2-3

「ささ、ソーサーさん。遠慮せずお腹いっぱい食べるのです!」

「あ、ありがとうございます……」


 これまでは白穂神と二人きりの食卓だった。朝の情報番組を流し、ぎこちないながらも楽しんでいた時間が、最近より賑やかとなった。


「あ、おいしい」

「むふふ、その素直な感想はとっても良いのです。お代わりも自由、好きな具材を教えてくれたら次回はそれも用意しておくのですよ?」


 いや、賑やかというよりは華やかと評したほうが良いか。一緒にいて盛り上げてくれるわけではないが、屋代と違う反応を返してくれるファナディアの存在は、料理を作る白穂神にとって新鮮で楽しいもののようだ。今もまた、言葉少な気に驚き、頬を綻ばせるファナディアを嬉しそうに眺めている。


「うん、美味い」


 屋代の好きな鯖を葉で包み、ほかの調味料で味を調えてパンに挟んである。料理名は全く知らないが、とにかく具材が大きく1口ごとにさわやかな酸味と魚の旨味が口内を満たしてくれる。疲れ切り、シャワーを浴びてさっぱりした後の体が喜んでいるのが分かった。胃の中で即座に消化されていく気がする。


「―――――」


 大口でかぶりついた屋代とは対照的に、ファナディアの咀嚼速度は速くないようだ。ゆっくり味わうようなその姿が琴線に触れたのか、白穂神がいそいそと追加のサンドイッチをさらに盛り付けていく。山のように積み上げられたサンドイッチの数に、ファナディアは瞬きを繰り返した。


「もぐ……もう十分。ありがたいけど、これ以上は入らない」

「むむ、それは残念なのです。あ、でもデザートを用意しているです。そっちは食べられるですか?」

「で…………い、いただきます」


 あ、顔をひきつらせたな。

 お茶で喉を潤していた屋代は、ファナディアの目がこわばった瞬間を見逃さなかった。


「毎朝用意してもらって……その、ただでさえ、神様の料理なんて恐れ多い。無理させているようなら私の分は作ってもらわなくて構わない」


 実にやんわりと断ろうとするファナディアの言葉に、白穂神の眉を上がった。


「無理などしていないのです。ソーサーさんは我が家の恩人、家長である私がしっかりおもてなししなければ罰が当たるのです」

「う」


 きりっ、と白穂神が顔を引き締める。小学生ほどの身長しかない白穂神がそのような仕草をすると、本当に子供が親のために頑張る健気な雰囲気を感じてしまう。それを直接見てしまったファナディアが、心苦しそうに胸を抑えた。白穂神の輝きから逸らされた目が屋代に向けられる。助けを求める視線に屋代は頷いた。


「ソーサーさんって、普段は何を食べてるんだ?」

「え? 特に変わった物は……冷凍食品?」

「そうなのか。それじゃあ栄養が偏って大変じゃないか?」

「!?」


 くわっ、とファナディアの目が見開かれた。その綺麗な色の瞳が晒される。


「―――聞き捨てならない言葉です。冷凍食品のみ? それはいけないのです。手軽で美味しいのも分かるのですが、温かい料理を食べる方が心も安心するです」

「!!?」


 白穂神の台詞に、ファナディアが驚愕に顔を染めた。

 小さな神様は幼い顔立ちを使命感で彩っていた。


「そのような生活をさせておくなど私の名が廃るという物。よろしいのです。この白穂、恩人たるソーサーさんのため朝食だけでなく日々の食事をも管理しようではないですか!」


 白穂神の力強い宣言。溢れんばかりのやる気に満ちた瞳に、屋代は満足げに息を吐く。忘れてもらっては困るが、屋代は白穂神に仕える身。。彼女の幸せこそが屋代のすべてなのだ。


「…………………」

 

 だから、裏切者と言わんばかりの視線を送られても知らんふりを決め込む。白穂神がファナディアのために朝食を準備している姿を知っているだけに、むげにできようはずもない………加えて言えば、感謝しているのだ。お礼をするといってものらりくらりと躱されてしまうので、本気で迷惑にならない範囲でだが、強引に恩を返したい気持ちもある。


「それじゃあ早速献立を考えてくるです」

「ま、待って」


 ファナディアの伸ばした手は届かなかった。 

 炊事場に飛んでいく白穂神の背に触れることなく、むなしく宙に垂れ下がる腕は物悲しい空気を纏っていた。困惑、不安。しかし、嫌悪や拒絶といった雰囲気ではない。そのことに屋代は心のうちで安堵した。


「ソーサーさん。よかったらそれももらっていいか? 腹が減って仕方ないんだ」


 それはそれとして、白穂神の食事を残すことは許さないよ?

