2-6

 レイアを勧誘してから数日後。


「まさか本当に受けてくれるとは」

「なによ、文句でもあるわけ?」


 棘の生えた返事に、屋代は小刻みに顔を動かして否定を示した。


「俺から誘っておいてそんな事思うはずないだろ? 本気で感謝してるさ」


 広く、円形状に作られた運動場。背の短い草が整然と生えている姿は、どこかの競技場を思わせる。もちろん観客席はなく、あらゆる運動に対応するための道具が取り揃えられている。何よりも特徴的なのが外と内を区切る分厚い壁。よじ登る突起など見当たらない、見上げるほどの壁に囲われていた。祈相術の練習にも使われる手前、校舎や周りに被害を及ぼさないよう、防壁が必要なのだ。

 学校の敷地面積に収まっているとは思えないほど広いその場所に、屋代は波嬢を連れて足を運んでいた。

 競技場であれば入場門になっているだろう出入り口を通り抜け、草を踏みしめる心地よい音を奏でながら、波嬢の尊大な物言いに苦笑いを浮かべる。


「それにしても驚いたわ。品評会のことは知ってたけど、その手伝いをさせられてるなんてね。しかも、あの英雄様も手を貸すそうじゃない」

「まあ、どうにか頼み込んだ結果だな」


 しかも条件付きである。そんな台詞は言葉にせず、口の中にとどめておく。


「その鉱物はよく知ってるわ。というか、こと祈相術を増幅する祭具には必須のものよ。少し調べればすぐに分かるくらい有名な鉱物ね」

「そうなのかっ?」

「…………まあ、アタシたち神職が関わるのは完成した祭具だけで、それがどんな方法や材料で作られたかなんて、普段は気にしないでしょうね。その点、アタシは名門だから当然聞いたことはあるけどね?」


 髪をかき上げ瞳を細めた波嬢。その視線に込められた挑発的な色に、屋代は特に何も言うことなく素直に頷いた。


「やっぱり海浪に頼んで正解だったな。実物も見たことはあるのか?」


 あの日、貴重だという鉱物を採掘するための人員として思い浮かんだのが波嬢だった。古くから、それこそ千年以上も続く名門中の名門であるがゆえ、祭具方面にも知識があるのではないかと考え電話した。その結果が屋代と二人での徒歩移動である。

 特に悔しがるそぶりもなく素面で感心したと笑う屋代に、期待した反応が帰ってこなかったためだろう、波嬢は拗ねたように唇を尖らせた。


「あるわけないでしょ、そんなこと。祭具なら見たことあるけど、さすがに鉱石そのものなんて初見よ」

「そうか。いや、そうだよな……」


 屋代は指先で頬を掻いた。

 なにせ、祭具職人を目指す絡亜でさえ実物を目にしたことがないのだ。おそらくこの学校内を見渡しても、見たことのある生徒はいないはずだ。だが、それだけ貴重品であればこそ、充実している物もある。


「ふん、別に問題ないわよ。資料なら十分にあるんだから、当日までに読み込んでおくわ」


 鼻から息を吐き出して口を曲げた波嬢は、何も心配はいらないと胸を張る。その仕草に申し訳なさと同時、心強さも感じた。波嬢がこうして言葉に出した以上、自分の誇りにかけてそれを違えることはしない。おそらくすでに様々な情報を集めているはずだ。


「悪いな。無理に手伝ってもらって。何かしてほしいことがあったらいつでも言ってくれ」


 だが、情報を集めるということは、もともとその手の知識がなかったことも意味する。屋代が頼まなければそうした労力を使う必要がなかっただろうに。


「ふん、勘違いするんじゃないわよ。今回の手伝いで進級できるかどうかっていう、瀬戸際のアンタのためじゃないから。一緒にいくっていう英雄様の術を拝める絶好の好機だと思ったから引き受けたのよ。この間は見ることができなかったから、今度こそ型を盗めるかもしれないじゃない」


 屋代たちが行く予定の島は、未だ国の調査が行き届いていない場所だ。万が一の危険性もあり、そうした事態ともなればレイアも術を披露するだろう。もしもそれが未知の術ならば、己の物にして高みを目指すのだと波嬢は宣言する。自分の命さえ賭けて向上を図るその姿勢に、屋代はただただ感じ入った。


「本当なら東雲にも頼みたかったんだが……」


 そんな波嬢を見たからだろう、ごく自然ともう一人が思い返され、屋代は小さくため息を吐いた。

 学校として参加する品評会の話を聞けば、ためらうことなく力を貸してくれるだろう優等生。祈相術の腕前も高く、色々な方面の知識も豊富、採掘の護衛役としてこれ以上ない人材なのだが、ちょっとした意見のすれ違いから距離が開いてしまい、声を掛けられなかったのだ。

 いつからそんなに臆病になってしまったのかと、己の不甲斐なさに嘆く屋代の呟きは波嬢に届くこともなく大気に溶けた。


「それで、打ち合わせがあるからって呼ばれたのはいいけど、どうして運動場なのよ。あたしはてっきり噂の工房に行くんだと思ってたけど?」

「その工房主の絡亜さんから、運動場に来てくれと言われたんだ」

「ふーん?」


 片方の眉を吊り上げて疑問の声色を出す波嬢に、それ以上は何も聞かされていないと首を振る。

 屋代もてっきり工房、ないし校舎内で行うとばかり考えていたため、困惑しているところなのだ。


「あ」「ん?」

 

