第31話 新たな一歩を踏み出すために

杏奈とのことも自分の中で決着をつけ、俺は一人空を見上げ歩いていた。

安心と達成感はあるがめちゃくちゃ嬉しいわけでもない。

そんな複雑な心境だった。


(終わった……んだよな)


杏奈にフラれ嘲笑の渦に飲まれたのはまだ数ヶ月前のこと。

でも濃密な日々を過ごしたおかげなのかもう数年前のような気もする。

それがあっさりと終わったことでまだあまり実感が湧かないのだ。


(俺も……俺を取り巻く環境もずいぶんと変わったよな)


今までは友達もロクにいないバイトが青春の全てのような高校生活を送っていたが今は違う。

髪も切った、みんなとも少しは話せるようになった、勉強も今までで一番頑張れた。

数ヶ月前の自分に今の俺の姿を見せても多分信じられないだろう。


もう見慣れたマンションが目に入る。

初めて来たときは大きすぎてビビりまくってたっけ。


俺は1階のエントランスのオートロックを朱里さんからもらった合鍵で開けて中に入る。

本当はそんなの受け取れないって言ったのに朱里さんの押しに勝てなくて結局預かってしまったのだ。

大体、こういう口での勝負は俺に勝ち筋などあるはずもないが流石に抵抗しないといけないと思ってる。

まあ予想通り勝てた試しなどないのだが。

普段は朱里さんと一緒に来ているので使うことはほとんどないがいざ住人でもないのに鍵を開けると少しドキドキしてしまう。


エレベーターに乗り上の階へ。

いつも通りにエレベーターを降り慣れた足取りである部屋の前に止まる。

鍵を持っているのだから止まる必要なんてない。

でも俺はあえてインターホンを押した。


はーい、という声が小さく聞こえそのまま待つ。

十数秒後、扉がガチャリと開き黒い髪を揺らした少女が抱きついてきた。


。翔吾くん」


当然ここは俺の家ではない。

でもおかえりなさいと言われて心が暖かくなる。

今までの一人暮らしでは絶対に感じることはできなかった温かい思い。


「うん、。朱里さん」


俺がそう返すと朱里さんはにへらと笑って俺の背に手を回しさっきよりも強い力で抱きつく。

朱里さんは華奢なので苦しいということはないけどやっぱり少し照れる。


「いきなり扉を開けて抱きついちゃだめでしょ?俺じゃなかったらどうするのさ」


そんな咄嗟に出た照れ隠しも含めた話題そらしに朱里さんはニコリと笑う。

全部見透かされているようで少々気恥ずかしい。


「えへへ、心配してくれてありがとう。でもちゃんとインターホンで翔吾くんだって確認したもん。私はそんなみんなに抱きつくような軽い女じゃないんだから」


「……!あっそう……」


「ふふ……照れてるでしょ」


「……照れてないし」


ホントかなぁと朱里さんは笑う。

俺の反応に満足したのか朱里さんはそっと背に回していた手をほどいた。


「その顔、上手くいったんだね」


「まあね。一応自分の中では決着はつけられたよ。恨みなんてないしすっきりしてる……と思う」


「ふふ、なにそれ。自分のことなんだからシャキッとしなくちゃ」


「まだあまり実感が湧かないんだよ。いきなりどうって言われてもわからないとしか言いようがない……」


俺がそう言うと朱里さんは苦笑いした。


「ごめんごめん。ちょっと意地悪だったよね」


「あとで仕返しはさせてもらうので」


「え〜……翔吾くんは仕返しのときはイジワルなんだもん……」


まあ朱里さんの赤面する姿が見たくてやってるところはあるしな。

朱里さんには悪いけどそんな姿を拝んだらその日一日はめちゃくちゃ頑張れる。


「まあいっか。とりあえず中入ろ?お茶用意してあるよ」


「それはありがたいな。なんかお菓子でも買ってきたほうがよかった?」


「それは嬉しいけど……やっぱり翔吾くんが早く帰ってきてくれるほうが嬉しいから別にいいの」


「お、おう……そっか」


ソファーに腰をかけて待っていると朱里さんが2つのマグカップを持ってきて俺の隣に座った。

カップの一つをお礼を言って受け取った。

一口すすると良い茶葉の香りが鼻を突き抜けほっとようやく一息つけた気がした。


俺達の間にしばらくの沈黙が流れる。

しかしそこに気まずさはなくあるのは心地よい静けさだった。

お茶の効果も相まってかとても落ち着いた時間だと感じている。

朱里さんの表情を見るにおそらく同じ気持ちを抱いているのだろう。


お茶を半分くらい飲んだ時、俺はカップをソファーの前に置いてあった机の上に置く。

俺はこれから……この沈黙を破る。

一歩先へと進むために。


「朱里さん。話があるんだ」

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