1-5
「めでたきこと。ソチは来年度から防人学科に移籍する権利を得たでおじゃる」
放課後。気の抜けるような音楽を背景に、生徒たちが三々五々、帰宅の途に就く時間。屋代も普段であれば真っ先に帰り、祈相術の舞でも練習しているところだ。最近は少々事情が異なっているが、それでも居残る理由はない。本来であれば。
「防人学科? なんですか、それ」
何度も使われたと思しき跡の残るソファに腰かけながら、屋代は瞬きした。
屋代が今いるこの部屋は生徒指導室。普段の学生生活ではまず立ち寄らない場所だった。存在していることは知っていたが、だからと言って入ったことは一度もない。そんな部屋にどうして来ているのかといえば、当然、目の前にいる先生に呼び出されたからに他ならない。
「ふむ、知らぬのも無理はない。なぜなら、まだ本格的に運用する前段階であるゆえ。麿が教えて進ぜよ」
白粉を顔中塗りたくり、普段から着物を愛用。屋代たち一年を取りまとめる学年主任、通称麿先生が素敵なお歯黒を見せて笑った。
放課後になるや否や、屋代は目の前の教師に生徒指導室まで来るよう命じられた。おかげで周りの生徒から様々な憶測をされ、屋代に悪感情を持っている者からは嘲笑される始末だ。波嬢から呆れられ、征徒からは気の毒そうな視線を頂戴した。
屋代自身、貧相な頭で、教師による体罰そのほか精神的苦痛が与えられる様を想像し軽く体を震わせたほどだ。
戦々恐々としながら訪ねた屋代を迎えたのは、麿先生ともう一人、こちらは見知らぬ女性だった。
「初めまして。全国神職組合所属、黒岩 幸と申します」
「組合の……そんな人がどうしてここに」
なんの悪意もない、受け取り方によっては学校を貶しているともとれる屋代の発言を気にした様子もなく、一部の隙も無いほどきっちり黒服を着こなした黒岩 幸と名乗った女性は、脇に置いていた資料を差し出してきた。
「どうぞ、まずはこちらをご覧ください」
「え、あの」
話に就いていけない。いったい何がどういうことなのか。
混乱する屋代に、麿先生が苦笑する。
「案ずる必要はないでおじゃる。まず、白石先生から話は聞いておる。ソチの意思としてその考えは変わっていないでおじゃるか?」
「………そう、ですね。俺の使える術は普通のものとは違ってるようなので、神職になることは難しいかと」
白石が麿先生に報告をしているという事実に驚きながらも頷く。
「それはつまり、神職という職自体に何か厭うものがあるわけではないと?」
「それは、まあ」
だが現実的に就くことが不可能であればどうしようもない。それこそ神職になるための規定が変更されない限り。
複雑な面持ちで頷く屋代に、麿先生は調子の外れた笑い声をあげた。
「結構。であるのであれば、この話はソチにとって悪いものにはならんでおじゃろう」
そういって麿先生が指さしたのは、女性が出した資料、その一点。その指先に導かれるように視線を落とした屋代は、そこに記された文字を無意識に読み上げた。
「神様を守る者……防人」
屋代は目をぱちくりさせた。
「…………神様を守る?」
もう一度、頭にしみこませるように口に出す。しかし、どうにもうまく理解が及ばず、脳を上擦べりしていった。これまで考えたこともなかった言葉の並びに、屋代はひたすら目を見開いた。
「ほほ、驚いているでおじゃるな? まあ無理もない」
その様子に麿先生は、自分もそうだったと再び笑う。そうして、黒岩と名乗った女性職員に目を向けた。
その促しを受けて、黒岩も軽く頭を上下する。
「では、詳しく話をしていきたいと思います」
「あ、はい。お願いします……」
なんと表現してよいか分からず、ただ、自分が思っている以上に衝撃を受けた屋代は緩やかな動作で顔を上げた。
「まず、この防人という職に就いてですが、これは文字通り神様を守るための新たな職種となっています」
「いや、そこが分からないんですが……神様を守るって、本気ですか?」
思わず話を遮ってしまう。
神とは人の上位者だ。天地を操り、指先一つで環境を作り変えてしまう。空をかけ、数多の生物に干渉することも自在という、人が決して踏み入ることのできない領域の存在なのだ。そんな相手を人が守る? 正気かと問わざる負えなかった。一体どこに、自分たちよりも弱い者に守られる神がいるというのか。
「貴方の言いたいことは理解できます。しかし、神は不滅であっても不死ではありません。実際問題として神が天に還られる事があるのです」