 壁の内側に沿って歩いていると、見覚えのある人物がいた。


「おっと、英雄様じゃない。何日ぶりかしら。アタシのことは覚えてる?」


 屋代の視線をたどるように、波嬢も気づいた。

 その挑発的な台詞に、壁を背に待ちぼうけていたレイアの頬が震える。擬音が付きそうなほど鋭くなった目が屋代たちを捉えた。


「………前にも言ったはずだ、私を英雄と呼ぶな」


 胸の下で腕を組み、レイアの顔があからさまに不機嫌なものとなる。


「あら、しっかり覚えてるのね? 最後まで舞を見ずに帰ったから、有名人様はアタシのことなんて気にしてないと思っていたわ」

「………その点に関しては済まなかった。あの時は少しばかり急いていて、他のことに気を遣う余裕がなかった」


 軽い嫌味を含めた波嬢の台詞に対し、一瞬の間をおいてレイアは眦を下げた。


「数日後には一緒に3日間過ごすんだ。舞を最後まで見なかったからって、喧嘩腰になるのはやめろ。アルクセイさんに当たりすぎだ」

「こんなのただの挨拶みたいなものよ。アタシだってそこまで気にしてるわけじゃないわ」


 本当か? と訝しんだか、よく考えてみれば波嬢の嫌味はいつものことかと思い直した。誰が相手であっても、基本上から目線というか気に入らない箇所があれば容赦なく口にする少女だ、本当に気にしているならもっと責め立てているだろう。

 とはいえ、今からそんな調子では先が思いやられる。島での探索は三日。わざわざ1日ごとに自宅に帰るような手間のかかることはせず、近くの宿泊施設を利用することになるのだ。部屋割りがどうなるのか知らないが、行く前から空気を悪くするのはやめてほしかった。

 そんな屋代の細やかな願いは通じず、レイアもいささか顔を強張らせた。


「私も仲良く過ごしたいわけではない。さっきは私に非があったが、これ以上私の言葉を無視するというのであれば考えがあるぞ」

「へぇ、何よ、その考えって。今後の参考に聞かせてほしいわね」


 レイアの固い言葉に波嬢が眉を跳ね上げた。二人の視線が交差し、宙に火花が散る幻覚まで見える。

 敵意とまではいわないが、どうにも引っ込みがつかなくなっている両者の間に慌てて割り込んだ。手を大ぶりに振って気を逸らそうとしながらも、屋代は内心盛大に嘆いた。本来は征徒の役目だろうと、ここにはいない優等生を切実に希求する。

 一歩も譲ろうとしない二人に頭痛を覚え始めた頃、屋代たちとは別の場所からさらに生徒が一人歩いてきた。進むたびに車輪が草を踏みしめて二本の線を地面につけている。


「いやぁ、お待たせして申し訳ないっす。ちょっと準備に手間どっちゃっ。でもその分色々用意したんで皆さんにも楽しんでくれると思うっす………、って、何かあったっすか?」

「いや」「何もないわよ」


 運動場に呼び出した本人の登場に気が削がれたのか。波嬢とレイアはお互いから目を逸らして明後日の方向に顔を向けた。その態度に瞬きを繰り返す絡亜。疑問を疑問のまま消化しようとする同級生に、屋代は安堵しつつ口を開いた。


「準備って、もしかしてその大荷物の事か? 一体何なんだ、それ」


 絡亜はその身で台車を引いてきていた。一体その細腕のどこにそんな力があるのか、山と積まれた大量の箱に屋代は目を丸くする。大小さまざま、形も中身によって作り変えているのか、歪なものから杓子定規に作った正方形のものまでと、幅広い。


「ふふ、よくぞ聞いてくれたっす。これこそ今日皆さんを集めた理由っす」


 にやり、と笑みを浮かべた絡亜が箱を一つ取った。大きさは両手で抱える程度、見た目からして木で作られた長方形である。


「それでは御開帳~っす」


 もったいぶるそぶりもなく、むしろ嬉々として絡亜が蓋を開けると、そこに入っていたのは一本の楽器であった。


「…………フルート?」

「の形をした祭具っす」


 捕捉された絡亜の言葉が、その場にいた屋代たちを驚きに包んだ。


「へぇ、音を出して作用させる祭具なのかしら?」


 屋代たちに見えるように掲げられた中身を、波嬢が興味深げにのぞき込んだ。専門ではないにしろ、おそらく祭具に関しては絡亜に次いで詳しい波嬢がフルートの形をした祭具を観察した。


「お、もしかして詳しい人っすか? 正解っす。これは息を吹き込むことで音の代わりに電磁波を放出する祭具っす。塞ぐ穴によって磁場の波長を替えて、周囲の偵察なんかも出来る優れものっす」


 箱から取り出して構えたフルートを口に当て、吹く真似事を見せる絡亜に皆が注目した。どう見てもただの楽器にしか見えないが、しかし、よくよく見てみれば不思議な光沢を帯びている。見る角度によって色味が変わる、不思議と惹かれる艶だった。

 不波嬢が台車に積まれたままの荷物を見た。


「ねえ。もしかして、これ全部祭具なの?」

「おお、またまた正解っす。全部あーしが作ったものっす」

「え!?」


 絡亜から渡されたフルートをためすつがめすしていた屋代が、驚愕に手元を狂わせる。地面に落としそうになったフルートを直前で捕まえることに成功してどっと安堵。一呼吸のちに、冷や汗が噴き出した。


