第28話 竜塵砂海(前編)

 何度殴られようとも、諦めようと思ったことはない。

 勝つことしか頭になかった。

 他はどうでも良かった。

 

 喧嘩をするのは、勝ちたいからだ。

 負けるためにするやつなんて、いはしない。


「く、くそ……あちぃ……」


 降り注ぐ太陽光が。

 背中に纏わりつく砂が。

 カリナの全身を、燃やしてくる。

 

 このゲームで、こうして天を仰ぐのは二度目だ。

 一度目は風紀委員……ナギサとの決闘で。

 そして、今回は――。


「その程度か? お前の闘争心は」

「チッ、うるせえ!」


 カリナは砂を踏みしめて立ち上がる。

 視線の先には、外套で全身を覆い、拳を握りしめる戦士がいる。



 ※※※



「最近の夏ってすごい暑いですよね……」

「そうだな」

「でも、ゲームって、暑さを感じない素晴らしい趣味ですよね」

「そうだな」

「でも、なんで……なんでっっっ!」

「どうした? フミカ君?」

「どうして――こんなクソ暑いんですかぁ!!」


 フミカの絶叫が響き渡る。

 草木の生えない、砂漠の真ん中で。


「無意味に叫ぶな。気力を失うぞ」

「でも、でも……! おかしい、おかしいですよ! ゲームってのは、夏はクーラーでキンキンに冷えた部屋の中で! 冬はほっかほかにエアコンで暖められた部屋でやるもんなんです! なのに、これはどういうことですか!? 灼熱じゃないですか!?」

「ごちゃごちゃ言うなよ。余計に暑くなる……」


 隣のカリナも、暑さに参っているようだ。

 こういう時に窘めてくれるヨアケは、珍しく微笑んだまま何も言わない――かと思えば。


「ふふ、ふふふ……溶けます」

「おっと」


 ダウンしかけたところを、ナギサがすかさず支えた。

 よく見るとその顔は真っ青だ。不滅の身であるため死にはしないが、不快感はそのままらしい。


「せめて暑さを和らげるとかできないの? ミリル!」

「我が儘だね。ボクにそんな力があると思う?」


 気だるげに応じる妖精。思い返されるのは、咎人牢墓での一幕。

 不思議な力で最強魔法を行使したミリルの姿だ。


「みんな好き勝手言ってくれちゃって……」

「ミリル?」

「ううん。なんでもない。無理なものは無理だよ」


 取りつく島もない様子できっぱりと否定されてしまった。

 つまりこのまま耐えねばならないということ。

 この灼熱地獄を。


「ゲームなのに……ゲームなのにっ!」

「鎧を着てるから暑いんじゃないのか?」


 エレブレシリーズに体温の概念はないが、見た目からして暑苦しいのは確かだ。

 フェイドの銀の鎧は太陽光を乱反射して、ビカビカに輝いている。


「確かに!」


 フミカはメニュー画面をポップさせ、装備画面へと移動。

 鎧を選択したところで、カリナと目が合った。


「……や、やっぱいいかな。敵も出てきますし」

「おう……」

「なんだ。気付いていたのか」

「え?」


 きょとんとするフミカと、訝しむカリナ。

 ぐったりと微笑むヨアケを支えるナギサは、さも当然とばかりの口調。


「ん? 違うのか? 今に出てくるぞ。ほら」


 予言でもしてるかのように。

 ドゴン、と轟音を上げて砂がばら撒かれた。

 何かが地面から這い出てきた。

 そう認識した瞬間に、細長い何かは飛び掛かってきた。


「わッ!?」「なッ!」

「ふむ」


 唯一反応したナギサが、サーベルを投擲。

 抜き身の一撃が頭部に突き刺さって怯む。ようやく全貌を視認できた。


「トカゲか!?」

「いやドラゴンだよ……!」


 ステージの名前で予期はしていたが、まさか砂中から出てくるとは。

 投擲を受けた小柄なドラゴンは砂上に落下。フミカ&カリナの連携攻撃で、反撃すらできず沈黙した。


「ドラゴンの棲み処ってわけか。ここが」

「そうだね。ヨアケさんはどう――」


 思いますか? とは聞けなかった。

 微笑みながら硬直している。溶けて、しまっている。

 完全無欠に見える生徒会長の、新しい一面だ。


「意外か? ヨアケは昔からそうだぞ。暑いのも無理ならば、寒いのも苦手だ」

「そうなのか? けどよ、学校で見た時は……」

「痩せ我慢だ。光明院家の跡取りとして、また才能に恵まれた、資質ある人間として、あらゆる人間の理想形……憧れのように振る舞わなければならない。と、彼女は自らを定義づけている。だから、例え本心では嫌だったとしても、彼女はそんな素振りを見せない。普段ならばな」

