第6話

「蝶羽さん、ちょっと待ってくださいよ!!」

「待って? そう言われて待つほど、私は甘くないぞ。後輩くん」

「それは知ってますけど……未成年を連れ出すのは犯罪ですよ?」

「んんっ、そ、それは困る」


 日本を代表する天才芸術家の蝶羽舞希。

 彼女が地元に帰省中に、母校の男子高校生を誘拐してしまった。

 そんなニュースが全国ネットで放送される様子でも想像したのかもしれない。

 男子高校生を誘拐というのは、些か疑問点が残るけども。


「私、これでも一応……色んなプロジェクトに関わってるんだよね〜」

「大人って大変ですね」

「それを投げ捨ててもいいんだけど……それでご飯を食べてる人たちもいるからね」


 蝶羽舞希の人生は、もう一人だけのものではないのだ。

 彼女を支える人たちの分まで背負っているのだ。

 故に、彼女は変な真似をしてはならないはずなのだが……。


「こんなところに来てもいいんですか?」

「本当は山ほどの仕事が舞い込んでるけど、全部逃げ出してここに来た」

「……よしっ。蝶羽さんが経営する会社に連絡して——」

「後輩くん。そんな真似をしても許せると思ってるのかな?」


 蝶羽舞希が飛びっきりの笑みを浮かべていた。

 しかし、口元は全く笑ってなく、目元はピキピキと動いている。

 大人を怒らせてはいけないというが、これはマジだな。


「私クラスの人間になれば、邪魔な人間一人ぐらいは完全犯罪で消せるんだよ?」

「本当か冗談か分からないことを言わないでください!!」

「ということで、今後はお姉さんを怒らせることを言ったらダメだぞ、少年」


 今から自分は何処へ連れて行かれるのか。

 そもそも、彼女が自分の腕を掴んで向かう先での目的とは何か。

 様々な疑問が募りながらも、龍野雅空は結局言われるがままにされるのであった。


「ってことで、はい。これ」


 蝶羽舞希から渡されたのはヘルメット。

 目の前にあるのは黒光する大型バイク。

 もしかして今からこれに乗るとでも言うのか。


「どうどう? 私のレブルちゃん。超カッコいいと思わない?」


 龍野雅空は、バイクの機種に殆ど興味がない。

 と言えども、デザインの良し悪しぐらいは分かる。

 結論は勿論——。


「カッコいいのは認めます。でも、バイク事故は悲惨な運命があるんですよ」

「この愛車と一緒に死ねるなら、それも本望と思わないの?」

「そこまで俺は陶酔していませんから」

「そっか。まだ子供なんだね、後輩くんは」

「そんなイカれた思想を持つのが大人なら、俺は子供のままでいいですよ」


 お姉さんの話によれば——。

 彼女が乗るバイクは、ホンダ製のレブル500というものらしい。

 老若男女問わず人気の機種で、女性にも乗りやすいと評判だとさ。


「で、お姉さん。今からこれに乗ってどちらへ?」

「海に行くよ、後輩くん」

「泳ぐんですか? クラゲに刺されまくりますよ」

「泳ぐのもアリかもしれないけど、本題はそこじゃないんだよ」


 チッチッチと人差し指を振りながら。


「今から私が行くのは遊びではなく、仕事で行くんだぜ」

「仕事……?」

「そうだよ。取材だよ、取材。最高の芸術を魅せつけてやるためのね」


◇◆◇◆◇◆


「ひぃいぃひぃっっっっっっっっl」


 龍野雅空はバイクを降りた後、勢いよくアスファルトの上に倒れ込んだ。

 そんな姿を眺めながらも、蝶羽舞希は「情けないなぁ〜」と呟いている。

 しかし、彼女は気が付いていないのだ。自分がどれだけ危険な運転をしているのか。


「後輩くん、一応キミは私の助手なんだぜ? もっとシャッキとしてくれよ」

「蝶羽さんが悪いんです。スピードの飛ばし過ぎなんですよ!!」

「バイクの楽しい乗り方って、スピードを飛ばしまくることでしょ?」

「アンタは絶対に死に急ぐタイプだと思いましたよ」

「芸術家はそれでいいんだよ、別に。醜態を晒すぐらいなら、さっさと死ぬのもアリだ」


 世の中には危険な運転をしている人がゴロゴロといる。

 本人は全く気が付かないのだが、一緒に乗っている側は気が気ではないのだ。

 それも基本的に一人乗りが当たり前のバイクでは、そうなるのも仕方ないのかも。


「で、お姉さん。こんな場所に取材って何か見に来たんですか?」

「この美しい景色を見に来たんだよ」


 蝶羽舞希はそう呟き、バイクのハンドルにヘルメットを掛けた。

 それから、ググッと背伸びをして、骨をポキポキと鳴らした。


「この自然の美しさをどうやって表現しようかと迷っていてね」


 蝶羽舞希が連れてきた場所は——。

 地元内では、有数のリゾート地と言われる場所。

 昔から海水浴場として有名だったらしく、それを東京に本社がある不動産会社に見つけられて——そのまま買収。

 現在ではリゾート計画が進み、一部マニアックな観光客が集まる場所になっていると。


「高台まで行ってみようか。歩いて2キロぐらいだし」

「歩いて2キロ……考えただけで嫌な気持ちになりましたよ」

「二人で喋りながら歩いていたらすぐだよ、後輩くん」


 バイクを駐輪所に止め、龍野雅空と蝶羽舞希は坂道を歩いていく。

 十月と言えども、未だに暑さは健在で、ダラダラと嫌な汗が流れてくる。

 健康意識など皆無な男子高校生の龍野雅空は息を切らして、前方を歩く蝶羽舞希を追い掛けた。最初は二人横に並んで歩いていたものの、途中から彼女は草木や虫などを観察するようになった。小学生ぐらいの男の子という表現が一番近い大人である。


