第25話 銀色の神狼。

 亡くなった生きものたちを半分がた並べ終わったかな、という辺り。


 あまり遠くない所で、誰かの、唸り声を聞いた気がした。たぶん、境界のあたり。


《聞こえました。恐らく、境界線上で何かが争っていますわ》

 急がないと間に合わない、何故かそんな気がして、抱えていたミモザのお兄さんらしき、身体が半分になってしまっていた大兎を降ろすと、そのまま森に近い方に走り出す。


「む?カーラ嬢、何処へ」

 目ざといのはマグナスレイン様。そのまま後を追ってくる。ちょっと指揮官仕事は!?


「呼ばれたのです。急がないと間に合わない」

 厳密には呼ばれたわけじゃないけど、そう答えて、そのままちょっとドレスの裾をたくし上げて走る。ここの衣装の基本であるマキシ丈は走りにくいけど、元の世界のあたしと違って、ちゃんと走れるだけで御の字だ。

 マグナスレイン様は特にあたしの言葉に反応することなく、ただゆったりした走り方であたしの後ろをついてくる、足音だけがする。


 そして、国境の結界が見えるあたりに。


 いた。


 国と魔境を分ける、ほんのり光って見える境界線の上で争う、巨大な血塗れの狼と、真っ黒な塊にしか見えないなにか。いや、あの丸みは多分兎のような。ああ、額らしきあたりに、ねじくれた角が一本。あれは、アルミラージ……だった、ものだ。

 角が狼の腹を掠める。ざくりと切れる毛皮。その狼自身の毛皮も、白っぽい部分と、血に濡れた部分と、そして、下半身を中心に、斑に黒く染まった部分。


 真っ黒くなってしまったアルミラージだったもの、これはもう、助けられないと心のどこかが諦めている。既に、自我が無くなってしまっている。いや、あれは、魂を喪った残骸が動いているだけの、なりそこないの魔物。

《あれが時間を経て、本格的な魔物に変じていくのですか。なりたては初めて見ました》

 どうだろう。あれは多分だけど、本物の魔物にはなれない気がするのよね。何かが、足りない。


「―〈拡張:治癒〉」

 迷わず狼さんに治癒を飛ばす。エクステンドは気が付いたら付けていた。


 狼にぶつかった魔法陣は、そのまま狼の身体をぐるっと取り巻いてから、パアンと弾けた。弾けた光の粒が、魔物にも降り注ぎ、魔物が不気味な叫び声をあげて後ずさる。多分弾けてからあとの部分が拡張の効果のはず。

 そのまま境界を踏み越えてしまった魔物もどきは、再びそれを越えることができずに、暫くうろうろしてから、諦めたように森の奥に走り去っていった。


 狼さんのほうは、ただ立ち尽くしている。血はまだ付いているけど、黒く染まった部分はもうない。美しい、銀色に輝く毛並み。


【……なぜ逃した。そなたのその力なら、殲滅もできように】

 不満げな声。この狼さんだろう。


「あれは本格的な魔物にはなれないでしょう。魂を堕とせなかったんじゃないかしら」

 自分なりに、シエラの意見も交えて考えた結論がこれだ。魔物には一応魂めいたものはあるのだ。人や聖獣たちのそれとは、随分趣は異なるし、明らかに自我がないものばかりだけれど。

 さっきの黒い塊には、それが感じられなかった。多分取り込まれ切る前に死んじゃって、魂だけ逃げ失せたのかな?

