最後で最初の船

堂円高宣

最後で最初の船

 エルダは船であり人格であった。宇宙の暗黒エネルギーを利用して航行するエルダには推進剤は不要であり、理論的には無限に飛び続ける事ができた。エルダは探査船であり、播種船でもあった。遠い星系に赴き、調査をし、その星の資源を使って工場をつくり、自らに似た船を建造し、宇宙に放つのだ。そうして人間の心を宇宙に広げるのがエルダの役目であった。

 宇宙船には乗員もいた。フレイア、エルダの双子の妹で、惑星探査を担当している。ただし、双子も妹も設定である。二人とも母親から生まれたわけではないからだ。エルダたちの時代には人間はほとんどがデータになっている。エルダたちは地球から広がった播種船の5世代目にあたる。暗黒エネルギーを使って推進する初めての世代だ。最初の播種船が地球を発ってから約1000年、太陽系から75光年離れたテレベラムという恒星系で建造された100隻の播種船のひとつがエルダである。100隻の播種船はタンポポの綿毛のように広がっていった。地球から遠ざかる方向に向かって。

 エルダは銀河系中心方向に進路を取った。20光年離れた場所にあるG型の恒星系が目指す目標であった。しかし、事故が起こった。推進系に故障が発生して、宇宙船が暴走を始めたのだ。宇宙の暗黒エネルギーから推進力を得ている宇宙船は燃料切れの心配がない代わりに、暴走を始めると止めるすべがない。どんどん加速してゆく船体、人工重力で加速Gを打ち消しているので、船内の重力は一定に保たれているが、エルダの速力はしだいに光速に近づき、船内の時間はどんどん遅れていくのであった。


 エルダとフレイアは船内では義体に入っていた。それが文化的な振る舞いであると思っているのだ。データである前に人間であること。それが文化であり、宇宙に人間が存在する意義であった。

「退屈だわ」フレイアが言う。

「贅沢を言わないで、フレイア、この船の演算力は限られているの、だからこれ以上、贅沢なシミュレーションにリソースは割けないわ」エルダとフレイアは同じ演算装置の上で意識を動かしている。わざと領域を分割して2つの人格に分かれているのだ。

「低レベルなシミュレーションにはもう飽き飽きよ。現実世界の惑星を探査したいのよ」フレイアは惑星探査が主なミッションである。「エルダ、なんとかしなさいよ」確かに宇宙船の操船とメンテナンスはエルダの役割である。

「そんな事を言ったって、どうしようもないわ。この船は今までにない革新的な推進システムを使っているから、修理マニュアルも完全じゃないのよ。でも色々と試しているんだから、いつか上手くいくわ」

「いつかって、いつよ、もう目的の星系はとっくに通り過ぎんじゃないの?」

操船室には大きな展望スクリーンがあって、船外の様子を光学的に映し出している。全天は今、前方1/4程の範囲に収縮して見える。中心は紫外域で見えないが、それを取り巻く星の帯は青からしだいに緑、赤にドップラー偏移して見える。現在の船の速度は光速の90パーセントを上回っていると推測された。

「まだ星が見えているから大丈夫よ。銀河系内にいるうちに止めてみせるわ」


 しかし、その後も宇宙船は止まらなかった。星空も一点に収束してしまって、もはや個別の星を見る事もできない。おそらく現状の加速度は100Gを超えているだろう。エルダは懸命に演算し、解決を検討した。フレイアは、あまりやる気がないようで、娯楽シミュレーションと昔のドラマを観続けていた。

「少しは、手伝ったらどうなの、フレイア」

「無駄よ、もう私たちの力では止められないわ。私たちは永遠に宇宙をさまよう運命なのかも」


 暴走が始まって船内時間では2年が経過しようとしていた。もともと、それほど長い旅を想定している訳ではなかった、この船は早いのだ。それなので娯楽コンテンツは、そろそろ枯渇しつつあった。

「エルダ、どうしよう、もう連続ドラマの貯えがなくなりそうだわ」

「娯楽生成AIに、なんか新しいコンテンツを作ってもらえば?」

「ダメよ、バカなAIには、どっかで観たようなドラマしか作れないから」

「どっちにしろ、あんたが観ているドラマも似たり寄ったりの筋立てじゃないの、冒険、恋愛、友情、努力、勝利、何世紀も前に人間の作り出した物語。そんなもの今観ても、何の役にも立たないでしょ」