「これ全部が祭具……!」


 それも絡亜の作品だという事実に度肝が抜かれる。思わず台車に積まれた箱を見やれば、その数は数十を下らないだろう。大きさが違って積みにくいというのもあるのだろうが、なんとも危うい均衡で今にも崩れてしまいそうな雰囲気だ。祭具は基本、その一つ一つが手作業で作られる。使われる材料と相まって割高であり、何百万とするものもあるのだ。それがこれほど大量にあるという現実に目を見開いた。祭具にあこがれていた時の気持ちが再燃し、胸が熱くなる。と、同時、崩れて壊れでもしたらと思うと気が気ではない。借金生活どころか破産も視野に入りそうだ。ここ最近お金のことで悩まされているからか、すぐにそちらの方面に思考が誘導されてしまう。

 顔色を赤と青に変化させる屋代は、震える口を無理やり動かした。


「そ、それで、こんなに多くの祭具をどうして持ってきたんだ、絡亜さん?」


 できれば金庫に、いやそうでなくてもせめて平地に置いてもらえないか。

 そんな屋代の切なる願いを込めた視線に、絡亜は気づくそぶりもなく胸を張った。


「今度皆さんに行ってもらう島は安全とは言い難いっすからね。自分たちの身を守るためにも祭具は必須。なので、ここから好きな祭具を選んで持って行ってもらいたいんす」

「……本気? この中からって、かなり数はあるけど」


 唖然とした波嬢が、ついといった風に口を開いた。瞬きの回数が増えた瞳が、せわしなく祭具の山を上から下まで往復している。


「……待て。ちゃんと許可は取っているのか? 私はともかく、こっちの二人はまだ資格を持っていないんだ。祭具の使用は認められていないだろう」

「ちっ」


 それまで黙っていたレイアが眉間に皺を寄せた。公共の場における祭具の使用は資格所有者のみ認められている。この国では一般的な法を出されて、波嬢が軽く舌を打った。


「その事なら心配無用っす。今度の採掘にとって必要な物ってことで、しっかり学校側の許可はもらってるっす。もちろんむやみやたらと振り回さないこと前提っすけど、好きな祭具を持ち出してオーケーっす」

「へぇ」


 波嬢の目が獲物を前にした肉食獣のごとき物へと変貌する。今にも舌なめずりしそうな獰猛な気配だ。名門一族ならば個人的に所有している祭具も多いはずだが、自身が使える。使ってもいい祭具というものはまた格別なのかもしれない。

 その雰囲気に当たられるわけではないが、屋代も少々興奮せざる負えなかった。祭具は屋代にとっても憧れの一つだった。幼いころは格好良い祭具を振り回して神に仕える己を想像したものだ。

 そんな幼児の頃に抱いた夢を実現できる日が来るとは、と、内から溢れる幸福感に体を震わせた。


「あ、一点だけ注意っす。好きな祭具を選んでいいとは言ったっすが、箱を開けるときはあーしに声をかけてください。勝手に開けるのはだめっすから、そこだけは守ってほしいっす」

「? 分かった。一声かけるが……」


 どうしてだ、という言葉にしなかった屋代の疑問を読み取ったのか、絡亜が一つ頷いた。


「皆さんも知ってるでしょうけど、祭具は特殊な鉱物や植物を使ったものが多いっす。その効果はフルートのように何かの動作によって発揮されることもあるっすけど、大半は、ただそこにあるだけで効果を放ち続けてるんす。周囲からの影響なんて関係なく、存在しているだけで、常に垂れ流し状態なんすよ」

「……それってつまり、持っているだけでも影響があるってことか? 所持者なのに?」

「っす。祭具にとって自分を所持している人間が誰かなんて関係ないっすから。物によっては真っ先に祭具の影響を受けるのは所持者本人になるっす」


 危機感を呷る絡亜の台詞に、屋代は二の足を踏んだ。祭具がそれほど危険な代物とは理解いなかった。はしゃいでいた幼い屋代が委縮してしまい心の中に引っ込んでしまう。

 だが、言われてみれば当たり前なのかもしれない。家電製品のようにスイッチ一つで稼働させる便利な道具などではないのだ。現代では神にも献上され、神職にとっても重要な存在である祭具は、その秘めた効果、能力を発揮させるための手順はほとんど必要としない。ただそこに在るだけで常時能力を発動しているようなものだ。

 ただこれは既知の情報だったのか、レイアや波嬢には動揺が見えなかった。波嬢に至ってはもうすでに箱を物色している最中である。

 思わず唾を飲み込んだ屋代はさっきまでフルートをいじっていた手に異常がないか確認した。


「だ、だがそれじゃあ危険すぎて持ち運べもしないだろ?」

「そのための入れ物がこの箱っす。あーしたち祭具職人を目指す者がまず覚えるのは祭具そのものじゃなくて、その入れ物、効果を封じ込めて安全に保管しておくための、棺と呼ばれる箱づくりっす。逆に言うと、この棺作りが上手くできない様なら祭具は作っちゃダメッってわけっす。まあ、祭具そのものにもちゃんとその効果を遮断して安全に持てるような工夫がしてあるっすから、心配無用っすよ」