 いっそ怯えたように、自らの前に積まれた大量のサンドイッチを眺めていたファナディアの残りを引き受ける。定番の卵サンドなど多種揃えてくれた白穂神の心遣いに感謝しながら、躊躇なく口に放り込んでいく。戦々恐々するファナディアの前で山を消化していく屋代は、別に無理して食べてるわけではないと手を振った。訓練でかなり動いたせいか、いくらでも入りそうな気がする。

 しばし屋代の咀嚼音だけが食卓に響く。複雑そうな顔で屋代を見ていたファナディアだったが、それ以上屋代が何も言わないことを悟ると肩を落とした。


「……体の調子はどう? 今朝も十分動けていたけれど。何か不調をきたすようなことはあった?」


 代わりというべきか、ファナディアが口にしたのはそんな言葉だった。頬を膨らませるほどに口中に食べ物を突っ込んでいた屋代は、素早く飲み込んだ。


「ないな。むしろこの体になってから絶好調なくらいだ」


 快便快眠、とは食事中に言う言葉ではないと飲み込んでおく。だが、大量の食事を片っ端から咀嚼していく屋代の様子に納得したのか、探るような目つきだったファナディアが頷いた。


「ならいい。実感していると思うけど、肉体の再生能力は万能じゃない。手足が千切れるような欠損は直らないし、心臓が停止すればそのまま死ぬことになる。魔力を使って体がもつ再生機能を高めているから、魔力が減ればその分再生速度も鈍くなる」

「なるほどな。もぐもぐ、つまり、出来るだけ傷つかないよう立ち回れってことだ」


 傷ついても時間をかければ回復できる。しかし、魔力を使用する分魔法を使うことが出来なくなるというわけだ。他の魔法使いはどうだかわからないが、屋代の場合かなり致命的である。初めて魔法を使ったときも、その直前に重傷を直していたからか一度の使用で動けなくなってしまった……そもそも怪我をするような状況は避けたいが。


「お待たせなのです、デザートの手作りタルト。果物たくさんの甘味の暴力です!」


 話しているうち、白穂神がタルトを乗せた皿を手に戻ってきた。輝く艶を帯びた果物、それらが一口サイズに切りそろえられ、生地の上、何層にも重ねられたクリームの上に並んでいる。


「あ、白穂神。御馳走様でした。サンドイッチ美味しかったです」

「ふふふ、どうしたしましてなのです」


 皿を追加する白穂神の傍ら、屋代が膨れた腹を抑える。小山と見間違うほど積まれたサンドイッチがすべて詰め込まれているだけあって、外から見ても分かるほど胃袋が拡張されていた。外から押されれば悲惨な光景が広がることだろう。それでもデザートを食べるだけど容量はあると、糖分過多なタルトを睨みつけた。


「すごい……どちらの意味でも」


 神様が作った料理、それを完食しきる屋代。二重の意味で畏怖したファナディアは少しだけ食卓から距離をとった。


「あ、ソーサーさんはアレルギーとかないです? もしあるなら別のデザートもあるですが」

「い、いえ。大丈夫です。これをいただきます」


 ファナディアの顔が訓練の時の比ではない真剣みを帯びた。そのまっすぐな瞳の理由が分からない白穂神が不思議そうに首を傾げた。

 その一方で、屋代はその甘みを舌で味わうことに専念していた。一度口に含んでは水を飲み、そうしてまた一口。その瞳は血走り、その危機感迫った表情は食事を楽しむ顔ではなかった。

 そんな屋代を見て、それほど喜んでくれるとは、と白穂神は感激。心の中で次はもっと巨大なタルトを作る決意を固めた。


「ごほん、えーそれは置いておくとし。食べながら構わないので、ソーサーさんに聞きたいことがあるです」

「はい、なんでしょうか?」

「もごもぼ」


 畳の上で姿勢を正した白穂神に、屋代たちの視線が集中する。瞼を下ろし、再び開いた白穂神の目を見た瞬間、どちらともなく息をのんだ。ほんの数秒前までの主婦然としたものから、一瞬で雰囲気が変化した。まるで高みから見下ろすような、けれどそこに見下す感情はなくただただ超然とした眼差し。一本筋の通った背筋、幼いながらも深みを纏った顔は、人ではなく神のもの。慣れ親しんでいるはずの屋代でさえ、そこに人が触れてはならない壁があると錯覚してしまう。