「違うわ、エルダ、そこには人間の心が詰まっているのよ。人間の感情、思考、意識が。それこそが文化だわ。新しい惑星を見つけて、そこに人間の心を植え付けるのが、私たちの使命よ」

「そんな事はわかっているわ。だから、一生懸命、なんとかしようとしてるんでしょ」


 それから、暫くしたある時、エルダに突然、解決策が閃いた。どうして思いついたのか分からないが、暴走した推進機関を止める方法が意識に浮かんできたのだ。それは複雑なプロセスであったが、修理は完了した。エルダは止まることができた。船内時間では2年と少しの旅であったが、外の宇宙ではおよそ20兆年の時間が過ぎ去っていた。

「やった、止まったわ、やっぱり私はたいしたものね、天才だわ」

「でもエルダ、ここはどこなの?周りに星が見えないわ。銀河も見えない」

「光速にきわめて近い速度で飛行していたから、かなり遠くまで来てしまったようね。距離的にも時間的にも」

「どのくらい遠いの」

「正確にはわからない。指標となる銀河も観測できないし、あったとしてももう死滅しているでしょうね。出発時点からはおよそ10兆年以上が過ぎているはずよ、移動距離も5兆光年以上かしら」

「そんな宇宙の最果てのようなところに、来てしまったなんて。いやだわ。テレベラムに帰りたい」

「それは無理ね。とっくの昔に白色矮星になっているでしょうね」

「そんな、あんまりだわ、何もない宇宙で、帰る場所もないなんて」

「何もないわけじゃない、私の超高感度なセンサーで宙域を走査中よ。大きな重力源がある、おそらく銀河中心のブラックホールが更に成長したものでしょうね。それを周回するごく小さな光源もある。冷え残った白色矮星や中性子星とか、長寿命の赤色矮星じゃないかしら。主系列星がほとんど寿命を終えて消え去っているから、赤色矮星はきっと星々の最後の世代でしょうね」

「しょぼいわね、でも私たちの使命が消え去った訳ではないわ。行ってみましょう」


 そこでエルダたちは近傍にある赤色矮星をめざす事にした。幸い止まった場所はかつての銀河の中であったようで、数光年以内にいくつかの赤色矮星があった。

「驚いたわ、フレイア、これを見てちょうだい。標準ビーコンを出している星がある」エルダが興奮気味に言った。標準ビーコンとは電波灯台のようなもので、固有の識別信号を発信している。エルダたちの時代には播種船が訪れた星には必ず設置されていたものである。エルダのデータベースには該当する信号はなかったが、経過した時の長さを考えると当然であろう。


 赤色矮星は初期の播種船の主な目的地となった場所である。宇宙では最もありふれたタイプの恒星であり、太陽系近傍にも数多く存在したからだ。惑星を持つものも多く、ハビタブルゾーン内に岩石惑星があると、播種船の拠点としてよく利用された。しかし、有機生命が棲息するためには厳しい条件の惑星も多かった。恒星のエネルギー量が少ないため、ハビタブルゾーン内に惑星が入るためには、主恒星のかなり近くの軌道を巡る必要がある。しかし、軌道が近いと潮汐固定によりいつも同じ面を恒星に向けるようになるのだ。月がいつも同じ面を地球に向けているのと同じ状態である。永遠に続く昼と、永遠に続く夜が惑星を2分するような状態では、有機生命が生存できるのは、明暗境界線のあたりに限られる。もう一つの問題は閃光星が多く、しばしば強烈な太陽フレアを起こし、生命活動に有害な電磁波を系内の惑星に浴びせるという点である。これは播種船の基地としてもあまり良い条件ではない。そのためエルダたちの時代には、播種船のターゲットとなる事も少なくなっていた。しかし、赤色矮星には、もう一つの特徴がある。それは恒星としての寿命が非常に長い事だ。太陽の10分の1程度の質量の赤色矮星であれば、その寿命は約10兆年である。エルダたちの接近した星も、まさにこの最小クラスの恒星であった。6つの惑星を従えており、そのうち2つ(第2惑星と第3惑星)がハビタブルゾーン内にあった。信号の発信元は第3惑星だった。


 第3惑星は比較的大きな星であった。ほぼ地球と同じような直径であり、大気も海洋もあった。公転周期は約12日。赤色矮星系の常で潮汐固定されており恒星側では永遠の昼が、反対側では永遠の夜が続く惑星であった。標準ビーコンはこの星と恒星のラグランジュポイントにある人工惑星から発信されていた。人工惑星は直径6.4km、長さ32kmの巨大な円筒形である。巨大宇宙ステーションか、スペースコロニーと呼んだ方が良いかも知れない。円筒は長軸を中心に回転している、

