第4話
「今更だけど、後輩くんはアレルギーとかある?」
「特にないと思います。詳しく調べたことないので、分かりませんけど」
「それならよかったよ。でも突然アレルギーを発症する可能性もあるし、アレルギー検査したほうがいいよ。保険適用されて、5000円程度で済むし」
病院代は高い印象があったけど、実は結構安いんだな。
そんなことを思いながらも、龍野雅空は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
不衛生極まりない丸太テーブルの上にある、大きなどんぶり。
そこには、塩ラーメンが盛られているのだ。美味しそうな湯気を出す姿は、「食べて食べて」と主張しているようだ。しかし、美味しそうには見えない。
というのも、麺が完全に伸びきっているのだ。柔らかそうな麺と言えば、多少は聞こえがいいかもしれないが、実際のところはベチョベチョ一歩手前レベル。
ただし、ニオイに関しては別だ。鼻腔を擽るスパイシー感溢れる香りが漂っているのだ。本人曰く、隠し味のハーブとブラックペッパーを入れたとのこと。
「蝶羽さん、もう食べていいですか?」
学校終わりに買い食いしたい気持ちはあったものの、今の今まで食べることはなかった。日頃から身体を動かす運動部ならまだし、ただの美術部部員だ。
それに、片田舎には極端にお店が少ないのである。某有名な赤と黄色のハンバーガーチェーン店や地元民から愛されるラーメン屋、24時間営業しないコンビニ程度はあるのだが、それ以外は皆無。また、同じ学校に通う生徒も利用するので見られてしまうのだ。
一人で買い食いする可哀想な学生というレッテルを貼られるのは、精神的に堪える部分があるので、龍野雅空は今まで利用することはなかったのだが——。
「まさかのまさかでこんな形で、学校終わりに飯を食べることになるとは……」
買い食いという形ではなかったものの、美人なお姉さんの手作り料理を食べられる。(インスタントラーメンが料理と呼べるかは、議論の対象に入るが)
「待って待って。これで完成じゃないんだよ、私の料理は!!」
「これ以上何を入れようと思ってるんですか? 袋ラーメンはシンプルが一番なんですよ! これ以上何か行うのは……生産者への冒涜に値しますよ!!」
料理に関して言えば、龍野雅空はマニュアル人間である。
マニュアル通りに作るのがベストと考えるタイプだ。
「卵を投入しないと、塩ラーメンは美味しくないんだもん!!」
「卵を入れたら、もっと塩ラーメンが美味しなるんだと言ってください」
「それに、私にとっては料理も一つの芸術なんだよ!!」
蝶羽舞希は天才芸術家だ。
自分と比べられないほどの、超大物。
稀代の天才と呼ばれる人間のことはある。
まさか、日常生活で作る料理さえも、彼女の感覚では作品になるのだから。
「それでもう食べていいですか? 生卵を投入して、完成でいいでしょ?」
「もう少しだけ待って」
蝶羽舞希は「待て」のポーズを取り、適当な雑草を毟り取った。それをキッチン用ハサミでチョキチョキし、ラーメンの上に乗せるのである。流石のこの横暴な行動には我慢ができず、龍野雅空はどんぶりを奪い取って叫んでいた。
「雑草を入れないでくださいよ」
「雑草じゃないよ。これはノビルだよ!!」
「ノビル? 何それ?」
「知らないのかい? いいだろう、お姉さんが教えてあげよう」
やれやれと小馬鹿にするように、蝶羽舞希は両腕を水平にさせる。
その後、無知な少年を教育しようと考えたのか、偉そうに胸元を張ったまま。
「ノビルはね、ネギ科の植物なんだよ」
ただの雑草なら、喧嘩間違いなしだが……ネギならまだ許せる。
「詳しいんですね」
「サバイバル生活に憧れてるからね」
「か、かっこいい!! 自給自足の生活ッ!! 何者にも縛られない芸術家の鏡です!」
「一生働かなくても生きていける術を身に付けようと思った結果だよ」
「不純な理由すぎるだろ! その貪欲さは称賛するけど!!」
美人なお姉さんが作ってくれたインスタントラーメン。
これがもっと手作り料理満載な食事ならば、もっと喜んでいただろう。
そんなことを思いながらも、龍野雅空はベチャベチャな麺を啜ることにした。
先程まで自信満々に満ち溢れていたお姉さんの瞳は揺らいでいた。自分が作ったものが、相手の口に合ったか心配なのだろう。何か気の利いた言葉を言わなければ、という紳士的な発想があるものの、平凡な男子高校生が融通が効くはずがない。
「その……無難に美味しかったです」
「よかったよ。満足してくれて。これ私の大好物なんだよね〜」
蝶羽さんは、肩の荷が降りたようだ。
ふぅ〜と呼吸を整え、小鍋を持ち上げた。
「と言えども、無難には余計だけどね。そ〜いうところがあったら、女の子に嫌われちゃうぞぉ〜。少年」