「まあ、それはそうですが……」
他の神々による傷害、権能を使いすぎたが故の自死、そのほか様々な要因が考えられるが、神様はこの地上において不死の存在ではないのだ。命が費えると光の粒子となって天に登られ、また長い年月をかけてこの地に降りてくる。一体どれだけ時間がかかるのか。屋代は不勉強故、把握していないが、少なくとも人の一生内で天に還った神と再開できることはないだろう。
黒岩の静かな声色が紡がれる。
「神を守る。これは以前から取りだたされていたことです。我々の社会は神様あってこそ成り立っている。欠かすことの出来ないその神々が虐げられるなどあってはなりません。最近は特に神に対する蛮行もひどく、頻発するそれらの事態を鑑みて防人が作られたのです」
「それって……」
「はい、成実さんも巻き込まれた白穂神様に関する一連の事件です。ですが、もちろんそれだけではありません」
「他国の出来事でおじゃるが、三年ほど前に起きた暴神による神々の殺戮、人を慈しむ神を利用した環境破壊。百年以上前には、他文化圏の神々との戦争で多くの神が失われたでおじゃる」
黒岩の台詞を引き継いだ麿先生の話に、自然と喉が唸った。
「そうして今回の初代校長による神を操るという暴挙。私たち組合だけでなく神とも綿密に話し合った結果、他の神々からはもとより、人の悪意から神を守るための存在として防人を作ることになったのです」
「つまり、神様相手じゃなくて人から神様を守る?」
「当然でおじゃる。人間が神と戦うなど馬鹿げておる。ソチもこの間は運よく生き残れただけじゃ。自分の実力を勘違いなどせず、次からは軽率な行動を控えよ」
真白い顔面で睨まれてしまい、屋代は顔を引きつらせながら腰を引いた。
神様を守る、その意義は分かった。なるほど確かに、話を聞いた限りでは必要だろう。他の神ではなく、人が神に対して行う悪行、蛮行から遠ざけるというのならば、人間でも可能だろう。むしろ同じ人を相手にする分有利に働く場面も出てくるはずだ。
「では次に、防人学科についてご説明します」
初めに訊かされた移籍という話。屋代の意識は自然と引き寄せられた。
「これもまた字の通りですが、将来の防人を育てるための学科となります。試験的にですが、国内初となる神職養成学校、つまりここに創設される予定です」
「これから育てるんですか?」
学科を創設する、とは防人専門の教育を施すことに他ならない。しかし、防人という存在はすぐにも必要となるのではないか。
そんな疑問に、黒岩は丁寧に紙をめくって、屋代にも見えるよう資料を提示した。
「もちろん同時並行して現役世代の神職から防人へ転向、もしくは他職種からの人材確保を行っています。ただし、どちらの場合であってもある程度期間が必要となります」
「……神職から転向するならすぐにでもできるんじゃないか?」
なにせ役職上、神様の眷族を相手にしているのだ。人によって力量の違いはあれど、現在神職として働く者らに関して言えば問題なく防人に成れるはずだ。
しかし、屋代の浅はかな考えは麿先生の嘆息に消されてしまう。
「よいか? まず防人となるからには神事に関わることができなくなる。祭りごとに際しても同様、神職でなくなるゆえ携わることが出来なくなるのじゃ」
「あ」
「神々をお守りするため傍で侍ることもあろう。しかし、それよりも圧倒的に外での活動が多くなる。民から向けられる多くの祈りの中から一欠けらの悪意、もしくは悪意なくとも神を害する恐れのある考えを見抜かなくてはならぬのでおじゃる。そのような体力、洞察力はそう鍛えられるものではない。今から教育を施すのであれば、まだ成長しきっていないソチたち学生の方が伸びしろがあるといってよい」
神職として築き上げてきた実績、そうして固めた信念あるいは覚悟。社会的な地位というのもある。どれにせよ、それまで神職として勤めてきた己を曲げ、あるいは捨てることになる。それでも神を守るという名誉、意義を重視する者はいるだろうが、大半の神職は厭うはずだ……それに、防人の相手は人が主になる。眷族を諫める力があっても勝手が違いすぎだ。
「防人に求められるものは単純です。神と正しく接する知識と礼儀、そして守るための能力。神職養成学校で学ぶ成実さんなら可能ではないかと考えます」
もしかして今、褒められたのだろうか? 黒岩の台詞を逆から考えると、つまり屋代には防人に求められる能力、その基礎が備わっていると判断していると。そう思っていいのだろうか?