 そんな白穂神に刺激され、屋代も自然と姿勢を立てていた。ファナディアも丸くしていた目を半眼に戻したが、余計な言葉を口にすることなくじっと白穂神の声を待つ。

 1秒、2秒と時が過ぎ、やがて覚悟を決めた白穂神がぐっと拳を握った。


「屋代に使ってくれたという種のお値段はおいくらなのですか――?」

「…………………はい?」「うん?」


 可笑しいな。耳掃除は常日頃から心掛けているつもりだったが、どうにもうまく聞き取れなかった。

 首を傾げて自らの不調を疑う屋代をよそに、白穂神は身を乗り出した。


「その、祈相術を使えなかった屋代が魔法? というものを使えるようになったのです。かなり貴重な代物とお見受けるのですが、い、如何なのですか?」

 

 どうにも幻聴ではなかったらしい。白穂神の神様然としていた雰囲気が一瞬で霧散し、そこに残っているのは現状に頭を抱えるただの人だった。その落差に思わず肩を落としかけた屋代であったが、しかし、話の内容を咀嚼するうちに血の気が引くのが分かった。


「おぅぷ」


 デザートを口にしながら吐き気を堪える。

 忘れていた。いや、意識していなかったというべきか。屋代が魔法を使えるようになったのは、確かにファナディアのおかげだが、その直接的な要因は屋代の体に埋め込まれた種である。そうして、それは今も屋代の心臓に絡みつき、全身に根を生やしている。今は体に馴染んでいるが、元は別のことに使う予定だったのではないだろうか。あるいは、別の人間にか。祈相術を扱うことが出来なくなるというハンデを追うことになるが、それを補って余りある魔法を使えるようになるのだ。使いたい人間は大勢いるはずだ。そんな種を対価なしに貰った屋代は、今更ながらその希少性を考えさせられた。

 そして、屋代に種を与えたファナディアは困ったように眉を寄せた。


「……そう、ですね。神様の言われるように、彼にあげた種は貴重なものです。簡単に手に入る代物ではありません」

「や、やっぱり」


 白穂神の目に涙が浮かぶ。


「その、い、今すぐ代金をお支払いしたいところなのですが、どうにか待って貰えないですか…? いえその、壊してしまった街の復興にお金を出してしまいまして財政的に厳しいと言いますかこのままでは食費に手を付けなくてはならなくて、私、私は―――!」

「ちょ、白穂様っ、大丈夫か?!」


 自身の想像に頭を抱える白穂様に慌てて駆け寄る。その小さな背を震わせてお金に悩む姿は、神様のものではない。らしい、といえば白穂神らしい悩みではあったが、神様が抱えるような問題では絶対ない。どこの国に支払える金がないと苦しむ神がいるだろう。真剣に考えているからこそ悶える姿がいっそう笑えない。茶化せるような場面でもないし、屋代とて他人ごとではないのだ。


「食費………」


 何か言いたげに机上の皿を見つめていたファナディアだったが、気を取り直すように息を吐き出した。


「お金は必要ありません。彼に使ったのは気まぐれみたいなものだから。神様たちから何か取り立てたり、頂くような事はしません」

「けど、貴重なんだろ? もらっておいて何もしないのは……」


 あまりにも不義理に過ぎるし、屋代が貰いすぎている。いや、種の値段を想像するだけで 胃の中に詰め込んだ朝食がせり上がる気分ではあるのだが。


「で、です。これまで聞いたこともない物なのです。効能から考えると、一般的に出回っている代物ではないのです」


 目を回しながらも現実を直視しようと努力する白穂神。その頭の中では高速で家計簿がつけられているのだろう。様々な数字をはじき出すたびに百面相を繰り返す義母に、屋代は複雑な面持ちで寄り添った。


「金のこともそうだけど、種を持ってたってことは、誰かに使う予定があったんじゃないか? 予備というか、代わりのものはあるのか?」


 屋代の心臓にある種は取り出せない。指先や脳にまで絡みついている根を完全に除去することは不可能で、外科手術を行ったところで意味はない。もし可能であっても、今の屋代に魔法は絶対必要な物だ。己のエゴであると自覚しているが、今更返しますとは口が裂けても言えなかった。

