彼女は四月の嘘をついた

肥前ロンズ

嘘の願いは叶わない

「ね、タバコ美味しい?」


 あいつは、ほとんど見知らぬ俺に、そう声を掛けてきた。

 俺はカリッと、口の中に含んでいたシガレットチョコを飲み込む。


「これ、チョコ」

「ありゃ」


 チョコだったんだ、と、あいつは笑った。

 それが俺とあいつ――西園寺サイオンジ星奈セイナとの出会いだった。





 その頃は、「学級崩壊」って言葉が出回り始めた頃で、俺の学校も荒れに荒れていた。

 一方、セイナは偏差値の高いお嬢様学校の学生で、そんなのとは無縁の空気をまとっていた。


「ツキシロくんはさ、不良なの?」


 恐れを知らなさすぎるお嬢様に、俺は頭を抱える。恐れがあるなら、初対面の不良男子高生に声を掛けないだろうが。

 ちなみに俺が今の学校に入ったのは、志望校一本に絞ったところ、受験日に運悪く高熱になってしまい、受かったのがそこだけだったからだ。真面目なカッコウしてると狙われそうだったので、髪を派手に染めてシガレットチョコをくわえ始めただけだ。

 そう説明すると、「にゃるほど~」と、あっけらかんとセイナは笑った。


「そこでタバコ吸わないとこが、真面目だね~」

「いや、体質的にキツいんだよあれ」


 珈琲の匂いでもかいでおきたい。

 けど、喫茶店っていうのは、その名の通り「喫煙」と「お茶」を楽しむところなので、俺が入れる店はなかった。つーか、学校もお店も家もどこもかしこもタバコのニオイだ。この社会に俺の居場所ゼロ。頭痛いし咳は出るし泣きたい。なのにだーれも俺の気持ちわかってくんない。構わずバカスカ吸ってくる。


「店で優雅に珈琲でも飲みたいなー」


 なんて俺が言うと、セイナは「作れば?」と笑った。

 簡単に言うな、と俺が言うと、「私将来有望だから」と言って、


「バリバリ稼いで、君のお店に投資しよう」


 なんて笑う。


「そりゃ、夢のある話だ」


 俺は軽く流していた。

 ……それがあいつにとっての最大の嘘であることに、俺は気づかなかった。






「え、その大学を目指すんだ!?」


 俺の言葉に、セイナは目を丸くした。


「なんだよ、そんなに意外かよ」

「いや、意外っていうか……頭がいいのは知ってたけど」


 すごいよ、とセイナが屈託ない笑みを浮かべる。


「経済学部かー。随分、思い切った進路変換だね。確か君の学校、工業学校だよね?」

「ああ、この三年間学んだことが無駄になっちまうけど」


 俺がそう言うと、そんなことないよ、とセイナは笑った。


「学んだことが、無駄になるなんてことないよ。絶対」

「……そっか」


 セイナはどうなんだ、と尋ねると、あいつは少し顔を暗くした。 


「……私ね、結婚することになってるの」


 ……心臓を掴まれたような衝撃を受けた。


「女は家庭に入るべきだ、って。結婚するまで、お茶くみとして雇ってあげるから、ってさ。

 いつの時代の話かって思うけど、……この時代に、女の働き口はないって言われたら、何も言い返せなかった」


 本当に就職出来そうにないんだもん、と、セイナは泣き笑いを浮かべた。


「タバコをね、吸ってみたかったの。そのために君に声をかけた。

 そうしたら、今まで持ってたもの全部に見限られて、……自分一人で生きる覚悟が、決まるかな、なんて」


 バカだよね、とセイナは笑った。


「ごめんね、君に嘘ついちゃった。

 会うのはこれっきりになっちゃうけど、……元気でね」


 バイバイ、と、小綺麗な制服を着て、セイナは手を振った。

 俺はその手を掴む。

 四月一日のことだった。


 


■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪


「TOEIC600点取れた!」


 どや、とミヅキがピースサインを決めて笑う。

 カレンダーは四月一日。その三週間後には、ミヅキが書いた文字で「TOEIC」と書いてある。


「どうせエイプリルフールにつくんだったら、叶って欲しい嘘をつきたいなって!」


 なるほど、と俺は苦笑いする。


「ミヅキ。エイプリルフールについた嘘って言うのは、実現しないらしいぞ」

「え!!?」


 嘘!? と、ミヅキが顔を青くする。

 隣では、タイヨウくんがスマホを操作して、「本当ですね」と追い打ちをかける。


 ……いよいよ、ミヅキも高校三年生だ。娘に、大学に行くという選択肢を残せて良かったと思う。

 俺は進学を諦め、なんとか就職してセイナをかっさらった。セイナは家を捨て、裕福な生活を捨てた。

 大変だってもんじゃない。けど、幸運なことに、俺は店を持つことが出来た。可愛い一人娘を持つことが出来た。

 世の中、タダで幸運が転がり込むことがあれば、何かを引き換えにしなければならないこともある。

 ミヅキの進学は、あいつの命と引き換えだった。あいつの親が掛けた多額の生命保険が、駆け落ちした後縁を切っていたサイオンジ家に頭を下げたことが、ミヅキの進学の道を残した。


『バリバリ稼いで、君のお店に投資しよう』

『会うのはこれっきりになっちゃうけど』



『大丈夫、私は死なないよ! こんな病気じゃ!

 ……だから、ミヅキにも、お父さんたちにも言わないで』


 四月になると、俺はあいつの嘘を思い出す。

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彼女は四月の嘘をついた 肥前ロンズ @misora2222

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