2-6

「お前らさぁ。これが実習だってこと分かってる?」

 

 それが服を汚し、打ち身と切り傷だらけの屋代たちを見た祈相術教師、白石の感想であった。

 眷族を退けたころより小一時間ほどが経った頃。屋代たちは狭い車の中に押し込められて移動の最中だった。


「特に屋代。昨日といい今日といい。百歩譲って避難誘導まではいいとしても、そこから眷族と直接戦ったってどういうこと? 何かに突っかからないと死んじゃう生き物なの?」

「……違いますけど」

「知ってるっつうの。真顔で返すな」


 憮然とした屋代の返答に、運転席の白石はバックミラー越しでもわかるほど呆れ顔になった。


「その、先生。今回は屋代の責任ではなく……」

「それも分かってるっての。けどなぁ、いきなり呼び出されて様子を見に行けば、ぼっろぼろの商店街と傷だらけのお前らに出迎えられて。おまけに事情聴取やら病院の付き添いやらに巻き込まれたんだから、愚痴くらい聞いてもいいでしょうが」

「あんた先生でしょ」


 うるせー、と波嬢の冷たい視線にもめげず文句をこぼす白石。その隣の助手席で眉をハの字にする征徒が合の手を入れた。


「ですが、迎えに来てくれて助かりました。おかげで僕らも早く学校に戻ることが出来ます」

「……まあ腐っても先生だからねぇ。すっごく面倒なんだけど。いや、本当に」


 一瞬だけ振り返られた死んだ魚のごとき視線に、征徒は冷や汗を流しつつ愛想笑いを浮かべた。

 それらを聞き流しながら、後ろの席、その真ん中に陣取っている屋代は、まだ薬の匂いが漂う自分の体を見下ろした。

 ―――泥の眷族との戦いの後。屋代たちを待ち受けていたのは病院連行と組合の事情聴取という面倒ごとだった。いかな理由であれ眷族と直接戦った屋代たちはその立場も含めて組合の神職に事情を話さなければならなかったのだ。幸い命に係わる怪我もなかったため、病院で軽い治療を受けた後、自分たちが学生であることなど様々なことを弁明した。これでもし組合を納得させられなければ、屋代たちは資格もないまま祈相術を街中で振りかざした危険人物として認定されるために、眷族との戦いと同じくらい必死で言葉を探した。結果、眷族の行き過ぎた行動と人命救助という観点から厳重注意という形で済まされたのだが、仮にも命を賭けて時間を稼いだ屋代にしては面白くない結論であった。頭を撫でてほしかったわけではないが、しこりの残る最後に波嬢と同じく終始憮然としたものだ。

 そうして説教を受けた屋代たちが次に向かっている場所は。


「お前たちも分かってると思うけど、今から学校に戻ってもらう。そこで今回の件について校長に直接話をしな」

「……はい」


 白石の言葉に、屋代は吐き出しそうになった息をこらえて頷いた。今回のことは、自分たちが通う学校、その責任者である校長の耳にもすでに入っている。しかし、当事者たる屋代たちから直接話を聞かなければならないと、学校に呼び出されたのだ。まあ、眷族相手に立ち回ったのだから、その仔細を把握するのは生徒を管理する長として当然だろう。


「……」


 ただし、屋代が渋い顔つきになってしまうのは、それだけが原因ではない。

 これから会いに行く校長、その顔を思い浮かべて複雑な表情になる屋代に、運転中の白石は肩をすくめて見せた。


「まあ、怒られることはないだろうが、説教くらいは覚悟しな」

「はい」「…ふん」


 殊勝な顔つきで征徒は受け入れ、波嬢は不服そうに唇を突き出す。その内面を隠すことなく露にする二人に白石が首を横に振った。


「―――にしてもお前ら、運がよかったなぁ」


 向けられた台詞に、屋代は顰め面になった。


「良かった? むしろ悪かった方だろう」


 実習中に眷族が暴れる現場に遭遇したのだ。運の良し悪しで言えば間違いなく悪い部類に入る。


「いいや、良かったさ。眷族なんて怪物とやりあって誰も死んじゃいない」

「それは……まあ」


 白石の直接的すぎる物言いに、屋代は鼻白んでしまう。いつ殺されてもおかしくない状況だった。他の者よりも眷族の脅威を身近で体感した屋代は、その言葉を否定できない。

 だが、その白石の言に納得できない少女がいた。


「辞めてくれませんか。運、だなんて。れっきとした実力です」


 これまでもわずかな不服を漏らしていた波嬢であったが、ここにきて我慢の限界が来たのか目つきを鋭くした。屋代に劣らず命を賭けて眷族を止めた身として、運によるものだったと言われれば不満の一つも出る。


