2.敗残兵の襲来

 戦える男は皆戦場に赴き不在。ハジー村には戦う術を失った老人か、戦う術を知らない女しか居なかった。


 一方、戦に敗れ自国に逃れようと一縷の望みに掛けてハジー村にやって来た敗残兵は度胸試しの崖を見て、絶望した。


「こんな崖を下ろうとするのは狂人しかいない」


 そう言い捨てた後、退路を断たれた敗残兵は自暴自棄になった。


 そこから地獄が始まった。

 

 オーブリル家は敗残兵二人に急襲された。


 食糧に手当たり次第手を出し、獣の様に空腹を満たした男達は三人の事を狂気と殺意と欲情を孕んだ目で見て、手を伸ばした。


 カッシアは娘達を庇った。そしてその最愛二人の目前で女としての尊厳を殺され、人としての尊厳を殺され、そのまま命を奪われた。


 家に土足で踏み込んで来た男達は悪魔であると同時にケダモノだった。


 気の弱いサニアはその光景を目の前にして、レオーナを抱きしめながら幸か不幸か気を失った。一方レオーナは奥歯がガタガタ音を立てて震え、視界が涙でぼやけ続けたが、気を失うことは出来なかった。


 そして、動かなくなったカッシアを寝室の扉の向こうに置き去りにした男二人は次いでサニアを狙った。


 光を失った禍々しい目がサニアに狙いを定めた瞬間、恐怖で固まっていたレオーナの体は金縛りが解けたかのように自由を取り戻す。


 最愛の母に守られた直後、レオーナの本能は母に倣った。壁に貼り付くように蹲っていたサニアの腕から抜け出し、いつの間にか床に転がり落ちていた包丁を手に取り構えた。


「姉さんに近寄るな!!」


 サニアの前に立ちはだかったレオーナの手は震えていた。しかし、今度の震えは恐怖よりも怒りの方が勝っていた。


 カッシアを殺された怒りがレオーナから理性を奪い、九歳の女児ではあり得ない程の気力と胆力で敵に対峙させていた。


 夢物語だったなら、レオーナは奇跡を起こせたかもしれない。しかし、現実は途方も無く残酷だった。


 構えた包丁の切先は振りかぶるとほぼ同時に弾かれ、くるくると回った後に床に刺さった。レオーナの腹には敵の軍靴のつま先がめり込み、気を失っていたサニアを避けることすら出来ずにその上に倒れ込んだ。


 レオーナは呻き声を上げることすら出来ず、呼吸の方法を見失う。どうにかこうにか空気を吸い込みむせ返ると、今度は上体を力任せに持ち上げられる。一つに括られた後頭部の髪を鷲掴みにされたのだ。


 何故、何の罪もない私達がこんな目に合わなくちゃならないんだ。


 そう思った瞬間だった。


「何故、お前らみたいな血も涙もない国の悪魔がはびこり生き、我が国が、友が、っあの人達が害されなければならないのだっ」


 自分の思いとほぼ同じ気持ちが何故か自分を殺そうとする男の口から発せられた。


 悪魔はお前達のことだろう。


 そう思ったが蹴られた腹が痛くて声が出せない。だから、心の底からの憎しみを込めて睨み上げた。


 するとまた思わぬ事を言われる。


「俺の姉さんも今のお前と同じ目をしてデューア兵を睨んでいたよ。捕虜として拘束された後に目の前で旦那を殺されたんだ。……そしてその後に俺が見ている前で、お前の母親と同じように殺された」


「嘘だ!」


 今度は声が出た。相変わらず腹は痛むが、黙ってなどいられなかった。


「デューアの誇り高い強者がお前達みたいな酷いことをするはずがない!! そもそも女が戦地に居るはずないだろう! この嘘つきめ!!」


 戦争に赴いた父も兄達も他の村の男達もみんなが善良で心優しい強者だった。そう信じていた。加えて女が戦地に赴くことはデューアでは後方支援であろうと絶対にあり得ないことだった。しかし、目の前の男は嘘を認めるどころか怒気をより一層強めた。


