4-2

「思えば私も若かった。いえ、幼く無知だった。神職となって神に舞を奉納するという、ただそれだけのことがどれだけ困難なことか理解できなかった」

 

 冴木が語る。その目は屋代たちを視界に映しておきながら見えていない。


「当時の神職は先祖代々受け継ぐ専門職のような扱いでした。一般での就職などそれこそ夢物語。どれだけよい成績を取ろうと、どれだけ祈相術の扱いに長けていようと変わりません。血筋、血統、伝統。神職という社会は完全に閉ざされていた。私が入り込む余地など初めからなかった」


 屋代たちが固唾をのむ中、冴木だけが言葉を紡ぐ。


「それでもどうにか成れないかと、あの頃は必至で足掻いたものです。親に無理を言って舞の教室に通いもしましたが……結局、神職に就けることはありませんでした。まあ、私一人がいくら足掻いたところで古き仕来りを覆せるはずもなかったということです」

 

 自嘲を滲ませて、過去を語る冴木。その声色はひどく穏やかで、こんな状況でもなければ、ただ昔話をしているようにしか聞こえない。


「で? それがどうしてこんなことをしてるんだよ?」


 屋代は無意識に低い声を出していた。なるほど確かに、冴木の言うような不幸があったのだろう。神職を目指して、しかし当時の社会情勢に阻まれたと。それ自体同情すべきことではあったし、屋代をしてその気持ちは理解できる。成りたいものになれず、諦めるしかない苦しみを知っている。しかし、今は関係ない。


「どうして白穂神がそこにいるんだ!」


 屋代は眼前にいる白穂神から目を離せずにいた。いつもと同じ服装、何も変わらない髪型。しかし、決定的に違っている点があった。一つは瞳、いつもは生き生きと輝いでいた目が、今や半ばうつろな状態だ。汗こそ流れていないが顔は苦渋に歪められ、そこにいるのは自らの意志ではないことを雄弁に語っている。

 そうして、何よりも屋代の目を引いているのが。


「その剣は一体なんだ!? 白穂神に何をした!」


 その胸に突き刺さっている剣だ。幼い体に痛々しく突き立っている剣の柄。刀身は、そのほとんどを胸の中に差し込んだ状態だ。短い苦悶の声を漏らしながら、まるで引き抜こうとしない白穂神の様子に、屋代は焦燥に苛まれる。白穂神に何が起こっているのか。そんなことさえ後回しにして駆け寄りたい。最も大切な存在が傷つけられているという事実を前に、すぐにも飛び出したい気持ちが心臓を揺らしていた。


「くそっ」


 だが、走り出そうとする屋代を牽制するように、浄環ノ神が体を揺らす。人では太刀打ちできない存在が、冴木を守らんと目を光らせていた。そのため、屋代は歯ぎしりすることしかできないでいた。

 冴木は笑みを浮かべ、屋代の質問には答えず話を続けた。


「私は神職を諦める代わりに、教職に就きました。私のように、社会に夢を奪われることがないよう、多くの知識、能力を養わせる。そうして自らの道を歩んでほしいと……もしかすると、夢を叶えられなかった私の代替行為だったのかもしれません。しかし、いつしか生徒の巣立つ姿が私の誇りとなっていた」

「教師? それに冴木という名前……まさか」

「どうした、あいつのこと知ってるのか?」


 思い当たることでもあったのか、征徒が目を開いた。屋代の問いかけに返事をすることも忘れて、信じられないような面持ちで冴木を見つめた。


「そんなある日、私に思いがけない話が舞い込んできました。血筋に囚われない一般からでも神職を出そうという試み、その第一歩となる学校の校長職への推薦です」


 両手を広げ、夢見るような瞳となった冴木。


「あの時は本当に驚いた。そして狂喜しました。望んだ形ではありませんでしたが、それでも神職に携われるのならばと二つ返事で引き受けました。ああ、あの頃は人生の絶頂そのもの。毎日が幸せな日々でした。しかし――」