いかがでしょう、と黒岩に問われ、屋代は落ち着かなげにまつげを震わせた。
「神様を守る役目。確かに俺にはぴったりだ……」
もともと退学を決意していた身だ。今更自分の進退について顧みる気もない。
人の手によって操られた白穂神は街に被害をもたらした。それにより白穂神は自らを責めていた。人を傷つけ、営みを破壊したと己の所業を嘆いた。その姿を思い返すだけで、腹の中に熱いものを感じる。苦しめられたのは白穂神の方なのに、顔を沈ませ哀しんでいた。その事実が心の底から憎かった。自身の無能を怒った。
「もう二度と、そんな事が起こらないように」
防人になれば、神を苦しめる事態を防ぐことが出来る。
屋代の瞳に熱がともった。
「ふむ、どうやらやる気になってようでおじゃるな?」
「はい、ありがとうございます」
思えば、今日一日不抜けていた。どうせ辞めるのだからと、心のどこかで投げやりになっていた。。
しかし、麿先生や黒岩の話を聞き、神職以外の新たな道を提示され、屋代の心は確実に燃えた。新たな未来の予感だ。
「ふむ……これは言わなくてよいかもしれぬが、一応伝えておくのじゃ。他のどこよりも早く防人学科を取り入れることになる、ということは。卒業して結果を残せば間違いなく学校の評価につながるであろうな」
「やります、移籍させてくれ!」
それ以上の言葉は必要なかった。
諦めていたことを、白穂神のために学校の評価になることを求めていた屋代にとって、麿先生の台詞はこの上ない発破となった。
屋代は勢い込んで身を乗り出した。
「は、はい。了解しました」
それまで大人しかった屋代が急に見せたやる気に驚き、体を後ろにのけぞらせた黒岩が引きつった声を出した。興奮によって、輝くどころか極限まで見開かれた目がその顔を射抜く。
「やれやれ、少し落ち着くでおじゃる。移籍について麿がしっかり説明するのじゃ」
呆れを含ませた麿先生のため息。持っていた扇子の先で額を押し込まれ、強制的にソファに戻された。
「良いか? 移籍するといってもすぐにできるわけではない」
「なら明日か? 明後日か?」
「……まったく、露骨に態度を変えすぎなのじゃ……まあよい。とにかく、移籍するのは来年度、つまり来年の4月からとなる………これは学校側の体制や教室の変更などが必要故のこと。ソチが駄々をこねようとどうにもならぬ決定事項じゃ。理解せよ」
「むぅ」
途中で口を開きかけた屋代を制するような麿先生の言葉。この場でどれだけ文句を言おうがどうにもならないのだと、厳しくすがめられた視線からも伝わってくる。一生徒の屋代では何も言えない。
せめてもの抵抗に唇を突き出して不満を現わした。
「加えて、ソチにもやっておかなければならぬことがある」
だが、その不満も麿先生が加えた台詞にしぼんだ。
「やるって、俺も何かするのか? 防人になるための体力作り? それとも心構えとか?」
「決まっておろう。進級でおじゃる」
「………………」
………。
「え」
「え、ではない。ソチ、大事なことを忘れておろう。ソチの成績では進級が危ういということを。わざわざ退学届を出すまでもなく、このままいけば留年するところでおじゃるぞ?」
頭の上から冷や水を浴びせられた気分。熱していた気持ちが一瞬で冷めた。
新たに開けた己の将来が急に陰りを帯びて見えなくなる。焦りのあまり縺れる舌をどうにか動かして、反論の要素を探す。
「で、でも、この間の実習はしっかりやっただろ?」
「確かにある程度反映しておる。しかし、ソチが成し遂げたという神を止めたという功績は残念ながら表に公表できる代物ではないのじゃ。そのほか眷族を鎮めたという点は評価されようが、進級には足りておらん」
「そ、そんな………」
では何だ。ここまで期待させておきながら、屋代は防人にはなれないということか? さんざん人に希望をちらつかせておきながら、いざ屋代を食いつけば阿呆な奴だと嘲笑って竿を引くというのか。
