形相で、ギロリと目玉を引ん剥いて容赦なく貴之を睨め付ける。
触らぬ神に祟りなしである。このまま見過ごすも仕方ない。さっさと立ち去ってしまうのが吉――そう頭で思ったにも拘らず、貴之は行動よりも先につい言葉が口をついた。
「あっ、お巡りさん! こっちでーす!!」
無論、貴之は警察官など呼んではいない。咄嗟の機転でやってしまったことだ。この少年、手よりも先に口が早く動く
ガラの悪い男は、血走った
睨め付けられた瞬間は「もしもこのガラの悪い男がこちらへ向ってきたらどうしよう」と肝を冷やしたが、まずは事なきを得て胸を撫で下ろす。
さて件の男が反対側の路地を曲がる頃合いであろうか。老人がニンマリと微笑んで、貴之へ向け手招きをした。こちらへ来いという事だろう。
応じる義理など微塵もないが、何故かその求めには逆らえぬような気がして近寄ってみる。すると
「久しぶりじゃなぁ」
と、妙な事を口にした。妙と云うのも貴之は、この老人にとんと見覚えがない。
はてさて一体、どうした事か。不思議に思って尋ねると老人曰く、貴之とは既に今年だけで三回は出会っていると云う。
ひとつに、歩道橋の階段で荷物を持ってくれた。
ふたつに、満員電車の中で席を譲ってくれた。
そして今日の出会い。これでみっつ。
なるほど確かに。それぞれの出来事には貴之も身に覚えがある。だがこのご老人と同一人物であったかどうか。姿形がぼんやりとしており、どうにも思い出せない。
「ワシゃな、おヌシの様な若者を、ずうーっと探しておったんじゃ」
老人はそう告げると、所々抜けて黄ばんだ歯をニィッと見せ付けながら、悪戯小僧の様な屈託のない笑顔を向けて云った。
「こりゃあな、もう、縁じゃよ。縁。」
「じゃがな……
先程までの弱々しげな様子と異なって、良く通る声でそう云った。
「なにせこの縁を機に、おヌシはもう『運命の渦』に巻き込まれとる」
「運命の渦?」
唐突な発言に途惑い顔の貴之を
「おヌシにはこの先、波乱万丈なる『三つの災厄』が待ち受けておる」
どういう意味かと貴之が問うと、げに恐ろしきことを淡々と語り始めた。
「まずな、先程ワシを脅していたあの男――」
この街を縄張りとし、シノギを得ておる大ヤクザもんの子分である。
そんな彼奴らの追っ手から、おヌシは決して逃れること適わぬ。
必ずやおヌシを手に掛け殺そうとするだろう。何故ならば――
「何故……ならば?」
「何故ならば、このワシがそうなるように
「呪?」
「ワシが全てを仕組んだ、ということじゃよ」
老人は事も無げにそう云うと、人懐こい顔をくしゃりとさせてケロケロと
「そのヤクザもんの名は、
その名を聞いた貴之は「なんてことだ」と青ざめた。
嶄鬼会系暴力団鬼島組――その名ならばテレビのニュースで何度も耳にしている。
抗争事件やら、発砲事件やら、詐欺事件やら、麻薬事件やら、殺人事件やら。そういった事件が巻き起こる度にワイドショーを賑わせる程、鬼島一家の名は有名だ。その名を告げて老人は、より声を潜めると地の底より響かんばかりの口調で続けた。
「じゃが、災厄はそれだけに留まらぬ……」
第一の災厄を手始めとして、おヌシは次々と災厄に見舞われる。
七難八苦、多事多難、千辛万苦、絶体絶命。
それら全ては言葉通り、まさに命懸けの
降り懸かる災厄は、計三つ。どれもこれもが人の世を揺るがす程の災厄じゃ。
だがその最たるは、日本の国をも揺るがし兼ねぬ大災厄。
この国の命運は、おヌシの一挙一動一言一話、全てに懸かると覚悟せよ――
そう告げる老人の、あまりにも真に迫る語り口。有無を云わさぬ緊迫感。
鬼気迫る口上に聞き入った貴之は、終ぞ言葉を失った。
「ほっほほ、じゃがの、案ずることはない」
凍りつく貴之に対し、老人は掌中の珠を眺めるような優しい瞳を向けた。そうして再び顔をくしゃりとさせて笑うと、片手に三つの指を立てる。
「何せお前さんは、このワシを三つ助けてくれた」
ひとつに、歩道橋の階段で荷物を持ってくれた。
ふたつに、満員電車の中で席を譲ってくれた。
そして今日、ヤクザもんの脅しから救ってくれた。
これでみっつ。ならば貴之は、確かに老人を助けた。
「その礼として『三つの災厄』を凌ぐ為の『三つの力と掟』を与えよう」
「『三つの力と掟』?」
「そうじゃ。如何なる困難をもねじ伏せるのが『三つの力』じゃ」
「では『三つの掟』とは?」
「『三つの力』を正しく使い
老人の告げた『三つの掟』とは――
一つ「恐怖に呑まれてはならぬ――常に平静を保つべし」
さもなくば、肉を貪り食われるであろう。
一つ「情けをかけてはならぬ――温情は
さもなくば、魂を貪り食われるであろう。
一つ「
さすれば、未踏の境地へと辿り着くであろう。
「この『三つの掟』をちゃーんと守れば、おヌシの命運は安泰じゃて」
貴之は元より、手よりも先に口が早く動く
よって使える武器は、ただひとつ。口から出任せ、口任せ。
それら全てを引っ括めれば、云わずと知れた
そう云って、老人は貴之の肩をポンポンポンと気安く叩いた。
叩かれた肩が、何やらほっこりと温かい。
「何か聞きたいことは、他にあるかの?」
「……では、あなたの名前を」
老人は黄ばんだ歯をニィと見せて嗤うと「
「
そう云い残すと貴之の横を通り過ぎた。振り向くとその先に老人の姿は既にない。彼の御仁は、まさに文字通り「煙の様に」消えてしまったのである。
気が付けば貴之は、昼なお薄暗い路地裏に、ただ一人ぽつりと残された。
路地を吹き抜ける風は妙に冷たく、容赦なく体温を奪い去ってゆく。背筋が凍るような寒さを感じるのは、決して風のせいだけではないだろう。今後起こるであろう災厄を思えば、
これは夢か現か。ええい、
上月貴之は、益々以て春らしくない春休みを迎えていると、実感していた。
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