ジュルジュルと謎の擬音を立てながら、実に美味しそうに頬張るお姉さん。
咀嚼音だけを聞いていたら、人間の体液だけを飲み干す未知の生命体だと信じられる。
「んんんうううう〜〜〜〜!! やっぱり私、超天才だぁ〜〜!! 料理の才能あるぅ〜」
見た目は大人なのに、中身は子供そのものだ。
ちなみにお姉さんが使っているのは菜箸。洗い物が増えるのが嫌いなタイプなのかもしれない。長い箸なのにも関わらず、器用に扱っている点を見るに、彼女は常習犯のようだ。日頃から調理した菜箸で、一緒に食事まで取っているのだろう。今回は生肉を使うことはなかったから、食中毒の問題はないにしても……少々彼女の生活スタイルには興味が湧く。
「……あのさ、後輩くん。その食べてる姿を見られると……ちょっと恥ずかしいんだけど」
某有名な流行病が襲来して以来、我らが日本はマスク社会へと変貌した。
結果、多くの方々が自分の顔を晒すのに抵抗を持つようになった。
蝶羽舞希もその一人なのだろうと勝手に判断して——。
「悪気はなかったんです。ただ、天才でも普通に飯を食べるんだなと思って」
龍野雅空は感心した様子で言う。
それを聞き入れ、蝶羽舞希は小首を傾げて、目を大きく見開いた。
琥珀色の瞳は蠢く姿を見るに、失礼なことを言ってしまったのだろう。
「君はさ、私を宇宙人か何かだと思ってるだろ?」
「怪獣だと思ってますが?」
「…………まぁ、それは別にいいけど。うう……何か釈然としない!」
大人のお姉さんと言えども、口論では案外勝てるようだ。
相手側のペースに乗せられてばっかりだっただけに、今回の反撃は素直に嬉しかった。蝶羽舞希は唇を尖らせ、ご機嫌斜めである。怒らせてしまったか。
とりあえず、新しい話題を出して、誤魔化すのが得策だろう。
「今更ですけど……質問をしてもいいですか?」
「お姉さんの経験人数以外の質問なら喜んで回答させてもらうよ」
「回答の幅が広すぎるだろ!! あと、なぜ経験人数だけは答えないのか気になるわ」
「基本的にオープンな性格なんだよねぇ〜、私は。それに私がどんな人間かなんて、作品を見てれば……自ずと分かってくるでしょ?」
天才芸術家——蝶羽舞希。
彼女の作品を端的に述べれば、情動溢れる芸術。即興で組み上げる、感覚的な作品。
計算され尽くした作品ではなく、己の心の奥底にある欲求を吐き出すことで、作品の出来が一段階も二段階も上がるタイプなのだ。
逆に言えば、彼女の作品は情緒不安定だ。その日の体調や感情に左右されまくる。
「と言われましても……経験人数を答えない理由が分からないんですけど」
「やれやれ。これは困った少年だよ、全く」
蝶羽さんは溜め息を吐き出した。
「女性にはミステリアスな部分も必要なんだよ。そっちのほうが最高に萌えるだろ?」
ミステリアスな女性に心惹かれる気持ちは大いに理解できる。
と言えども、それがどうして経験人数を答えないのかはさっぱり分からない。
これに関しては、稀代の天才様が考えたことなのだ。
彼女にしかきっと分からない並々ならぬ事情とやらがあるに違いない。
「蝶羽さんはどうして芸術家になったんですか?」
彗星の如く現れた天才芸術家——蝶羽舞希。
彼女が芸術家という道を選んだ理由は一体何なのか。
「これは他の人たちに内緒だぞ。お姉さんとの約束は守れるかな?」
蝶羽舞希は悪戯な笑みを浮かべてきた。
その笑顔一つで、世の中の男性陣をイチコロにできるだろう。
もしかしたら、彼女は女優やモデルとしての道も歩めたかもしれない。
それほどの才女が、芸術という世界に足を踏み入れた理由。
それは——。
「普通に生きられないからだよ、後輩くん」
「普通に生きられない……?」
「堅実的な生き方ができないんだよ、私はね。頭の中が芸術のことでいっぱいなんだよ、大変困ったことにね。場所も時間も関係ない。自分が作りたい、やりたいと思ったら、身体の内側からフツフツと何かが湧き上がって……もう自分を自分で抑えきれないんだ」
大半の人間は、自分の欲望と兼ね合いを持つ。
ただ、蝶羽舞希は欲求に抗えないのだ。
自分がやりたいことを優先して、やらなければならないことができなくなる。
普通の社会人なら自己中心的な生き方は、決して許されないだろう。
だが、自分自身が立っている場所が世界の中心だと思っている芸術家の彼女には好都合なのだ。その才能を遺憾無く発揮して、常識をぶち壊すような作品を生み出すのだから。
「つまりだね……私は芸術がこの世界で一番愛してるからだよ、後輩くん」
これが答えになったかな、と疑問を投げかけられ、龍野雅空は「そうか」と答えた。
芸術をこの世界で一番愛しているから、芸術家になった。至極当然な結論だ。
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