 絡亜が誇らしげに台車の棺を叩く。乾いた音が何度となく響くが、それ以外に目立った変化はない。多少のことでは壊れないという自信があるのだろう、絡亜は笑み浮かべて余裕の表情だが、屋代としては戦々恐々である。何が起きても対処できると言えない以上、警戒心を光らせておく。


「ねぇ、これちょっと開けてくれない?」

「はいっす。お、この祭具はあーしが作った中でも自信作っすよぉ」

「ふーん、どんな効果があるの?」「これはっすねぇ……」


 嬉々として箱の中身を取り出して波嬢に説明しだした絡亜をしり目に、屋代も意識を箱の山に移した。一つ間違えれば雪崩が起きそうな山を前に、どれを手に取るか決めあぐねる。とりあえず比較的抜き出しやすい位置にあった片手ほどの木箱を取ってみた。


「なんだこれ……」


 重くはない。が、綿のように軽くもない。あえて言えばちょうどいい重さといったところだ。

 その表面を指でなぞる。見た目はただの木箱なのだが、これが中の祭具を封じているのかと思うと、自然と手つきが慎重になる。


「悪い絡亜さん、これは開けてもいいか?」

「了解っす、ちょっとお待ちを――っと。はい、なかなか面白い祭具を選んだっすね。はい、どうぞっす。先っぽには触らないよう注意するっすよ」


 波嬢用にいくつか箱を開け終えた絡亜が駆け寄ってくる。そうして屋代が手にしている箱を見て唇の端を吊り上げた。

 形が違うといっても、似たような箱はいくつもある。外に印や名称が刻まれているわけではないが、それでも製作者だからなのか。絡亜はどんな祭具が入っているのか一目で見抜けるらしい。その指を蠢かして複雑な木組みの錠を外した絡亜が取り出したのは、一本の木の棒だった。


「これも祭具なのか………?」


 思わずと言う風に屋代の口から呟きが漏れた。

 外観はねじれた棒。いや、螺旋を描いていると表現すべきか。絡亜の手によって彫り込まれたのだろう、歪み一つない綺麗な螺旋が、どこにでも落ちて居そうな木の棒ではないと証明している。片手で持てる程度に短いが、持ってみると大きさに反して重量がある。絡亜に忠告されたように先の尖った部分に触れないよう、注意深く観察する。


「これはどう使うんだ?」

「それは突き刺した生物の生命を吸い取る祭具っすね。吸い取った生命を循環させて、もう片方の先を刺した相手に命を分け与える祭具っす」

「え、何それ怖い」


 絡亜の説明に屋代の顔が真顔になった。

 命を吸い取って分け与える? 一体どんな理屈なのかさっぱりわからない。そもそも命とは何を指して言っているんだ。まさか寿命というわけではないだろうな。もしそんな祭具があれば世の権力者がこぞって求めに来るぞ。

 なんにせよ絶対に体験したくはないし、吸い取られたくもない屋代は表情をそっと箱の中に戻した。


「こ、これはどうだ?」


 視線を逸らした先にあった、両手でようやく抱えられる円形の箱を取り出す。


「お、扇っすね。それは扇ぐことで高温の風を起こせるんす。あーしが想定してたのは熱風を大量発生させて、雨雲を呼ぶっていう効果だったっすけど、色々やった結果その大きさに落ち着いたんす。おかげで熱もそんなに大したことはないっす。せいぜい火傷を起こせるくらいっすね」

「いや実演はしなくて熱いッ!」


 これは。


「こ、こっちはなんだ?」

「懐剣っす。術も使えないほど相手に接近された際に使うために作ってみたっす。こう、取っ手を回すと磁石みたいに熱に反応して刃が自動で動くッす……まあ、あんまり距離があると持ってる人の方に向かってくるんすけど」

「いやちょっと待て、それはもはや自決用では危ない!!」


 屋代が。


「これならどうだ……?」

「主に鉄を使った投石っす。神様が現れるよりも前の人類の主武器を模してみたっす。投げた速度に比例して重さが増す祭具っすけど、質量が増えてないんであんまり早く投げると自重で崩壊するっす。ほら」

「おいだから体験しなくてもいいやめろ!」


 思っていた以上に危険かもしれない。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 頬から血を流し、荒く息を吐き出す屋代は早鐘を打つ心臓にまだ生きていることを実感した。目の前に迫った刃に、投げ込まれた投石に命が刈り取られていないことを、運動場に来る前よりも数段早くなった血流が教えてくれる。目の前で軽やかな笑声を上げる絡亜に文句を口にする余裕さえなく、神様や眷族と戦った時と同様の危機に目を血走らせた。


「も、もっと危険のない祭具はないのか?」


 祭具とは、派手で、美しく、それでいて神職を助けてくれる素敵な補助道具ではなかったのか。こんな、一瞬の油断で所持者の命を奪っていきそうな危険な代物だとは知らなかった。屋代が魔法使いとなって強化されていなければ間違いなく人生が終わっていた。

 安易に道具に頼るのはやめよう。そう心に誓った屋代は、もっと危なくない祭具を求めて瞳を走らせる。


「んー、あとはあんまりパッとしないものばかりっす。例えばこの用紙。特殊な木の革から作ったんすけど、これ一枚だけじゃ意味のないものっす」


 そう言って絡亜が取り出したのは、これまでと違いぞんざいに保存されていた数枚の用紙だった。大きさも通常のものと変わらず、屋代は恐る恐る指で摘まんだ。


「そのどれか一枚にかきこんだ文字や絵が、他の紙にも浮き上がるっていう、祭具ってよりは面白道具っすね。携帯端末っていう便利な家電製品があるっすから普段は使い道のないものっすけど、今回行く鉱山や電波の届かない場所なんかでは役に立つッす」