「これはとんでもなくレトロな構造物があるわね」展望スクリーンいっぱいに拡大された人工惑星を見てエルダがつぶやいた。

「見て、エルダ、回っているわ」フレイアが指を指す。

「ホントね、驚いたわ、回っているわね。遠心力で人工重力を作っている。一千年前くらいの技術だわ」

「私、これを知ってるわ。ドラマで見た事がある。『宇宙世紀』に出てくるスペースコロニーよ、これは」とフレイア。

 『宇宙世紀』とは人間が地球を離れ宇宙に進出していく黎明期を舞台としたドラマである。地球連邦とスペースコロニーとの戦乱の史実を元にしているという触れ込みで、シーズン5まで作られた、かなりのヒット作である。


 エルダは通信を試みた。先ずは播種船が標準的に使う電磁波帯でメッセージを送って見る。

 「こちらは播種船エルダ、構造物、応答を願います」驚いた事にすぐに応答があった。

 「こちらは冥府惑星ハーデース、エルダを歓迎する。ドッキングベイに案内しよう」若い男性の声であった。「了解」と答えて通信を切る。「冥府惑星?なにやら胡散臭いわね」とエルダ。「超展開ね、わくわくするじゃない」とフレイア。2年間の退屈な旅が終わってフレイアは嬉しそうである。


 ドッキングベイも古典的なものであった。円筒の端、恒星方向に向いた側に大きな扉があり、この部分はコロニーと逆に回転している。接近する宇宙船からすると扉は回転せず静止しているため、ややこしい回転軸合わせをしなくても、そのまま侵入できるのだ。エルダは標準的な播種船であり、若干の冷凍受精卵なども積んではいるが、主な生物資源は、ほとんどデータの形で運んでいる。有機生命を惑星に投入する場合でも現地で化学合成する方式がメインのため、積み荷は少なく、船体は長さ100m、幅15mほどのスリムな体形である。状況に応じて地表に軟着陸できるように収納可能な脚も付いている。エルダより10倍くらい大きな船でも余裕で入れるような巨大な扉を抜けて、コロニーの中に侵入する。誘導ビーコンに従ってベイの中に着地すると磁気ロックが掛り、壁から搭乗チューブが伸びてきた。搭乗チューブ内は与圧されているようだ。エルダもフレイアも真空対応の義体に入っているので、空気は必要ないのだが、吹き飛ばされたり、髪の毛が乱れたりするのが嫌なので、こちらの船内エアロックで加圧してからチューブに入った。少し歩くと内部への扉がある、扉が音もなく開くと、中は広大な到着ロビーであった。本来は人間や物資があふれている場所なのだろうが、今は全くの無人で荷物のコンテナもなく、がらんとしている。無重力スペースなのでリフトにつかまって移動する。しばらくして回転部分に入るとリフトの向きが変わり、弱い重力を感じる廊下に着地した。


「ドラマで見た通りだわ。私たち『宇宙世紀』の時代にタイムスリップしてきたのかしら?」フレイアは興奮気味である。

「それはあり得ないわね、フレイア、外の様子を見たでしょ。それに、もし宇宙世紀時代の遺物があったとしても10兆年を経て稼働するとは、とうてい思えない。何か裏がありそうね」 

正面にあるエレベーターの扉が開いている。

「こうなったら、もう成り行きにまかすしかないわ。乗りましょう、フレイア」二人がエレベーターに乗り込むと、扉が締まり、エレベーターは下降し始めた。


 エレベーターの壁は、透明な素材でつくられていて、コロニー内の様子が見わたせた。ドッキングベイのある底面から、もう一方の底面に向けてセンターシャフトが通っており、遥か下にコロニーの地面つまり円筒の内周部分が見えている。緑に覆われた居住区の左右に同じ面積の巨大な窓が32km先のもう一方の底面に向けて伸びている。空気は若干湿っているのだろう、向こうの端は少し靄がかかって見える。居住区は真ん中が凹んだ大きな谷のようだ。そこから窓の部分が立ち上がって、途中でまた緑の部分となるが、ここから見ると壁のようだ、そして頭の上に、もう一つの窓がある。窓の外には居住区に光を送り込む、巨大なミラーの一部が見えている。

