4-3

 目の前で火花が散っていた。明滅する光が視界を覆い、ひどい吐き気が込み上げてくる。

 屋代が十数年という年月を生きてきた中で、命を落としかけたことは二度ほどあった。一度目は幼き日、生みの母に捨てられた。そして二度目はつい最近、無謀にも眷族と戦い踏みつぶされた時だ。どちらも奇跡的に助けられ命だが、今回ばかりは拾うことが難しいかもしれない。


「あ、ぅぅ……」


 呼吸が上手くできない。何度空気を吸っても肺が膨らまず、口の端からよだれが垂れてしまう。それを拭う余裕さえないまま、屋代はむき出しの地面に横たわっていた。


「っあ、」


 痛い。ただただ痛かった。全身が倍以上も膨れ上がったように熱を帯びている。物を見ることさえ難しい視界の中で、破壊されつくした住宅街が映り込んだ。首を動かすことを出来ない屋代は、その惨状から目を背けられなかった。


「か、みさま」


 屋代の口から言葉が零れた。霞がかった思考が、現状を把握しようと脳を動かす。


「ぅ、ぉえ」


 途端に、胃を収縮して目の前が回転する。まだ酒も飲めない年だが、二日酔いとはこのような感覚かもしれない。頭の片隅でそんな言葉がかすめ、屋代の唇が震えた。


「……」


 立ち上がる気力がわかなかった。何故か流れる涙をそのままに、壊れた人形のように手足を投げる。

 屋代は、辛うじて思考できる脳に命じられるまま、瞬く瞳を周囲に配った。そうすることで見えてくるのは、圧倒的な終わりの光景。倒壊した住宅は見るも無残な姿となり、いくつもの瓦礫となって地面に転がっている。住人たちの憩いの場であったろう公園など、そこにあったことなど分からないほど空虚な空き地となっていた。

 その全てが、ただ一柱の神によって行われたなどと信じられなかった。この光景を、白穂神様が作り出したなどと誰が分かるというのか。


「…………」


 神様は人の上位者。そんな事実はごく当たり前で、しかし、実感していなかったのだろう。眷族を相手にしていただけでは覚えなかった恐怖が、こうして振りかざされた力を前に痛みとして刻まれる。記憶がないからと弾かれていた神が、まさかこのような権能を持っているなど想像できるはずがない。自らを慈しんでくれた神を相手に、屋代は確かな畏怖を覚えた。


「………………」


 これからどうするか。何をすればいいのか。

 光が飛び交う視線の先には、すでに冴木たちの姿はなかった。白穂神に恨みを抱くあの男が何をしようとしているのか見当もつかない。いや、仮に分かったところで、屋代にはどうしようもない。こんな、無様に倒れ伏している屋代では。


「は、は、はぐ」


 笑おうとして、ひときわ強い痛みが走った。思わず丸めた姿勢から数秒、思考を手放して痛みが治まるのを待った。恐る恐る胸元をのぞき込めば、そこには裂けた傷口から流れる大量の血液を確認できた。


「うぁ……」


 見なければよかった。傷口を認識したとたん痛みがぶり返し、喉の奥から呻きが漏れる。

 白穂神が操った巨木は、腹から胸にかけて大部分の肉をえぐり取っていた。ほぼすべてが赤く染まり、ところどころ白いものまで見えている。正直、何がどうなっているのか理解したくもなかったが、これだけは屋代にも分かった。

 どうあっても致命傷だ。


「あ―」


 あるいは、医療を司る神ならば治療も不可能ではないかもしれない。だが今すぐこの場に現れてくれる可能性はほぼないだろう。屋代の命はここで終わるわけだ。なんともあっけない最後である。

 体の向きを変えることも出来ず、横向きの視界で屋代は世界を見つめた。


「………すみません、でした」


 出てきたのは、謝罪だった。


「何も、返せませんでした」


 力がなくてごめんさない。祈相術を使えなくてすみません。神職になれなくて申し訳ありません。

 白穂神様の役に立てなくて、本当にすいませんでいた。

 意識せずとも零れるのはそんな言葉だった。己の無力を嘆き、何も変えられなかった無能を罵る。屋代なりに頑張ったとか、努力したとか、そんな言い訳ならいくらでもできた。全力で頑張ったのなら、この結果こそが屋代の限界なのだと開き直ることも。だが、屋代の目から流れる涙がこの結末を受け入れていない。悔しいからこそ、認められないからこそ、屋代の口から嗚咽が漏れる。

