1-6

「それでは私はこれで。防人学科、その担当となる人物の選定については後ほどメールで送らせていただきます」

「承知したでおじゃる。今日はわが校の生徒のためにご足労いただき誠感謝」


 丁寧な姿勢のお辞儀を残し、黒岩が校門から出ていった。まっすぐ伸びた背筋を見送って、生徒たちから麿先生と呼ばれる学年主任の男は、反対に校舎へと戻った。


「さて、やることは山積でおじゃるな」


 ふぅ、と軽い息が吐き出された。その白い塗り物で顔色は見えないが、含まれた声色が疲れを感じさせる。

 学年主任という立場上、男は多忙であった。各組の教師からあげられる報告書に目を通し、行事などを打合せし、必要とあれば外との打ち合わせに出るなど、脳を休める暇がない。夕日が傾き暗闇が近くなった時間であっても、やるべきことが残っている。

 最近では街中で暴れた白穂神の件もある。校長という学校の長が起こしたことになっている神の悪戯、その権能を目の当たりにした者たちから寄せられる陳情、生徒として通う子供たちの安全性を問うてくる親御相手と、頭の痛くなる問題も追加されてしまった。


「やれやれ、でおじゃる」


 屋代との対話から少し経つ。すでに下校した屋代を含め、生徒の大半が帰宅した校内は昼間の騒がしさとはうって変わった静けさを纏っていた。遠くから聞こえてくる部活動の声を耳にしながら、麿先生は眉間も揉み解した。


「それにしても防人とは……こちらの負担も少しは考えてほしいものでおじゃる」


 音を立てない静かな動作で廊下を歩きながら、ふと脳によみがえったのは防人という制度、その被験者としての屋代のことだった。自らの全てを賭けてもいいと言わんばかりの屋代の熱情を思い出し、麿先生は首を振った。


「防人など、そも必要になること自体が間違いなのじゃ」


 そもそもの話、男は防人学科の話に乗り気でなかった。神職にも言えることではあったが、神を狙う人間を相手にさせるなど危険極まりない。同じ人間ゆえに神ほどの容赦もないだろう。相手どれば、当然命のやり取りに発展する。そんな職場に大事な生徒を送り出して喜べるほど、情がないわけではないのだ。男と違って神職の家系に生まれたわけでもない、一般出

 の子供が、わざわざその身を危険に晒すこと自体よく思えない。立場に命を賭けるのは、連綿と繋いできた歴史の重みをもつ者だけ、すなわち男のように生また瞬間からそうなることを約束された者たちだけでいいのだ。他の者は、もっと危険の少ない社会でまっとうに暮らせばいい。


「これからはより厳しく教育せねばならんでおじゃるな」


 男の姿勢としては、防人が必要になるような情勢を放置してしまっていた行政にも問題がある、というものだった。この社会は神によって支えられ成り立つ。なのに、自分勝手な人間が欲望のまま神に関わり、あまつさえ狙おうなど言語道断。不敬甚だしい。初めから正しい姿勢を持っていれば、神を守る防人など必要ないのだ。それが出来ていない以上、原因はそれら悪行に従事する人間を生み出した行政であり、ひいては彼らを育てた親兄弟、男のような教育者にも原因があるだろう。

 明日からはより一層生徒たちへの指導を強くしなければならないと、若干青白かった顔に血の気を登らせた。


「しかし、その防人候補の生徒があれとは……そも、神を止めたなどと。あの女性の話でなければ未だ信じられぬ話でおじゃる……」


 神を止めたという屋代の話を、麿先生は鵜呑みにしてはいなかった。神と関わった人、特に神職であれば世田話として笑い飛ばすだろう。通常なら、たとえ生徒の発言とは言え嘘と断じていたはずだ。その屋代の言葉を肯定する女性がいなければ、だが。

 見た目は少女にしか見えない、しかし麿先生でも知る社会的な地位を持った彼女の言葉がなければ今ほど事件は纏まらなかった。どうして首を突っ込んできたのかは分からないが、その点は感謝出来た。

