第15話 虫沼の楽園(前編)

「ヘドロみたいだな、こりゃ……」


 沼に小石を投げたカリナがうへぇ、と声を漏らす。

 フミカたちが選択したルートは左横――その先に広がっていた沼地だった。

 人ほどのサイズのある巨大なカナブンを殴り倒し、じめじめとした沼地を見渡す。

 沼と陸地、それらを繋ぐ桟橋がいくつもある。


「渡って行くしかなさそうだな」

「ですね……」


 ナギサに相槌を打つフミカもあまり乗り気ではない。

 危険の香りがぷんぷんする。

 

 しかし適正レベルなのは、間違いなくこの沼地だった。

 カナブンみたいな、わかりやすい敵ばかりであることを祈るしかないが……。


「この沼、ただの沼だとフミカさんはお考えですか?」

「いえきっと……何かあると思います」


 沼自体にダメージはなさそうだが、ただの沼ということはあるまい。

 過去作の経験から、フミカは判断できた。

 毒や酸でない分優しい……と考えるのは早計だ。


「おい、風紀委員……虫は好きか?」

「特段好みではないが、苦手というわけでもない。ヨアケもそうだったな」

「ええ。わたくしも大丈夫です。フミカさんはどうでしょう?」

「私も好き好みはしないですけど……」


 虫だから、と血相を変えるほどでもない。

 カリナがため息を吐いた。


「カリナは苦手だったっけ?」

「はぁ? んなわけねーだろ! 楽勝だよ、楽勝!」


 強気に振る舞うカリナ。

 そうだったっけ? とフミカは首を傾げた。



 

 遠くに生えた木には巨大なセミらしき虫が止まっている。

 ここの虫は、どれもこれもビッグサイズだった。

 狭い桟橋を渡りながら、こぽこぽと泡立つ水面へ目を落とす。

 ナギサ、ヨアケ、フミカ、カリナの順番だ。


「何かいそうですわね」

「な、何がいるってんだよ」


 両手で杖を力強く握りしめるカリナ。

 警戒しているのはフミカたちも同じだが、力み過ぎているように見える。


「本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫に決まってんだろ! あたしだぞ!?」

「何の保証にもなっていないが」


 ナギサにうるせえ、と言い返しながらカリナが小剣へと持ち替えた。

 桟橋の向こうにまたカナブンがいる。

 既に何体か倒している。

 

 対処は簡単だ。

 全員で囲んで一気に殴り倒す。

 カナブンは何もできずに、悲鳴を上げて絶命する。

 

 傍から見るとリンチっぽいが、油断は大敵なのでしょうがない。


「私が先に行こう」

「わたくしも参りますわ」


 二人が駆け足で陸地へと移動する。


「行こう、カリナ」

「おう……?」


 ついて行こうとした矢先、カリナが立ち止まる。

 真横の沼が急に泡立ち始めていた。

 

 不審に思った瞬間、ヘドロが宙を舞う。

 何かが沼から飛び出たのだ。

 

 真っ黒で棒状の巨大な生命体。

 ソレを現代的に言い表すならば。


「クソでかミミズ!?」

「ひぃ――」


 軟体生物が頭部らしき部分を、こちらに向けている。

 危険を察知したフミカは、とっさにカリナの手を握る。

 そのまま駆け抜けようとした。

 しかし、


「嫌あああああ無理ィィィ!!」

「カリナ!? うわっ!?」


 あろうことか、カリナは沼へダイブしてしまった。

 引っ張られて、フミカも後を追ってしまう。

 

 どうやら彼女はミミズの反対側に逃げるつもりらしい。

 ひたすらにミミズから距離を取る。

 フミカの手を握りしめたまま。


「カリナ! 落ち着いて!」

「いやぁぁぁ!! キモい!! キモいよぉ! 助けてにぃにぃ!!」


 カリナは、泣きじゃくりながら陸地を目指す。

 ミミズは桟橋を飛び越えてきた。

 顔のない顔が逆に怖い。


「ひぎぃああああ!!」


 沼を掻き混ぜるカリナだが、泥に足を取られて思うように進めないようだ。

 と、左右から水面が波立っているのが見えた。

 もしかしなくてもミミズだ。

 汚泥を巻き散らしながらこんにちはしてくる。


「うぎぴうきゃあああ!!」


 突撃してきたミミズを、フミカはメイスで殴って迎撃。

 追い払いながら、どうにか陸地へと辿り着いた。

 

