第26話 咎人牢墓(中編)

「これは謝罪が必要だね……」

「そうだよね。ごめん……」


 ミリルは謝罪を口に出す。やはり自分は悪い子だ。

 だが、謝罪を促がしたであろう張本人はきょとんとした後、手を顔の前で横に振った。


「あ、いやいや。ミリルじゃないよ。マメシステムズ」

「どういう、こと?」

「これだよ」


 フミカは前方に広がるどす黒い池を指した。


「これはしっかり謝罪してもらわないと」

「どういう意味だよ?」


 フミカがあの手この手で機嫌を取り戻したカリナが訝しんでいる。


「開発者インタビューの話ですか?」

「そうです、流石ヨアケさん。よく調べてますね」

「いろいろ吟味しなければなりませんでしたから。この浮気性な方と」

「誤解だと言っただろう……」

「でも軽率が過ぎましたわね」


 ヨアケはまだちょっと怒っているようだ。温厚な人間を怒らせるとどうなるかを、目の当たりにできて良かったと思うし、良くなかったとも思う。


「シリーズ恒例の貯呪池です。毎作出てくるんですよね。オリジナルリスペクトではあるんですけど。もはや名物の温泉みたいなもんです」

「確か、過去作の反省を生かして、より遊びやすく改良したとか……?」

「これ、改良してるように見えます?」


 地下一面を埋め尽くす黒い液体を踏み跳ねて、ゾンビたちが徘徊している。

 虫沼の楽園のように、水の中に潜む敵もいるかもしれない。

 安全地帯の足場が点在しているが、それでも簡単に踏破できるとは思えなかった。


「あまり見えませんね。一定量蓄積すると即死、でしたか」

「せめて毒だったらまだマシだったのに。本当もう、謝罪が必要です!」

「……謝罪」


 光泡が自分に説教してくる。

 我らは既に莫大な時間を無駄にした。

 お前が責務を全うしないからだ。謝罪しろ。


「突撃すんのか?」

「流石に危険だね。何か対応策を考えないと」

「解呪のアイテムですか?」

「もしくは、聖職者ですね」


 フミカは周囲を見回すが、見当たるのは呪われた水だけだ。


「あの。それなら一つ、提案が」

「例のアイテムか」

「なんです?」


 ヨアケが筒状の棒を表示させた。

 銀色の楽器だ。


「フルートか? それ」

「ええ。癒しのフルート、というアイテムです。虫沼の楽園で見つけました」

「もしかして!」

「想像通り、状態異常を癒す力があります。隙は大きいのですが」

「それなら行けますね!」


 方法は単純。フミカたちが貯呪池へと入り、呪いが溜まり切る前にヨアケが癒す。


「何かあったら呼んでくれ。狙撃する」

「呼ぶ必要がありますか?」


 ナギサに微笑むヨアケ。


「ふっ。確かに必要ないな」


 絆の強さを見せつけるようにして、フミカたちが池の水に足を沈ませる。

 黒い水滴を跳ねらせて、死体を迎撃しながら安全地帯を渡り歩いていく。


「……それで? どうしました?」

「何の話?」

「顔に書いてありますわ。何か気がかりなことがあると」


 ミリルは意表を突かれた。これだからヨアケは恐ろしい。

 何気ない会話や動作の端々から、彼女は見抜く。

 感情の機微や思考の変化、隠された思惑を。

 取り繕ったところで見抜かれている。観念して、素直に訊ねた。


「君はさ、親に縛られてると思ったことはある?」

「他者に比べて、制約が多いとは感じています。不便に思ったり、羨望を抱くこともないとは言いません。わたくしも、人ですから。しかし親とて、望んでそうなったわけではないのです。だから拘束されていると考えたことはありませんわ」

「恵まれてるね」

「どうでしょうか。そもそも、他人の親と比較したことがないのでわかりません」

「どうして?」

「無意味なので」

「やっぱり君が、一番の大人だね」


 比較したところで意味はない。それはそうだ。

 明らかな問題がある親はともかく、しっかりと責務を果たしているならば、比較したところで改善のしようがない。

 