 だが、その他についてはむしろ余計な事をしてくれたと言いたい。神を止めたという事実は、屋代本人が思っている以上の重たい。それこそ他の神々が注視するくらいには。今回の、成績不振を別の方法で補完するやり方も、学校側ではなくその上、神の意向によるものだと聞いていた。自分たちに敵対する存在か見極めようとしているのか、あるいはもっと別の思惑はあるのか。

 生徒の一人として、また、何故か祈相術を扱えない問題児として常に気にかけていた麿先生は、そのように人生を使われている屋代に同情するしかなかった。本人の願いもあるが、せめて卒業するまでは面倒を見てやりたいものだ。


「ん、あれは……」


 もう少しで職員室に着く。そんなとき、ふと顔を上げると一人の生徒に気づいた。


「どうしたでおじゃる、こんなところで」

「あ、先生……」


 いつもと違いのろのろとした動作で振り返ってきたのは、眼鏡と整えた髪が特徴的な征徒だった。


「ふむ、今日はソチに何か頼んであったかの?」


 まず真っ先に麿先生の頭に浮かんだのは、用事を頼んでしまっていたかという疑問であった。

 学年主任として一年の生徒の顔と名前はすべて叩き込んでいる。そのうえで、礼儀正しく真面目、成績も極めて優秀な征徒には、手が足りない時など用事の手伝いを頼んでいたのだ。そんな相手が何かを迷うように立ち尽くしている姿に首を傾げる。

 もしや、疲れすぎて頼んだことさえ忘れてしまっていただろうか。

 そんな危惧を表立って見せることはなく、麿先生は泰然と微笑んだ。


「いえ、そのそういうわけじゃないんですが……」


 奥歯にものが挟まったような物言いもまた、珍しい。防人の件と言い、今日は初めてのことを体験する日なのかもしれないと、麿先生は心の中でひとりごちた。


「そうでおじゃるか……ふむ、良ければお茶でも飲んでいくか? ちょうど麿も一息入れようと考えていたところでおじゃる」


 嘘だ。本当は明日ために、品評会に参加する生徒に連絡を入れようと考えていた。しかし、目の前で何事かを悩む生徒を放置する気はなかった。自らの本心を億尾も出さず、職員室、その一角に誘う。

 停止、逡巡。そうしてわずかな頷き。明らかに悩みがあると分かる表情の征徒を連れて、職員室の角に当たる場所に案内する。国内初の神職養成学校というふれこみに加え、見学者も多い学校ではあるが、建築されてから十年以上がたっている。部屋の中も、いくら綺麗に磨いているとはいえところどころ汚れや傷が散見された。そんな使い込まれた休憩所の席を征徒に進め、麿先生はお茶の準備をし始めた。


「そう言えば聞いたでおじゃる。この前の実習では活躍したそうでおじゃるな。よく頑張ったでおじゃる」

「いえ。僕は何もしてはいません。眷族の前に立ってくれた藤芽さんがいたからこそ鎮められました。それに、屋代も……」


 まずは話の流れを作ろうと振った話題だったが、征徒の反応がどうにも鈍い。気になって振り返れば、浅く腰かけた征徒が顔色を悪くしていた。眉を寄せてしかめっ面。不機嫌、と表現すべきか不安を殺そうとしているのか微妙な塩梅だ。

 そこには触れず、されど内容自体は変えることなく話を続ける。


「確かに彼らの活躍あってこその成果であろう。しかし、だからと言ってソチの頑張りが無くなるわけでもあるまい。事実としてソチが援護しなければ危うかった場面も多かろう。他者を認め褒めることは悪でないが、偶には己の戦果を誇ってよいぞ」


 温めたお湯と買い置かれている茶葉を用意。さすがにこの場茶をたてるような無謀な真似はしないが、少しでも心を安定させようと味が濃いものを選ぶ。湯気を立て、熱いことを視覚で訴えてくる湯呑を机に置く。


「ささ、熱いうちに飲むとよい。心が穏やかになるでおじゃるよ」

「ありがとう、ございます」


 二人して茶をすする音が響く。人肌程度に温められたお茶は舌を火傷させることなく胃の腑に到達し、体を内側から温めてくれた。つかの間、生徒の相談に乗ろうとしている己さえ忘れて肩の力を抜いてしまう。