「誇り高い強者? その誇り高い強者とやらは負けを認め投降していた無抵抗の人間を“弱者”と罵り、家畜や虫けら以下の扱いをした後に無慈悲に命を奪った。しかも、女兵士である姉さんを異常者扱いして殊更いたぶって、慰み者にして、女としても人として生き物としても最低最悪の扱いをした。笑いながらっ、楽しそうに!! ……お前が憧れている大人はな、本物の悪魔だよ」


 そんなはずがない。そう口にする前に男が投げるようにレオーナを床に叩きつけた。そして仰向けに転がり無防備だった腹部をまた踏みつけた。


 また痛みで声を出すどころか呼吸もままならなくなる。衝撃と苦痛で何事かずっと罵り続ける男の声が聞き取れない。ただ、狂気と同時にかつて感じたことのない怒りを叩きつけられているのだけは全身で感じ取ることができた。


 弱者が強者に蔑まれるのは当たり前。何故なら今世に生まれてきた人間は前世の罪を背負っているからだ。その罰は弱さとして体現される。強者であることは前世で徳を積んだ証拠、弱者であることは前世で悪事を働いた証拠。それが強者主義の基本概念なのだ。魂の不浄を清めるのは人として生まれた者の使命であり、その使命を全うして初めて今世で強者となり生きていけるのだ。


 それがレオーナが受け入れてきた考え方だった。だから悪者である目の前の男やその姉や義兄が報いを受けたのは前世の行いのせい――――そう思った時だった。


 ドアの向こうのカッシアの亡骸がレオーナの目に入った。


 誰よりも優しく、清く、正しく、そして強い心を持った自慢の母。その母が前世の行いのせいでここまで残酷な代償を払わなければならないのか。


 どうしてまったく記憶にない前世の犯した罪への罰をカッシアが、サニアが、そして自分が今受けなくてはならないのか。生まれてから一度だって人に顔向けできなくなるような悪いことなどしていない。善良な自分たちが何故、こんな酷い目に遭わなくてはならないのか。


 それじゃ、私たちが可哀想過ぎるじゃないか――――。


「おい、そろそろそこどけ。一度でいいから気を失ってる女を好き勝手してみたかったんだよ」


 朦朧としていた意識が存在感のなかったもう一人の男の声で覚醒する。サニアが狙われている。カッシアと同じ目に遭わされる。


 声をかけられてそちらに気を取られたのか、腹部への攻撃が止まった。瞬間、火事場の馬鹿力が出た。レオーナは痛みを堪えて床を転がり、先ほど取りこぼした包丁を再び手に取ることに成功した。それを手に取った勢いそのままサニアに近づこうとした男の脚を思いっきり斬りつけた。


 野太い悲鳴が上がった。すぐに報復されるであろうことは考えずとも明らかだった。だからレオーナは自分の腹を踏みつけ続けた男に、床に転がったまま視線と包丁の切っ先を向けた。


 男の言っていたことの真意を確かめることは出来ない。信じたくないし信じない。この男が憎い。信じる価値などない。けれども、もし、この男の言っていることが本当なら――――少しでも傷つけばいい。


「わたし 達に とっての  悪 魔は、お前 達   だ」


 声がまともに出なかった。もう対抗する力は残っていない。殺されることを覚悟した。


 その瞬間、何故か見上げていた悪魔がこの世の苦しみと悲しみを集約したように悲痛に顔を歪ませた。


 何故、そんな顔をする。


 それじゃあ、まるで、さっき聞いた話が本当みたいじゃないか。


 頭の後ろの方でそう思考しているレオーナの視界で二人の男が同時に腰の剣を抜き、それを自分に向かって振り下ろす姿がとてもゆっくり見えた。


 ああ、死ぬんだ。


 そう悟った。来たる衝撃に備えて目を閉じようとしたとき、不思議なことが起こった。


 何故か二人の男が同時に剣を取りこぼしたのだ。


 次いでレオーナが目にしたのは男達の血しぶきと、その背後に立つ二つの人影だった。


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