 性格や言葉遣いなどの内面であれば、ある程度の修正は可能かもしれない。

 しかし、親の一存で決められない問題――血筋や資産、職業は余程の幸運に恵まれなければ不可能だろう。

 世界は、不平等という名の平等で回っている。


「あなたはどうですか?」

「ボク? ボクは……」


 言葉を濁すミリルへ、ヨアケは微笑んでいる。

 これ以上はまずい。

 計画を気付かれてはならないのだ。何をナイーブになっている。


「普通の親だよ。縛られても、期待されてもいない」

「普通ですか。そうですか。あなたは親が嫌いではなさそうですね」

「……どうして?」

「言葉の端々にトゲがなかったので」

「別に、好きじゃないよ」

「好きじゃないことと嫌いであることは、イコールじゃありませんよ」


 ヨアケはフルートの歌口に唇を当てた。美しい音色が奏でられる。

 範囲内にいたフミカたちの呪詛蓄積量が減っていく。

 

 しかし癒しの音色を聞くのは仲間だけではない。

 ゾンビが一体、ヨアケを狙って動き出した。

 迎撃しないとまずいが、ヨアケは目を閉じて演奏に集中している。

 

 手が届く距離までゾンビが接近した瞬間、何かが空を切った。

 頭部が撃ち抜かれたゾンビが斃れ、演奏が終わる。

 

 以心伝心。心が通じ合っている。

 そこまで気が合う存在に、ミリルは出会ったことがない。



 ※※※



「ようこそおいでくださいました」


 丁寧なお辞儀と共にフミカたちを迎え入れたのは聖職者。

 敬遠なシスターと言った風貌の女性だ。修道服を着た赤髪の女性が柔和な笑みを浮かべている。

 

 しかしその場所が異質だった。

 地下に作られた教会には熱心な信者の姿はなく、すっかり廃れている。


「この方が、フミカさんの言っていた聖職者、ですか」

「そう、ですけど……」


 辺鄙な位置に存在する教会のシスター、エンクレルは、何一つ憂いのない表情をしている。

 だからこそ不気味だった。過去作でもシスターは何人か登場しているが、こんなにも歪な聖職者は見たことがない。


「あなたは、ああ……受けていらっしゃるのですね。寵愛を」

「寵愛?」


 すっと身を寄せてくるエンクレル。思わずフミカは後ずさる。


「神花の寵愛を、ですよ」

「楔の花のことか?」


 ナギサが問いかけると、エンクレルは天に向かって両手を掲げた。


「神花によって、アルタフェルドは優雅で、優美で、華やかな王国となりました。その寵愛を甘受する――それはそれは、とても素晴らしいことです」

「それにしては、問題が噴出しているようですが」


 ヨアケに言われて、エンクレルの表情が陰る。


「ええ、おっしゃる通り。如何に高潔で清廉で、高貴な存在であるとしても、何の代償もなしに存続することは困難なのです。我らが応えなければ」

「応える? 花にか? 水でもあげろってのか……って、ちけえ」


 今度はカリナにエンクレルは迫った。その両手を握りしめる。


「わかりますか。わかりますね。天の恵みは、自然ともたらされます。形を変え、雨となり、大地に沈み込む。しかしそれだけでは足りないのです。不足です。命を繋ぎ止め、蜜を生み出すためには」

「ちょ、ちょっと……」


 カリナの手を離さないエンクレル。

 咎めようとすると、またフミカの元へ戻ってきた。柔和な笑みのまま。


「捧げものが必要なのです」


 フミカの腕を掴むエンクレル。振りほどこうとしたが、力が強い。


「い、いた……っ」

「力をつけて頂かないと。そのためには、より強く、聡明で、勇気あるモノでなければ。供物を、与えてくださいませ。力が落ちた、神花へと。そうすれば、傷付いた根は癒され、折れた茎が治り、美しい花が咲くでしょう」

「おい……!」


 カリナが引きはがそうと割って入る――直前に、エンクレルが手を離す。

 よろめいたカリナが前を素通りしても、エンクレルの視線はずっとフミカに向けられていた。


「だから、そんなものには頼らずに。供物を、強壮なる勇気を、お捧げくださいませ」





「信徒には解呪を致しましょう。利用されますか?」


 というエンクレルの提案を聞いても、利用する気は失せていた。

 現状必要はないという理由もあるが、それ以上に触れちゃいけない気がする。

 怪しげな宗教という印象ゆえだ。

 

