4-1

 一目見た瞬間、心を奪われた。


「わぁ―――!」


 数百人という、とてつもない数の神職が舞を舞っていた。時に激しく、時に穏やかに。素早く、鋭く、けれど柔らかに手足が動いている。表情一つさえ舞を構成する一部と化して、大勢の人が息を合わせて踊っている。見る者すべてを魅了する演舞がそこにあった。

 彼は舞の意味さえ理解できない年頃であっても、それがとても美しいことだけは理解できた。


「すごい、すごいっ」


 その感動を表現するには、彼はまだ言葉を知らずにいた。上手く言い表せないもどかしさもあったが、それでも心に浮かんだ感嘆に後押しされるように、子供だった彼にも口にできる言葉を何度も吐き出した。

 特別に誂えられた巨大な舞台、彼から見れば果ても見渡せない大きいと目を丸くしていたその場所でさえ、百人を超える人が踊るには狭いと感じてしまう。それほど圧巻、それほどの熱量。距離が離れているにもかかわらず伝わってくる圧力に、彼はより一層瞳を輝かせた。


「ははは――、どうだ、すごいだろう?」

「うん!」


 普段不愛想な父も、この時ばかりは笑顔を見せていた。彼の喜びようをほほえまし気に眺め、そうして彼が楽しめるようにと抱き上げてくれた。広がる景色の中に、派手な音楽があるわけでもない。それでも、百人以上の人間が行う一糸乱れぬ踊りは圧巻であり、それらを眺める彼や周囲の人たちは一瞬たりとも目が離せないとかぶりついた。


「ねぇお父さん、どうしてみんな踊ってるの?」


 そこでふと疑問が湧いた。父に言われて見に来た彼は、しかしなぜこれほど大勢の人が踊っているのか分かっていなかった。

 そうした彼の素直な反応に、父は気を悪くすることなく笑った。


「そうか、話していなかったか。これは一年に一度、大神様に捧げる舞だ」

「狼?」

「違う、大きな神様だ。神様のことは知っているな?」

「うん!」


 大きな返事を口にしながら、彼は幼稚園で習った事を思い返した。彼や友人、先生など皆の上にいる存在で、自分たちを守ってくれる存在。何千年も昔からこの国にいてとても偉いものだと。

 早口でそう語る彼に、父は頬を緩ませた。


「そうだ、とても凄い神様だ。そんな方に、今年も守ってくれてありがとう、って感謝を示しているんだ」

「へぇ、いい人なんだね!」」


 彼もいいことをすると褒めてもらえる。たまに頭を撫でられることもある。ならば、国を守ってくれている神様へ感謝してお礼をいうのは当然だ。


「皆がありがとう、ってしてるんだ」


 大勢の人が集まって、これほどの規模の踊りを披露しているのが、たった一人に対してだという事実に彼は目を丸くする。こんなにも褒めてもらえるとは、国を守るということは一体どれほど凄いのだろうか。彼は父に褒められるだけでも嬉しいだから、神様もきっと喜んでいるに違いない。


「でもお父さん。大神様って、どこにいるの?」


 彼は視線を巡らせて、そのような人物がいないことに首を傾げた。舞台上で繰り広げられる感謝の舞、それが捧げられるべき相手の姿が見えなかった。これではせっかくの踊りも意味がない。彼から見れば十分以上に見ごたえがあり拍手喝采ものだが、踊っている人たちから見れば、本来の意図が失われて虚しいだけだ。


「残念だが大神様は人の前に姿を見せられることは滅多にない。だからこの場にも来られていないぞ」

「えぇ~」


 頬が膨る。その様子が見えないまでも彼の仕草で伝わったのか、父が苦笑を漏らした。


「なんだ、大神様も見たかったのか? 私も生まれて一度も拝見したことがないんだ、諦めるんだな……そう膨れるな。代わりに、ほら、あそこに神鏡があるだろう? たいていの場合、あれが大神様の代理として扱われるんだ」


 父が指さす方向に目を向けると、舞台上に誂えられた数々の装飾品、その中でもいっそう目を引くものがった。縁を至金で彩られた円形の鏡、それほど分厚くない薄い鏡は、拝殿の中心に飾られていた。


「あれが大神様なの?」

「その代わりとなるものだな。神様の代理を任されるのは神職だが、大神様の場合仕える神職を持たないからな。仕方がない」


 そう言った父の声色は、どこか寂しそうであった。それが何故なのか、彼は上手く説明することが出来なかったが、なんとなく唇を突き出していた。


「もったいないぁ」


 こんなに素敵な踊りを見ることもなく、皆のお礼も受け取らないとは、なんて贅沢な人なんだ。もしも彼が受け取る立場ならその場で飛び跳ねるくらい喜んだというのに。

 父のそんな話を聞いたからか、それまで圧倒されていた神職たちの踊りが、どこか悲しいものに思えてきた。ついさっきまで心の底を震わせていた地鳴りのごとき足さばきも、動くたびに翻る服の袖も、何一つ変わっていないのに哀しんでいる気がする。

 そんな風に見えてしまったことを、何故か否定したくなった。


「神様ってバカなんだね! こーんなにすごいのを見ないなんて!」

「お、おい!? やめなさい!」


 神様への感謝を捧げる場で、あろうことか神を罵倒した彼に、父はひどく慌てた顔をした。周囲から向けられる冷たい視線に突き動かされて彼の口を手で覆った。

 それでも彼は何かを言いたくて、父の手の中で喚き散らす。自分が何を言いたいのか、うまく言語化できない衝動に自ら苛立ち、それがより雑言を加速させる。

 だって、可笑しいじゃないか。こんなに大勢の人間が踊っている姿を見ないなんて。お遊戯で踊ったことのあるだけの彼では到底及ばない完成度。いったいどれだけ練習したのか、想像もできない。呼吸を合わせ、協調させて、そうして一つの踊りとして仕上げるまでにどれだけ頑張ったのか。なのに、それを受け取る相手が見ないなどあってはならない。そう思えてならなかった。


「おい、いい加減にしろ――」

「僕が見せる!」


 険しかった父が呆気にとられた。何を言っているのか理解できないと緩んだ手の内側から逃げ出して、改めて宣言する。


「ぜったいに、見てもらうんだ!」


 言葉だけでは足りず、その場で地団太を踏む。悔しくて、悲しくて、それと同じくらいの怒りが小さな胸の中で渦を巻く。自分が何に、どうしてそんな感情を抱いたのか、理由も不明のまま、彼はきっっ、と壇上に飾られた大神の紋飾りを睨んだ。その向こうにいる、この国で一番偉い存在だと踏ん反り返っているだろう大神に、このとき彼は確かに挑戦状を叩きつけたのだ。

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