「でも……」

「ふっ」


 ナギサは嬉しそうに笑うばかりだ。

 しかし今のままでは考察を進められない。

 加えて敵の位置も、数もわからない。シチュエーションは虫沼の楽園と酷似しているが、安全地帯がわかり辛いという点ではこちらの方がハードだ。


「案ずることはない。敵の出現位置も数量もある程度は把握できている」

「どうやって?」

「聞こえるだろう?」


 しばしの沈黙。


「新手の冗談か?」

「逆に聞くが、わからないのか?」

「わかるわけないだろ! レーダーかお前は!?」


 カリナのツッコミには同意したいが、今は有難い。

 それに、ここまで突き抜けてくれると一周回って楽しくていい。


「でもどうします? ヨアケさんがこれじゃ。というか、私ももう……」

「あたしも正直言ってキツイぜ。なんつーか、体感的にな」

「だらしがない、と言いたいところだが。不快なのは否定しない。ヨアケもこの状態だしな」


 目につくのは岩ぐらいで、広大な砂漠の海が目の前に広がっている。

 体力は平気でも、精神的に削られる。

 精神力を試される死にゲーで、精神をやられるのはまずい。


「どこかに避暑地は。おい、ミリル」

「見てくるのはなし」

「……ひょっとしてお前も暑いのか?」

「ボクは平気だもん」


 と言うミリルも心なしか覇気がない。

 脳内で危険信号が点灯している。たかが暑さ。されど暑さ。

 例え熱中症にならなくとも、動けなくなってしまえばゲームをクリアできない……!


「ふむ。妙だな」

「……どうか、しました?」


 喋るのも億劫になってきたフミカに、ナギサは右斜め先を指し示した。


「敵の動きのない場所がある。静止しているのか、そもそも存在しないのか。いや、後者の可能性が高いな」

「安全地帯……か?」

「それに、微かにだが。水音のようなものが――」

「失礼します!」


 ヨアケの装備品から双眼鏡を借りて、指された方角を確認する。

 見えたのは色鮮やかな緑色。そして……。


「オアシスだぁ!!」




「あぁー生き返るぅ」

「なんかおじさんみたい」

「なんでもいいよ。気持ちいいー」


 フミカは浸かっていた。砂漠に突如として現れた楽園。

 オアシスの泉に。

 