 どちらともなく吐き出された吐息には、飲み込んだ時以上の熱がこもっている気がした。


「その、先生。屋代が生徒指導室に呼び出されていたのですが、何があったのか知っていらっしゃいますか?」

「……なるほど、それが理由で残っていたのでおじゃるか」


 麿先生の口から苦笑がこぼれた。生徒の交友関係を詳しく知っているわけではないが、屋代や征徒のような独特の意味で目立つ生徒くらいは把握していた。当然、彼ら二人が友人の関係にあることも。明日を待たず本人に訊けばよいことを、内緒で知ろうとするいじらしい行動に好感を覚えてしまう。

 友人が呼び出さたことに不安を抱く征徒のを安心させるよう、瞳を弓なりにする。


「心配する必要はないのじゃ。アヤツが呼ばれたのは来年度の進級に関して伝えること、相談することがあったからに他ならん。しかし、その問題はすでに解決した。今頃自宅に帰っておるだろうな」


 そう言って静かに湯呑を置いた麿教師。その目は征徒を微笑ましげに眺めた。

 屋代に退学の意思があったなどと言わない。言ったところで既に解決した問題なので、無駄に征徒を悩ませるだけだからだ。


「進級、ですか……そうでしたか、いえ、実習のこともあったのでてっきり退学などという話だとばかり」

「ほほ、心配には及ばぬ。成実の頑張り次第で学校に籍は残せよう」


 その言葉に心底から安堵したと、征徒が胸を撫でおろした。

 学校に席は残せる、この言葉に偽りわない。だが、その籍がどこの学科に配属されるかは言えないのだ。なので、征徒には悪いと考えながらも、麿先生は作った微笑みを張り付けた。


「しかし、それほど気になっておったなら本人に聞いた方が早かったであろう? ソチなら麿に言われる前に思いついておったはずでは?」

「それは……」


 緩ませていた東雲の頬が引きつった。

 その反応に、麿先生はここが本命かとあたりを付ける。


「ふむ。成実と何かあったのかの?」


 屋代を心配していたのは本当だろう。そのために職員室にまで足を運んだのだ、その行動は嘘ではない。しかし、そもそも屋代を案じたというのならば、本人に直接聞けば済む話だ。先ほどは、心配していることを知られたくないのかと考えたが、征徒の正直すぎる態度は二人の間に何かがあったのだと察せられる程度に露骨だった。

 話を急かすような真似をせず、ゆっくりお茶を飲みながら待つこと一分あまり。

 顔をうつむけて躊躇っていた東雲が、苦い表情で口を開いた。


「実は――――――」


 そうして語られた、初代校長が起こした事件の顛末、そこに至るまでの行動に対する見解の不一致。瞳を彷徨わせ、焦点の合わない目は麿先生を見ようとしていなかった。どこにでもない空中に遊ばせて、いっそ苛立ったように体をゆする征徒は、自分でも気づいていないのだろう、悲しみと不理解への怒りが見て取れた。


「――僕は今でも、屋代の行動は間違っていると思います。あの状況で勝手な行動をとれば余計な被害が出るだけです。今回上手くいったのは運が良かっただけ。先生、僕の考えは間違っていますか?」


 すべてを話し終え、両手を握り合わせた征徒がそう訊いた。

 屋代を案ずる気持ち、社会的な正しい行い、自身の正当性。あらゆる感情が混ざり合った形容しがたい表情。鏡のない職員室で自分の顔を確認できるはずもなく、征徒は自身を客観的に見る術がない。自分が今どんな顔をしているのか分からない生徒を前に、麿先生は目を細めた。


「これはあくまで麿個人の考えでおじゃる。それを踏まえたうえで聞いてほしいが……ソチの考えは決して間違っておるとは思わんでおじゃる」


 征徒の視線が麿先生に向けられる。


「無論その場によって最適な行動というのは常に変化する。被害の状況、原因の有無、対処可能か否かの判断。そういったものを培うための実習であったが……」


 麿先生が肩をすくめる動作。着物の袖がかすかに揺れた。


「ソチの理屈は何も間違ってはおらん。話を聞く限り成実の行動は無謀すぎたでおじゃる」


 運も実力のうち、などと言えるのは生き残ったからに過ぎない。次同じことが起きても確実に解決できるとは、少なくともその力量を直接目にしていない麿先生には言えなかった。