「おいおい、そんな睨むなよ。仮にも先生だぞ? 私」

「先生なら何を言ってもいいってことにはなりませんよ」

「そりゃそうだ。あっはっはっは」


 何が面白いのか、さも楽し気に笑う白石に、波嬢の眉が更に吊り上がる。


「まあ落ち着けって。実際お前らは運がよかったんだぞ? 多少善戦していようが、そもそも人間と眷族じゃ地力が違いすぎるんだ。もう少し救援が遅ければ先に擦りつぶされてたのは間違いなくお前たちの方さ」

「そんなこと――」

「いいや、あるね。絶対だ。賭けてもいい」


 咄嗟に否定しようとした波嬢を制するように、白石の断言が降り降ろされる。一瞬真顔に戻った白石の迫力に押されたのか、波嬢がぐっと喉奥で唸った。


「眷族に勝てるのは、そうさな、それこそ本物の天才か、祈相術を究めた人間か……あるいは神様や眷族相手に特化した手札を持ってる奴くらいか。あ、もちろん数も有効だぞ? しっかり連携できればの話だけどな」


 その点でいえば、泥の眷族を倒した神職たちは連携が取れていたということだろう。確かにはたから見てもお互いが補う形で祈相術を発動していた。その一方で屋代たちは、屋代が囮となることでどうにか凌いでいたというのが実情だ。時期が悪ければ、あるいは屋代が戦闘不能になった時点で共倒れだった。波嬢もそれを理解したからか、苦々しく唇を歪めた。


「ですが先生。助けが間に合ってくれたのは確かに運がよかったのでしょうが、それでも、それまでの間眷族を相手に抑えられたのは間違いなく波嬢さんの力と、屋代の尽力があったからこそです」

「ま、そこは私も否定しないさ。まだ殻から出てもいない雛のお前らにしてはよくやったと思うよ」


 征徒の言葉に、白石もそこは認めると口にする。


「けどねぇ。話を聞いた限り、お前たちが遭遇した眷族は特別性だ。通常の眷族に割かれる力の割合を1とすると、今回のは3か4ってとこだろうね。ただそのわりには権能を使わなかったって話じゃない? 加えて眷族が執拗に人を襲う性質を持っていたことも含めて、やっぱりお前たちは幸運だったよ」


 泥の眷族、その威容を思い返す。人の数倍の大きさと、建築物を一薙ぎで破壊する腕力を。それでも確かに、白石の言う通り権能を使っていなかったように思える。浄環ノ神が水を洗浄する力を持っているように、生み出された眷族は、その大本となる神の権能を振るえる、いわば小型の端末みたいなものだ。実際の破壊規模が大きいため気にしていなかったが、そう考えるとなぜ力を使わなかったのだろう。あるいは、使っていたのに屋代が気づかなかっただけなのか。


「ちっ。ならアンタはどうなのよ。人のことを運が良いだけだの言ってくれるけど、アタシたちと違ってちゃんと戦えるわけ?」

「え~? それって答える義務なんてな……あはい、答えます。あーっ、と。それでもし私が眷族と戦うとしたらだっけ? う~ん、どんな神の眷族かにもよるし、相手との相性もあるから一概にいえないけど………まあ5分持てばいい方なんじゃね?」

「なによそれ。人にさんざん言っておいて。それでも祈相術教師ですか」


 波嬢が吐き捨てた。


「おいおい、無茶言ってくれるなよぉ。そもそも眷族相手に1人で対抗しようなんて馬鹿なことするはずないだろ。事に当たるときは複数人で当たるのが普通なんだから」


 白石が唇を尖らせると、眉間に皺を寄せた波嬢が目を外に向けてしまった。


「………あの」


 その時、沈黙していた最後の同乗者が口を開いた。


「どうして私も?」


 その少女は言葉足らずの疑問を提示した。屋代の隣、車の窓から見える景色をぼんやり眺めていた彼女の視線が車内に戻ってきた。


「無理言って悪いと思うけど、こいつを助けたことを校長に話したら、ぜひお礼を言いたいそうだ」

「……そう」


 屋代を助けてくれた少女は、白石の言葉に納得したのかどうか、曖昧な返事を呟いた。

 屋代たちと共に事情聴取を受けていた彼女だったが、校長からの要望もあり半ば強引についてきてもらっていた。学校側の意向に従わせることは気が引けるのか、この時ばかりは白石も謝罪の念を浮かべていた。


