第17話 虫沼の楽園(後編)

 陸地を踏み荒らすのは、もはや人と巨鳥のみ。

 虫たちの楽園は消え失せた。

 大群討伐後、フミカはカンパニュラと交流していた。


「流石は貴殿だ。あのような大群を前にして、怖じずに全滅させるとは。良き友も得ている」


 カンパニュラのヘルムが、マルフェスへと向けられる。

 不死鳥が誇らしげにいなないた。


「しかし貴殿の目的は駆除ではなかろう? クマバチの救出でさえ、物のついでであったはずだ。いやだからこそ、高潔であるのだが」


 そのセリフにフミカは身構える。

 ミラ姫を彷彿とさせる言葉だったからだ。


「あなたは、わたくしたちの目的を知っていまして?」

「いや、詮索するつもりはない。ただ、この先に用があるのなら、警告をしておこうと思ってな」


 カンパニュラが奥地へと顔を向ける。

 行き止まりだ。つまり、鍵があるかもしれない場所であり。

 また、ボス戦の可能性が高いエリアだ。


「この先に、おぞましいものが待ち構えている」

「おぞましいもの……?」

「手を貸したいのは山々だが、誓約がある。独力で突破してもらう他にない。もし生き延びていたのなら、また会う機会もあるだろう。貴殿が善行を成す限り。花の加護があらんことを」


 カンパニュラとの会話が終わった。

 もはややるべきことは一つだけだ。

 カリナへ皆の視線が集う。


「……行くか」

「うん!」


 歩き始めた瞬間、マルフェスが高らかに鳴いた。

 何事かと振り返ると、じっとこちらの方を見つめている。

 特に、カリナを。


「なんだ……?」


 カリナが訝しんだ瞬間、スキルを入手したというメッセージが全員に表示される。

 魔法スキルだ。


「不死鳥の炎撃……?」

「使えそう?」

「魔法力は足りてるけど……」


 さらっと説明を読んだカリナ。

 あまり乗り気でないらしい。

 好みの魔法ではないのだろう。


「別にいいや。さっさと行こうぜ」


 


 

 奥地には、妨害なく辿り着けた。

 小屋の前に広がる沼の中に、一人の男が立っている。

 フミカの二倍はあろうほどの大男だ。

 

 背が高いだけではなく、恰幅も良い。

 着用する衣服は簡素なもの。

 ぼろ切れ。

 そう表現するのが、一番近い。

 髪のない病的な白さの顔が、虚空を見つめていた。


「ハゲデブオヤジ……?」

「言葉遣いが悪いぞ、カリナ君」


 ナギサがカリナを咎める。

 が、その表現は的確だった。

 

 その声に反応したのか、男がゆっくりとこちらへ振り返ってくる。

 にちゃり、という粘着質な笑みと共に。


「ひ、ひひっ。楽園にようこそ。ここに来ればみんな幸せだ。お前たちも、加わるといい。虫の、仲間になぁ!!」


 狂気な笑みを浮かべて、向かってくる。

 楔の守護者――楽園の庭師が。


「人間なら平気だぜ……!」


 カリナが先制で炎を浴びせる。

 だが、ボスは怯まない。

 笑声を漏らし、人の身体ほどありそうな草刈り鎌を振り回してきた。

 沼に足を取られる様子はない。

 

 フミカは盾でガードし、ナギサが避ける。

 ヨアケが背後へと回り込んだ。


「人型ならば……!」


 壊心のナイフが煌めくが、


「く……!」


 庭師がヒップアタックで阻止してくる。


「ヨアケ!」

「平気ですわ。回復します……」

「足止めする!」


 ヨアケが花蜜を飲む隙をカバーすべく、ナギサが巨漢を斬りつける。

 血が迸ったが、ライフの減少は僅かだった。


「斬撃の効果が薄い。脂肪のせいか」


 庭師には、斬撃耐性があるようだ。

 となれば、フミカのメイスの出番だ。


「行きます……!」


 メイスの打撃は、程よくライフを削った。

 やはり打撃が弱点のようだ。

 二発殴ると鎌の反撃。

 そこへ割って入ったナギサが、ブレイヴガードで弾く。


「今だな!」


 カリナの炎。

 こちらもダメージ量が多い。

 ナギサとヨアケが防御と回避し、フミカとカリナが攻撃する。

 安定してダメージを与えられている。

 

 このまま行けば初見クリアも夢じゃない。

 そう思いながら振るったメイスが、庭師の腹部に命中した瞬間、


「グオオオオオ!!」


 庭師が獣のように咆哮した。

 虚ろな眼差しがカリナを捉える。


「チッ、狙いはあたしかよ!」


 逃げようとしたカリナを、執拗に庭師が追いかけ始める。

 巨体に似合わない俊敏な動きだ。

 フミカたちはもちろん、ナギサの援護も間に合わない。


「くッ!? 離せよこのデブ!」


 がっしりと両腕でホールドされたカリナを、庭師が口元へと運ぶ。

 

 ――カリナが食べられる!?