 冴木の雰囲気が変わる。

 喜色満面の表情が一変し、唇が捲り上がる。


「何の前触れもなく、私に落ち度など何一つないにも関わらず、職を追われた! 社会の、神の都合でだ!」

「!?」


 急な怒声。あらわになる本性。剝きだされた怒りの矛先は、屋代たちではなく隣にたたずむ白穂神に向けられた。


「ああ、今思い出しても腹が立つ! あの日、なんてことのない顔で私の前に現れ立場を奪って行ってこいつを! いつか復讐してやりたいとどれだけ憎んだことか!!」


 そう言って、白穂神を殴りつけた冴木に、屋代は声を荒げた。


「お前―!」

「動くんじゃあない!」


 浄環ノ神が腕を振り上げる。その手の先に集う水が倒したばかりの眷族の形に変化し始めたのを見て、屋代は踏み出しかけた足を止めざる負えなかった。


「はっ、ふぅ。と、いけませんね。感情的になってしまっては。つい手が出てしまう」


 早まった呼吸を落ち着けた冴木が、まったく傷のない白穂神を忌々し気に睨む。権能のない白穂神といえど、神様の端くれ。腰の入っていない老人の拳では損傷など受けはしない。

 穏やかだった風貌を取り去った、ただ憎しみだけを持った老人に誰も声を発せられない。何かを口にすれば、途端に凶行に走りだしそうな雰囲気がそこにあった。

 幾分の呼吸を挟み、意を決した征徒が口を開いた。


「貴方は…僕らの学校の先代校長、ですよね?」

「はあ?」


 波嬢のぽかんとした声。

 屋代も驚きに振り返った。


「東雲、それ、本当なのか? あいつが初代、つまり白穂神より一つ前の校長だって?」

「うん。僕も写真で見ただけだから確信は持てないけど、ほぼ間違いないと思う。ただ――」

「私を知っているとは驚きです。自分の通う学校といえど先代の校長に興味を持つことなど稀でしょうに」


 その冴木の反応は正しいことを示していた。しかし、それを指摘したはずの征徒は自分の言葉に懐疑的であった。


「……本当に、先代校長なのですか? 僕が見た写真では、もっとふくよかな体型だったのですが」

「ふふ。ええ、神に職を奪われた衝撃から少しばかり体形は変わってしまいましたが、間違いなく私は元校長です」


 冴木の肯定。


「……ふん、つまり職を追われた腹いせに神様に復讐しようとしたわけ? なによそれ、ちっさいわね」


 波嬢が鼻で笑った。これほど大規模な被害をまき散らしておきながら、その根源がただの老人の逆恨みだと知って強気が戻ってきたのだ。

 しかし、そんな波嬢にこそ冴木は蔑む目をした。


「誰もが自由に神職を目指せる次代のキミには分からないでしょう。汗が枯れ果てるまで努力しても社会の圧力で夢を阻まれ、ようやく報われたかと思えばまたも奪われた。その理不尽さ、不条理さを。そうして神への憎しみを抱いても解消する術がない絶望を」


 屋代は神によって救われた。だからこそ、神によって人生を奪われた冴木の憤りに何も言えない。神職に限って言えば、神ではなくその特権を維持したい当時の名家などが画策して圧力をかけた結果だろうが、冴木にしてみればどちらでも同じことだ。実力が伴っていても、ただ神職になる権利がないとはねのけられた。そうして自分より劣る者たちが神職になっていく姿を見てきたのだとすれば、どれほど屈辱的なことであったか。

 校長という職を奪ったことについても、この社会と屋代の責任だ。屋代を拾ったばかりに養うための金銭が必要になった白穂神が働く場を求め、おそらく人の下では働かせられないと上の役職に就けられたのだろう。冴木が恨みを抱えても何ら不思議ではない。


「もはや生きている理由さえない。私はただ日々を鬱屈として過ごしていました。何もせず怠惰に時を過ごしていた。ですがそこに、救いの手が差し伸べられたのです」


 冴木の手が、白穂神に刺さっている剣を撫でた。その手つきは愛おし気でさえあった。


「この世に混乱を生み出そう。そう言って彼は、この剣を私に授けてくれました。この、神を操ることのできる剣を」

「神様を、操る―――――」


 そう呟いたのは、果たして誰だっただろう。この場に居た皆が、あの流堂であっても例外なく愕然とした。征徒が白目を、波嬢はもはやどんな顔をしていいのか分からないといった風である。


「そんな、馬鹿げたものがあるはずが」


 ない、と藤芽は言いかけたが、冴木のそばを離れない浄環ノ神を見やり、言葉に詰まった。


「そう、あまりに馬鹿げた代物です。実際操ると言っても完全に操作できるわけでもない。せいぜいが思考や思想を少しばかり変えられるだけ。その記憶全てを操るなど不可能。ですが、それでも十分すぎた」


