第31話 アンナおばさん。

重い話だし些かきつい表現がございます。

――――――――――


 そういえば、初対面の時には何も思わなかったけど、イードさんの髪も藍色だもんなあ。黒じゃない。


《属性とは関係なさそうなのが謎ですね。もしかすると、龍の方の属性に関わらない素の色の可能性もありますか?》

 ベースがこれで、属性で色が変わる?まあ、ないとは言えないわね。それにしちゃ、元の色が濃い気はしているけど。


《元の色というのはあまり関係ないのですわ。黒だけはどんなに属性が偏っても変わらないとされていますけれど》

 一定以上強い属性力を持ったうえで、それを魔力量が極度に上回っている証なので、染まり様がないのだと。

 あたしの今の黒髪が、正に魔力量で染まった状態なわけだけども。


《あなたの魔力量では属性力どころではありませんわねえ。極大属性でも容赦なく上書き。》

 デスヨネー、知ってた。



 前日の夜中が実質スタートだった、長い長い一日が終わる。

 流石にあたしも眠いです。お風呂は部屋に戻った時に一回入ったけど、どうしようかな。ああでも焼肉の匂いが髪に染みついてる気がする。洗おう……


 ジャッキーとミモザは、今日はアルミラージの群れに戻って寝るといってぽてぽて並んで歩いて帰っていった。

 基本的に召喚と送還はセットではない。そもそもあの二匹は送還すると多分塒であるここ、というかここのアルミラージの群れに戻るので、時短くらいの意味しかないわね。

 野衾のシルマック君はこのままあたしと一緒に寝るつもりのようだ。彼用に小さなブラシを調達したいわね。

 というか、野衾って夜行性じゃないの?と思ったら昼間にいっぱい動いたから流石に眠い、らしい。

 つまり普段は夜行性だ。昼夜逆転しっぱなしになるのはかわいそうだから、気を付けてあげなきゃな。


 調査された村の被害とかは、あたしには教えられていない。あたしは村の人からみれば、部外者だもんね。

 この城塞では大分馴染んできて、幻獣の皆さんにはだいたい住人だとみなされてきたけど、村の人って通ってくる二人しか知らないもの。

 アナグマっぽい獣人のベッケンスさんの所は、本人に直接人的被害はないって聞かされたけど、洗濯しにきてくれるアンナおばさんのおうち、それに本人がどうなってるかは、聞いてない。あの人獣人じゃなかったと思うから、別の村から来てるんじゃないのかなあ。


《どうでしょうね?この国だと獣人も亜人種も人族も普通に混ざって住んでるんじゃないかしら?》

 そういえばそうか。どうも獣人の人は家族というか、種族で固まってるイメージがあるんだけど、物語の読み過ぎかしら。


《かもしれません。そもそもこの世界の獣人は、親子で獣相が同じであることすら滅多にありませんから》

 おおう、どんな獣の相が出るか、ランダム?


《ええ、ほぼランダムです。一応家系にない獣相は出ないことが殆どだそうで、基本的に近い親戚かおじいちゃんおばあちゃんに似た獣の人がいることが普通だそうですけど》

 隔世遺伝要素はあるのか。難しいな?


《遺伝としては多分各要素が割合的に同一の強さで、たまたまその属性が表に出ただけ、と考えるのがよさそうですね。違う獣の相が混ざることは基本的にありませんので》


 お風呂に入りながら、眠気覚ましにそんな会話をシエラとしていたんだけど。



「ごめんね、こんな時間に」

 簡単な風魔法で髪を乾かしてさあ寝るぞ、というところでサクシュカさんが訪ねてきた。


「まだ寝てはいない……けど……」

 とはいえ寝るつもりになってたから、結構危うい。眠い。


「ほんとにごめん。ちょっとだけ、付き合って欲しいの。移動中は寝てていいし、多分用事そのものは五分で済むから」

 そう言いながら、てきぱきとあたしにコートを着せてあっという間に背負うサクシュカさん。いや待ってこの態勢で寝ろと申すか無茶振りにも程が?!