「後輩くん、こっちこっち!!」

「待ってくださいよ、蝶羽さん。俺は生粋の美術部なんですよ」


 蝶羽舞希の元へと向かうと——。

 独特な色を持つキノコが無数に生えていた。

 これは何だという瞳を向けると、彼女はえっへんと胸を張って。


「見た目通りの毒キノコだよ!」

「別にどうでもいいよ!!」


 って、待て待て。

 このキノコ……どこかで見たことがあるような。


「マリオのキノコにちょっと似てませんか?」

「気付いたようだね、ワトソンくん」


 こほんと、これまた偉そうに巨乳なお姉さんは咳払いを行った。


「こちらはベニテングダケ。食べれば……とっても危険なキノコだよ」

「マリオはこんな危険なキノコを食って……パワーアップしてるのかよ」

「一種の幻覚症状かもね。自分は強くなったと勘違いしているだけかも」

「裏設定がエグすぎる。今後、マリオをプレイするときはキノコ食べさせたくないですよ」

「それが——縛りプレイを始めた理由になるとは誰も思っていなかった」

「変なナレーションを入れるのやめてくれますか?」


 龍野雅空のツッコミを無視して、蝶羽舞希はサラサラな黒髪を揺らしながら。


「ヨーロッパでは幸運のシンボルになっている。ただ、その理由は定かではない」


 一説によれば、と続けて。


「食べた人が幻覚症状を起こしてハイ状態になったからと言われているらしいよ」

「…………どんな返しをすればいいのか困りますね」

「蝶羽さんは博学で知識欲がある美人なお姉さんだと崇めてくれればいいよ」

「もしかしてもう既にベニテングダケを食べられましたか……?」


◇◆◇◆◇◆


「高台に到着!!」


 蝶羽舞希は小走りした後、軽くジャンプを行う。

 バンっと土煙を立てながらも仮面ライダーの変身ポーズっぽい格好を取っている。

 そんな彼女を呆れ顔で眺めながら、龍野雅空はぶっきらぼうに呟いた。


「実はここまでバイクで行けたんじゃないですか?」

「……後輩くんさ、汗を流すことも大切なんだぜ」

「無駄な労力は割きたくない派なんですよ、俺は」

「でもさ、今日も一生懸命生きてる〜って感じがしない?」


 久々に汗を掻いた。

 体育の時間でさえ、龍野雅空は本気で動いたことがない。

 適当に動いて、毎回時間を潰すだけ。

 それ故に今回汗を掻いた出来事は新鮮で気持ちよかった。


「ほら、後輩くん。高台に上るぞ!!」

「……階段を上るのがダルすぎる」

「何を言ってるのさ、たったの20段ぐらいじゃない?」

「高台から見る景色も、ここから見る景色も変わりませんよ?」

「ほら、行くぞ!! ごちゃごちゃ言ってるけど、キミはバイト中なんだぜ?」


 仕事の一環なら仕方ない。

 高台と言えども、たった五メートルほどしか変わらない。

 現在位置からも海や太陽を目視することができる。

 だから、別に変わらないと思うのだが……。


「————————ッ!!」


 平行線上に続く藍色深い海と、燦々と輝き続ける黄金色の夕陽。