「馬鹿なことした生徒とはいえ助けてくれたからね、今の内に校長から貰えるお礼でも考えておいて」


 少女は表情を変えることなく、うすぼんやりとした眼で頷いた。何とも手ごたえに欠ける反応に白石も困るのか、普段面倒を見ている生徒たちと同年代らしき少女相手に唇を引き結んだ。


「あー、と。そういえばまだ名前も聞いてなかった…ってか私たちのことも話してなかったっけ?」

「!?」


 屋代は、はっとして目を見開いた。色々なことがありすぎて頭が一杯になっていたが、まだ少女の名前さえ聞いてない。それどころか自分の名前も伝えてなかった!


「……会話を聞いてたからなんとなく……隣の彼が屋代、助手席に座る眼鏡の子が東雲、端にいる女の子が波嬢、運転しているのが白石。間違いない?」

「おお、正解」「凄い」「………」


 これまでの会話から名を把握した少女の洞察力に、白石と征徒が感嘆を漏らした。驚く二人とは対照的に、屋代は自己紹介の機会が奪われたことを悟ってさらに落ち込んだ。


「私はファナディア。ファナディア・ソーサー。つい昨日、用事のためこの国に来た」

「はーなるほどね。道理であんまり見かけない顔立ちだと思った」


 ファナディアと名乗った少女の説明を理解する白石。屋代はついまじまじとファナディアの顔を見てしまう。半分瞼の閉じた目は眠たげで、表情もどこか幼く見える。髪の毛は濃い茶色に染まったおり、整った目鼻立ちとよく似あっていた。美少女と称するにふさわしい可愛い少女だ。


「用事、ねぇ。まあこの国に来た理由はどうでもいいけど。見たところそう変わらない年齢でしょ? なのにあの時見せた異常な動きが気になるのよ」


 もう一人の美少女である波嬢は、ファナディアに探るような視線を向けた。


「おい、波嬢」

「あら、無様に助けられた身としても気になるんじゃない? アタシは知りたくて仕方がないわ。一体どんな祈相術を使えば化け物じみた動きができるのか」


 嫉妬、しているわけではないはずだ。だが単純な興味とも違う。身を乗り出してファナディアを伺う波嬢の目は口調とは裏腹に真剣で、もしも己に使える術なら取り込んでやろうとする向上心に溢れていた。


「波嬢さん、その物言いは彼女に失礼だ。それに、外国における祈相術の扱いもこの国とはだいぶ違っていると聞く。僕たちが訪ねていいことじゃない」

「ふん、言われなくても分かってるわよ。無理やり聞き出すつもりなんてないし、家に伝わる秘儀の類いとかなら教えられなくても仕方がないわ。でもあの動き。あれが出来れば囮なんて必要ない、相手の攻撃を避けながら祈相術を発動できる。一人でも眷族と戦えるわ」


 僅かに引き締められた面差しは、ついさっきの光景を映しているようだ。たった一瞬、瞬きの間の出来事であったが、目前に迫る眷族の攻撃から屋代を救い出した姿が、脳裏から離れないのだろう。


「それで、どう? もちろん対価は払うつもりよ」

「………うーん」


 挑むような眼の波嬢に、問いかけられたファナディアはあくまで自然体。瞬きを繰り返しぼんやり眼で波嬢を見返す。

 二人の間に挟まれている屋代としても、彼女の常人離れした身体能力について知りたい欲求があった。波嬢の言う通りファナディアの動きを再現できるなら、今後の立ち回りも変わってくる。

 だが、あの時ファナディアが言っていた言葉が気になった。祈相術を魔法と称しただけかもしれないが、魔法使いと名乗ったことが妙に頭に残っていた。


「おーっと、話はそこまでだ。もう着くから下りる準備しろ」


 と、白石から声が上がった。窓の外に視線を向ければ、いつの間にか屋代たちの学舎が見えている。広大な敷地を有する学校に帰還を果たすことになった屋代は、入っていた肩の力をこっそりぬいた。

 日が沈み始め夕闇が近づく時間、屋代たちは数日ぶりとなる国立神職養成学校に戻ってきた。

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