「おぉ!」


 屋代は感動で震えた。命の危険がない、というだけでひどく素晴らしいものに感じる。いや、実際この祭具は絡亜の言う通り今度の採掘現場で使えるだろう。欠点として一度書いた文字は消せなさそうだが、それでも遠く離れた相手と、電波を介することなく、それも一切の遅延なく言葉を交わせるというのは有用だ。幸い、屋代には魔法という力がある。持っていくのであれば、こういう便利に使える祭具の方が良いかもしれない。


「けど、身を守るものは必要だよな」


 用紙の束を大事に抱えて、防具くらいは欲しいと箱の山を物色する。蛇のように細長い革箱をかき分け、鋼鉄製と思しき頑丈ば箱を脇にのけること数分。山のほとんどを崩し終えた屋代が、冷たい空気の中で汗を流していると、ふとそれを見つけた。


「………錫杖か? いや、これは」


 ちょうど屋代の手でつかめる太さ、持ち上げてみるとやや重みを覚えるが、むしろそれが頼もしさに通じる。金属製の光沢から考えるに比重の軽い鉱物が使われているのかもしれない。両端には僅かな装飾が施されているが、それもよく見なければ分からないほど質素なものである。鋼鉄の棍に見える祭具だ。


「うん? もしかして絡亜の私物なのか?」


 まじまじと観察してみると、使い込まれたような跡が散見された。これまで見てきた祭具はどれも新品と言って差し支えなく、保存もされていたが、これだけは箱にも入れられずむき出しの状態だ。どうにも絡亜らしからぬ扱いだと首を傾げる。


「あれ、なんでそれがここにあるっすか?」


 そんな屋代の様子に、祭具を箱に入れ直していた絡亜が気づいた。作業の手を止めて近づいてくる絡亜に、ぶつけない様ゆっくり棍を差し出す。


「山の中にあったぞ。これも絡亜さんの作品なのか?」


 それにしては、どうにも毛色が違うように見える。そんな屋代の質問に、絡亜は懐かしむように目を細めた。


「違うっす。これはあーしの師匠の作品っす。たぶん、急いでまとめてたんで紛れ込んじゃったんすね」


 そう言って屋代から棍を受け取った絡亜は、幾分たくましい腕で掲げて見せた。こうして端から観察してみると、その長さも絡亜の身長と同程度と、屋代が持つにもちょうどよい長さだと分かる。


「へぇ、やっぱり祭具職人の師匠がいるのね。これだけの腕だもの、学校に通ってから教わったにしてはあり得ないくらいの完成度だから、ある意味納得ね」


 屋代たちの話が聞えていたのか、腕に艶のある黒箱を抱えた波嬢が言葉を投げてきた。


「祭具は選び終わったのか?」

「ええ。正直な話、学生が作った祭具ってことであんまり期待してなかったけど、彼女の物は別次元ね。すぐにでも職人になっていいくらいの腕よ」

「えへぇ……、って、いやいや。あーしなんて全然。師匠の足元にも及ばないっす」


 絡亜は感情が表情に直結しているようだ。 

 言葉では否定しながらも体は正直なようで、波嬢の誉め言葉に目じりを垂れ下げ、照れた表情で体をくねらせた。詳しくなくとも祭具を見慣れている波嬢の言には信用がおける。屋代も目の前の少女が並みの腕前ではないのだと理解できた。


「でも祭具………、なんていうか、随分味気ないわね。どんな効果があるの?」


 飾り気がないという、率直な波嬢の物言いに気を悪くした様子はなく、絡亜は慈しむように指先で棍をなぞった。


「触れたら感電するとか、炎を噴き出すとか、そんな特別な効果は一切ないっす。ただただ頑丈で、どれだけ使っても決して壊れない、製法、鉱石の比率が秀逸の作品っす」

「そうか……」


 どうやら所持者の身を危険にする祭具ではないようだ。屋代がこっそり安心の息を吐き出す横で、あまり興味がないのか波嬢は一瞥しただけで絡亜に目を移した。


「アタシはこの祭具に決めたわ。持ち出しの許可っているの?」

「一応学校に提出するための書類があるっすから、それを書いてもらいたいっす」


 屋代に棍を返した絡亜が、波嬢を連れて離れていく。

 その背中を見送りながら、屋代は手の中で確かな重みに視線を落とした。


「………………」


 なんとなく、感じるものがあった。しかし、それが何なのか。言葉にすることが出来ず、喉奥でもどかしく唸った屋代は、その鬱憤を晴らすように棍を構えた。武器術など知らない屋代は、俗にいうへっぴり腰であり、とても構えとは呼べない姿勢であったが、それでも見よう見まねで握りしめると、これまで曖昧だった戦うことへの覚悟や、危険に飛び込む決意が急速に固まりだした……気がする。


