2-4

「………遠いなぁ」


 太陽が頭上高くに上り、暖かな日差しを地上にそそぐ昼時。屋代は一人、並木道を歩いていた。


「本当にこっちでいいんだよな……?」


 誰にともなく呟たのは不安の表れだ。学校の敷地内とはいえ、屋代が歩いているのはその端、普段授業を受けている本校舎から大分と離れた場所だからだ。整然と並んだ木々が肌寒い風で揺れる姿は情緒を感じさせるが、しかし屋代以外に感じいる者はいない。校舎に響く喧騒も遠く、まるでこの道だけ周囲の空間から隔絶されたかのような静けさに包まれていた。唯一の音源である木々のざわめきだけを耳にしながら、屋代は貰った地図に視線を落とした。


「この道で間違いないんだが」


 喉を唸らせる。

 国立神職養成学校は広い。他の高校を知っているわけではないので比較できないが、国内でも有数の敷地面積があろう。祈相術を扱うという役柄、安全性を確保するためどうしても広大にならざる負えず、なので、屋代のように生徒の大半は普段利用する場所以外に疎い。縁がなければ在籍している間も足を運ばない場所、何のために存在しているのか分からないような教室までもある。移動するにも一苦労必要なほど生徒たちにとって負担がかかる学校なのだ。屋代が歩いている道もまた、これまで存在さえ知らなかった。


「お」


 平らに均された地面が、茶色の土がむき出す道へと変化した。足元から伝わってくる細かな土を踏む感触に眉を上げた屋代は、聞いていた話と違わない変化に安堵した。


「あとは坂道を登って道なりに行くだけか」


 屋代が昼休みに軽い山登り、いやハイキングに勤しんでいるのは、品評会に参加予定の生徒に合うためだ。少し前、麿先生から呼び出しを受けてそこに行くようにと伝えられたからである。わざわざ遠く離れた場所まで行かずとも校舎内で話せばいいではないか、と思ったのだが、どうにも、祭具づくりに余念なく、時間があれば工房にこもっているという。おかげ歩く羽目になった。

 短い草が生える道を進むこと数分。屋代の目にようやくそれらしい建物が見えた。

 外見はどこか近代的な箱のよう。白く、どこか無機質な色合いは周囲に何もない環境と相まって隔離という言葉を想像させた。


「工房、には見えないけどな」


 屋代が考えていた、煙突の付いた煉瓦造りの建物とはまるで違う。本当にあの中に参加予定者がいるのかと不安になるほど、屋代の耳には何も聞こえてこない。

 顔を曇らせて恐る恐る近づく、と。


「もう嫌だぁぁあああああ!」

「!?」


 工房の一部、屋代から見てちょうど正面の一角が開いた。

 完全に油断していた屋代が驚きに肩を跳ね上げるのも構わず、中から男子生徒が飛び出してきた。


「うああああああああ!!!」


 すぐ近くの屋代に気づく様子もない。絶叫を上げる生徒はそのまま屋代が来た道を逆走するかのように走り去ってしまった。一瞬見えた顔は泣いているかのように歪んでいた。いや、あるいは本当に涙を流していたのかもしれない。その声音は拒絶と悔しさに彩られていた。


「な、なんだったんだ……」


 屋代は目を丸くした。走り去ったた男子生徒はすでにその姿が見えず、絶叫も遠くに聞こえる程度。それもすぐに届かなくなり、あとに残されたのはただただ呆然とした屋代だけになった。


「いや、ちょっと待て?」


 まさか、今のが参加予定の生徒なのか? 

 顔合わせに来てみればいきなり泣いて逃げられることになった現状に、屋代の額から冷や汗が流れる。その脳裏には、品評会失敗、防人学科編入不可の文字が躍った。

 まだ何もしていないうちから終わってしまったのかと、内心恐恐としていると、開いたままの扉からさらにもう一人の生徒が出てきた。


「あっちゃ~、まーた逃げだったすか。これで何人目になるんすかねぇ」


 先の生徒とは違い、こちらは取り乱した様子もなくのんびりとした歩調だ。呆れと不信が込められた声。そこにいたのは独特な髪色をした女子生徒であった。まるで金属を溶かして編み込んだかのような鈍色の髪、邪魔にならないようにするためか、団子状にして頭の上にまとめられている。