 普段ならば絶対見せることのない泣き顔は、屋代の弱った心を曇天の下に晒していた。ただ死を待つばかりの己が身を惰弱だと叱咤することも出来ず、そのまま瞳を閉じかけた屋代だったが、ふと、足音を拾った。


「大丈夫?」

「は、?」

 

 誰だ、と涙で歪んだ視線を向けた。上手く捉えられない像、必死で目を凝らした。


「昨日はありがとう。楽しかった」

「そーさーさん……?」


 そこにいたのは、間違いもなくファナディアだった。昨日、最後に見た時と何ら変わらない姿、眼鏡をかけたその奥の瞳もどこか眠たげに見える。あまりにも予想外の人物に、一瞬、痛みさえ忘れてしまう。


「な、なんでここに……」

 

 縺れかけた舌をどうにか動かす。

 どうしてここにファナディアがいるのか把握できない。場違い、という思うが浮かびかけるが、屋代が眷族に襲われていた時もその場にいたので、案外騒動に首を突っ込む人なのかもしれない。


「危ない、から、避難してくれ」


 しかし、ここにいるのがどれだけ危険なことか。冴木が気まぐれで戻ってくることもあるだろう。そんなことになればファナディアも殺さねかねない。早く逃げてくれと訴える屋代を、ファナディアは状況を理解しているのかいないのか、相変わらず目じりの下がった目で捉えていた。


「ごめんなさい」


 そうして呟かれた台詞に、屋代は瀕死であることも忘れて眉を歪めた。


「こんなことになるとは思っていなかった。私はただ、キミに良かれと思って教えたけれど。それは間違いだったのかもしれない」


 何のことかと、血の匂いを吸い込んだ屋代だったが、ファナディアが指摘しているのが祈相術のことだと気づき頬を吊り上げた。


「べ、別にソーサーさんが謝ることじゃない……俺、知りたいって、言ったんだ」


 祈相術、魔力に関しては屋代の問題であり、それを指摘したファナディアは何も悪くない。ゆえに、頭を下げられても屋代が困る。

 ……と、いうか。血まみれで死にかけている屋代を前にしていうことがそれなのか。せめて救急の連絡を入れてくれてもいいんじゃないか? 助かる可能性が生まれたことで、屋代の気持ちがかすかに上を向く。

 懇願する屋代の顔を見て、ファナディア。


「大丈夫、キミは死なない。もうすぐ医療班も到着するって言ってた。ここで倒れていれば命は助かる」

「…あ、ありがとう」


 助かる。その言われて屋代は安堵してしまった。むき出しになった命は生存のみを優先する。


「でも、助かるのはキミだけ。神様はたぶんムリ」

「!?」


 かっ、と目を見開いた。飛び起きようと全身に力が入り、その瞬間血が噴き出して泡を吹いた。


「お、ぅふ」

「だ、大丈夫……?」


 大丈夫ではない。未だかつてこれほど血を流したこともなければ、死に近づいたこともなかった。一瞬あの世を垣間見た屋代だったが、白穂神様のことを考えて生の縁にしがみつく。

 ふらふらと力なく持ち上げた手でファナディアを掴んだ。


「ど、どういうことだ。どうして、白穂神が助からない?」

「……キミたちを吹き飛ばした冴木という男。彼は神様たちを連れて別の場所に向かった。さっき目を覚ました巫女の話からすると、眷族の陽動で各地に散った生徒たちを片っ端から殺すつもりだと思う。もし実行されれば大惨事。きっと、皆が神様を倒してでも止めようとする」