「――いい」


 自分でも理解しきれていない部分が、屋代の背を押した。これまで見てきたどの祭具よりもしっくりと来る感触に、口が笑みの形に変わった。


「絡亜さん、俺はこいつを使いたいんだが、難しいか?」


 絡亜の作品ではない、ひいては学校の祭具として登録されていないものということだ。それを使ってよいのか判断を仰ぐ。


「あーそれっすか? それは、うーん……」

「………ダメか?」


 絡亜の難しい顔に、屋代は顔を曇らせた。

 師匠の作品ということは、もしかすると絡亜にとっても大切な祭具なのかもしれない。とてもそんな扱いには見えなかったが、そも師匠の作品がここにあること自体不思議と言えば不思議である。


「や、そんなこともないっすけどね。もともと師匠の家に何十年も置かれていた物をあーしが勝手持ってきただけっすから」

「それはそれでまずくないか?」


 祭具職人が作った作品となれば、それは商品だったのでは? 身内とはいえそれを盗んできたのかと、冷や汗が流れた。

 見本すよ、見本。と絡亜は肩をすくめた。


「やっぱりお手本にするのはこういう単純な機能を持ったものが一番っすから。それに、師匠だって何も言わなかったっすから問題ないっす。でまあ、今回それを持っていけるかってことっすけど………問題ないと思うっす。師匠の、いわば個人的な所有物っすからね。使用申請だけしておけば問題ないっす」

「なら、ぜひ使わせてくれ」


 改めて、使い込まれた棍を握りしめる。屋代の力では悲鳴一つ上げない頑丈さに胸が躍った。

 ほんの僅かな間だが、相棒となった棍で空を切る。


「あとはアルクセイさんだけか」


 向上した機嫌を隠すことなく笑みに乗せた屋代が周囲を見渡せば、コチラに背を向けてぼんやり立ち尽くすレイアが見えた。


「どうだ、アルクセイさん。使いたい祭具は見つかったか?」

「………いや。私に祭具は必要ない」


 振り返ったレイアは、どこかつまらなそうに見えた。屋代や波嬢と違って、まるで食指も動いていなさそうだ。


「ふーん、気取ったこと言ってくれるわね。今回程度の危険なんてないのと一緒ってわけ?」


 そこに、書類を書き終えた波嬢が瞳を鋭くして近づいてきた。持っていた黒箱は絡亜に任せたのか、何も持っていない手が感情に従い震えている。


「……私はあくまで助言者だ。たとえ何かしらの危険があっても対処する理由がない。ゆえに、祭具は必要ない」

「何よそれ。自分を守れって言ってるわけ? さっすが英雄。上から目線だこと」


 はっ、と吐き捨てる波嬢。その態度、格好は美少女の波嬢がするとより迫力が増す。言われた相手が気の弱い男であればそれだけで委縮してしまいそうだ。


「元からそういう話だ。もしもの時は俺がどうにかするから、そう目くじら立てるな」


 屋代もまた、レイアの言葉に思うところがないわけではなかったが、苛立ちで歯ぎしりする波嬢を見ると幾分冷静になれた。レイアはあくまで鉱物を探すための助っ人だ。そういう約束で誘ったのだから、彼女の身を守るのは屋代の役目だろう。


「へぇ、少し前まで祈相術も使えなかったのに言うじゃない。よっぽど自信があるってこと?」

「あー、まあ、少しは役に立てると思うぞ?」


 目を泳がせる。何が起ころうと問題ない、などとは言えない。屋代の魔法は物理的な影響力がほとんどないため、もしも鉱山の奥深くで閉じ込められようものなら、脱出することも出来ず生き埋めになるしかない。ファナディアのような膂力もないため、胸を張れない屋代は少々悲しくなった。


「…………」


 レイアは顔を顰めながらも言葉を返さない。波嬢との争いを避けるためか。それとも何か理由があるのか。なんであれ、祭具を持たないという意思は固そうだ。どこか、自分が口にした言い訳に引っ込みがつかなくなった者のような雰囲気を漂わせて、レイアはその場から一歩も動こうとしない。波嬢が舌を打つ。


「術も見せないし、祭具も使おうとしないって。どうしてこの学校来たのよ。アタシたちの笑いに来たの? 馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ」

「お、おい。波嬢」


 いつもであれば引いているだろう空気だったが、どうにもレイアの態度が腹に据えかねるらしい。

 青筋を立てんばかりに怒る波嬢に、屋代も内心、同意する部分があった。そも、どうして神に仕える資格を得るための学校にアルクセイが通っているのだろう。そのくせ、ほとんど授業に参加せず、したとしてもほとんど見ているだけとなれば、波嬢でなくても真面目に神職を目指す生徒にとって目障りだろう。まだ未熟な自分たちを嘲っているのだと捉えられても仕方がない。


「………」


 波嬢の厳しい視線に、レイアは言葉を返さない。ぎゅっと、唇を引き結んでいる。我が身を守るよう両腕を体に交差させた姿勢のまま、沈黙を貫く。それもまた、波嬢の感情を刺激するだけだった。