「……今、いいか?」

「ん? 誰っすか? うちになんか用っすか?」


 屋代の存在に今気づいたと言わんばかりに瞬きする女子生徒に、戸惑いを隠さないまま頷く。


「成実 屋代だ。品評会を手伝いに来たんだが、聞いてないか?」

「ん、ん~?」


 首を傾げ、疑問符を浮かべる女子生徒。作業服に皺が作りながら腕を組むが、思い当たったのかその表情を明るくした。


「ああっ、聞いてるっす。お手伝いさんっすね!」

「お手伝い……まあ、間違ってないが」


 にへら、と笑みを浮かべる女子生徒に少々困惑。何というか、見た目との違いが激しい。初対面の屋代に対して無防備というか、壁を作らない空気を放っている。


「どうぞどうぞ、中に入ってくださいっす」

「……いいのか? その、取り込み中なら放課後にでも出直すぞ?」


 もういない男子生徒を見るよう、道を振り返る。何があったか分からないが、あれほど悲痛な表情で走っていったのだ。込み入った事情があるのではないか。そう心配する屋代だったが、女子生徒の反応は淡白だった。


「や、もういいんす。終わったことっすから。そんな事より早く打ち合わせするっすよ!」


 屋代の背中を両手で押してくる女子生徒。親し気、というよりどこか幼子を思い起こさせる動作に、屋代の顔はますます難しいものになった。数瞬迷いつつ、しかし外で立ち止まっている意味もないかと、息を吐き出した。体を押し込む力強い腕に導かれて工房に足を踏み入れた。


「お、」


 そうして軽く目を見開くことになった。外観をして想像していた工房とかけ離れていたが、中もまた屋代の考えていた物とは違う姿をしていた。まず目についたのが整頓された机だろう。綺麗に整えられたファイルが整然と並んでいる。奥には対面式の机も用意されており、どこぞのオフィスを思わせる中身である。工房と聞かされて想像するような、汚れといったものはほとんどない。せいぜい使い込まれた後の黒墨があるくらいだ。

 予想を裏切られた屋代が思わず足を止めると、その腕をつかんで女子生徒が奥に引っ張った。


「ささ、こっちの椅子に座るっすよ。ちょっと物が散乱してるんすが気にしないでほしいっす」

「これって、神社で使われる道具だよな? なんでこんなところに……」


 おそらく外からの来客や何かの相談事に使われるその一角に、いくつかの道具がおかれた状態だった。玉串、折り紙、注連縄。所狭しと並べられた数々の道具は、普段神社などでよく見かける物ばかりだ。屋代も神職を目指した身、当然見たことはもとより触ったこともある。だが、なぜそんなものが置かれているのか。

 首を傾げた屋代の反応に、女子生徒はつまらなそうに唇を尖らせた。


「これ皆、祭具っすよ」

「これが……!」


 屋代の目がくわっ、と剝かれた。

 神職の憧れであり必須の道具。言葉や理屈で表すことさえ難しい様々な現象を引き起こし、さらには祈相術の効果さえ増してくれる素敵道具。時価にして数百万とする、学生には手が出せない高嶺の花。それが、これほど無造作に置かれているとは。

 魔法使いとなる前の屋代であれば一目散に飛びついていただろう。あるいは制止の声さえ振り切って頬ずりくらいしていたかもしれない。しかし、今の屋代は違う。魔法を使えるようになり、祈相術への未練をきっぱりと断った屋代であればこそ、冷静な態度は崩さない。


「そんなに震えてどうしたんすか? 触りたいなら触ってもいいっすよ。別に怪我もしないっす」


 そう、冷静なのである。

 細かく振動しながら伸びてしまっている手は、断じて女子生徒のお許しを得たと興奮しているわけではない。

 もう一方の手で今にも触れそうになった腕を止め、断腸の思いで振り切った。


「そ、それより品評会の話をしようぜ。工房の責任者は……」


 どこにいるのかと、工房内に目をいき渡らせるが、誰の姿も見えない。学生はおろか、工房を監督しているはずの教師の影さえなかった。祭具に夢中だった屋代が違和感を覚えるのと同時、机を挟んで座った女子生徒がなんてことなく口を開いた。