 そう思ったが、違った。

 

 食べるのではない。

 その逆だ。

 

 吐き出した。

 嘔吐物を、口から。


「うげえええ――!?」


 カリナがゲロの直撃を受ける。

 黄色の、全身を包み込む量だ。

 ただのゲロではない。よく見ると、細かい虫が混ざっていた。

 あっ、とフミカが声を漏らした直後、


「きゃう……」


 カリナが気を失ってしまう。

 ゲロはれっきとした攻撃だ。

 付着したゲロを落とさない限り、継続ダメージを受け続けてしまう。


「カリナ……! このッ!」


 がむしゃらに近づいたフミカだが、庭師の動作は速かった。

 カリナをゲロの中に投げ捨てると、鎌を構える。

 剛腕の横薙ぎを食らったフミカが宙を舞い、沼の奥側へと吹き飛ばされた。

 体勢を立て直そうとしたが、


「嘘……底なし沼……!!」


 身体が沼の底へと沈んでいく。

 息ができなくなり、視界が泥に覆われていった。



 ※※※



「二人脱落か」


 視界の端で粒子状に消滅するカリナを看取った後、ナギサは庭師を見据えた。

 大きな問題はない。

 ヨアケといっしょなら、いや、自分一人でも勝てる。

 ゆえに、


「撤退しましょう」


 というヨアケの言葉に耳を疑った。


「どうしてだ? 私なら……」

「ナギサ」

「……威力の低い私が対処するよりも、フミカ君たちがいた方が速い、か。了承した」


 不足ではなく、充足の事態だ。

 ナギサは商人から購入していた帰還の鐘を鳴らす。

 ヨアケも同じように音色を響かせる。

 突撃した庭師が、二人の身体をすり抜けた。



 ※※※



「あたしはダメな奴だ……」


 復活したフミカの隣で、カリナが暗くなっていた。


「しょうがないよ、あれは。私だってたぶん厳しいと思う」


 画面越しならともかく、リアルであれは無理だ。

 きっと耐えられる方が少数派だろう。

 虫のブレンドが加わった嘔吐なんて劇物を、平気な方がどうかしている。


「そうですわ。あれは仕方ありません」

「二人とも、撤退したんですね」


 ヨアケとナギサがテレポートしてきた。

 帰還の鐘は糧花を落とさず、楔の花にワープできる便利なアイテムだ。


「私は別に平気だが」

「ナギサはおかしいので、気にする必要はありませんよ」

「失敬な」


 二人のやり取りで場が和やかになる。

 カリナも気力を取り戻した。


「そうだ、そうだよな……」

「しかし問題点はいくつかある」

「そうですね……」


 ナギサに同意したフミカがメニュー画面を呼び出し、マップを開く。

 虚空に浮かぶ地図。

 庭師がいたエリアを拡大した。


「沼中での戦闘は身動きが取りづらい。おまけに奥は……」

「底なし沼、ですね」 


 沼で溺れる感覚を思い出して、フミカは身震いする。

 戦える範囲は思った以上に狭そうだ。

 つまり遠距離から安全に攻撃はできない。


「あの庭師は沼の中でもスムーズに動けるし、タフだ。斬撃耐性もある」

「暗殺も無理ですわね」


 暗殺しようとしたヨアケを、庭師は振り返ることなく迎撃した。

 不可能と考えてよさそうだ。


「有効打はメイスと……カリナの魔法」

「エンチャントするか?」


 カリナが杖を軽く振る。


「でも、私が攻撃できなきゃ意味ないよ?」


 メインアタッカーであるフミカが攻撃できなければ、魔力の無駄だ。

 前半戦はさっきの要領で行けるだろうが、後半戦が厳しい。


「急にカリナさんが狙われたのも不思議です。一番ダメージを与えていたのは、フミカさんですよね?」


 ゲームの仕様上、ダメージ量を多く与えたプレイヤーが狙われやすい。

 しかし、庭師は違った。

 その理由をフミカは推測する。


「もしかすると、魔法使いを優先して攻撃するようになっているのかも、です」

「なんだそりゃ?」


 エレブレシリーズには、ライフ量で行動パターンが変わるボスがいる。

 大抵は強力な技を繰り出すようになるのだが、特殊な事例もある。


「ラファトっていう狼のボスが過去作にいたんですけど、子狼を弓矢で射殺されたって背景があるボスで。弓を使う人を積極的に攻撃するルーチンが組まれていたんです。序盤は鎖に繋がれてるから、弓の方が安全なんですけどね」


