第30話 強大な気配

「どー、どー」


青年の声に反応して馬は走るのを止め、その場で停止した。

いくら平坦とは言え、木や草が御生い茂り、根などがそこかしこから顔を出しているこの森をかなりの速度で駆け抜けてくるのだから、この青年の卓越した馬術、そして愛馬との信頼関係がしっかりと築けていると言うのは誰の目からも明らかである。



「消えたのか……? それもこつ然と……」


頭部以外を細部まで細工が施された立派なフルプレートに身を包み、金の刺繍が施された深紅のマントをひるがえしながら、赤みのかかった茶髪にグリーンの瞳の青年が、馬に乗ったまま辺りの様子をうかがっている。


「初めての感覚だった……強大な何かの気配……気のせいだったのか?」


青年は何やら考え込む。


「考えてみれば、迂闊うかつだったな。気のせいではなかったとして、その気配が友好的な相手とは限らないか……こつ然と消えるという点がひっかっかるが、僕にとっては幸運だった可能性もあるわけか……」


青年がそんな独り言をつぶやいていると、



「―――――――様! お待ちください!!」



静かな森の中にけたたましい声が響く。


それに合わせて先ほどの青年に比べれば若干劣るが、それでも卓越した馬裁きを披露しながら一人の女性が姿を現した。


こちらの女性は青年とは違い、身軽に動くことを目的としているのだろう。

露出が多めな黒っぽい軽装に身を包んでいる。

しかし、細部まで細工が施されているという点では青年のそれと同等である。


先程の青年は俗に言う人間種のようだが、こちらの女性はリプスの様な長い耳に、薄紫色の髪。

しかし肌の色は褐色。

恐らくダークエルフと呼ばれる種族だろう。

青年にやっとの事で追いついた……そんな雰囲気である。



「声を上げすぎだエメリナ。報告の場所からまだ距離があるとは言え、流石に声を上げるのは迂闊だ」


そんなエメリナと呼んだ女性を青年は静かに諭す。


「も、申し訳ありません。ですが、何事でしょうか? ルーウィン様が突如走り出すので隊はバラバラです。すぐに合流できるとよいのですが……」


エメリナは後ろを振り返り、心配しているようだ。


「エメリナは何も感じなかったのか?」


「感じる……とはどういうことでしょうか?」


「何と言うか強大な気配と言うか……そういった物だ」


「いえ……私には特に……」


「……本当に僕の気のせいだったのだろうか」


ルーウィン様と呼ばれた青年は腑に落ちない……そんな顔をしている。


「ルーウィン様が気になるようでしたら隊と合流後、その気配を調査しますか?」


「いや……その必要はない。 僕達の目的を果たそう。とはいえ……それを乱したのは僕か……すまない」


「ルーウィン様が意味もなくその様なことをされる御方ではないことは皆分かっております」


即座にフォローするあたり、エメリナはルーウィンに対して絶大な信頼を置いているのだろう。


「ありがとう。 では皆の所にもどるとしよう」


「はい」


青年がもう一度辺りを見渡した後、二人は自分達がやってきた方向へと馬を向け、去っていった。





「ルーウィン様、報告があった場所はここです」


隊の男がルーウィンにそう告げる。

無事に合流できたルーウィンは、身をひそめる形で現在ある場所を100名ほどで取り囲んでいる。


「ああ、見えている。 特定するのに苦労するわけだ……」


視線の先には、巨石にある裂け目があった。


「ここを取り囲む間、賊に出くわした者は結局いなかったんだな?」


「はい。 そのような報告は上がってきておりません」


「賊が寝入る時間を狙ったとはいえ……ここまでかち合わないと肩透かしだな」


「ええ……消耗なくこの状態に持ち込めたことには喜びたいところですが……」


話しかける男もやはりこの状況を楽観的には考えていないようだ。


「すでにもぬけの殻……考えたくもないものだな」


ルーウィンの表情が険しい物へと変化する。


「そう言う所は野生の勘と言いますか、逃げ足だけは早いですからね」


「それだけではないよ。 嫌な方面からのアプローチもあるなと思ってね」


「そう言うことですか……」


男もその言葉を聞き険しい表情に変わった。



「ルーウィン様」


突如、後方からエメリナの声が聞こえる。

しかしそこには誰の姿もない。


「ご苦労様。 首尾は?」


次の瞬間、誰もいなかった場所にエメリナが姿を現す。


「はい、内部はいたって静寂がたもたれていました。賊の気配はなく……アジトはかなり奥にあると思われます」


どうやらエメリナは単独で裂け目の内部へと潜入していたようだ。

彼女はアサシンの能力にたけた人物で、隠密系のスキルに特化している。

そして、アサシンの能力の中でもかなり上位のスキル、不可視化が可能な人物だ。


この能力を使いこなす物はそう多くない。

不可視化のスキルを使いこなすと、肉眼などでの認識不可、気配などの消滅が起こる為、こういった潜入や暗殺などの場面では非常に強力な力だ。


しかし、このような力は勿論万能ではない。

まず致命的なのは移動速度の大幅減少である。