 ミリルの指摘通り、その姿は温泉でリラックスするおじさんそのもの。

 しかして、そんな外聞などどうでもいい。

 それだけの極楽さだった。それに、そんなことを言っているミリルも泉で身体を冷やしている。


「結局暑かったんじゃん」

「うるさいな」

「プールとか大嫌いだったけど、こういうのはありかもねえ」

「プールサイドにいると暑い暑いって言うくせにな」

「カリナ。ヨアケさんは?」

「泉に放り込んだら復活した。ほら」

「ご迷惑をおかけいたしました……」


 いつになくしおらしいヨアケの姿はまたまた新鮮だ。

 それを満足気に見つめるナギサ。

 彼女も泉の冷たさを堪能している。下着姿で。


「ぬ、脱いでるんですね……」

「君も鎧を脱いではどうだ。足を踏み外して溺れかねんぞ」

「そう、ですね」


 ちら、とカリナへ目線を移す。カリナはそっぽを向きながら魔法少女チックな衣装を外した。スレンダーな肢体が露となる。


「まぁ、温泉みたいなもんだし……」

「つまり冷泉ってことだね」

「とどのつまり、ただの泉ではないでしょうか。ふふふ」


 ヨアケもまた暗殺者風の装備を外す。

 そして、豊満な身体つきが披露された。着衣の上からでも大きいと思っていたのに、実際には、かなり……。

 キャラクリで、多くの人間がうっかり高くしてしまうであろう項目が、天然自然に育成されている。


「……チッ」

「か、カリナ?」


 不機嫌な舌打ちを久しぶりに聞いた。戦々恐々とするフミカを、ナギサが押しのける。


「あ? なんだよ――おわああああ!!」


 絶叫するのも必然だ。ナギサが右手で作ったピースサインが、カリナの両目に突き刺さったのだから。


「何すんだ!?」

「目潰しだが?」

「行為を聞いてんじゃねえ! なんでしたかって聞いてんだ!」

「見るんじゃない。見世物じゃないぞ」

「べ、別に見てねーし! お前の貧相な胸なんて――」

「私は貧相ではないし、そもそも私の話ではない」


 そう言うナギサのサイズは確かに、標準より少し大きめと言ったところか。

 彼女が気にしているのは彼女自身ではなく、遮った視線の先で微笑む主だ。


「アホか! 別に見てねえ! というかなんだよ。彼女の姿を見るのは自分だけの特権ってことか?」

「当たり前だ」

「っ!?!?」


 ぼじゃん、とヨアケの方から水音がした。


「う、うおおう」


 冷静に、平常心で。とんでもないことを告げるナギサは、胸を堂々と張り、


「ヨアケの肉体美は一言で言い表せない。そんな人間国宝級の身体を拝見したいのならば、それ相応の資格が必要だ」

「でも私はいいんですか?」

「君からは邪念を感じないからな」


 なぜかフミカはセーフらしい。邪念ならば、人並みに持ち合わせているのだが。

 それでも確かに、尊敬する生徒会長にそんな邪な気持ちは抱かない。

 けれど、それはカリナも同じでは?


「あたしだって別に変なことは考えてねえよ!?」

「嫉妬も立派な邪念だぞ。いくら胸が小さいとは言え――」

「売ってるな? 喧嘩売ってるよな!? 買ってやるぜ上等だ!」

「いいぞ。何度でも相手になろう」


 喧嘩の火蓋が落ちて、水の掛け合いが始まった。

 巻き込まれないよう距離を取ったフミカは、ヨアケに話しかけようとして、気付く。

 ヨアケは顔の下半分を沈ませてブクブクと泡を立てていた。顔が赤い。


「ヨアケさん?」

「ちょ、ちょっと暑いですわね。困ったものですね……」


 ほてりが鎮まるまで、ヨアケはずっとそうしていた。

 息継ぎを繰り返しながら。



 ※※※



 好都合の光景。

 意図して設定したものではなかったが、彼女たちは水浴びを満喫している。

 この楽しさもまた、現実では味わえないものだろう。

 

 砂漠の真ん中で水遊び、なんてやろうと思ってやれることではない。

 ヨアケの財力なら不可能ではないだろうが、率先してやろうとは思わないはずだ。

 

 この体験もまた、フミカたちの脳に刻まれる。

 その思い出は、彼女たちを侵食する。

 

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

 五感を通し、記憶中枢である海馬へと記録される。


(うまく、いってる。計画通り……)


 ナギサの水鉄砲を食らったカリナが、手を激しく動かして水を飛ばしている。

 フミカとヨアケはエレブレ4の話で盛り上がっている。

 ミリルの身体は、心地の良い泉のひんやり感を味わっている……。

 

 首を横に振って、集中する。

 ゲームも中盤だ。もう少しで終盤に差し掛かる。

 何も問題はない。全てうまく行っている。自分の才能が恐ろしくなるくらいに。

 

 笑えばいい。嘲笑えば。

 この泉のように冷たく、笑ってしまえばいいのに。


「おーい、ミリル!」

「……なに?」


 フミカに呼ばれて、ぶっきらぼうに応対する。


「ちょっと話そうよ。エレブレについてさ。ミリルも知ってた方がいいでしょ?」


 フミカの言葉には一理ある。


「それも、そうか。わかった。いいよ」


 ミリルは、水を温くするほどの熱量で語るフミカのエレブレ談義に加わった。


「で、本当に酷かったんですよ? 信じられないクソボスでした! ひたすら落下死を狙うという姑息な戦法を使うボスでして――」


 思い出は刻まれる。

 誰の胸にも、平等に。

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