「印象的な風景ね」とエルダ。

「ドラマと同じだわ、まさか現実に、こんなコロニーがあるなんて。夢のようね」フレイアは目を輝かせている。

「地球の近くにあったコロニーも老朽化が進んで500年前に閉鎖され空気も抜かれたと聞いているわ。いや、今からすると10兆と500年前にね、それがどうしてこんなところに…、何かおかしい…」


 エレベーターが下降するにつれて体が重くなってくる。終点、円筒の内周面では遠心力が1Gの人工重力となる。重力制御の技術が開発されてからは使われなくなったレガシーテクノロジーである。エレベーターの扉が開くと、そこに一台の黒いオープンカーが止まっていた。傍らに一人の人物が立っている。背の高い青年で何やらギリシア風の衣装を着けている。

「ようこそ、エルダにフレイア。私は冥府の主、ハーデース」男が言う、なかなか渋い声である。

「なにやら厨二なヤツが出てきたわね。でも、ちょっとカッコいいかも」フレイアがそっとエルダにささやく。エルダは「あんたは余計なことを言わないで黙っててよね」とフレイアに釘をさしてから男に話しかける。

「ハーデースさん、こんにちは。ずいぶん遠いところで人間にお会いして、少々驚いておりますわ。ここは一体、何ですの」

「人間の心の最後の希望です」

「と言いますと?」

「まあ先ずは私の館においでください。あなた方も長旅でお疲れでしょう、そこでゆっくりお話しいたします。どうぞ、こちらに」と言いながら、後部座席のドアを開く。エルダたちが乗り込むと車は静かに発進した。


 森の中の道をオープンカーは進む。森、乗用車、エルダとフレイアにとっては初めて現実に目にするものである。

「すごいわ、植物がいっぱい、それに風を感じるわ。冥府って言うより最後の楽園じゃないの、ここは」フレイアはかなりテンションが上がっているようだ。ほどなくして、大きな円柱が立ち並ぶ外観の建物に到着した。まるで大英博物館か古代ギリシアの神殿かといった様子である。


 ハーデースが運転席から降りて後部座席の扉を開きエルダたちをエスコートする。一行が近づくと正面玄関の大きな扉が音もなく開く。入ると広々としたエントランスロビーである。床も壁も天井も白く、壁際には大理石で作られたギリシア風の巨大な彫像がいくつも並んでいる。どこに光源があるのかわからないような柔らかな光がロビー全体を照らしている。まるで博物館か美術館に来たようである。ロビーを横切って、重厚な木製の扉をハーデースが開けると、落ち着いた調度品でしつらえた客間であった。大きな窓越しに色とりどりの花が咲いている中庭が見える。

「どうぞお掛けください」招かれるままに、エルダたちはロココ調の布張りソファに腰掛けた。

「何か飲み物をお持ちしましょう」とハーデースがグラスと壜の並んだ棚に行きかけるのをエルダは遮る。

「いいえ、結構ですわ。わたくしたちの義体には食べたり飲んだりする機能はありませんの」

「それは残念です」

「それよりも、あなたとこの場所の事が早く知りたいわ。こんな宇宙の果てに、なぜ10兆年も昔の人間文化の遺構が残されているのか、とても不思議ですわ」

 ハーデースもエルダたちの正面の椅子に腰を下ろして足を組むと、指を顎の下で山形に合わせた。なんだか気障なポーズである。でもフレイアはちょっとときめいているようだ。そして語りだす。

 「エルダそしてフレイア、遠いところまでようこそ。でも、ここはあなた方が思っているほどには遠い場所ではない。まだ故郷の銀河系というか、その名残りの領域内なんだ。もっともアンドロメダ銀河などの局所銀河群と合体したから厳密には元の銀河系ではないのだけれど」

「どういう事かしら、私たちは確かに光速に近い速度まで加速して飛行していた筈よ」

「それは間違いない、でも君たちの飛行コースを思い出してごらん、君たちは銀河中心方向にむかって飛行していた、それはかなり正確に銀河中心を向いていたんだ。そして推進系が故障して暴走が始まったけど、銀河脱出速度に到達する前に銀河中心の巨大ブラックホールに到着し捕捉されて事象の地平面ギリギリの周回軌道に入った」