 ライフが半分になるとその鎖を引きちぎり、弓を使ったプレイヤーを何が何でも殺そうとしてくる。

 そのあまりの凶暴ぶりに、ラファト戦で弓を使うプレイヤーは地雷、なんて言われていたほどだ。


「愛らしい狼を弓で射るなど。当然の報いだな」

「お前はどっちの味方だよ。……じゃあ、魔法を使うのは止めるべきだってことか?」

「どうだろう……一番の弱点は魔法だと思うんだよね」


 弱点だから優先的に狙ってくる。

 メイスと魔法ではきっと、魔法の方が効率がいいのだろう。

 

 ラファトも、凶暴化する弓矢がもっとも効率的にダメージを与えられていた。

 なので、あえて弓で仕留めるのがRTAでは定番になっている。


「だけどあたしの回避能力じゃ……いや、待てよ?」


 カリナがメニューを開いて確認する。

 そして、悪い笑顔を浮かべた。


「あたしに任せてくれ。汚名返上も兼ねてな」



 ※※※



 四人の中で、自分が一番下手だとカリナはわかっている。

 普段からあまりゲームはやらない。

 家族に誘われて、物は試しと始めただけだ。

 

 コントローラーを握ってピコピコやってる分には、何回死んだって別にいい。

 下手だって、構わない。

 

 けれど、今は違う。

 まだまだ余裕はありそうだけど、フミカの生死が掛かってる。

 それに、ちょっと……いや、だいぶ悔しい。

 

 喧嘩じゃ負けなしだった。

 それが、このゲームではどうだ。

 びっくりするほどボコボコにされる。

 驚くほどに殺される。

 

 たかがゲーム、されどゲーム。

 いや、むしろゲームだからこそ本気になれる。

 本気の喧嘩はいろいろとまずい。相手を怪我させちまうかもしれない。

 だが、ゲームは違う。

 メンタルに影響はあるかもしれないが、肉体的には平気だ。

 

 それに、だ。

 具体的なストーリーはわからないが、この庭園の主はあいつだ。

 このくそったれな虫だらけのステージのボス。

 ここまで散々嫌な思いをさせられた借りを、返してやらなきゃ気が済まない。


「今だ、フミカ君!」

「でやあ!」


 カリナの前では、フミカたちが庭師と交戦している。

 ナギサが斬撃で庭師を惹きつけ、フミカが殴る。

 隙を見て、ヨアケがチクチクとナイフを肌に突き立てる。

 

 ここまでは先程と同じ流れ。

 草刈り鎌の動きにも対応できている。

 

 カリナはひたすら待った。

 携えているのは小剣だ。万が一にも魔法使いだと認識されないため。

 攻撃したくてウズウズする身体を、どうにか鎮めようとする。


(あたしの言い出した作戦だ。あたしが守らなくてどうする……!)


 だとしても、ゲームにおける静観はやきもきするものだ。

 焦るカリナの前で、メイスが庭師の腹を鳴らした。

 フミカと視線を交わす。

 

 任せてと言わんばかりの、勇ましい笑顔。

 瞬く間に、焦燥感は消え去った。


「後一撃ですわ!」


 庭師を惹きつけたヨアケが、鎌を避ける。


「フミカ君!」

「はい!」


 フミカとナギサは並走し、メイスとサーベルの合わせ突きが庭師のライフを半分にした。

 庭師が吠える。

 ゲロ攻撃だ。

 

 ターゲットはカリナ……ではなく。

 もっともダメージを与えたフミカだった。


「お願いします!」

「任された」


 フミカを庇ったナギサが庭師の二の腕に捕まれる――刹那、ブレイヴアタックで迎撃した。

 両腕を斬られて、庭師が怯む。

 そこへフミカとヨアケが追撃。


「今のうちに!」

「わーってるさ!」


 カリナが杖を取り出す。

 魔法を選択。魔力ゲージを消費して、杖から魔法が迸る。

 赤い光が炎の物体を編み始めた。

 

 しかしすぐには放てない。

 説明通りの魔法だ。


(焦るな、焦るな。威力が下がる)


 庭師はこちらを狙って来ない。魔法を使った判定にはなっていないのだろう。

 魔法の構築はまだ終わらない。

 短気な自分にはやはり、向かない魔法だ。

 威力が低くとも、連射できる魔法の方が性に合ってる。

 

 だとしても。

 魔法を反射して、カリナの瞳が赤く染まった。


「なるべく惹きつけないと――うっ!?」


 驚くフミカ。庭師が鎌を投擲したのだ。

 物理法則を超越した軌道で周囲を飛び回る。

 ナギサは完璧に、フミカは怯みながらも防いだが、ヨアケはまともに食らってしまった。


「ヨアケ!」


 ナギサの注意がヨアケに向く。

 そのせいで、反応がワンテンポ遅れた。

 