「何言ってるっすか。あーしっす」

「は?」

「だから、工房の責任者。監督役の先生もいるにはいるっすが、普段から顔も見せない名ばかりの人なんで、基本あーしがここの責任者っす」


 本当か、と疑念を宿してしまったの無理ないだろう。どう見ても屋代の同年代、童顔だったとしても二年生くらいか。そんな若い女子生徒が、他の者たちを押しのけて工房責任者となっているなど、よほど人望に優れているか、さもなければ超人的に祭具職人としての技術が優れているかのどちらかだ。人懐っこそうではあるな、と先までの行動を振り返る屋代だったが、そこでふと、白穂神から頼まれていたことを思い出した。


「悪い、そういえば名前を聞いてなかったな。よかったら教えてくれないか?」

「ああ、失礼したっす。あーしは手証 絡亜(てあかし らくあ)っす。気軽に絡亜って呼んでくれていいっすよ」


 締まりのない笑みを浮かべて手を振る女子生徒、改め絡亜に、屋代は天を仰いだ。その白磁の天井を眺めながら、口には出さずに白穂神に言葉を返す。

 彼女が世間知らずと神にも言われるくらいの問題児かと。


「そうか……そうか。了解した」


 だが、白穂神が称するような問題があるようには見えない。今のところ屋代に対してごく普通の、まあ、やけに壁のない接し方ではあるが対応をしている。世間知らず、という部分はまだ分からなかったが、過度に心配するような相手に思えなかった。

 とはいえ、白穂神の言うことだ、もしかすると何かあるかもしれない。そう頭の片隅に留め置いた。


「それで絡亜さん。さっそくなんだが俺は何をすればいいんだ? というか、俺にできることがあるのか?」


 麿先生から話を聞いた時から思っていたことだが、手伝いと言われても何かできるとは考えられなかった。祭具に関するごく一般的な知識こそ持ち合わせているが、作成方法などまるで知らず、実際に触ったことも授業での数度だけだ。屋代にできることは祭具の試し打ち、実験対象になるくらいが精々だろう。

 そんな風に高をくくっていた屋代だったが、絡亜のひまわりにも似た満面の笑顔に驚かされることになった。


「はいっ、あーしと一緒に島に行ってくださいッ!」

「……島? なんでそんなところに」


 これが気の早い男子生徒か思春期をこじらせた妄想ヤロウであれば、告白されたと浮かれること間違いなし。どこの島かも定かでないが、美少女と呼んで差支えのない絡亜と二人きりで島に行こうなどと誘われれば、ためらう時間も惜しんで頷いたはずだ。

 だが残念ながら屋代はそこまで想像たくましくないので思い至らず、ごく表面的に絡亜の台詞を受け止めて頭をひねった。

 絡亜も特に含みがあるわけでもなく、屋代の質問に素直に応えた。


「その島で見つかった特別な鉱物を発掘してほしいんす。それがあれば、凄い祭具が作れるはずなんす」


 絡亜は瞳を輝かせた。おそらくその視線の先には、絡亜が思い描く凄い祭具とやらが、明確な形となって浮かんでいるのだろう。あいにくと屋代には、ただ目に期待を載せた絡亜しか見えなかったが、それでも全身から放たれる陽の空気に少し気圧される。


「祭具のことはよく知らないが……つまり、俺はその島に行って発掘作業、その手伝いをすればいいのか?」

「っす。お願いするっす!」


 がばっ、と絡亜が勢いよく頭を下げた。お団子状の髪が小刻みに揺れ、屋代の目が自然と吸い寄せられる。


「……他の人たちは同行しないのか? いや、行くのが嫌ってわけじゃない。それが手伝いというなら喜んでするが、俺じゃなくても慣れた奴がいればそいつを同行させればいいんじゃないか?」


 そう言って、もう一度周囲を見渡す。

 進級兼編入が懸かっているのだ。手を抜くつもりはないし、屋代が出せる全力を尽くすつもりであるが、所詮は素人。鉱物など図鑑などでしか見たことはないし、触ったことももちろんない。採掘の方法、手段さえ分からない、そんな人間を手伝わせるほど人材不足なのか?


