第2話

 学校からの帰り道、龍野雅空タツノガクは野生の怪獣と出会った。

 見た目は特撮映画でよく見る『ゴ●ラ』的な存在。

 と言えども、似ているだけで、完全にそれではなかったのだが。

 何はともあれ、日常生活ではありえない非日常の生物である。

 そんな奴が目の前に居るのだ。

 普通の男子高校生ならば、誰でも驚きを隠せずに逃げ出していただろう。

 だが、しかし——龍野雅空は全く恐れることはなかった。

 別段、彼自身が正義のヒーローらしい勇敢な志しがあったわけではない。


「……終わった……終わったよ……私の華麗なる人生が終わった」


 河川敷にある防球フェンスに、怪獣は挟まっていたのだから。

 どこぞのイタズラ少年が穴を作り、そこを行き来していたことだろう。

 で、そんな秘密の抜け道的な場所を、間抜けな怪獣も通ろうとして失敗した感じだ。あれでは一種の罠である。誰があんな大物が取れると考えたことか。


「私の人生はここで終わりなんだ。はは……ま、間抜けな人生だ。怪獣の格好をしたまま……それもフェンスに挟まったまま終わるなんて……ううっ……な、なんて惨めな人生。最悪な死に方だ……ううう……もう私はどれだけ惨めな……」