 空高くには、多くの鳥たちが優雅に飛翔し、時折吹く潮風に揺れていた。

 そして、今更ながら、気付いた。夕陽が反射しているのだ、海に。

 自然が生み出した青色のキャンパス上には、反射した黄金球が映し出されていたのだ。


「どうだい? 自然が生み出した芸術は?」

「……自分が知らない世界が広がっていました」


 感動のあまりに声も出さずに、ただただ魅了された。

 まるで、時間という概念が存在しないかのように。

 龍野雅空は息も漏らさずに、ジィーと眺め続けることしかできなかった。


「キミのことを少しだけ調べさせてもらったよ、後輩くん」

「えっ……? 俺のことを?」

「調べたというか、偶然なんだけどね」


 隣に立つ少し年上のお姉さんは言うのだ。


「展示会でキミの絵を見させてもらったよ」

「……照れますね。あの天下の蝶羽舞希に見られていただなんて……」


 龍野雅空は頬を掻いた。

 日本を代表する芸術家に見られていたのだ。

 それがどんなに嬉しいことか、そして彼女からどんな言葉を受けるのか。


「キミさ、芸術の世界を舐めてるだろ?」


 あまりにも刺々しい言い方。

 攻撃性しか感じられない言葉に、龍野雅空は乾いた笑みしか浮かべられなかった。

 ただ、こっちだって、舐めて芸術の世界に飛び込んだわけではない。

 毎日夜遅くまで必死に自分が目指すべき芸術を求めているのだ。

 それを知らない人間にここまで言われる筋合いなんてない。


「舐めてるわけないでしょ……? 俺は本気でしたよ」

「本気……? アレが? 笑わせるよ、本当に。キミの作品は」


 展示会で飾られた作品。

 それは同じ美術部に所属する獅童啓真が表彰されていた。

 鹿森葵の作品も高く評価を受け、龍野雅空が描いた作品はお情けで飾られただけだった。


「でもいいんです。俺はもう辞めますから。芸術の世界からは完全に」


 もしかしたら、褒められるんじゃないか。

 キミには特別な才能がある。キミは誰もが持っていない素晴らしいセンスがある。

 そんな言葉を貰えるのではないか、と期待していた。

 しかし、現実はそう甘くないよな。

 世の中には自分よりも凄い人間なんて腐るほどいるのだから。


「続けるのも辞めるのもキミの自由」


 ただ、と呟き、世界的に活躍する芸術家は訊ねてきた。

 自分よりも圧倒的に格下な人間に対して。

 芸術に対して彼女の方が多くの時間を費やしてきたはずなのに。

 それをズブの素人である自分に対して。


「どうして辞めるんだい? 教えてくれよ、後輩くん」


 なるほどな、と龍野雅空は思った。

 彼女は持つ者だから分からないのだと。

 持つ者だからこそ、持たざる者の気持ちなど分からないのだと。

 だからこそ、持たざる者の代表として、たった一度だけ『佳作』という賞を獲得し、過去の栄光に縋っていた少年は呟いた。


「だって、俺には才能なんてないから」

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