第5話 蝦夷へ

 卯月になりまだ時折雪がちらつくことがあるものの、だいぶ温かい日が増えた。


「お初にお目にかかります。遠野商会の葛屋でございます」


「あんたが葛屋か。若様から文が届いていた。なんでも京の店がやられたそうで災難だったな」


「お気遣い痛み入ります」


「それで船を借りたいとな」


「はい、商いをするために船をお借りすることができればと」


「二十石積みの試作の船なら好きに使ってくれ」


「ありがとうございます」


 さらにこの地に店を構えたいというので二つ返事で許可をした。すると懐から櫛を取り出して母上に渡すなどと小癪な真似をしてくれる。


「それとお伺いしたいのがあの大きな船はなんでございましょうか?」


「あれか。あれは試作の快速船でな、蝦夷に行くための船だ」


 蝦夷と聞いて葛屋が飛び跳ねている。


「あれで蝦夷ヶ島にですと!?」


「はっはっは!いい反応だ。それでな蝦夷に持っていく品物を塩釜で買ってきてほしいのだが頼めるか?」


「そういうことでしたらお任せくだされ」


 そうして葛屋を送り出した後に新型帆船の試験航海を始める。帆は増えたが基本的なことは同じなので慣れた船に乗るように扱っている。


「この分なら試験航海に日にちを掛けずともよさそうだな」


 俺も行きたいが仮にもこの地を預かる身であるからなあ。


「夜の星の見方はわかるな?」


「北辰(北極星)を見つけることが出来れば方位を見失うことはないと言う奴ですね」


「そうだ。それが出来ればまあ多分なんとかなるだろう」


 最悪まっすぐ北に行けば日高あたりにはたどり着くだろう。たどり着いたところでまともに交易が出来る保証はないがまずは辿り着くことに意義がある。


「北辰は北斗七星を見つけて……だいたいこれくらいでございましたか」


 船乗り達に北極星の見つけ方の復習をさせる。この時代の海では誰が死ぬかわからんからな。


「しかし俺達としては頭が居てくれたほうがなあ」


「信頼は嬉しいがやるべきことはあるからな」


 しばらくして葛屋が帰港し、そして若様が大槌に来られた。何やら船の知識を他のものにも教えるべきだと言っている。


「長期航海での健康管理ができる医者が欲しいです」


「医者、医者かぁ。遠野にも田代と守儀叔父上しか居らぬ故難しいがいずれどうにかしよう」


 医者を要請するのにも時間が掛かるもんな。しかたないな。


「孫八郎、其方が代表として蝦夷に行け」


「ええ!しかしそうすると誰がこの大槌の管理をするというのです」


「なにを言っておる、お前さんよりも大槌に長くいたものがおろう?」


 俺より長く居たものと言われても思い当たるのは…


「もしや」


「得道を留守役にする故、安心して行って来い」


 そんなあっさりと赦していいのかなとは思うが、


「ははっ。ありがたく存じます」


 やはり嬉しくなるものだ。


「なんだやったじゃねえか頭!いやあ若様も話が分かるってやつだなあ」


 怖いもの知らずの船乗りたちが若様を物理的に持ち上げて褒めそやしている。


 翌日若様によって大槌という名をもらう。故郷の名がついた船ってのはそれだけで特別感があるよな。


「それで結局頭が船長をなさるのですな」


「ああ、若様に行けと言われては断れまい」


「その割には顔が綻んでおりますよ」


「そりゃあそうだ。俺は船で色んなところに行きたいんだ。嬉しくないわけがなかろう」


「ホント、侍にしておくのが勿体ねえお人だわ」


 波平副長がニヤニヤしてくれているがまだ領地の差配もしなけりゃならんからな。

 そう言っている間に大槌湾を抜け、進路を艮(北東)にとっていく。


「えぇと百海里すすんだところで北に転進するんでしたな」


「そうだ。縄できっちり計れよ」


「そこは問題なく。しかしなぜ百海里で?」


「キリが良かろう」


「そりゃあそうですな」


 速度計はないし時計もないからとりあえず進んだ距離で判断するしか無い。百海里ならだいたい百八十kmくらいだから北海道の向こうに走り抜けるということもない。


「やはり海はいいな」


「こんな陸が見えなくなるような海は初めてですが頭は怖くないので?」


「おいおい海が怖くては船乗りなんてやってられんぞ?」


 まあ海は怖いんだがな。それ以上に楽しいというべきか。


「それで今日の当番は」


「あっしでござい」


「何日の航海になるかわからん。きっちり三刻で代わっていくように」


 順調に行けば数日で到着すると思うが航海の神様はいつも微笑んでくれるわけじゃないからな。


 船長室に戻り海図とは名ばかりの無地の紙に位置を記す。あいにく経度は測れないが方角と移動距離で大まかな場所を記していく。いやあこれは怖いな。正確な場所がわからんというのは実に怖い。四分儀だけでは…早く時計が欲しいな。


「頭!陸です!陸が見えまぁす!」


 マストの見張り台から陸が見えると告げられ、外に出てみると左手に急峻な山々が聳え立っているから十勝あたりに来たのだろうか。思わず安堵のため息が漏れる。


「はは、流石に頭も緊張なさっていたようですな」


 副長が茶化してくれるがまあ俺も人並に緊張するさ。


 やがて十勝川と思しき大きな川の河口を見つけ、その近くに船を入れ錨を下ろす。


「近くに村などあるかもしれんが乱妨は許さんぞ」


「大事な商売相手になるかもしれんからな!いいな者共!」


 俺の言葉を副長が継ぎ足し皆が応と答えてくれた。いよいよ今生で初めての北海道探訪だな。美味い新じゃがも豚丼もないが楽しみだな。

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