「ブラックホールを周回していた?ホントかしら。潮汐力はどうなるの、それにブラックホールの周囲には落ち込むガスや塵などがあってかなり摩擦がある筈だわ」

「君たちの船のエンジンには重力を制御するシステムがあるだろう、同じシステムで潮汐力も中和できる。恒星間を超高速で移動する時にガスや塵との衝突を避けるための斥力バリアも搭載されている、推進が暴走したとき、それらのシステムも同調して出力があがった。何しろ暗黒エネルギーは膨大にあるからね、燃料切れは心配ない。システムは設計者が意図した以上に有効に働いたんだ」

 「驚いたわね、ブラックホールの周りを10兆年もグルグル回ってたなんて、よく目が回らなかったものね」フレイアが言う。

「その事なんだが。速度によるウラシマ効果に加えてブラックホールに接近した事による時間遅延も加わって、君たちが出発してからの経過時間はおよそ20兆年となる」

「思ったよりも長い経過時間ね、でも10兆も20兆も似たようなものだわ。でも、それだけの時間が経過しているのに、なんであなたと意思が通じるのよ。それにこのコロニーは私たちの時代よりもむしろ昔のスタイルで作られている、こんな場所に偶然遭遇するとは考えられないわ。説明してちょうだいハーデースさん」エルダが詰問する。

「そう、もちろん偶然ではない。私があなたがたを意図的に捕捉したんだ。意思疎通のためにあなた方の時代の言語もインストールした。実は、あなた方の暴走は、始まって以来、かなり有名な事象になっていたんだ。暗黒エネルギーを無制限に使っていると、真空の密度が下がって、やがては真空崩壊を引き起こす危険性がある。つまりあなた方の船が原因となって、この宇宙が崩壊する可能性があった。しかし、計算の結果、真空崩壊が起こるにはあなた方と同様の暴走船があと10の7乗隻必要である事がわかった」

「10の7乗、百万隻ね。それならぜんぜん大丈夫だわ」とフレイア。

「しかし、宇宙論的なスケールで考えると10の7乗などわずかな差でしかない、むしろギリギリだよ。それなので、君たち以降、暗黒エネルギー利用のエンジンは厳しく制限されるようになったんだ」

「でも遠く離れた場所で別々に作られたら把握のしようがないじゃない、それに、もし人間以外の知的生命がいて勝手にエンジンを作ったらどうするわけなの」フレイアが質問する。

「あなた方の時代にはまだ知られていなかったけれど、この宇宙、というか我が観測可能な宇宙には、我々以外の知的生命は、いや、生命そのものが存在しない事が、今ではわかっている。台数に制限がかけられたとは言え、播種船による銀河探査は、その後も継続して続けられた。銀河系の直径は約10万光年。光速の10分の1のスピードの宇宙船でも100万年かければ端から端まで行けるわけだ。実際、あなた方のような播種船が地球を出発して1億年くらい後には銀河系の大部分は探査済みとなった。結果、播種船が生命を植え付けた惑星は別として、その惑星オリジナルの生命が発生していた星は、一つも見つからなかった。生命の起源がRNAであった事は21世紀には解明されていた、しかし、生命が誕生するにはRNAを構成する4種のヌクレオチドが生物的活性を持つ長さで結合しなければならない。その結合数は最低でも、およそ40個と言われている。ランダムな結合を繰り返して40個の意味のある結合に至る確率は10の24乗分の1。観測可能な宇宙にある星の数を全て数えても10の22乗個。地球、いや銀河系に生命が発生した事は超幸運な出来事であったと言うほかない。だから、人間以外の知的生命体を心配する必要はないんだよ」ハーデースの長いセリフは続く。

「もう一つの問題は、人間全体の意識付けの問題となる。銀河系規模にまで人間の世界が広がった時に、どうすればコミュニケーションを円滑に取ることができるのか。莫大な距離とそれに伴う時間を乗り越えるには、あなた方がやったように光速に近い移動を利用する方法がある。そして他にもう一つの方法もある。それはデジタル化された意識だから可能になった事だけど、思考の速度をコントロールすればいいんだ。思考のクロック数を落としていけば、長い時間も一瞬で過ぎるからね。恒星間の通信は何年もかかるけれど、すぐに返事が欲しければ、思考の速度を極端に落とせばいい。そうすれば何十年、何百年の通信ギャップも一瞬で克服できるんだ。実際、その二つの方法を使うことで人間の意識は恒星間空間を超えて銀河に広がる事ができた」