 現実でも宗教勧誘は来るが、うまいこと躱せる。

 しかしこの女性に引き込まれたら最期、どうなるかはわからない。

 よって、逃げるように教会を立ち去った。


「なんかドキドキしたね……」


 ただ会話しただけなのに、どっと疲れた。

 禍々しい魔物よりも、ああいう手合いの方が恐ろしさを感じる。


「そんじょそこらの宗教家より、厄介な相手のようだな」

「いざとなればぶん殴ればいいだろ」


 喧嘩っ早いカリナが、似た性質を持つナギサに言う。

 が、ナギサは珍しく否定した。


「一筋縄ではいかないだろう」

「腕が立つ、ということですか?」

「少なくとも、私はそう見えた。立ち振る舞いがな」


 この手の話でナギサの見立てが外れることはない。

 そして、ゲーマーの勘はきっとまだ何かしらのイベントがあると告げていた。


「どうにか不意は突かれないようにしないとね……」

「なんでもいいさ。魔法でぶん殴るだけだからな。ところで、供物ってなんのことだ?」

「まぁ順当に言えば……」

「生贄、でしょうか」


 フミカから引き継いだヨアケの予想を聞いて、げぇ、カリナが声を漏らす。


「そんな時代錯誤な話が通用すんのかよ」

「ファンタジーの世界だから」


 現実――現代日本において、そんな話は聞いたことがない。

 歴史や昔話、フィクションではよくあるが、現実でそんな制度を行ったら、警察が黙っていない。

 

 そもそも人身御供をしたところで、効果などないだろう。

 ただただ人が死ぬだけの、悲劇でしかないのだ。


「いわゆる因習村とかなら、そういう話もあるかもしれませんが」

「昔、そこまで露骨ではないにしろ、良からぬ風習が続いていたという集落の話を聞いたことがあるが」

「現実にあるんですか、そういうの」


 息を呑むフミカに、ナギサは素知らぬ顔で、


「修行中の養父が迷い込んで、全員殴り飛ばしたと言っていたな。クマと戦っていた方がまだ張り合いがあったとかなんとか」

「お前んとこの家は一体どうなってんだよ」


 呆れるカリナ。だが、頼もしくはあった。

 エンクレルが何か仕掛けてくるとしても、ナギサがいっしょなら。

 いや、賢いヨアケはもちろん、カリナがいてくれる。

 きっと問題なく突破できる。恐れる必要はない。


「他にも引っかかることはありますが……」


 ヨアケが興味深そうにフミカを見つめてくる。

 フミカは首を傾げた。気になる点が何かあったのだろうか。

 しかし気にする間もなく、カリナが蒸し返した。


「でもよ、やっぱ生贄はねーだろ、生贄は」

「そうだねえ。流石にねえ。ミリルもそう思う?」

「ボク……? うん、そうだね……。有り得ないよね、生贄なんて……」


 ミリルは曖昧に頷く。

 その姿を、ヨアケが注意深く観察していた。



 ※※※



物語ゲームの根幹、か」


 ナギサは自身に剣を向ける骸骨の騎士と対峙していた。

 かつては手練れの英雄だったのだろう。しかし今やその姿は見る影もない。

 

 スカスカの骨に、砕かれた鎧。錆びた剣に、欠けた盾。

 矜持はなく、意思もない。

 ただ外敵に条件反射的に攻撃する、心を失った者。


「私には難解だな」


 思考を回しながら、英雄だった者と交戦する。

 剣戟はブレイブアタックで上塗りし、着実にダメージを与える。

 

 回避、防御、反撃。どの動作にどのタイミングでどの選択を取ればいいか。

 それが手に取るようにわかる。その上で慢心せず、適切な攻撃を行う。

 

 生身であれば。そして思考ができ、恐れ知らずの勇気を持ち合わせていれば、強敵だったのだろう。

 だが、ナギサに言わせれば、これは残り滓だ。

 

 敵ではない。

 敵にはなれない。

 

 その骨を、ナギサのサーベルが断つ。肉を切らせることはなく。


 ――おのれ……アルディオン――貴様さえいなければ、私はまだ……!


 怨嗟の声が聞こえるが、ナギサには効かない。

 ヨアケとフミカの考察では、咎人牢墓に閉じ込められた人々は、殺戮砦から送られた可能性が高いということだった。

 