 登ってくるかと警戒したが、幸いにして陸地の上までは来ないらしい。

 フミカはホッと一息ついて、ガタガタと震えるカリナに困り果てた。



 ※※※



「助けに行くべきでは?」

「ダメだ」


 難なくカナブンを撃破したナギサが、ヨアケの提案を一蹴する。

 フミカたちと分断されてしまった。

 向こうからでも進行先は同じようだが、カリナの状態が心配だ。


「ミミズが何体いるかわからないし、泥で自由に動けない。危険だ」

「ですが」

「君を死なせるわけにはいかない」


 取りつく島もないナギサの言い分にも、ヨアケは一理あると考えてしまう。

 なので反論はしないが、納得もしていない。

 そのことに気付いたのか、ナギサが冷静に諭してきた。


「下手に追いかけても、同じ轍を踏むだけだ。私たちにできることをした方がいい」


 ヨアケは少し考え、


「そうですわね。わたくしたちに、できることを」


 普段の調子で微笑んだ。



 ※※※



「どう? 落ち着いた?」


 ぷはぁ、とカリナが息を漏らす。

 フミカが花蜜を飲むように勧めたのだ。

 花蜜はライフを回復させるだけだが、極上の味がその精神を落ち着かせてくれた。


「ああ……悪い……取り乱した……」

「やっぱり虫、苦手だったんだね」

「全般がダメってわけじゃない。ただ、ヌメヌメ系は……ちょっと……」


 ぶるりと身を震わせるカリナ。

 確かにこの手の虫は人を選ぶ。

 フミカとて、長時間眺めたいわけではなかった。

 

 触発されて、幼い記憶が蘇る。

 ミミズを見つけて、泣きじゃくるカリナの姿が。


「でも、参っちゃうね。きっとここは、その手の虫のパラダイスだし」


 ミミズももっとたくさんいるだろう。

 いや、ミミズだけではない。


「ナメクジとかヒルとかカタツムリとか……」

「やめてぇ!」


 耳を塞ぐカリナの姿は新鮮だ。

 過去作にいた敵を羅列しただけなのだが。

 グレる前の彼女が、戻ってきたようだ。


「まぁたぶんメインはミミズだと思うよ。早いとこ、行こう」

「う、うん……」


 頷くものの、カリナは動かない。


「カリナ?」

「手、握ってくれないか……」


 不意に。

 自分の中の何かが刺激された。

 なんだろう。

 ちょっとゾクゾクする……。


「フミカ?」

「い、いいよ。行こうか……」


 取り繕ったフミカが、カリナの手を握って進む。

 またもや桟橋だ。

 

 ナギサたちの方を見ると、彼女たちも先に向かったようだ。

 進行方向は同じなので、そのうち合流できるだろう。

 

 一人通るのがやっとの桟橋を踏み鳴らしている間に、何度か水滴が飛び散った。

 犯人は、小さなカエルだ。ミミズではない。

 けれど、その度にカリナの身体も跳ねて、フミカに抱き着いてくる。

 

 縮こまり、涙目でこちらを見てくるカリナ。

 いけないと思いながらも、いいと思ってしまう自分がいる。


(新たな扉が開いちゃいそう……)


 ただ、今開くのはまずい。

 桟橋から地面へと足を降ろす。今度の陸地に敵はいない。

 じゃあ次の桟橋の先はどうかと目をやると、


「うわぁ……」


 流石のフミカでも、声を漏らさざるを得ない。

 カリナはまだ気付いていないが、陸地の上にミミズが大量にいる。

 あれをこの状態で突破するのは、なかなかに厳しい。


「うわあああマジかよ!!」


 カリナも気付いたようだ。顔を手で覆ってしゃがみ込む。


「な、何体……何体いやがるんだ……」

「えっと見た感じは――」

「やめろ聞きたくない!!」

「こうなったら、仕方ないね」


 フミカはメイスを構える。

 シリーズの傾向として、こういう無限湧きに近しい敵の場合、一体一体はそこまででもないのだ。

 動きも鈍重。

 フミカだけでも、囲まれないように立ち回れば勝ち目はあるはず。


「ちょっと待ってて。私が――」


 歩み出そうとした矢先、鎧を掴まれた。

 振り返ってドキッとする。


「置いてかないでぇ……フミカぁ……」


 涙目で、懇願するカリナの姿に。

 もはや幼児退行しているようにしか見えない。

 これが、ギャップ萌えというやつか……。


「わ、わかったよ。でもそうなると走り抜けるしかないよ? できる?」

「うん……できる……」


 素直に服を脱ぎ出すカリナ。

 私の幼馴染が可愛すぎる件。

 なんてアホなことを考えつつも、フミカも下着姿となった。

 