「アンタは……」

「―――――どういうことだ!」


 その場に居た全員の肩がはねた。どこから聞こえてきたのか。波嬢の声を消すほどの怒りが含まれた大声に、屋代たちは目を運動場内に配った。


「だからぁ、何度も言ってるだろぉ。もうこれは決まったことで、今さら言っても覆らないことなんだってぇ」


 そのあとに聞こえた、気だるさを纏た声色に釣られるよう屋代の瞳が運動場の出入り口に向けられた。

 するとそこには、祈相術講師である白石と、その白石に掴みかかりそうな勢いで激している流堂がいた。


「違う、俺が言いたいのはどうして俺に声を掛けなかったか、ということだ。品評会への参加など興味はない!」

「あぁ、そういう……まったく、面倒な奴だなぁお前」


 いつも通りやる気のない白石が、詰め寄ってくる流堂を鬱陶しげに流し見た。その露骨な顔は離れていた屋代からもよく見え、面倒ごとが起こっていることを如実に伝えてくる。


「なんだろうな……」

「さあ? でもろくなことじゃないのは分かるわね」


 流堂の声に気勢を削がれたのか、波嬢は大きく顔を歪めて溜息を吐いた。

 書類に不備がないか確認していた絡亜も、その集中を途切れさせるほどの大音量に顔を上げた。そのまま屋代たちへと近づいてくる白石に、視線が集中する。


「おい、話は終わってないぞ!」

「ったく、敬語を使えとは言わんけど、もう少し言葉遣いっての考えろよ。先生だぞ私」


 後ろから喚く流堂に諦めたのか、首を横に振った白石。


「こっちから話すことはないっての。いつまでも癇癪に付き合ってる暇はないんだから、おとなしく帰れ」


 まるで野犬を追い払うようにぞんざいな仕草で突き放そうとする白石に、流堂の顔が真っ赤になる。血が昇りすぎて今にも破裂しそうなほど、その変化は屋代から見ても一目瞭然だった。流堂が怒りで瞬立ち止まった隙をついて、白石が足早となる。瞬く間に距離を離した白石が、屋代たちに合図を送るように手を振った。

 4人全員で目を見合わせる。譲り合うように視線をぶつけ合った結果、途中から試合放棄した屋代が代表で口を開いた。


「白石先生、何かあったんですか?」


 本当は要件を訊いておきたいところだったが、まずは顔を赤くしてコチラを睨みつけている流堂をどうにかしたい。というか、なぜ流堂がここにいるのか本当に分からない。


「あーそれはあれだ、お前たち、ていうかお前に嫉妬してんの」

「おいっ、何をでたらめなことを言っている! 俺はただ正当な主張をしているだけだ!」


 駆け寄ってきた流堂が唾を飛ばさん勢いでがなり立てた。その言葉の意味が理解できない屋代は首を傾げる。


「俺を差し置いてこんな出来損ないに声をかけるなど間違っている。初めに頼るべきなのはこの俺のはずだ!」


 先ほどから一体何のことかまるで分からない屋代が、ただただ疑問符を量産する中で、同じく話を聞いていた波嬢は流堂の台詞から状況を把握できたようだ。呆れと失笑が絶妙に混ざった表情を浮かべた。


「まさか、こいつが品評会の手伝いを頼まれたから喚いてるの? ぶふっ、ちょっと、笑わせないでよ」


 自分で言っていて面白かったのか、波嬢の口から笑いが漏れる。はっきりと馬鹿にしたその笑みに、流堂の顔が醜く歪んだ。


「黙れ! 品評会などどうでもいい! 俺を差し置いて出来損ないに声をかけていることが可笑しいと言っているんだ!」


 そこまで聞いて、屋代にもなんとはなく流堂が騒いでいる原因を掴めた気がした。屋代は確かに品評会の手伝いをしている。しかし、それは進級するために必要な成績を補うためでしかない。だが、そういった事情を知らない流堂にしてみれば、祈相術も使えなかった屋代が、自身を蔑ろにした上に選ばれたという事実が許せないのだろう。言葉通り、品評会のことは一切興味がなくとも、選ばれる、という事実関係は流堂にとって許容しかねたらしい。

 何事も自分が一番に扱われれないと気が済まない性格。傲慢というより、ただの子供だ。


「………騒がしいな」


 レイアも、流堂が喚き散らす話の内容を読み取っただろう。その目から急速に関心が消え路傍の石を眺めるような目つきとなった。絡亜にとっては初めて目にするタイプの人間なのか、珍獣を眺める面持ちだ。


「別に可笑しくなんてないでしょ。だってこいつ、神様を止められるくらいの実力はあるんだから。下位神に一蹴されてたアンタとは格が違うでしょ?」

「いや、俺一人でやったわけじゃないぞ……?」


 波嬢が指し示してきた指先を眺めながら、屋代は汗を流す。ここでその話を振られてしまうと否定しずらいものがあった。

 だが、流堂の勢いは止まらない。それこそ火にかけられた鼠のように、何かに追い立てられているかのような必死さだ。


「そんなもの語りだっ。祈相術をまともに使えない出来損ないに、そんなことが出来るはずないだろうが!」


 だが、少なくともそれがあったことを社会は認めている。流堂がいくら否定しようと現実は覆らない。

 そんな正論が屋代の頭の中で浮かんだが、口に出すことはしなかった。この場合、言論の正しさは関係がないからだ。流堂が騒いでいるのはただの感情。白石の言う通り、自らを蔑ろにされたことに対する癇癪に過ぎない。たとえその目で屋代の魔法を見たところで何かと文句をつけて認めはしないだろう。