 楔の花によって死なないとは言え、やはり罪人は存在するのだろう。

 そのような咎人の心を丁寧に砕いて、牢墓に閉じ込める。

 そのようにして、アルタフェルド王国は治安を維持していたのだ。


「ホクシンは興味を持っていたが、どうだかな。君はどう思うんだ?」

「君もボクに構うんだね……」


 ミリルは自虐気味な様子だった。この場の雰囲気に呑まれたのか、それとも別の要因があるのか。ミリルの調子は初期の頃と比べて変わっている。

 変化のない人間など存在はしないが、その兆しがわからないとなると厄介だ。


「君は楽しめていないようだな」

「……そう、見える?」

「そうだ。最初からな。私と似たような感じだったはずだ。今でこそ私は楽しんでいる。楽しもうとしている。万人のソレと一致するかはわからないがな。だが、この世界に……ゲームの中に迷い込んだ当初は違った。生命の保証がなかったからだ。とりわけ、ヨアケも同じ境遇だと知ってからは、焦燥感に駆られていたよ」


 ナギサはヨアケを守らなくてはならない。

 養父に言われたからではない。自身がそうしたいからだ。

 

 フミカたちのことも放っておけなかった。

 ヨアケとかかわりがある人間の安全も、ナギサは可能な限り保証する。

 

 ヨアケが悲しむ姿は見たくないからだ。

 彼女に責任がなかったとしても、気にするのがヨアケの良いところなのだから。


「なぜ、ゲームを選んだ」

「え……?」

「あくまでも君の目的はフミカ君を――その知り合いである私たちを、楽しませることのはずだ。ならば、ゲーム以外の選択肢もあっただろう。そもそもなぜ、フミカ君が選ばれた。何か、理由があるのか」

「り、理由は……。あまり、いろいろ聞いて来ないでよ。プライバシーの、侵害だよ」

「それにしては、聞いて欲しそうな顔をしている」

「そんな顔なんて」

「吐き出したいんだろう。胸の内を。しかし、言えないのか。言いたくないのか。どちらにせよ、言葉にすることは叶わない。そんな表情だ」


 ミリルは目を泳がせる。

 壁に埋められているゾンビと目が合い、気まずそうに逸らした。


「君はさ、嫌じゃないの」

「護衛の話か?」

「察しがいいね。ヨアケほどじゃないけど」

「嫌どころかむしろ好きだ。君にも伝わっていると思っていたがな」

「まぁ、なんとなくは。一応、聞いてみただけ」


 少し離れたところからは、戦闘音が聞こえる。フミカたちが死者たちと戦っているのだろう。

 魔法の音がして、何かを殴るような音がして、ほんのわずかな足音と衣擦れの音を聴覚が捉える。

 

 彼女たちがどのように戦っているのか。優勢なのか劣勢なのか。

 ナギサはしっかりと理解していた。だからこうして会話を続行できる。


「でもさ、親に無理やり押し付けられたっていう過程は、嫌じゃなかったの?」

「認識が違うな。押し付けられたなんて考え方をしたことがない」

「じゃあなに?」

「託された。私はそう考えている」

「たく……された」

「養父は私に強制しなかった。圧力とでも言うべきか、そういう風に誘導されることもなかった。全て私の自由意思による選択だ。何かを恨む、というプロセスが介在する余地はない」

「そんなこと、あるの?」


 ミリルが問いを発すると同時に、上からゾンビカエルが降ってきた。

 そちらを見ることなく、サーベルを突き立てる。ノールックで投げ捨てた先にいたミイラがダウンした。

 そこへ視線を送ることなくクロスボウを放つ。


「あったんだ。だから、私は幸福だ。孤児ではあるが、不幸だと感じたことはほとんどない。皆が私と同じように選択することができないとも知っている。世の中は不平等で、それがゆえに平等だ。だから、選択の自由に恵まれなかった人に、チャンスを与えたいとは常々思っている」

「チャンス……」


 ナギサが後ろをついてくるミリルへ向き直った。


「初めて会った時、君は助けを求めたな」

「あ、あれは……なんていうか、勢い任せで」

「私は、助けを求められれば可能な限り助力する。今持てる、全ての力を投入してな」

「……助けなんて、いらないよ。ボクは困ってないから」

「そうか。気が変わったらいつでも請うといい。それと、一つ忠告しておく」


 ナギサの背後に、敵が迫ってくる。見たこともないタイプだ。

 黒い影のようなおぞましい物体。それが触手のようなものを伸ばしてきて――。


「ヨアケを脅かす存在を、私は許さない」


 振り返らずに、その全てをナギサが両断する。ライフを失った敵が消滅した。


「もう知ってるし……」

「一応、言わせてもらった。肝に銘じておいた方がいい。自分で言うのもなんだがな」


 ナギサは進軍を再開した。

 歩みを止められるものは誰もいない。

 その圧倒的強さを目の当たりにしたミリルは、自嘲気味に笑った。

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