第一章 護衛になりたい田舎娘

第一話 5.門前の気狂い娘

 晴天の空。潮香る風。少しずつ暖かい日と寒い日の割合が逆転し、今は春だと人々が自信を持って宣言出来るようになった。そんな、草木に花咲く彩り豊かな季節。デューア帝国が帝都リッカーリアの皇城は背面に潮騒響く断崖絶壁、前面に城裾のように広がる広大な城下町を見下ろす。


 城を取り囲む城壁には大門が三基。東門、西門があり、中央門が主要門であった。


 中央門からは帝都を東西に分断する街道が伸び、左右に多種多様な店が並ぶ。日が昇ってから日付が変わる頃まで賑わい続けるその街道を「今日もリッカーリアは平和だ」と眺めるのが、中央門守衛の楽しみであった。にもかかわらず、ここ四か月程中央門の守衛達にそんな安穏とした気分は湧いて出てきていない。何故なら。


「どうか皇太子殿下に会わせて下さい! 私に護衛をやらせてください!」


 ぴたりと閉じられた見上げる程高い門の正面中央。石畳の上に跪く一人の娘。その見飽きた姿と耳だこになった台詞。守衛の誰もがいい加減対応するのに飽き飽きしていた。


 しかし放置しておけば、まだ街では朝食を食べている者が多い今現在から、日が暮れるまでその場で同じ台詞を繰り返すのは実証済み。よって、無視するわけにもいかない。


 門前に立っていた三人の守衛が目配せし合い、最終的に一番勤続年数が短いトムが面倒くさいという表情を隠さずに娘に歩み寄った。


「レオーナ、いい加減に諦めろ。何度来ても結果は変わらないってもうわかっただろう?」


「おはようございます! わかりません! 人生いつ何が起こるかわからないって言うじゃないですか。皇城のどなたかが私に興味を持って、皇太子殿下にお目通りできる機会がもしかしたら今日訪れるかもしれません」


 姿勢良く発せられるハキハキとした返事の内容も耳だこだ。そんな日は一生訪れないと声を張り上げても無駄な事も実証済み。


 守衛といえど軍人の端くれ。力づくで追っ払う事も出来なくは無い。ただ、往来の視線が多いこの場で、敵意のかけらも無い若い娘相手に強硬手段に出るのは少々外聞が悪い。だから面倒でも頭がイカれた相手を説得するしかない。


「レオーナ、皇太子殿下の護衛になるということは近衛隊に所属するって事だ。近衛隊に所属するってことは国軍の中でも精鋭で無けりゃならない。でもって、精鋭以前に国軍に入隊出来るのは――――」


「男だけって言うんでしょ? それはもう聞き飽きました」


 ぷくりと頬を膨らまされて、トムの頭に血が上る。


「聞き飽きたのはこっちの方だよ! いい加減諦めろ!! 女が軍人になれるわけないだろ。馬鹿なこと言ってないでさっさと田舎に帰って嫁の貰い手でも探せ」


 毎日のように余計な手間を掛けさせられていたトムの堪忍袋の尾がとうとう切れる。普通の女ならば少し声を荒げただけで身を竦ませて言うことを聞く。ただ、レオーナに普通は当てはまらない。不愉快そうに眉を寄せるだけだ。


「私は男しか入隊できないという規則がある軍に入りたいなんて言ってません。皇太子殿下の護衛になりたいと言ってるんです。皇太子殿下は身分に関係なく適材適所に自らの裁量で配下を置くと有名なお方。現に、近衛兵はこれまでの歴史上平民が選出された事例は数件しかないにもかかわらず、皇太子殿下の近衛隊長は平民出身。しかも直接任命されたと聞きます。私も同じ様に皇太子殿下から直々に召し抱えられる予定なので問題ないです」