 冴木が目を細めた。屋代たち全員を平原するその視線は、憎悪に満ちた暗きものだった。


「私は歓喜しましたよ。この力があれば復讐できる、とね」

「……それで、どうして浄環ノ神まで操ったんだ? 目的は白穂神なんじゃないのか?」


 実際、直接白穂神を害しようと思えば不可能ではないのだ。使える神職はおらず、厳重に守られているわけでもない。神職を目指していたというくらいなら祈相術も使えるはずだ、そばにいる屋代をあしらって危害を加えることは難しくない。なのに、復讐方法に神を操るといった手段を選び、関係のない浄環ノ神まで操ったのはなぜなのか。

 そんな屋代の疑問に、冴木は余裕を伺わせる口調で答えた。


「ただ傷つけるだけで私の気が収まるはずがありません。どうにかして白穂神が最も苦しむであろう方法を考えました。そして、思いついたのですよ。お飾りの分際でありながら校長として生徒たちを第一に考えている神が哀しむ復讐を」

「………なんだよ、それは」

「自らの手による生徒の殺害。記憶のない神が得た唯一の拠り所を、その手で壊す。そうすることで私の心は満たされるのです」


 そのために、白穂神を操るような迂遠な手段を用いたのだと冴木は語る。

 それのどこに浄環ノ神が関わってくるというのか。


「…そうか。白穂神様は神様であると同時に学校の校長だ。狙うにしてもその隙はほとんどない。仮に無理やり、それこそ夜とかに襲えば成功するかもしれないけど、周りに気づかれる可能性があった。だから、なるべく自分への危険を減らしながら確実に成功させる時機を作りたかったんだ」

「? うん? つまり、どういうことだ?」

「つまり、この眷族の騒ぎ自体を囮に使ったんだ。神職たちの手が足りなくなるほど暴れさせて、僕たち生徒が動員されるよう仕向けた。そうして手薄になった学校に侵入して白穂神様を狙ったんだ!」


 この神の悪戯が、全て冴木が仕組んだことだと断言する征徒に開いた口が塞がらない。

 街を破壊し、人々を脅かした眷族の騒ぎが、無力な神を狙うためだけに画策されたものだというのか。馬鹿げた規模にもほどがある。


「ふむ、惜しいですね。80点、といった所ですか」

 

 征徒の推測を冴木はそう評した。


「……何か違っていましたか?」

「いやなに、より正確に言うと浄環ノ神に関しては、私が操ろうとしたわけではありません。ただ彼がこの剣の使い方を教えるために選んだというだけのこと。特別に何かあったわけではないのです」

「―――貴方は」


 藤芽の顔が赤く染まる。白穂神のように特別憎んでいたわけでもなく、さりとて怒りを抱いていたわけでもない。ただ利用できるから利用しただけだと、巫女である藤芽の前で冴木は告げた。


「そこで少しばかり欲が出ましてね。ええ、キミの言う通りただ襲うだけなら、襲って操るだけならいつでも可能でした。ですが、それでは意味がない。より多くの人が見ている前で、白穂神に生徒を殺させていく。そうして白穂神が私から奪って得たすべてのものを壊すのですよ」


 だからこそ、これほど面倒をかけて白穂神に剣を突き立てたのだ。そう言って冴木は歪んだ笑みを見せた。


「………復讐の相手が違うだろ」


 吐き出した言葉は苦い。

 屋代にしてみれば白穂神を狙うこと自体許しがたいが、冴木は直接に立場を奪った怨敵と捉えている。実際、白穂神の意図ではないにせよ、冴木の職を奪っているからだ。

 もがきながらもどうにか手に入れた立場を、神の一声であっさりと失ってしまった。その原因となったのは屋代だが、冴木から見れば原因など関係ない。復讐する術を得た瞬間から、冴木の目には白穂神しか映っていないのだ。