「というか、どうして採掘するんだ。祭具職人っていっても、そこまでしないんじゃないか?」 


 屋代が知らないだけで、あるいは職人一人、つるはし片手に鉱道を掘り進むなんてことがあるかもしれないが。

 とはいえ、職人とは手先が命だろう。手指を傷つけるような重作業を進んで行う職人がいるのか、と眉を寄せる。


「工房にいるのはあーし一人だけっす。他には誰も。みんな出て行っちゃったすから」

「一人? 何かあったのか?」


 首を横に振って、だから同行できるのは彼女一人だけなのだと伝えてくる絡亜に顔が渋くなる。よく観察してみると、確かに並んだ机には私物と思われる物品はなく、そのため使用感が全くない。少なくともいなくなったのは昨日今日の話ではなさそうだ。工房に入る前、泣きながら走っていた男子生徒が思い返される。

 この工房で何が起こったんだと訝しむ屋代に対して、机を挟んで座る絡亜も不思議そうに両手を広げた。


「さっぱりわからないっす。ここって、初めは十人以上在籍していてそれなりに騒がしかったんすけど、いつの間にかみんないなくなっちゃったんすよね」


 虐め、暴力、あるいは痴情の縺れ。

 頭に浮かんだそれらの単語を、しかし屋代は手で振り払った。まだ絡亜について何一つ理解していないが、それでもそれらの言葉が似合わない気がしたのだ。とはいえ、部外者の屋代が突っ込んでいい話か判断できず、難しい顔で固まってしまう。


「初めはみんなで仲良く祭具作りに夢中だったっす。なのに、話してるうちにだんだん不機嫌になって、その内いなくなるんす。わけわかんないっす」

「話って、何を話してたんだ?」

「別に大したことは何も言わないっすよ? ただあーしらは職人を目指してるっすから、祭具について意見を交わしあうことが多かったっすね」


 そう口にして、絡亜は置かれてあった祭具を摘まみあげた。折り紙、だろうか。見事な色彩で染められた紙で折られた鶴は今にも飛び立ちそうな躍動感があった。


「例えばこれ。さっき出ていった人が作った祭具なんすけど、これ、ひどい出来っすよね?」

「……え? い、いや、俺にはよく折れているように見えるぞ」


 あまりにも自然に貶した絡亜の台詞に、一瞬反応が遅れた。


「え~、いやいや、こんなの祭具なんて言わないっす。ただの紙遊びじゃないっすか。これの完成形は特別な染料で染めた紙に文字を書いて、その文字通りの形に折ればそのものの動きを取るっていう、まあ、半分お遊びみたいな祭具なんすけど」


 そんな屋代の言葉が気に入らなかったのか、絡亜が唇を尖らせた。


「でもここっ、この部分! なんなんすかね、このまだら模様。狙って染めたとしてもこれじゃあ効果なんて出ないに決まってるっす。中に書いた文字も変に崩れてて、これじゃあ本当に折り紙で遊んでるだけっすよ」


 紙を広げて中の文字を見せつけてくる絡亜に促されてみれば、たしかに、屋代の目からも分かる程度には文字が崩れている。本人の癖が出てしまった単語は鶴と書かれていたが、折り紙は微動だにしていなかった。これでは絡亜の言う通り、遊びと断言されても仕方がない。


「こっちの注連縄もなってないっすよ。使った素材はそこそこいいものだったのに、編み方が雑だったせいでまるで効果を発揮してないっす。これじゃあ素材が泣いてるっすよ」


 よく見てくれと、突き出された注連縄を注視する。おそらく屋代が訊いたこともないような素材の紐を、何千、何万本とより束ねて作り上げたはずだ。その出来栄えは、正直判断が付かない。ほんのわずかに撚れている箇所がある、ようにも見えるが、指摘されてそう思う程度のものだ。絡亜に言われなければ疑問すら抱かず、良い祭具だと臆面なく言っていただろう。


「まったく、みんななってないんす。祭具を作ろうっていうのに玩具ばっかり作って。真剣なのは口だけで、あとはやる気も見えてこない物ばかりっすよ」


 そう言って、絡亜はもっと本気で頑張ってほしかったっすと、ため息を吐いた。その様子は本心から残念がっているようにも見えたが、同時に何もわかっていないことも現わしていた。


「………もしかして、これか?」


 他の生徒が逃げ出した理由は。

 絡亜に聞こえないよう口の中で呟きを落とした屋代は、机に置かれたままの作品を見やる。端から見れば、どれも普段使いすることに問題ないよう見える道具の数々も、絡亜に言わせれば不出来な作品なのだろう。手に取っていた折り紙もぞんざいに戻した手つきから、その心の内が伺えた。しかし、これらはみな、生徒たちが魂を込めて作り上げた作品、のはずだ。中には本当にお遊び感覚で作られたものがあるかもしれないが、そのほとんどは間違いなく真剣に作っただろう。一つ一つ、自らを込めて作った祭具は確かに効果を発揮できずに終わってしまったが、それでも本気であったはず。そんな作品たちの不備を指摘されたら、果たしてどんな気持ちになっただろうか。