 屋代以外にも生きている人がいたのか? そんな疑問が顔に出た。


「この場に居た人は全員無事。ただ、重傷者も多いから安全な場所で固めてる。キミも移動させたいとこだけど、今動かすとかえって命を奪いかねないから。ここにいて」


 祈相術も使えない屋代でもかろうじて命を繋いでいるのだ。神職である藤芽はもとより、征徒たちのほうが生存率は高いか。ファナディアがもたらしてくれた朗報に一息つく。


「けど、これから先はそうもいかない。操られた神様を止めようとすれば、確実に死者が出る」


 それはそうだ。一息で街の一角を蹂躙してのけた白穂神様を止め、なおかつ倒すともなれば相応の犠牲は出るだろう。あるいは、今いる神職全員をかき集めても止められないかもしれない。まともに動けない屋代は悲観した。


「一つでも命を奪ってしまえば取り返しはつかない。操られていると言っても、その時点で神様は悪神として認知される。そうして人の恐怖と怒りに後押しされた他の神々が手を下すことになる」


 淡々とファナディアが語る未来は、屋代にとって悪夢に等しいものだった。

 多くの人に悪神だと思われる。誰が? 白穂神様が? 憎まれ、恨まれる中で神々によって殺される姿を想像してしまい、顔が青白くなる。


「ふ、ぐぅっ」


 両手を地面に突き立てる。体を起こそうともがくが、僅かたりとも持ち上げらない。

 そんな未来あってはならないと強く心に思うのに、現実は何一つ変わらない。こうして汚い地面に這いつくばっているだけしかできない屋代では、その未来を回避できない。


「キミが動かなくても事件は解決する。多大な犠牲は出るけど………これ以上キミが傷つくこともない。神様も、そのほうが良いと思ってる」


 分かったようなことを言うな。それじゃあ意味がないだろう。

 犠牲が出ても屋代さえよければそれでいいだって? 白穂神がそんなこと思うはずない。見ず知らずの子供に、腹が減っているのかと心配してご飯を食べさせるような神様だぞ? 行く当てのない子供を、ならばと面倒見るような神様だぞ? たとえ口でそう言っても、己の所業に心を痛めるに決まっている。そんなこと、たとえ白穂神自身が許しても屋代が絶対に認めない。

 だからほら、今こそ立ち上がれ。ここで死んでる場合じゃないだろ。


「いぎぃっ」


 よしよし。やればできるじゃないか。上半身が持ち上がったぞ。口内に血は溢れているが気にしなくていい。でも気持ちが悪いので吐き出しておく。


「はぁっ、はぁっっ」


 流石に保持は出来ないので瓦礫にもたれかかって一休憩だ。脳の機能が壊れたのか、さっきから涙や鼻水が止まらない。人に見せられる形相ではないだろうが、取り繕う余裕もないので放置する。呼吸を整え、ついでに臓物がこぼれないよう筋肉を締め上げる。少なくとも締め上げていることにする。


「ひぃ、ふぅっ」


 大分落ち着いた。さあ、次は足を持ち上げろ。前かがみ、になっては危険過ぎすので背後の瓦礫を支えに体を立たせる。一方の手で腹を抱えながら瓦礫に手をかけてみると、何ということか、腕が曲がってしまった。そのまま肘、肩と瓦礫にぶつけ、最後に額と激突させた屋代は地面にうずくまった。転がる力も残っていないのでそのまま悶える。


「………何してるの?」


 まるで死ぬ直前の虫のごとき屋代を、ファナディアが不思議そうに眺めていた。

 その目は珍獣を見ているような、初めて目の当たりにする生物を観察しているようであった。


「ぅぐぐぐ、っ、白穂神のとこまで、行くん、だよ」

「それで?」


 その様で? と端的に問う声に、屋代は垂れた鼻血もぬぐえないまま声を絞り出した。


「早くいかないと……間に合わない」


 冴木が一人でも手にかけさせる前に。でなければ、大惨事が引き起こされてしまう。何としてでも阻止しなければならない。


「俺が、助けなくちゃいけないんだ」

「キミでは無理」


 その言葉に温かみはなかった。ただ冷たい現実だけが内包された、心情を慮ることのないファナディアの台詞。覆しようのない正論だ。


「それでも、俺はっ」

 

 行ったところで何も成せない。そんなことは屋代自身良く理解している。この体でのこのこ行っても鎧袖一触されるだけ。豆腐以下の柔らかい盾に意味なんてない。けれど、それでも、神職や神々が白穂神を倒して止めるというのなら。