 俯いたままに、嘆きの言葉を呟く怪獣。

 あまりにもシュールな光景だった。

 特撮の世界ならば、街中を踏み潰す存在なのに。

 と、そんな折——怪獣も龍野雅空の姿に気付き、救いの声を掛けてきた。


「そ、そこの少年〜〜!? た、助けてくれぇ〜!?」


 怪獣の威厳など存在しない。

 涙を滲ませた声を弾ませ、ゴツゴツとした手を伸ばしてきている。

 ここまで助けを求められれば、助けないわけにはいかない。

 欺くして、フェンスに挟まった怪獣を放置するわけにもいかず、龍野雅空は助けへと向かうのであった。


◇◆◇◆◇◆


「ふぅ〜。本当に助かったよ、少年」


 当たり前な話だが、この世界に怪獣など存在しない。


「怪獣の身包みを剥いだら……美女が現れるとは……」


 怪獣の正体は怪獣の格好をした謎のお姉さんだった。

 ちなみに金網に引っ掛かっていたのはお尻部分。

 怪獣の構造上、頭の部分は細く、胴体に向かうほど太くなっていたのだ。

 後先考えずに行動するタイプなのか、彼女は頭を穴の中に通したようだ

 その結果、お尻の部分が詰まってしまい、身動きが取れなくなったわけだ。

 助ける都合上、少々着ぐるみを傷付ける羽目になったが、それは仕方がない。


「もうさ、ずっと誰か来るのを待っていたのに……誰も来ないし。本当困ったものだよ。炎天下の中、このままずっとあのままなら死んでたかもしれないよ」


 十月上旬と言えども、夕陽は燦々と輝いている。

 某有名な夢の国で働く方々も熱中症でぶっ倒れてしまうと聞くほどだ。

 炎天下の中、暑苦しい格好をしていたら、命の危機に晒されるだろう。


「この辺は、地元でも誰も足を踏み入れないで有名なんですから」

「市役所の人が言っていた通りだ。それを有名にするのが私の仕事なんだけど」


 ところで、とお姉さんは切り出した。


「ところで、ここで少年は何をやってるんだい?」


 地元では足を踏み入れない。

 そう言っている人間が、足を踏み入れた。

 明らかにおかしな話であった。

 黙り込んでしまう龍野雅空に、お姉さんは小首を傾げながら。


「もしかしてエロ本探し?」

「違いますよ! ていうか、令和世代はネットでググりますよ!」

「他人の手垢が付いた女には興味ないと」

「卑猥な言い方はやめてくださいよ。俺はマニアックな趣味ありませんから」

「どんな女にも手を出す輩だったとは……可愛い顔をしてるのに意外とやり手だねぇ〜」


 話を勝手に進められ、相手側のペースに乗せられている。

 会話の主導権を握らなければ、相手の思う壺だ。

 そう思いながら、龍野雅空は「こほん」とわざとらしく咳払いしながら。


「お姉さんはどうしてそんな格好をしているんですか?」

「お姉さんの私生活が気になるのかなぁ〜。思春期な少年だねぇ〜」

「のどかすぎること以外に何の取り柄もない街に、謎の怪獣が現れたら……それは誰だって気になりますよ」


 あぁ〜それのことか、と謎のお姉さんは頷きながら。


「誰にでも怪獣になりたいと思うことぐらいあるじゃない? ただそれだけの話だよ」

「なりたいと思って、誰もなろうと実行する人間はいないと思いますけどね」


 それに、と呟きながら、龍野雅空は続けて。


「この着ぐるみ……誰でも手に入れられる代物ではありませんよね? どう考えても、これは素人が作ったものではない。プロが作ったものですよね?」


 裁縫関係に興味があるわけではない。

 実際、龍野雅空が普段から購入しているのは、ユニクロやGUなどの有名なものばかり。だが、美術衣装や小道具などの話は別である。

 映画やドラマで出てくる道具の数々に、興味を引き立てられてきたのだ。


「へぇ〜。イイ目を持っているんだねぇ〜」


 お姉さんの表情が僅かに緩んだ。

 日差しを浴びたガラスのように、瞳がキラリと輝く。


「残念ながら、少年の推測は半分正解で半分不正解だ」


 クルッと回転するお姉さん。

 今まで気が付かなかったのだが、尻尾まであったとは。

 そんな驚きを抱いていると、お姉さんは更なる衝撃の発言をした。


「このコスチュームは私の手作りだよ。で、私はプロなんだ、芸術のね」


◇◆◇◆◇◆


「お姉さんはここに住んでいるんですか?」


 助けてくれたお礼をしたい。

 そうお姉さんに言われ、龍野雅空はノコノコと付いて行った。

 彼女に連れて来られたのは橋の下。

 如何にも、不良が冴えない生徒をカツアゲするときに使っていそうな場所だ。

 で、現在——彼の瞳に映るのはテントだった。周りには、椅子やテーブルまである。どうやら、彼女はここで野営しているようだ。


「そうだよ。自然と一体化してる感じがして最高だと思わないかい?」


 怪獣の格好をしている面白い女性に出会った。

 それで話を終わらせていれば、こんな感情を抱く必要はなかったかもしれない。だが、ここで一応聞いておく必要があるだろう。


「………………お姉さん、怪しげな宗教勧誘をしている方ですか?」

「えっ?? 何言ってるの? どこからどう見ても、大人のお姉さんでしょ?」

「いや……どこからどう見ても、怪しさ抜群ですよ!!」


 怪獣の着ぐるみ姿をしており、橋の下で生活しているなんて。

 誰が何と言おうと、彼女は不審者として通報されるべき人間である。

 お姉さんと別れたら、すぐに警察へと連絡しなければならない。

 そう思いながらも、龍野雅空は彼女の情報を探ることにした。

 もしかしたら、情状酌量の余地もあるので。


「お姉さんは何者なんですか?」


 ラベルなしのペットボトルの蓋を開いて鍋へと液体を注ぎ入れるお姉さん。

 見た限りでは、無色透明の水っぽい。

 でも、何か得体の知れないものかもしれない。

 彼女は、ステンレス製のバケツの上に鍋を置いた。


「私かい? 何者だと思う?」


 お姉さんはテントの中へ頭を突っ込みながら、質問してきた。

 怪獣の格好のまま動くのは、少々動きにくいのではないか。

 そもそも、他人の目はあまり気にしないタイプなのだろうか。

 などと、色々な疑問が浮かべていると、お姉さんはサッポロラーメンの塩を二袋取り出し、こちらへと戻ってきた。まだ返事が決まらないのかという瞳を向けられたので、咄嗟に龍野雅空は答える。


「奇行に走りがちな面倒な女性ですかね?」


 不満があったのか、お姉さんは勢いよくインスタントラーメンの袋を破った。

 逆に怪獣の着ぐるみ姿の女性を何だと思ってほしいのか。

 一般常識から掛け離れた位置にいることだけは理解してほしいものだ。


「失礼なことを言うね」


 心外ですとでもいうように、お姉さんは唇を尖らせてきた。

 少々ご立腹なご様子なのか、足下をバタバタと動かしている。

 特撮の世界ならば、建物や人々が踏み潰されていることだろう。

 そんなことを思いながらも、龍野雅空は本心を伝えてみた。


「これが男子高校生の本音ですよ」

「純粋な男子高校生って怖い……お姉さんドン引きしちゃうよ」

「人間誰しもが、表の顔と裏の顔を持ちますから」


 お姉さんがドン引きしているが、こちら側も彼女にドン引きしている。

 お互い様だ。

 ともあれ、今は情報が欲しかった。


「で、お姉さんは何者なんですか?」


 バケツの上に置いた鍋がグツグツと沸騰する頃合いで、お姉さんは乾麺を投入する。木の枝にしか見えない箸で麺を押し込みながら、怪獣は答えた。


「才能が枯れ果ててしまった天才芸術家だよ」


 才能が枯れ果ててしまった天才芸術家。

 頭の中での情報処理を終わらせてから、龍野雅空は訊ねる。


「…………それって何かのギャグですか?」

「好きに解釈してもらって構わないよ。私は全然気にしないから」

「俺が気にするから、真面目に質問には答えてほしいんですけど」


 言ってみたものの、お姉さんは全然気にしていなかった。

 怪獣のお尻部分を確認しながら、「あちゃー。これは参ったな」と呟いてまでいる。人様の話は聞かないのに、自分勝手な行動だけは取る。関わりたくない女であることには間違いない。


「あのさ、そろそろ名前を聞かせてよ、キミの名前」


 不審者にしか見えない女性に、個人情報を渡す。

 そんな危ない真似ができるわけがない。

 ここは一つ、大人の対応をしなければならない。


「知らない人には名前を教えるなと両親から教えられてまして」

「いいじゃないか。もうキミと私の関係だろ?」

「まだ俺たちの間には、それほど時間が経っていないと思うんですけど?」

「分かったよ。それなら、私も答えるから、キミも答える。これでいいだろ?」


 ふぅ〜と深呼吸しながら、お姉さんは偉そうぶることもなく。

 ただ、当然の事実を述べるように、自然体のまま言ってきた。


「私の名前は、蝶羽舞希アゲハマキ。日本を代表する天才芸術家だよ」

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