「こっちは鉱石の割合がなってないっすね。素材の段階から失敗しているのに気づかず強引に成型したせいで完全に失敗してるっす」

「…………」


 当人に悪気はないのだろう。嘲笑ってやろうなどという考えもおそらくないし、見下そうとする雰囲気も皆無だ。絡亜は真面目に祭具と向き合った結果として、間違いを指摘しているにすぎない。しかし、それを一年生に言われて、元からいただろう職人を目指していた生徒は耐えられたのか。いや、彼女以外誰もいない工房内を見渡せば一目瞭然か。皆が皆、悪意のない絡亜の言葉に追い詰められ、そうして逃げたのだ。


「…………」


 顧問の教師からならば角は立たなかっただろうに。それに、いくら不出来であったからと、あれがダメ、そこが下手だと伝えることは相手の誇りを傷つけることになる。屋代の場合は、祈相術で悪い個所を教えられればむしろありがたいと考えるのだが。特に三年の生徒であれば、それまで頑張ってきた時間もあって、素直に受け入れることは難しいはずだ。

 白穂神が彼女のことを危惧していたのは、おそらくこれだ。たとえ他者に対して害意がなくても、遠慮のない言葉は相手を容易に傷つける。他者が重ねてきた時間を慮らない言動は、己を孤独に変えてしまう。まさしく会話の失敗例を見ているようだ。


「ま、もうどうでもいいんすけどね。あの人たちがいたところで何にも変わらないっすから。むしろ居ると邪魔になるだけっす」


 顔を曇らせる屋代だったが、さらに加えられた絡亜の言葉に頬をひきつらせた。当人がいないからこその無遠慮さ、ではないな。この場に本人が居てもおそらく彼女は同じ台詞を吐いたはずだ。もはや気遣いの次元を超えて、思ったことを口にしているだけのように感じてしまう。

 全く関係のない屋代をして、もう少し手加減した物言いは出来ないかと唸ってしまった。


「品評会に出そうと思うなら確実に効果を発揮させるのは最低条件っす。そのうえで、他の職人さんたちに負けない質を持った祭具を作らなくちゃいけないんす―――この程度の祭具で満足してるようなら、本当の高みなんて目指せないんすよ」


 その一瞬、絡亜の目に酷薄な光がよぎった。心なしか言葉からも情動がそぎ落とされて、それまでとは別人じみた雰囲気を放つ。その真顔に、それまで他の生徒たちに同情的だった屋代も背筋が伸びた。


「それは………そうか。品評会だからな。他の職人たちと競うか」


 それを考慮すると、絡亜の言葉にも一定の理解が出来た。自分の今に満足して、不備を受け入れられないような者が、大会に出る資格などない。工房に屋代を招き入れた時とはうって変わった冷淡な空気は、その裏に品評会への熱を覚えさせるものだった。


「麿先生も言っていたが、そもそもどうして学生が大会に出られるんだ?」


 自分で言葉に出しながら、屋代はふと湧いた疑問に頭をひねった。国内の祭具職人たちが参加するという品評会。であるならば、まだ職人にすらなっていない絡亜たちに参加できる道理はないはずだ。

 今更と言えば今更。しかし気になると呟いた屋代の声を、祭具を机の端に集めていた絡亜が拾った。


「あれ、聞いてないっすか? 白穂神、あーしたちの校長が話を通したんす」

「白穂様が?」


 そんな話は聞いていない、と困惑。


「あーしたち学生ためって聞いてるっす。ほら、あーしたちって祈相術もそうですけど他の学校と競うことってないじゃないっすか。全部学校内だけで完結してるっていうか、まあ、ほかに似た学校がないから仕方ないんすけど」

「まあ、国内唯一だからな」

「でなもんで、それじゃあ生徒たちの技量が伸び悩むし、やる気も上がらないって言われてたそうなんす。そこで試行錯誤した結果、一般で開かれる神職関係の大会に参加できるよう話を付けてくれたそうっすよ」


