第3話 大学日本拳法に見る「腹八分の思想」
① YouTube「2017全日本学生拳法個人選手権大会 女子の部準決勝戦 岡崎VS谷」
https://www.youtube.com/watch?v=O7kumnslLns
彼女たちは防衛本能として、100%力を出し切っていない。
手抜きとか手加減ということではありません。
女性特有の防衛本能というべきか、100%力を出し切ってしまったら「あとがない」ということを、知っているかのようだ。
それは「本能的」に知っているのか。
或いは、子供の時からの鍛錬によって、究極の一点に到達するために必死になる・真剣になるとはいえ、最後の最後のところで1~10パーセントの力を残す、ということを自分で学んだのか。究極のところで「詰む」もしくは「詰まれない」ために、力を残すという技術(思想)を。
ですから、この試合、彼女たちは120%の力を振り絞って、前へ出て・蹴って・殴って・投げて、死に物狂いで闘っているようで、無意識のうちに1なり10なりの力を隠し持っている。本当のファイナル・最後の・最終の詰めのために。
これは拳法の技術とか体力・筋力・持久力といった顕在化した力のことではなく、純粋な精神上のことでもない。あくまで「精神と一体化し・不可分となっている肉体」という、第三の能力を彼女たちが無意識のうちに涵養してきたということなのではないか。
純粋に肉体と言えず、心とも定義できないこの第三の機能・力・働きを、古来より在来種純粋日本人は「神」と理解し、大切にした。
男というのは、その点バカなので、一気に全力を出し切ってしまうものです。
まあ、古来より、それで男と女の役割分担がうまくいっていたのでしょう。
ユダヤ脳・韓国脳・客家脳によるLGBTなんておかしな考え方が、世界中で大切な価値観を壊していますが。
三内丸山古墳をはじめ、多くの縄文人遺跡からは、女性のアクセサリー・装飾品がたくさん出土する。縄文人は朝鮮半島から来た外来種と異なり、武器ではなく女性の装飾品を作って毎日を楽しんでいたようです。
10,000年前、縄文人の男たちには、女性の隠された力が「見えた」。だからこそ、彼らは女性たちの内に存在する神性に(畏敬を込めて)、それらを献上したのでしょう。
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