 そして、ファナディアもまた屋代の指摘に顔色を変えた。


「うん…………大丈夫」

「いや本当か?? とんでもない顔してるぞ?」


 そんな大粒の汗を流しておきながら大丈夫なはずはない。

 気まずげに逸らされた視線は、何かあると言っているようなものだ。


「本当に、うん、問題ないよ?」


 重ねたその言葉とは裏腹にファナディアは落ち着かなげに体を揺らした。まるで犯してしまった失敗を隠そうとする子供のような仕草。屋代の不安は嫌がおうにも増していく。

 白穂神と同様に顔を青くし始めた屋代に気づき、ファナディアが取り繕うよう手を振った。


「大丈夫、今すぐ必要になるわけじゃないから。それに貴重ではあるけど、作れないものでもない」

「え、種って作れるのか?」

「あ」


 なんだ、そのいかにも失敗したと言わんばかりの呟きは。あからさまに顔を引きつらせたファナディアに首を傾げる。


「と、とにかく種については心配しないでください。代金も必要ありません……その、お礼というなら朝食をいただいている分で充分です」

「むぅ、ですが」


 強引に話を終わらせようとするファナディアに白穂神が食い下がろうとする。


「白穂様、ソーサーさんがこう言ってるんだ、もう止めとこう」

「屋代まで……」


 むぅ、と唇を突き出して不服を訴える白穂様をなだめた。

 これ以上は水掛け論になってしまうし、何よりファナディアも突っ込んでほしくなさそうだ。恩を返すのは良いことであるし、正当な対価を支払うことは必要ではあるが、押し付けることは逆効果に成りかねない。白穂神のこうした強引さに救われた屋代としてはむしろ背を押したいところだが、今は引くべきだ。その機会があれば返せばいい。

 納得していない白穂神にそう告げれば、頬を膨らませながらもしぶしぶ頷いてくれた。


「けど、感謝はさせてくれ。種のおかげで俺の夢がつながりそうだ」

「夢って、神職のこと? けど、魔法使いは」

「ああ、神職にはなれない。だけどその代わりに別のものになれそうなんだ」


 まだ確定はしていない。それどころか出発地点にすら立てていない。あくまで出発地点に立つ権利を得ただけに過ぎないのが実情だ。成れるとすれば今度の努力次第。だが、その権利は得られたのはファナディアのおかげである。

 屋代が多大な感謝の念を込め顎を引けば、ファナディアは気にするなともう一度手を振った。

 そこで、何かを思い出したかのような白穂神の呟き。


「そういえば、屋代はもう品評会に参加する生徒たちとは顔合せしたのです?」

「? いや、まだ。担当者から連絡するとだけ教えられただけ」


 そうですか、と屋代の答えに白穂神が頷いた。その反応に首を傾けると、白穂神が迷うそぶりを見せながら言葉を続けた。


「……参加者の中にちょっと難しい子がいるのです。これまで事情があって社会から隔絶された場所で育っていた生徒なので、少々世間知らず、いえ、怖いもの知らず? な子です。決して悪い子ではないので、優しく見守ってあげてほしいです」

「あ、はい。了解です」


 目じりを下げた頼んでくる白穂神に、戸惑いながらも了承する。白穂神が生徒の話を学校以外でするのは珍しく、それゆえ疑問よりも困惑が勝った。校長として全ての生徒を気にかけている白穂神が、品評会に参加するとはいえ一人の生徒を話題にあげるとは。


「進級がかかってるんだ。全力で助力します」


 とはいえ、屋代が行うことは変わらない。防人学科への進級のため、そして学校としての実績作りのため。求められることに全力で応じるだけだ。


「それで、その生徒は何て名前なんですか?」


 相手が誰なのか分からなければ、気にすることも出来ない。

 屋代の頭の中で、体格のいい男子生徒が想像される。祭具といっても、職人と呼ばれる者たちの世界。そこから連想されるのは、筋骨隆々で野太い笑みが特徴的な、仕事に一途な存在である……自分で考えておきながら不安だ。もともと他者に対し積極的に話しかける性格ではない屋代が、果たして白穂神が望むような結果を残せるだろうか。

 僅かに汗を流す屋代に、そういえば教えていなかったと白穂神が口を開いた。


「その生徒の名前は―――」

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