「やっぱり、そうですよね……」


 征徒はかみしめるように呟いた。

 己は何も間違ってはいなかったと、そう自分に言い聞かせる顔は、言葉とは裏腹に晴れやかなものではなかった。眼鏡の奥で揺れるその瞳は、麿先生の肯定を受けても曇ったままだ。

 その理由を、麿先生は推察した。


「ソチが衝撃を受けたのは、成実が間違った行動をとったことを反省しないことではなかろう。忠告を無視したという、いわば友を案じた自身の言葉を蔑ろにされたから腹が立ったのではなかろうか?」

「っ」


 はっ、と征徒の目が見開かれた。考えてもいなかったことを言われて、その顔に動揺が走る。


「ソチの言動は正しかろう。しかし、正しいことだけで社会すべてが回っておるわけではないでおじゃる。無謀な行動、誰もが馬鹿にする行為、死をも厭わぬ挑戦。そうした決意が社会を前に進めてきたのも事実なのじゃ」

「それはっ、それは違うっ」


 征徒が立ち上がる。奥歯を噛み殺して何かを堪える形相の彼に、麿先生は片方の眉毛を吊り上げた。


「人は正しくあるべきなんだ。間違った行動をとってはいけないんだ! でなければ――――」


 征徒の目は、麿先生を見ているようで映していない。唾を飛ばさん勢いで開かれた口から放たれた台詞もまた、麿先生にというよりも自身に向けて言っているように聞こえた。普段の冷静な姿からは想像もつかない痴態。相手が先生であるという事実をも忘れ、首を大きく横に振る


「僕は、間違っていない、間違っていないんだ……!」


 己を客観視することさえできなくなった征徒に、麿先生は動揺しない。少なくともその態度を見せない。困惑を心のうちに抑え込み、落ち着かせるよう語り掛ける。


「案ずることはないでおじゃる。ソチは確かに正しい。それは麿が保障しよう。しかし、その正しさは万人が理解できるものではないでおじゃる。特に成実のように、自分が決めたことに対して周りを顧みることなくまっすぐに走るものほど、時に道を外れるもの」


 征徒の心情を慮り、ひとまず寄り添うことを選択する。そうしながら頭の片隅で考える。征徒が我を忘れ取り乱した理由、その根源がどこにあるのか。

 中学校か、小学校か。一度家庭環境まで調査すべきかもしれぬ、とそう考えながら言葉を重ねた。


「ソチがすべきなのは相手をただ否定するのではなく、過ちを起こした者がなぜそうしなければならなかったのか考えることでおじゃる。ただ正面から正論をぶつけ合えば衝突するのは必定。なにせ、相手も自身が正しいのだと考えておるからじゃ。まずはその大本となる考えを共有し、そのうえで相手を導くことが理想であろう」

「僕は……」


 麿先生の静かな、一切の揺れを感じさせない落ち着いた声色に、征徒の顔に血の気が戻りだす。一線を超えかけていた意識が引き戻され、瞳の焦点が結ばれていく。

 荒げられていた呼吸が徐々に穏やかなものになっていくのを観察した麿先生が、意図的に笑みを作った。


「なに、今のソチは成実の頑なさに触れて動揺しておるだけ。お互い冷静になるまでゆっくり休み、時間を置くといいでおじゃる」


 初めて友人と諍いになった。それゆえの動揺だと言い聞かせる。麿先生から見れば喧嘩ですらない、あくまで意見のすれ違いという風にしか見えなかったが、やはり、そこは当人の捉え方もあるだろう。端から見れば大したことのない事であっても、本人が絶望を感じていれば、それは先のない未来にしか見えないのだから。


「はい………すみませんでした」


 麿先生の説得が上手くいったのか。征徒の声は当初より幾分落ち着きを取り戻した。一礼をもって立ち去る後姿に、麿先生は作っていた微笑みを消した。


「やることが一つ増えてしまったでおじゃるな……」 


 ソファに深くかけ直し、最後に残っていたお茶を飲みほした。

 ぬるくなった液体を口の中で味わいながら、友か、己の正しさか。その二つの狭間で揺れている征徒を振り返り、いつか彼自身を殺すような事態に成らなければよいと、そう願った。

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