 これが一般の高校であれば競技大会など様々な行事で競い合えただろうが、同様の神職養成学校がない屋代たちでは閉鎖的すぎるということか。

 知らないところでそんな改革を行っていたとは、と白穂神の功績に目を見張る。


「もちろんあくまで学校として参加するんで個人参加じゃないっすけど、神職学校のいい宣伝にもなるそうっす」

「凄いな、いいことずくめだ」


 大会に参加するだけ、とはいえない。この社会で最も注目を集める神職なればこそ、学校として参加しただけでもかなりの目に留まることになる。それにより、限られた一族家系だけであった神職が、広く門戸を開いていることを大々的に伝えることも出来るというわけだ。

 屋代は感心したと深く頷いたが、説明している絡亜の顔色は優れない。どこか、苦い薬でも飲まされたような顔である。


「学生の身で専門職が鎬を削る大会に出るんすよ? その結果どうなるか分かるっすか?」


 絡亜の言葉に緩んでいた頬が引きつった。

 祈相術を操る巫女、神薙に混じっての技術比べ。祭具職人が美しく仕上げた作品たちとの競い合い。


「いくら神職専門っていっても、所詮学生っす。惨敗に次ぐ惨敗で、参加した生徒は伸びきった鼻をへし折られたそうっす。さっき話した工房の責任者も、生徒たちを無理に追い詰めたって自責して無気力になったそうっすから。なかなかひどい結果に終わったそうっす」

「まぁ、そうなるか………」


 他人ごとのように話す絡亜に、屋代も仕方がないかと肩を落とした。

 すでに社会で活躍している者たちと、まだよちよち歩きで学んでいる最中の屋代たちでは経験が違う。技量の練度は言うに及ばず。幼い頃から学んできたとしても、それは現役の神職とて同じことがいえた。加えて多くの修羅場を超えた神職ならば、その差は歴然だろう。

 唯一例外を言えるとすれば、掛けた時間など鼻で笑うほどの才能か。屋代の学年で最も才能アリと言われる流堂ならば、あるいは大人たちに混ざっても勝利できるに違いない。

 口に出して認めたくはない事実に、屋代は唇を波立たせた。


「なら、人を減らすのは余計にまずくないか? 大会で勝ちたいなら、それこそ一人でも多くの力が必要になるんじゃないか?」

「いやいや、ぜーんぜん問題なしっす。顧問の教師も認めてることっすから」

「……なんだって」


 へらっ、と口元に笑みを浮かべた絡亜の台詞に、屋代は目を見張る。

 他の生徒たちがいなくなっても気にすることがない。その言葉の意味を考えること数秒、初めは大会への意欲を失った顧問の職務放棄かと呆れたが、目の前の絡亜を見つめてまさかと思う。

 他の生徒が作った祭具を駄作と断じ、何が問題だったのか瞬時に判断できる目。そうして先ほどから伺わせる自信のある態度。もしかすると、彼女は多くの生徒と引き換えにしてでも手元に留め置きたいと思わせる存在なのかもしれない。そうでもなければ、早い段階で彼女の横暴じみた言葉の暴力を止めていただろう。

 眉を寄せながらそう結論をだした屋代は、一度つばを飲み込んだ。


「そこまで品評会で勝ちたいなら、その、鉱物? を学校で用意させればいいんじゃないか? 島に行って発掘するなんてそれこそ手間だろ」


 あるいは、市場に出回っているものを買えばいい。たとえ多額の金銭を要求されたとしても、それだけ身を削って大会にかけているならば学校とて血を流す覚悟はあるはずだ。

 だが、そんな屋代の訝しむ視線に、絡亜は大きく首を横に振った。


「それがそうもいかないんす。今回発掘しようとしている鉱物なんすが、市場にもなかなか顔を見せないくらい貴重なものなんす。それこそ他国から輸入しないと手に入らないくらい」

「けどその島に行くってことは、鉱脈なり鉱山があるんだろ? だから発掘に行くんじゃないのか?」

「あー、それはそうなんすけど、発見されたのはつい最近のことなんす。だから、まだ国の調査も途中で完全に調査しきれてないんすよね」

「……なんだそれ。どうしてそれで発掘なんて許可されたんだ?」


 絡亜の言葉が正しければ、その新しく発見された鉱山は危険が潜んでいる可能性がある。そんな場所の発掘を、よく許可したものだ。


「いやぁ、それはあーしが何かしたってわけでもなくて、時期的な物が大きいんじゃないっすかね。ほら、品評会があるっすから」


 苦笑した絡亜が手を振った。


「あーしと一緒っす。品評会に出すための祭具に、その発見された鉱物を使いたいって職人たちが騒いだんす。けど調査が終わってないから当然採掘された物はなかったっす。手に入れるには数少ない輸入物を買い付けるしかなかったんすけど、それだとどうしても手に入れられる人と手にできない人の格差ができるっす」