「俺はっ、俺はあの方に救われたんだ! それなのに、あの方を居場所を作るどころか奪わせるなんて絶対認めない」


 神職になることはできなくて。白穂神が受け入れられる居場所を。

 そう言って、顔から体液を流し続ける屋代に落とされる少女の声。


「昨日もそう言ってたけど……キミの言う居場所があれば神様は救われる?」

「ああ、そうだ。だから俺は」

「でもそれって、神様が言ってたの? キミが勝手に考えた神様の幸せではなくて?」

「それはっ」


 ファナディアの言葉に口を開きかけ、そして言葉に詰まる。白穂神の幸せなど、正直、考えていなかった。だが、言われてみればそういう面があったかもしれない。屋代が拾われて救われたように、白穂神も神の社会で居場所を手に入れたなら救われると。そこに、白穂神の幸せがあるのだと無意識に思い込んでいた。

 しかし、それは違っていたのだろうか?


「俺が、勘違いしてたのか……?」


 独りよがりに、白穂神が救われる形と決めつけていただけなのか。屋代の思考は現在の状況を離れ、一時過去を想像する。屋代が神職になると言ったとき、白穂神は喜んでいただろうか。いや、白穂神は屋代を心配していた。驚き受け入れつつも、その身を案じてくれていただけだ。


「……くそ」


 あまりにも遅すぎる気づき。吐き出した悪態に力はない。


「神様はどんな形でもキミに生きていて欲しいと思ってる。だから」

「ああ、なおさら行かなきゃな」


 屋代が独善的だった。後悔は山のように積み上がるが、反省は後に回す。

 そんなことをしている暇があるのなら、一刻も早く白穂神の元までいかなければならない。


「ちゃんと、訊かないといけないからな!」


 白穂神が何を望んでいるのか。どんな未来を願っていたのか。思えば、そういった将来のことなど話してこなかった。

 今更だがまだ間に合う。取り返しがつく。屋代の足掻きは無駄にならない。


「ふぅー、ふぅーっ」


 言葉を遮り、手足を振るわせだす屋代に、ファナディアは口を閉じた。大きな瞬きを挟んで、そして何事かを決めたように頷いた。


「……これ、上げる」

「?」


 そう言ってファナディアが取り出したのは、指先ほどの種であった。


「なん、だ、それ。植物の種……?」


 屋代が初めて見るような、形容しがたい形をした種に眉を寄せる。

 じっと見ていると吸い込まれそうな深く濃い色味を帯びた、なんとも不思議な種である。


「そのまま行っても途中で力尽きるだけ。でも、種を使えば傷も癒える。体も動くようになる」

「本、当かっ!?」

「……………多分?」


 万全の状態といわないまでも、まともに動けるようになれるだけでありがたい。そう思い感謝する屋代だったが、ファナディアが首を傾げる様子に肩を落としかけた。


「どうする? 使う?」


 思わず力が抜ける屋代だったが、すいっ、と差し出された種から視線を逸らせなかった。魔力を見ることが出来る眼鏡を持っていたファナディアだ、少々自信なさげだが信じる価値は十分にあった。それに、今以上に状態が悪化することもないだろう。この傷を癒せるというのであれば使うことを躊躇う道理はない。


「どうやって、使えばいいんだ? 飲めばいいのか?」


 まさか、これから育てるから十年待って、とか言わないだろうな。屋代のそんな危惧を他所に、ファナディアは何てことないように、その種を放り投げた。


「こうやって」


 咄嗟に受け止めようとした屋代の手をすり抜けて、肉が見える胸元に落ちた。その瞬間、根が伸びた。


「―――――が、」


 痛みが、全身を襲った。


「あ、ああああああああああああああああああああああ!!」

「脳まで根を張る。耐えられたなら、今日からあなたも魔法使い」


 ファナディアの台詞など耳に入らない。屋代は体中を蹂躙し始めた植物に、ただただ大声を張り上げた。そうしなければ、自意識すら保てない。肉の内側に入り込み、神経を犯し、そうして足先から頭のてっぺんまで、くまなく這いまわる痛みは筆舌に尽くしがたく、喉が裂けんばかりに声を上げる。

 自らの意思とは関係なく体を振るわせる屋代を足元に、ファナディアが天を見上げた。


「間に合うかな…」

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