 うん、これも自分なりに考えた理屈。いえ、たくさんの死体を運んでたら、色々見えることがありましてね。

 いくつかの死体には、黒いシミが残っていた。ジャッキーの毛皮のぶちとは違う、シミ、としか言えない、黒くて組織が崩れそうな見た目の浸食。

 それが身体の半分を超えたものは居なかった。多分、そこを越えると魔物コース一直線なんだと思う。

 そういえば、海のスタンピードのボスも、ごつごつした部分以外はこんな崩れそうなでろっとしたシミの巨大版だったな。

《ああ、あれは岩クジラが魔物化したものだったのかもしれませんね。ごつごつした海の大きな生き物といえば、岩クジラと城塞亀ですから》

 城塞亀は文字通り城塞のような甲羅を持つ、これも巨大な亀さんだそうだ。どちらも基本は温厚だし、防御力が高いので、滅多なことでは魔物化もしないそうだけど。


【……成程、腐っても悪意ある獣を祓うアルミラージか。ともあれ、我も危うく堕ちかねんところであった、礼を言おう】

 狼さんがぺこりと頭を下げる。


「いえ、間に合って、本当に良かったです」

 あのまま争っていたら、浸食が進んで、この強い狼さんまで反転していただろう。そうなったら、ほぼ確定で被害が増大する。

 フェンリルなんて種族名を持ってる時点で、強大であることは疑いようもないわけだし。


 マグナスレイン様はずっと背後であたしと狼さんを見守る姿勢でいた。多分、あたしが間に合わないか、失敗して反転してしまった時の為に、待機してくれていたのだろう。

 あたしたちの会話を聞いて、ふう、と息をつくのが聞こえた。


「いやはや、本当にカーラ嬢がいてくれて、かつ間に合って幸いだった。レイク殿に何かあった日には、我が総力で掛からねばならんところだからな」

 うわ、マグナスレイン様が全力出さないとってガチでお強いのでは。


【はは、それは流石に買い被りというものだ。我なぞ、化身も出来ぬ程度の狼ぞ】

 ようやっと快活な様子を見せる狼さん。レイクさんと言うのか。まあ略称だろう。

 化身もできぬ、というけど、化身できるハイウィンさんと変わらないくらいの強さを感じるんですけどもねえ。


《種族的に化身ができない方もおられると言いますから、そちらじゃないですかね。フェンリル族はこの世界では殆ど見かけないので、資料が足りませんが》

 おおっと、激レア種族か。まあ他所のどこぞの神話で神喰らいとまで言われる種族があんまり沢山いてもね。


【ううむ、血が固まる前に洗い流してしまいたいが】

 川が遠いのう、と、ぼやくレイクさん。


【水かえー?ほれ】

 あたしたちの後ろからイナメさんの声がして、ざばあ、と大量の水が狼さんの上から降り注ぐ。大雑把だな!?


【うぉ!女狐よ、いきなりが過ぎるぞ!いやまあ、有難くはあるが……それにしても、そなたも随分と深手を負っていたように思ったが、よくぞ無事であったな】

 ぶるるる、とずぶ濡れになった身体を振るって狼さんがぼやいたり、イナメさんに声をかけたり、忙しい。

 なお距離はそこそこあったけど、巨大狼さんに柴ドリ、いや狼ドリルされたので、あたしやマグナスレイン様もばっちり全身くまなく濡れた。

 まあここまでの作業で二人ともとっくに血まみれの泥まみれなので、今更濡れたくらいじゃ問題ないのです。この辺は暖かいからそうそう風邪もひかないだろう。


【ぬしと同じよ、危ういところを、そこな娘御に助けられたさ】

 多分自分のことも同じように洗ったのだろう、イナメさんの毛皮が先ほどより随分と白くて、少し残った水気がきらきらしている。

 狐って狐火なんて言葉のせいか、火のイメージがあるんだけど、イナメさん水なんだ。あ、でもクシナダって奇稲田で田んぼの女神様か。


(これこれ、我が名を分析までせんでよい、属性と名の由来自体はそれであっておるが、まあ我は一介の天狐故な、そんな大仰なものではないぞえ)

 アッハイ。自重します。

 隣に並んだイナメさんの尻尾があたしの手をふかふかとさすっていく。いい手触りだなあ。


「カーラ嬢、他にはもう誰も残っておらんな?」

 確かめるようにマグナスレイン様が訪ねて来る。本人はもういないだろうと思っている気配が、不思議と、なんとなく伝わってくる。


《ええ、境界線界隈にはもう幻獣も魔物も残っていませんわ》

 シエラの、いえ、多分メリエン様からのお墨付き。


「境界上にはもういないと思います。あとは城塞で誰か隠れていないか、近隣の村がどうか、でしょうか」

 幻獣でも積極的に戦うことをしない種族もいるし、子供を連れて遊びに来る子もいるから、そういったものが隠れて騒動をやり過ごしている可能性は充分にある。

 村はあたしは行ったことがないから、正直さっぱり判らない。


「近隣の村には二人一組で向かわせている。城塞内部は……恐らく城塞慣れしたものが居らんから、貴方が見て頂けると有難いな」


 そうね、今こちらに来ている中で、一番今のここの城塞に詳しいの、あたしかもしれないわね。

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