あまりに残酷な仕打ち。顔から血の気が失せた屋代は固く拳を握りしめた。たとえ勉学に振るわない結果だったとしても、屋代自身の身から出た錆だったとしても、ひどく馬鹿にした行為だ。許せるものではない。
先とは別の意味で血走った眼を大人二人に向けると、1人が体を震わせ、もう1人は柔らかい苦笑を漏らした。
「そういきり立つでない。何も進級できぬとは言うておらぬ。ソチが二年に進むための方法はしっかり用意しておる」
「………嘘じゃないだろうな」
「こんなつまらぬ嘘を生徒にはつかぬ。だからほれ、深呼吸でもして落ち着くのじゃ。そう睨んでは黒岩女史が怯えてしまうでおじゃる」
「い、いえ。私ならば平気です。これでも一度は神の悪戯も鎮めたことがありますので」
そう言う黒岩だったが、その目は左右に揺れている。体を震わせているのは決して寒さだけのせいではないはずだ。落ち着かなげなその様子に、屋代も少し冷静になった。小さく謝罪を口にしつつ、新鮮な空気を取り込んで脳を冷やす。
「さて、とはいえ進級のための成績が足りぬのも事実。そこで学校側が用意したのは別の手段による補完でおじゃる。試験ではどうしてもソチには難しい――そこ、そんなに落ち込むでない」
「…………落ち込んでませんが?」
学年主任にまで知れ渡るほどの成績の悪さに自己嫌悪しているだけだ。
「そこで学校が用意したのが品評価への参加、その手伝いをすることでおじゃる」
「品評会? なんだそれ」
また新しい単語が出てきた。屋代が難しい顔で首を傾げると、こちらも幾分平静を取り戻した黒岩が咳払いした。
「我が国で品評会といえば、一年に一度開かれる祭具職人たちの戦い、作り上げた祭具を競い合う大会のことです。祭具についての説明は必要ですか?」
「いや、それくらいは分かりますけど」
生真面目な態度を取り繕った黒岩の問いに、屋代は眉を寄せながらも首を振った。
祭具といえば、神職ならば誰もが欲しがる道具のことだ。振るだけで雷を発生させられる棒、どこからともなく永遠と水を吐き出し続ける甕、身に着けるだけであらゆる幸運を呼び寄せる装飾品。一般に流通しているような家具、雑貨などとはまるで違う。本当に夢のような現象を引き起こす道具の数々。
神職がそれを欲しがるのは、ひとえに祈相術の補助となりうるからだ。強力な祭具はそれだけで神の悪戯への対処を容易にさせ、神職の負担を減らす。屋代も一時は憧れ欲したものだが、今ではそんな考えも薄くなっていた。
「祭具を競い合わせる……あー、新年の奉納の儀のことですか?」
「少し違うでおじゃるな。正確にはその前段階。品評会で認められたものだけが、神へと献上されるのじゃ」
一年に一度、神様へ自ら作り上げた祭具を捧げるための奉納の儀、屋代の頭に浮かんだその光景を麿先生が訂正した。
「まあ、ソチの場合詳しく知らなくても問題ない。我が校がその品評会に参加するという事実、そのための準備を手伝うことだけ把握しておればよい」
いささかぞんざいに振られた手を見つめ、思うことは一つ。
「……その準備を手伝えば、俺は進級出来るんだな?」
「うむ、そこは請け負おう。結果の如何に関わらず、今回の件を十分にやってのけるのであればソチは2年に進級、次からは防人学科の学生1号として通うことになるであろうな」
「ならやる」
屋代にためらいはなかった。真剣な眼差しを麿先生に向けて、短く頷いた。
「うむ、良い返事でおじゃる。大会の詳しい説明は後日、大会参加者から直接ソチに教えるよう言っておくのじゃ」
また、白穂神のために動ける。義母の居場所を作れる余地が残っているのだ。正直、何をするのかさえ分かっていない状況だが、それでも屋代に否はなかった。
ソファに座りながら、屋代はこの時、未来への一歩目を踏み出した音を確かに聞いた。
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