「誰だが知らないが、やっかいなことしてくれるな」


 神様を操るなどという、とんでもない代物もそうだが、そんなものを冴木に渡すなど悪夢でしかない。どうにかして白穂神から引き抜きたいが……。


「さて、話はここまでにしましょう」

「っ」


 反射的に身構える。が、どうしようもないことに今更気づく。


「し、東雲?」

「……ごめん。無理だ」

「海浪?」

「神様相手にどうしろってんのよ……」

「ほ、ほら流堂。お前の力を見せる機会だぞ?」

「………馬鹿か」


 白穂神に権能はない。ゆえに、操られていても彼女に戦闘能力はなく、たとえ襲われたとしても屋代たちであれば問題なく対処できる。しかし、その近くでたたずむ浄環ノ神は無理だ。どうにもならない。眷族を生み出す人の上位者に敵うはずがない。


「は、は、は」


 不可能に近しい現実を前に、呼吸が早くなる。

 白穂神を助けたい。だが、そのためには冴木を、そして冴木に操られている浄環ノ神を退けなければならない。けれど屋代たちはその手段を持ち合わせていない。

 詰んだと、頭の中を諦めがよぎる。


「……いえ、可能性はあります」


 心の中で委縮してしまった屋代の肩を叩いたのは、藤芽だった。屋代たちに負けず劣らず強張っている表情ながら、その瞳は浄環ノ神から逸らされていなかった。


「浄環ノ神はご自身の力を割いて眷族を生み出します。つまり、作れば作るほど力が弱くなっているのです」

「それって、」

「ええ。これだけ多くの眷族を作ったのです。位でいえば下位にあたる浄環ノ神なら、その力もだいぶ削れているはず。もしかすると、眷族一体分にも満たない可能性があります」


 さすが浄環ノ神に仕えていた巫女、その力の特徴を熟知している。

 そして、その話は何より朗報だった。


「眷族一体分……」「ならやれるわね…!」


 屋代の目に光が取り戻される。生気の戻った顔で力強く頷く波嬢に同意するよう、拳を握りしめた。すでに眷族との戦いは経験済みだ、同程度の力しかないというのなら、やれないことはない。

 屋代たちの空気が変わる。冴木の祈相術の腕前こそ未知数だが、不可能だと思われていた現実に光明が差し、意気を吹き返した。


「必ず取り戻す!」

 

 浄環ノ神を退け、冴木を倒す。白穂神を傷物にしてくれたお礼だ、こちらの気が済むまで殴ってやる。

 鼻息を荒げ、気力を回復させた屋代は鋭い眼差しで冴木を睨みつけたが。


「………ふむ」


 冴木は、どこか余裕のある顔をしていた。戦力でいえばほぼ互角、決して余裕などないはずなのに、慌てる様子が微塵もない。

 浄環ノ神を侮辱されたこと、あるいは神の悪戯を仕掛けた罪など様々な理由から、さて全員でぶん殴ろうと目をぎらつかせていた屋代たちの思惑が外れる。追い詰められているはずの冴木に、不気味な物を感じ取った。


「嬉しい誤算でした」


 それを証明するように、冴木が再び語りだした。


「記憶がない。自身が持つ権能さえ忘れているなら、振るえる力などないに等しいと。私もそう考えていました」


 白穂神の体が前に出る。柄に触れる冴木の手を通して命じられたかのように、拒絶を浮かべる表情とは裏腹に屋代たちの前に立つ。


「――ッッぁ、」

「白穂神様!」

「ですが違ったのです。確かに権能を忘れていたようですが、その内包する力は下位のそれではなかった」


 短い悲鳴が白穂神から洩れ出る。屋代の全身に力が入り、今にも殴りかかりそうになった。

 冴木は楽し気に柄を指ではじく。


「加えてこの剣の力で忘れていたはずの権能を引きずり出せる。それが何を意味するか、キミたちにわかるかな?」

「―――」


 ぶわっ、と汗腺が開いた。

 冴木の台詞に、不吉な予感が走り抜ける。


「中位以上の神による、まぎれもない権能の行使。さて、キミたちは生き残れるかな?」

「全員ここから逃げろぉおおおお!」


 戦おうとか、抗おうとか。そんな気持ちは瞬時に吹き飛んだ。今すぐここを離れなければ死ぬ。背筋を這った確信に近しい予感に突き動かされ、大声を張り上げた。

 しかし、硬い地面を突き破り、異常な速度で伸びてきた巨木の数々を目から逃げる暇はなかった。まるで鉄のような硬質と刃物のごとき鋭い幹が胸を裂いていた。


「、、、あ?」


 激痛を感じる間もなく、大量の血を噴き出しながら屋代は意識を失った。暗闇に包まれた視界の中、白穂神を悲痛な叫びを聞いた気がした。

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