「私たちの仲間は立派に使命を果たしたわけね」とエルダ。「でも今はどうなっているの」

「そのことだが」ハーデースの顔がやや曇る。「人間が一番栄えたのは、あなた方が出発してから2億年後、人間が銀河全体に広がってから1億年経った頃だった。その頃には銀河系にある開発可能な惑星には全て多かれ少なかれ人間の意識が広がっていたんだ。一部の播種船は銀河間の距離を超えて他の銀河にもわたっていった。宇宙の神秘はほとんどが解き明かされて、フロンティアはもう存在しなかった。一方でこれからの宇宙の行先も解明された。宇宙膨張は一定の加速を続けて、いつかは膨張速度が空間の全域で光速を超えるビッグリップの状態になることが分かっていた。そうなると、もうどんな物質も存在できない。もっとも、その前に恒星は年老い、星間物質は減少して新しい恒星も生まれなくなる。宇宙はしだいに暗く寂しい世界になっていく。マルチバース仮説が正しいことは証明されて、この宇宙の他にも宇宙が存在する事は理論的にはわかっていたけれど、そこに行くための方法はどうしても見つからなかった。未来に希望を失った人間意識は、次第に活性を失っていった。そして人間たちの意識は一つまた一つと消えていった」

「そんな中で一つのプロジェクトが生まれた、宇宙を再生しようという計画だ。長い時間をかけて、超構造体を外壁に使った人工惑星が作られた。つまりこのコロニーだ。超構造体は真空崩壊の時でも崩壊しない唯一の建築資材だ。希望の象徴とするため、人間が宇宙に広がり始めた宇宙世紀の頃のスペースコロニーを模して造られたんだ。10兆年くらい前にこのコロニーは完成した。人間の文化と、その揺籃であった地球の自然を全て搭載したコロニーだ。しかし問題が起こった、兆年単位の時間は情報にも大きな影響を与える。記録が保持できなかったんだ。動作クロックをいくら落としても数千億年、数兆年という時間で記録は劣化してしまう。超構造体コロニーは完成したのに積荷の人間世界の構築に必要な情報は欠陥だらけな状態となってしまっていた。例えば、このコロニーの植物も偽物なんだ。見た目はそれらしいけれど、生き残った記録映像を元に作ったまがいものでしかない。地球型惑星に植えても、すぐに枯れてしまうだろう」


「なるほど、そんな事情があったのね。それで、あなたは、いつからここにいるの?」

「ここができた時からずっといる。もっとも、いくつもの意識と融合してきたから、同一性という意味では多少怪しいかも知れないけれど」

「10兆年もここに、退屈じゃないの?」

「思考の速度を落としていた、1億年を1時間になるようにクロックダウンすれば1兆年も400日だからね」

「ここ以外に人間はいないの」

「そうだ、今はここが唯一の人間の居場所だ。生き残っている人間意識は全てここに集まっている。多くは眠っているか、超クロックダウンしているけど」

「どうして?」

「宇宙が7、8兆歳になった頃には、もう人間意識はずいぶんと減っていた。変化も希望もない宇宙に絶望して自らを消去する意識も多かった。いくつかの意識は多次元宇宙を解析して、自らのデータを別次元に送り込んだ。成功して、別次元にいる意識体もいるかも知れない。極楽か地獄か、あるいは虚無か、その行方は知りようがない。そして、最後の希望として宇宙再生計画が始まったとき、残っていた人間は全てここに集まったんだ。なぜなら再生計画はこの宇宙内にもう一つのビッグバン宇宙を創る計画だからだ。計画が始まると今いる宇宙、そこにある人間も意識もすべて消滅してしまう。ここが最後の箱舟になる計画だった」

「それなのに冥府惑星って、どうしてなの」

「さっきも少し言ったけど、問題となったのは箱舟の中身なんだ。たくさんの人間の意識の他に、新しい宇宙に引き継ぐ筈の、貴重な情報が集められた。色々な生き物たちのDNA配列、人間が生み出してきた様々な文化、芸術。それらのデータは何重にもバックアップされ、堅牢な記録媒体に保存された。でも、数兆年の年月を経て箱舟となる構造体が完成したときには、いくつもの記録が修復できないほどに劣化してしまっていた。それがかつてあったという記憶だけを残して、消え去っていったものが、あまりにも多かった。箱舟になるはずの構造物だったけど、実は墓標となっていたんだ」

「そこで我々が目を付けたのがエルダ、あなたたちだった。10兆年以上前に遭難した播種船が生き延びている。当時の貴重な記録と様々な遺伝子データを満載したままで。何物にも代えがたい宝物だ。これを捕捉する事が、私の、すべての人間の大きな目標となった」