 財力、権力、あるいは人脈。もともと流通量も少ない鉱石はただそれだけでも価値があるのに、近く品評会が開催されるとあって価格が暴騰。結果としてより大手や有名どころの職人のみが手にできる状況になった、というわけだ。


「でも、この品評会は神様に捧げる祭具を見極める重要な物でもあるっす。なので、できるだけ多くの職人が公平な条件で祭具を作れるよう国から提案されたのが、自分たちで採掘する方法だったっす」

「乱暴な結論だな。おい」


 国の出した答えに、屋代は深いため息を吐いた。

 これまで国内では採掘されず、長らく他国を頼っていた貴重な鉱石となれば、確かに祭具職人や関係者は目の色を変えそうだ。特に市場の鉱石を入手できなかった者からすれば、国内に鉱山があるにもかかわらず、なぜ売りに出さないのかと文句を言うだろう。そうした職人たちの圧に押された結果、危険な考えに行きついたのかもしれない。


「もちろん色んな制限や条件はあるっす。例えば発掘できるのは3日間だけとか、発掘しても持って帰れる量には限界があるとか。けど、それでもその鉱石を使って祭具を作りたいっていう職人の多くはこの提案に賛同したっす。もちろんあーしも」


 絡亜は胸を張って自慢げな顔をした。国立とはいえ学校での参加、予算が限られている以上、どうしても入手が難しかった鉱石を獲得できる好機を作り出せたことが嬉しいのだろう。


「発掘希望者は早いもの順に回ってくるんす。そして、今回ついにあーしの番が来たってわけっす」


 ぐっ、と屋代にも見えるような位置で、絡亜が拳を握った。


「なんとしてでも鉱石を手にしたい。その鉱石で祭具を作り上げたいんす。品評会で優勝すれば神様に献上される作品だと認められるものっよ、だからこそ、あーしは必ず優勝したい、うぅん、するっす」


 力強い言葉、その端々に込められた熱意が屋代まで伝わってくる。瞳を爛々と燃やすその姿が、神職に就こうと足搔いていた己を思い出させた。大きく吐き出したその息にさえ気炎が渦巻いているように見えて、屋代の口は自然と笑みを作っていた


「あーし一人で参加できなくもないっすけど。人数が多ければ多いほど鉱石を見つけられる可能性が高いっす。それに、鉱山の中はまだ全部調査できたわけでもないっすから、守ってくれる人も必要なんす。なんで、どうかこの通りっす。あーしを手助けしてくださいッ」


 そう言って、風が唸りそうな勢いで両手で拝む絡亜。その動きはどこか漫画的で、ふざけているように見えなくもないが、彼女が真剣であることはこれまでの会話から理解できた。遠慮のない祭具への批判も、こうした熱意あればこそ容赦がないのだろう。

 求めるものに一途。それは、屋代にとってひどく馴染みある感情であり行動目的だ。なので、ここで言うべき台詞は決まっている。


「もちろんだ。全霊を尽くす」


 絡亜が優勝を狙っていること知ることが出来た。そこにかける熱い思いも。ならば屋代が全力を尽くすことに否はない。


「ありがとうございますっす! いやぁ、話の分かるお手伝いさんで助かるっす!」


 屋代の返答を聞いた絡亜の顔は、花が咲いたように満面の笑み。裏を感じさせない純真なその笑顔に、屋代のやる気も沸き上がるようだ。


「それで、俺がするのは実際の発掘作業ってことでいいのか? 荷物持ちくらいやるぞ?」

「おお、助かるっす。けど、その前にもう一人助っ人をお願いしたい人がいるんす。まずはその人を勧誘に行くっす」


 口に出しながら、善は急げとばかり絡亜が立ち上がった。釣られるよう椅子から腰を上げた屋代は、不思議そうに瞬きした。


「俺のほかにもいるのか? 一体誰なんだ?」

「はい、太眉さんっす!」

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