 庭師が咆哮しナギサの真横を通り過ぎ。

 逃げ遅れたフミカの身体を、鷲掴みにした。


「ヤバッ!!」


 またあのゲロ攻撃だ。ナギサが阻止しようとするが間に合わない。

 フミカが汚物塗れにされる。

 そんなのは、絶対に、許容できない。


「あたしのフミカに――触れんじゃねえ!!」


 カリナは完成した魔法を解き放つ。

 鳥の形をした炎が巨男を燃やさんと迸る。

 

 魔法スキル――不死鳥の炎撃。

 

 マルフェスを象った炎の鳥が、庭師の全身を炎上させる。


「うおっと!」


 フミカが解放されて、しりもちをついた。

 大ダメージを受け、庭師がのたうち回っている。

 スタミナも空だ。

 カリナは駆け出した。


「もらったぁ!!」


 小剣へと持ち替えて、その腹部を思いっきり突き刺す。

 庭師のライフが尽きる。

 やった、と歓喜したのも束の間、庭師の身体がぶくぶくと音を立て始めた。


「な、何だぁ……?」

「カリナ! こっち!」

「えっ、おい?」


 フミカに手を引かれて、庭師から離れる。

 ナギサもヨアケをお姫様抱っこして、距離を取っていた。


「くそったれが、あの女が! 全部あいつのせいだ! くそ、くそくそくそ!! 何が花の、花が、ウゴアアアアアアア!!」


 恨み節を言いながら。

 体液を巻き散らし爆散する。


「いいぃい!?」

「離れて良かったね……」


 体液と共に舞った小虫が、ヘドロに呑み込まれていく。

 たまらず悲鳴を上げて、カリナはフミカへ抱き着いた。

 地響きと共に桟橋がせり上がってくる。

 小屋への通路のようだ。


「勝った……か……?」


 訝しんだ瞬間、ボス撃破報酬を入手した。

 庭師が所持していた鎌とポイントだ。


〈庭師の草刈り鎌。楽園の管理を任された庭師のもの。主に除草に用いられるが、人を刈り取ることもできる。雇用主は言っていた。お花を慈しむあなたこそ、楽園の番人に相応しい。邪魔者は、全て刈り取ってくださいな〉


 テキストにざっと目を通し、メニュー画面を閉じる。

 鎌を使う気にはなれない。

 虫やゲロがちょっとついてそうで。


「カリナ……」

「あ、す、すまねえ!」


 フミカと密着したままだった。

 慌てて離れようとしたカリナの手を、フミカが掴んで止めてきた。

 え? と困惑すると、上目遣いが目に入る。


「さっきの、どういう意味……?」

「さっきの……? あ!」


 勢いに任せて口走ったセリフを思い出す。

 あまりの恥ずかしさに赤面するカリナを、追及の眼差しが貫く。

 頭をフル回転させたカリナは咄嗟に、


「お前はあたしの舎弟ってことだよ、言わせんな」


 というそれっぽい言い訳を見繕う。

 緊張の一瞬。

 うまく誤魔化せたか……?


「えーなにそれ」


 フミカはいつも通り朗らかに笑った。

 カリナの元を離れると、桟橋に飛び乗って小屋へ走って行く。

 すっかりゲームに夢中のようだ。

 ホッと一息を吐くと、なぜだかヨアケが寄ってきた。


「な、なんだ……」


 じーっ、とカリナの顔を観察するヨアケ。

 戸惑うカリナに、ヨアケは天使のように微笑む。


「仲良しなのは本当に良いこと、ですわね」

「おい……?」


 カリナを置いてきぼりにして、ヨアケたちも小屋へと向かう。

 追いかけようと思った矢先、今度は妖精が立ち塞がった。


「なんだよ」

「仲良くなって良かったねぇ」

「お前もかよ、全く」


 にやにや笑うミリル。

 その顔は、どこかむかつく。

 フミカが殴りたくなる気持ちもよくわかる。

 ……けれども。


「おい、ミリル」

「何? 苦情なら――」


 言いかけたミリルを遮って、カリナは吐露する。

 気恥ずかしさで、顔を背けながら。


「お前がいなかったら、フミカとこんなに遊べてなかった。そもそも、話すことすらできなかったかもな」


 あの時の、あの言葉。

 勇気を持って、応じたまえ。

 

 ゲームのキャッチコピーをミリルが教えてくれなければ、今の関係はなかっただろう。

 それどころか、一生話す機会がなかったかもしれない。

 だからちゃんと、伝えるべきなのだ。


「だからよ……ありがとう」

「え……? ど、どうも……?」


 照れ隠しのように走り出す。

 戸惑うミリルを残して。

 カリナたちは、虫沼の楽園を踏破した。

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