 ……寝ました。うつらうつらとだけど。サクシュカさん、人を絶妙な揺らし加減で走るんですよ。

 あとびっくり眼で拡がって背中に張り付いてくれてたシルマック君があったかくてですね。


 寝ていて把握はしきっていないけど、多分城塞を出て暫く行ったところだと思う。

 起こされた時には、どこかの如何にも農村っぽい所にいた。村を囲む木の柵や、その土台の石積みが壊された、まだ血の匂いが残る村。


 多分これ、無事じゃないって言っていた、アンキセスの村じゃないかしら。


「……ここ、アンキセス、村?」

「ええ、被害があった話を聞いたのね?こっちに来て」

 背中から降ろされたところで、少し寝ぼけた声で訊ねると、サクシュカさんの真面目な固い声。


 柵というか土塁の中に村を作ったようだけど、破壊の後がそこかしこに残っているのが、月明かりに照らされてなんとなく見える。

 ちょっと奥まったところにある、ドアこそ壊されているけど、それ以外に被害のなさそうに見える一軒の民家。

 そっと小さなノックをして、返事を待たずに入るサクシュカさん、続けてあたしも入る。


 室内は表からは判らなかったけれど、だいぶんと荒れていた。何か大人よりちょっと小さいくらいのものが飛び込んで暴れた跡。濃厚に残る、血の匂い。


「……連れてきましたよ」

 小さな声で、奥に声をかけるサクシュカさん。


「ああ、そんな、本当に……?」

 弱弱しい声。アンナおばさんの声だ。


「アンナさん……?」

 恐る恐る呼びかけながら、寝室らしき小部屋に入る。


 確かにそこにいるのはアンナさん、少なくとも、上半身は。

 その下半身が、見えない。


 黒く蟠る靄のような、実体があるのかないのか判らない、不定形の塊。

 自らの足で立っているのか、座っているのか、それとも?

 それすら判らない密度の瘴気の塊のようなものに包み込まれた、腰から下。

 ぞわりぞわりと動き、上に浸食しようとしては、何かに押し戻される黒い塊。


 なんだ、これは?

 その魂は確かにアンナさんで、意識も己の意思もしっかりと、確として存在している。それは、判る。多分巫女の権能だろう。

 だけど、命は。これはもう死者のうちに数えねばならない、何かがそうあたしに告げている。


「多分だけど、カーラちゃん、巫女の才能持ってるよね?帰属すべき神様がどなたかとかまでは、判らないけど」

 サクシュカさんが小声で訊ねる。なんてこった、バレてたよ。


《カマかけられてる訳じゃなさそうです。確かにこの症例は巫女を呼び出すに値しますし……しかし、貴方はまだ候補、生きた人ならともかく、ここまで浸食されてしまった人を祓うのは》


「巫女って修行しないとなれないんだそうですよ?そんな暇まだないです」

 小声の早口で、返す。だって、いまだにあたしが人に使える魔法は、〈治癒〉だけだ。魔力量でごり押ししてるだけでね。

 ライトブレスさんは今の所出番がございません。龍の人たちには守護系魔法、効きが悪いらしくて使いどころが現状だとないのだ。


 そして今のアンナさんには、どちらもたぶん使えない。


 例え意識が残っていても、言葉を紡いでいても、世界が死んだと判定した人は治せないのだ。魔法の仕様そのものにかかっている、制約。

 なお巫女の御祓いは、魔法ではないのだそうだけどね。


「……昔頂いたお守りのお陰で意識はありますが、わたしはもう助かりません。龍の御方、一思いに滅して頂いてよろしいのですよ」

 アンナさんが、息を無理やり吐きだすような声で、そう告げる。


「砦のお嬢さんが気になっていたのは確かですが、安否を伺うだけで、よろしかったのに」

 その顔が、苦痛に歪む。そりゃあそうだ、今まさにその身を喰らわれているのだから。


「それでも、できることはしたかったの。貴方はずっとイードを助けてくれていたのに」

 サクシュカさんの声が泣きだしそうだ。隣に並んでいるし、彼女の方が背が高いから、顔は見えないけれど。


 ならば、あたしもできることをしよう。眠気を一時無理やり追い払い、心を静める。


「……〔浄化妙成れ、清浄護国。六方清浄、八方清浄、浄化妙成れ、護国なるは護人なり〕」

 するっと言葉が口から零れる。というかこれこの世界の言葉じゃないよねえ?あたしの世界の神話というか、祝詞が近いけど、中身はそれとも別物だ。


《なんで祝詞言語が?ってメリエン様が誘導してらっしゃる?いやそうでもないわね?》

 シエラが混乱しているけど、まああたしにも良く判らないから、そこは諦めて。


 言葉と共に、あたしから光が漂い出し、無音で部屋を染め、瘴気の塊を染める。ねじれ、暴れようとして、光に浸食されて体積を減らしていく黒い塊。

 全ての塊が消えた瞬間、光は天に向かって昇っていき、元の夜の闇が戻ってきた。


 全部終わった後には、腰から下が衣類ごと消え失せ、穏やかな顔で目を閉じ仰向けに倒れ動かない、アンナさんの姿。


 ……魂は光が昇る時に、一緒に去っていったから、もう、目を開くことは、ない。

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