 流堂の中で、屋代は永遠に出来損ないとして見下されているからだ。


「はぁ、もういい加減にしろって流堂。今からこいつらと採掘の件で色々伝えることがあるんだ。これ以上騒いで時間を無駄にするっていうなら――――私も容赦しないぞ?」

「っ」


 最後だけ、やけに殺気の効いた声を出す白石。直前までの締まりのない顔から一転した鋭すぎる瞳に、流堂が小さく息を呑んだ。珍しく取り巻きがいないからか、追従の声が無いのもあって流堂の口が一瞬途切れ場に沈黙が落ちた。

 が、今日の流堂はしつこいようだった。


「っ、ふざけるなよっ。操られた神を止めた? あまつさえその神を助けた? こんな、出来損ないのゴミごときが俺に出来ないことをするはずがない!」

「操る?」


 流堂の叫びに、絡亜が瞬きした。ここにいて今の台詞の意味を正確に理解できたのは、屋代と波嬢、白石くらいだ。そうしてそれは、把握できない者に聞かせていい話ではない。

 さすがにまずいと思ったのか、苦々しい顔になった白石が一つ舌打ちした。


「もういいわ。お前、ホント黙ってろ」


 ごすっ、という音が屋代たちまで聞こえてきた。それほど容赦のない腹パンチが繰り出された。


「お、おご……っ、」


 あれだけ赤く染まっていた流堂の顔が一瞬で青白くなる。白石遠慮ない一撃は随分と良い位置に突き刺さったようだ。腹を抱えて膝をついたその姿は気絶寸前のボクサーか。目玉を飛び出さんばかりに瞼を開き、白目をむいている。意味をなさない呻きを上げる流堂の襟首を掴み、白石は屋代たちに頷いた。


「こいつ捨ててくるから。ちょっと待ってな」


 そう言って、己より体格の良いはずの流堂を引きずって行ってしまう。草の生えた地面に、二本の轍を作りながら去っていった。

 ただの一撃で激していた流堂を鎮めるなど、もしかすると白石は思っている以上に強いのかもしれない。


「まったく、なんだったんだ…」


 誰からともなく、ため息が漏れる音がした。

 まるで台風のように周囲に影響を与えながら、その本体は何事もなかったように去っていく。実際には白石の一撃で意識不全に追い込まれただけだが、それでもその場にいた者はお互い合わせたわけでもないのに胸を撫でおろした。


「………神を助けた。それはどういう意味だ?」


 いや、一人だけ例外はいた。もうすでに興味を失って書類にかかりだした絡亜と違い、レイアの睨みつけるような視線に屋代は口ごもった。


「あー、そのままの意味だ。諸事情あって暴れていた白穂神を止めただけ」

「………先ほど操られたとも言っていたな。まさかと思うが、何者かに神が操り人形にされていたわけではないだろうな?」

「………………」


 余計な言葉を残してくれた流堂に頭の中で呪詛を吐く。レイアの鋭すぎす指摘に言葉が見つからず、引きつった表情のまま固まってしまった。そんな屋代の反応に、口にしたレイア本人が驚いた。


「その反応。まさか、本当にあったことのか? 神が操られ、それを助け出したと……?」


 そこまで話を聞いていた波嬢も、誤魔化しきれないと悟り盛大に息を吐き出した。


「はぁ。あの馬鹿が口を滑らせたから言うけど、アンタの言う通りよ。そいつが元校長に操られた白穂神様や浄環ノ神を止めたのよ。おかげでどうにか人死にを避けられたってわけ。まあ、そいつ曰くファナディア・ソーサーって子も協力してくれたみたいけど」


 だから、外では吹聴するな。

 言外に告げられた波嬢の忠告だったが、その言葉にしていない部分をくみ取れるほどの余裕はレイアにはなかった。


「ファナディア・ソーサー……――――!」


 ばっ、と唐突に、レイアは両手で顔を隠した。


「ど、どうした? 大丈夫か?」


 一体何に衝撃を受けたのか。頭を抱えて沈黙したレイアに声をかけてみるが、まるで反応がない。戸惑いながら波嬢に目を向ければ、コチラも訝し気に首を振る。一秒、二秒が経っても動くそぶりが見えず、俯きながら立ち尽くす姿は込み上げてくる何かを抑え込もうとしているようだった。


「どうして――私の時は……」


 意味を掴めない単語が呟きとなって零れ落ちた。屋代がどうすべきかと対処しあぐねていると、落ち着いたのか、レイアがゆっくり顔を持ち上げた。そうして指の隙間から覗いた瞳と視線が合った瞬間、屋代の全身を得体のしれない感覚が走り抜けた。


「…………私との約束を覚えているな? 島に行く前に叶えてもらうぞ」


 声色は穏やかであったが、その口調は固く。何よりその眼差しに含まれている嫉妬の色がはっきり感じ取れた。祈相術を使う生徒たちに向けていた、屋代の羨望の色など目など比ではない。へばりつくような怨念じみた深く暗い感情。初めて向けられたその感情に、屋代は反射的に唾を飲み込んだ。


「わ、分かった。空いている時間を確認する」


 油の切れた機械のような動きで頭を上下させる。そうしなければ今すぐ襲われそうな、身の危険を感じ取った。

 ゆっくりと壁際に戻っていくレイアを恐々とした目で見送っ。視線を逸らせばどうにかなってしまいそうな気がして体を緊張させていると、固唾をのんでいた波嬢が呟いた。


「何なのよ、一体……」


 その問いに明確な答えを返せるはずもなく。ただこの後に控えている白石との打ち合わせは気まずい雰囲気で行うことになるのだろうと、それだけは理解できた。

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