「女のお前と男の近衛隊長が同じ扱いを受けるわけないだろう!! 頭の中に虫でも湧いてんじゃねーか!?」


「虫が湧いたことはないです」


「っ! ああ、もういいっ! 病院行けっ。頭おかしいんだから、入院してもう出てくるな!」


「短気だなぁ。それに酷い暴言だ。私は気が狂っているんじゃなくて、常識的じゃないだけなのに」


「非常識な自覚があるならもう来るな!」


「非常識でも非現実的ではないので。それにデューアの常識なんてこの世界の一部でしか通用しないでしょ?」


「貴様っ! 帝国の権威を軽視するつもりか!?」


「やだなぁ。そんなこと言ってないですよ」


 ああ言えばこう言って飄々としているレオーナにトムは益々熱くなる。掴みかかるか腰の剣を抜刀するか。そんな剣呑な空気を感じ取ったのは上官の守衛だった。


「レオーナ」


 離れられない持ち場から張り上げられた呼びかけに反応して視線を移したレオーナに、その上官はピシャリと言い放った。


「護衛は強者じゃなければなれん。そこまで言うなら実力を今ここで見せてみろ、とこの前も俺は言ったはずだが」


 それはここ最近やっと見つけ出したレオーナ撃退のための台詞だった。上官の予想通り、以前同様レオーナは困ったように肩を竦めた。


「見せてあげたい気持ちはあるけれど、そう簡単に手の内は明かせられないって前にも言ったじゃないですか」


「それではお前は強者であることを証明出来ない。我々は上に報告する価値を見出せない。よって護衛になるなど不可能だ」


 レオーナが口を尖らせる。


「皇太子殿下の前でなら幾らでも手の内明かすんだけどな」


「明かせぬ手の内を持った人間が皇族に拝謁できる訳ないだろう」


 トムと違い感情的にならずに淡々と突きつけられる正論。レオーナの勢いも弱まる。


「それは、まぁ、そうかもだけど。でも、一度でいいから、ハジー村から来た金髪で十九歳の女が護衛になりたがってるって皇太子殿下に伝えてくれません?」


 まるで、自分のことを伝えれば会えると思っているかのような発言。これが守衛がレオーナを気狂いだと判断する理由の大きな一角だった。


「何度も言わせるな。ど田舎の平民相手に皇太子殿下が自らの時間を割くようなことは絶対に有り得ん。そして、そんな当たり前の判断を求めるような愚を犯す臣下もいない。当然我々守衛もすべき判断を間違うことはない」


 さっさと消えろ、そう冷たく言い放った上官。それに同意するようにトムは深く頷いて未だに跪いているレオーナの腕を取って無理矢理立たせた。


「そういうことだ。もう来るな」


 レオーナは僅かに抵抗を見せたが立ち上がり、トムと上官を見つめた後、性懲りも無く声を張り上げた。


「皇太子殿下、私は諦めません! どうしたら会って頂けるか考えて、また明日来ます!!」


「っ、コラッ」


 トムが非難の声を上げた瞬間、レオーナはするりとその手から腕を抜き、身軽に駆け出した。


「おいっ」


「お勤めご苦労様です! また明日!」


 友人に別れを告げるかのような気軽な様子で雑踏に消えて行ったレオーナ。その姿が見えなくなるとトムは大きな溜息を吐いて上官を振り向いた。


「……また来るらしいですよ」


「面倒極まりないな、まったく」


 吐き捨てるように言った上官にトムは大袈裟なくらい同意する。


「俺なんて守衛に配属になってからアイツの面倒ばっかりで……。俺達が手を上げないのをいいことに、調子にのっているとしか思えないです」


 デューアの貴族男性は女性は弱い生き物だから紳士に接せよ、という教えを基本的に守る。良き妻を得るための処世術から生まれた教訓だ。


 トムも他の守衛も皆貴族。他者の目が多い門前で女のレオーナを力ずくでどうこうするのは紳士として自慢できる行為ではない。だから今まで諭すだけで済ませていた。けれども、幾ら諭しても、多少威嚇してもレオーナはへこたれない。寒い時期から四ヶ月間、毎日中央門にやって来る。守衛の誰もが少なからず男としての自尊心を傷つけられていた。貴族男性が紳士にするのは女が従順だからだ。


「それに、ここのところ最初はレオーナを変人扱いしていた城下の平民達が見上げた根性だってアイツを囃し立てたり、声援まで送ったりしているじゃないですか。俺なんてこの前、アイツに同情した何人かに囲まれて、そろそろ上に話だけでも通してやったらどうだって嘆願されたんですよ」


 トムがメソメソと愚痴を溢すと、上官は腕を組んで考える姿勢になる。面倒なだけならまだ良いが、平民が守衛を、ひいては皇城を非難するような事態が起きれば今後の出世に影響する。それだけは許し難いことだった。


「仕方がない。我々守衛が受けた迷惑料だと思って、あの小娘には少々痛いお勉強をしてもらおう」


 先程までうるさかったトムが「えっ?」と目を丸くする。その双眸に普段と何ら変わりない上官の表情が映る。


「貴族たる我々は紳士が求められる。しかし、平民の世界の常識は違う。少しばかり愚かな弱者達に施せば、奴らはこちらの思うままに働いてくれる」


 帝国デューアは他国に強者主義帝国として恐れられている。力こそ全て。強者が上に立ち、弱者は強者に尽くし心身を鍛えるべし。


 建国以前から引き継がれたその主義に従って、上官は淡々と然るべき手順を頭の中に描き始めた。


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