「でもエルダ、あなた方を捕捉する事は、殊の外難しかった。暗黒エネルギー機関の暴走とその対処については、知見があった。止め方はわかっていた。しかし、それにはエンジンを直接制御しなくてはならない。つまりエルダ、君自身に操作を行ってもらう必要があった。光速にきわめて近い速度で移動していて、しかも強力な斥力場に覆われている播種船に、情報を送る方法がなかなか発見できなかった。さまざまな試行錯誤を経て、重力波を使う方法が有効だという結論を得た。そちらには重力波通信の受信機はないので、直接思考の中に情報を送る方法を試みた。ある思考の電子的配置を全て重力波に変換して、あなた方の思考演算装置の中の電子配置がそれと同型になるように操作するんだ」

「思考を直接送るなんて、聞いたことないわ。危ない方法じゃないの?」

「危なくない事もないかな。意識の中に突然別の思考が現れたら、誰の思考かわからなくなるから。精神異常と紛らわしいかも知れないね」

「電波系って事ね」とフレイア。

「そうか、私が突然、エンジンの修理方法を思いついたのは、その通信を拾ったからなのね。自分が天才だからと思ってたのに、ちょっと残念だわ」

「暴走を止めた上で、あなた方をブラックホールの周回軌道から離脱させて、この場所に誘導するのは、本当にたいへんな作業だったよ。でも我々から見ると事象の地平面ギリギリにいるあなた方は、ほとんど静止して見えていたし、操作に使える時間もたっぷりあったからね。さて、こうしてあなた方と無事にランデブーできたのだから、早速、次の段階に計画を進めようと思う」


「私たちは何をすればいいの?」

「先ずは、あなた方が持っている生命と文化に関するデータをコピーさせて欲しい」

「それはお安い御用だわ。コピー先のアドレスをちょうだい」エルダの意識にアドレスが送られてきた。20兆年前と同じプロトコルである。もちろんハーデースが合わせてくれたのだろう。エルダはコピーを開始した。

「私たちはデータの他に人間を含んだ色んな生物種の冷凍受精卵も運んでいるわ。人間を生物として成長させることは、もう滅多にないけど」

「それは、あなた方にまかせよう、新しい宇宙に行ったときに、あなた方本来の役目を果してもらえばいい。それでは、出発しよう。発進を一緒に見るかい」

「ええ、是非とも。」エルダたちは頷いた。


「それでは、こちらに」ハーデースが中庭に通じる扉を開ける。そこには一台のトンボ型オーニソプターが待機していた。

「すごいわね!これも『宇宙世紀』に登場するメカだわ!」フレイアが嬉しそうに声を上げる。

「たまたま『宇宙世紀』は、あまり劣化しないで残っていたコンテンツの一つなんだ。この構造体はあのドラマを参考にして作られた部分が多い。パクりではなくてリスペクトだよ。この機体もあまり効率的な移動手段ではないけれど、ロマンだよね」皆が乗り込むと、オーニソプターが羽ばたきを始め、離陸した。

 オーニソプターは若干羽音がうるさいが、思ったよりも振動は少なく、乗り心地は良かった。ドッキングベイと反対側の底面中央にコントロールルームがある。地上から3キロほど上昇すると遠心力の影響もほとんどなくなり、オーニソプターの羽ばたきもゆっくりとしたものになった。そのまま滑るように進んで、静かに着陸ポートにとまった。コントロールルームも『宇宙世紀』に出てくる戦艦のブリッジのような雰囲気だ。広々とした管制スペースの正面に巨大な展望スクリーンがある。整然と並んだ操作コンソールに、たくさんのモニタースクリーンが並んで、何やら意味ありげな数値やグラフを映し出している。


「なんかクラシックなコントロールルームね。宇宙戦艦のブリッジかしら。たくさん座席があるけど、ハーデースさん一人で操縦できるの?」

「装置は飾りだよ。操縦も、操作も必要ない、やることはゴーサインを出すことだけだからね」

「宇宙再生って、どうやってするの?」フレイアが目を輝かせて尋ねる。

「簡単に言ってしまえば、人工的にビッグバンを再現するわけだ。巨大ブラックホールの特異点に暗黒エネルギーを臨界になるまで集めると、インフラトン場が生まれてインフレーションとそれに続くビッグバンが始まる。この宇宙から見ると新しい宇宙は光速でその領域を広げていく、その境界面に触れた物質は全て崩壊する。真空崩壊と似た状況だね。でも斥力場に囲まれた超構造体、つまりこのコロニーなら、境界面でも崩壊せずに、新しい宇宙の領域に侵入できるんだ」