 後はスタミナを管理しながらダッシュするだけ。

 カリナには目を瞑ってもらおう。


「じゃあ私について来てね。違う方にいっちゃダメだよ」

「うん……」


 親と約束を交わす子どもみたい。

 かわいっ、と心の声を漏らした瞬間。

 身体に何かが巻き付いた。


「いやぎひうおぎゃ!?」

「なっ、何!?」


 何かに二人纏めて絡み取られた。

 カリナの控えめだが、確かな主張をする胸がフミカの背中に当たる。

 

 白い糸だと気付いたフミカは、頭上を見上げた。

 巨大なクモと大きな巣。

 そして、捕まっているハチが見えた。


「クモがいたんだ……!」


 周囲にばかり気を取られて、頭上への注意が散漫になっていた。

 敵がいないエリアは、怪しいというのに。


「に、逃げ、逃げ逃げ逃げ!」

「拘束が解けない……!」


 カリナがパニックを起こしているせいで、巻き付いている糸が外れない。

 そうこうしている合間にも、クモがゆっくりと降りてくる。

 

 両腕は塞がっているが、足は自由だ。

 移動自体は可能。

 となれば一か八かだ。


「このまま走り抜けるよ!」

「え、ひいっ!」


 桟橋へ走り出したフミカに、カリナが歩調を合わせてくれる。

 ぴったりと密着しているため、体温や息遣い、鼓動まで感じる。

 スレンダーなおっぱいの感触も、意識してしまう。

 

 小さい頃、一緒にお風呂まで入った仲だ。

 幼馴染に、変な気を抱くはずもないと思っていたが――。 


「なんかいろいろとまずいかも!」

「な、何が!? 何がまずいの!?」


 カリナは一心不乱について来ている。

 桟橋は越えたが、問題はこの先だ。

 来訪者に気付いたミミズが、一斉に頭部を向ける。

 

 事前に約束を交わしてはいる。

 が、ダメージを受けてしまえば、さしものカリナも発狂してしまうに違いない。


「だ、ダメ、フミカ……。み、ミミズ、ミミズにだけはやられたくない……」


 しおらしいカリナの願いを、どうにか叶えたい。

 しかし、独力で、かつ糸に拘束された状態では……!

 

 ミミズの群れが迫り来る。

 万事休すか、と思った瞬間。

 風切り音と共に、その巨大な頭部に矢が刺さった。


「ナギサさん!」


 歓喜と共に、狙撃手の名を呼んだ。



 ※※※



「頭に命中しましたわ。流石ですわね」


 双眼鏡を覗くヨアケの賛辞に、長弓を構えるナギサは応じない。

 当然だと考えている。

 だから、当たり前のようにヨアケも指示を出した。


「Eです」

「了解」


 双眼鏡を通して、矢が再びミミズに命中する瞬間を目撃する。

 意図を汲み取ったフミカたちが、群れの中を駆け出した。


「BとC」


 あらかじめ割り振っていた個体コードに合わせて、ナギサがミミズを射抜く。


「Aですわ」


 行く手を遮ろうとしたミミズが、血を吹き出しながら倒れた。


「念のため、Fも」


 ひゅん、と矢が空を切る。

 結果は、確認するまでもなかった。



 ※※※



「つ、疲れた……」


 フミカは、カリナといっしょに地面にへたり込んだ。

 肉体的な疲労はしないはずなのに、精神的にどっと疲れた。

 鎧を装備する気力が湧かないので、下着姿のままだ。


「楽しかった?」

「ミリル! 今までどこにいたの!」

「巻き込まれないよう、遠くから見てたよ」

「手伝ってくれても良かったのに」


 にやにやと笑うミリルに言い返していると、ヨアケたちが合流した。


「二人とも、ご無事でしたか」

「どうにか、ですけど。援護、ありがとうございます!」

「気にするな。仲間だろう。ところで……」


 ナギサがフミカとカリナを順に見る。


「どうして二人は下着なんだ?」

「あ、こ、これはですね……」


 スルーマラソンのことを、二人にまだ説明していなかった。

 慌てて釈明しようとするフミカに、ヨアケが全てを悟ったかのように微笑む。


「それを聞くのは野暮、というものですわ。ね?」

「そういうわけでは――わっ!」


 メンタルが回復したのか、急にカリナが抱き着いてくる。


「フミカぁ、怖かったよぉ……」

「あ、あはは、いやこれはその」

「ほら、ね?」

「だから違いますってぇ!」


 赤面するフミカの声が、泥色の水面を震わせた。

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