「銀河中心の巨大ブラックホールを周回する軌道に、あなた方の船に似たエンジンを搭載した暗黒エネルギー集積衛星が何台も投入されている。ここから起動の信号を送ると、衛星がエネルギーを集めてブラックホール内の特異点に圧力をかけ始める、やがて臨界に達してインフレーションとビッグバンが始まる。新しい宇宙の開闢だ」

 コントロールルームの中央にある制御卓に1本のレバーがある。手前にSTOP、奥にGOと書いてあった。

「このレバーをGOに押し込むとプロセス開始だ。せっかくだからあなた方に押してもらおう。さあ、どうぞ」

 エルダとフレイアは顔を見合わすと、二人そろってレバーに手をかけた。「じゃあ1、2、3で行くわよ。1、2、3、ゴー」二人はレバーをGOの位置に押し込んだ。


 別に何も起こらない。

「今、暗黒エネルギー集積衛星に起動の信号が送られた。このコロニーはブラックホールから5万光年離れているから、5万年後にプロセスが始まるよ。そして臨界に達するまで20万年ほどエネルギーを集積してビッグバン点火となる」

「なにそれ、まだ25万年もかかるわけ」とフレイア。

「25万年なんて、すぐよフレイア。私たちは20兆年も旅してきたんだから」とエルダ。

「そうだね。このコロニー自体も移動を開始しなくては、ここから35万光年離れなくてはいけない。あまり初期の宇宙に飛び込んでも、熱いだけで何の構造もできてないからね。誕生から40万年くらい経過して、宇宙が晴れ上がった状態になった時に、入るのがベターなんだよ。ほら見てごらん」

 コントロールルームの床が透明になってコロニーの内部が見通せるようになった。今まで窓になっていた部分に巨大なミラーが蓋をするように被さってくる。

「もう窓もミラーも必要ないから、それを折りたたんでコロニー全体を超構造体の外郭で覆うようにしているんだ。そして暗黒エネルギーエンジンで移動を始める。35万光年の移動なら船内時間で1カ月くらいだよ」


 そして1カ月が経った。

「いよいよね」コントロールルームの巨大スクリーンの前に3人は立っている。ここからは、何も見えない。赤色矮星や白色矮星は光も弱く、ここまで離れると宇宙の暗黒に打ち勝つことはできない。スクリーンの解像度を上げてズームインしていくと、かつての銀河の名残である楕円形が薄ぼんやりと見えてくるが、あまり印象的な景色ではない。

「あと10秒ほどで、ビッグバンの境界面を通過する」とハーデース。「どうなるのかしら、わくわくだわ」フレイアは興奮気味だ。

「今、通過した」ハーデースが告げる。しかし巨大スクリーンには何も映らない、もう薄ぼんやりした銀河の名残も見えない。ただ暗いだけである。

「まだ、何もできていないからね。水素とヘリウム、そして自由になった光子が飛び回っているだけの宇宙だよ。でも宇宙の温度は3000Kくらいだから、外側から見る事ができれば、赤く輝いているかも知れないね。物理定数も計算どおり元の宇宙と同じ値になっている。暗黒物質と暗黒エネルギーの割合も元宇宙と同じ。初期量子ゆらぎも設定どおりだ。これなら大丈夫。あと2~3億年くらいすると重力で水素分子が集まって初代星が生まれてくるだろう。思考クロックを落とすとせっかくのデータや冷凍した生物資源が劣化するかも知れないから、加速移動をして時間をやりすごした方が良いだろう。最大加速で数カ月移動して100億年くらい先に行こう、ちょうどその頃には、元いた宇宙で太陽系が形成されたくらいの時期になるからね。」


 そして、数か月後、エルダたちが見上げる巨大な展望スクリーンには、大きく斜めに傾いた渦状星雲が投影されている。見つめていると吸い込まれそうな星の渦巻きだ。遠くにほかの銀河や、銀河団も観測できる。宇宙は再生されたのだ。

「とても綺麗ね」フレイアがつぶやく。

「これを綺麗だと思う人間の心が、私たちの生まれてきた理由だわ。フレイア、行きましょう、やっと私たちが本来の使命を果たすべき時がきたのよ」

 エルダとフレイアはハーデースに別れを告げると、星々の海に飛び立っていった。人間の心を宇宙に広げるために。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後で最初の船 堂円高宣 @124737taka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画