気配を殺し切る為に細心の注意を払わなければならない。

そのためどうしても移動速度が落ちる。

人が普通に歩く半分ほどの速度で動ければ速い部類だ。


次に、敵味方関係なく不可視になるため、連携をとることはほぼ不可能と思っていい。

完全に単独用のスキルと言う点。

そして、不可視化以外の行動、主に攻撃を加える場合が大半だが、その瞬間には不可視化は解除される……そんな所だろうか。


勿論、一撃で対象を仕留めた後に再び不可視になる事は可能だが……


そして、このスキルが完全に機能しない相手も極々稀にいるという点。

その極々少数の殆どは獣人種で、完全に姿を捉えられると言うことは流石にないが、何か側にいる気がする……

その様な第六感に近い感覚で侵入者がいるかもしれない、そう言う警戒心を高められてしまう場合がある。


エメリナはこのアサシンとしての能力にどうやら天賦の才があったようで、不可視化している最中、人が早歩きをするほどの速度で移動できる。

この世界でも1、2を争うアサシンの能力者である。



「罠などはあったか?」


「それなのですが……」


エメリナは少し難しい表情をする。


「どうした?」


「はい……結論から言いますと罠はありました」


「そうか。 となるとアジトであることは間違いなさそうだな。それで?」


「そう思われます。 しかし、罠はすべて作動していました」


「罠が全て作動?」


予想外の報告にルーウィンは思わず目を丸くした。


「その罠の周りに負傷者などは?」


「おりませんでした」


「血痕等の痕跡は?」


「……ありませんでした」


「作動と言うことは、勿論解除ではない……」


「おっしゃる通りです」


「つまり、賊以外の何者かがすでに内部に潜入していると?」


「おっしゃる通りでございます」


ルーウィンは少し考え込む。


「作動した罠を全て回避? もしくは無効化……? そんな事が可能な程の熟練スキルを持つ者か? それに、この賊はそう簡単に手出しできる相手ではない……大男あいつのせいで討伐隊がどれ程……一体何者だ?」


この場にいる全員が、ここに乗り込むかもしれない対象について考えを巡らせてみるのだが答えは出なかった。


「考えてもわからないな。 中に進むぞ。賊は勿論の事、すでに何者かが内部に潜入している可能性が高い。その相手も友好的かわからない以上、細心の注意を払え」


「はい。 皆もいいな?」


エメリアの問いかけに周囲の者達も静かにうなずく。


「よし、いくぞ」


ルーウィンの合図により、入り口付近に数名を残し、隊は巨石の切れ目の中へと潜入を開始した。




細心の注意を払い進んでいくのだが、洞窟内は静寂に包まれている。

入り組んだ洞窟内を探知系に優れた魔導師マジックキャスター探索者サーチャーを用いて時間をかけて奥へと進んでいく。

そして開けた空間へと隊は到達した。



「なんだこれは?」


目の前に飛び込んで来た異様な地下空間に、ルーウィンが発したその言葉を最後に全員が絶句する。


その原因は岩肌だ。


この空間全てが超高温にでもなったのだろうか?

見渡す限りのすべて岩肌が融けた後に固まったような状態になっている。

勿論上部も例外ではない。


「自然現象……にしてはあまりにも不自然だが……魔法だとしてもこれは……」


ルーウィンの視線が自然と隊にいる魔導師マジックキャスターに向けられる。


「この広い空間の岩肌をこのように溶かす魔法など……私の知る限りでは……」


どうやら魔法と断定するには、この者の持つ知識からすればあまりにも規格外すぎるのだろう。


「そして……これか」


本来ならば暗闇が支配するはずの地下空間で、唯一光が差し込んでいる場所があった。

見上げてみると、大穴が地上まで開いていた。

そこから太陽が顔をのぞかせて、この地下空間へと光を届けているではないか。



「こんな大穴どうやって開けたんだ?」


こちらに関してルーウィンは完全に自然現象ではないと決めつけている。

しかしそれを否定しようとするものはいない。

地上まで一直線に続いている点。

そして、岩肌にも関わらず、光の反射を繰り返し、この地下空間まで太陽光を届けてしまうほどの磨き上げられたような断面――

誰も自然に開いた物だとは思わないだろう。


誰からも返事が返ってこないので、ルーウィンはエメリナを見る。


「申し訳ありません。わかりかねます」


「謝る必要はない。誰にだってわからないさ」


そう言って笑った。



隊を分散させ、この空間や横穴などの捜索を開始する。

しかし、賊や、さらわれた者達、奪われた略奪品、賊がここにいた痕跡など、何一つ発見することが出来なかった。


その代わりに最後に見つけた物は、最も奥の部分にあった、溶け落ちた岩肌に隠されるようについていた、地層のズレ。



「これが気になられるのですか?」


地層のズレの前から腕を組んで動こうとしないルーウィンにエメリナが話しかける。


「不自然すぎると思わないか?」


「どう言うことでしょうか?」


「こんな部分的に地層のズレなど起こるんだろうか?見てみろ、後ろの地層にズレている形跡はない」


エメリナは後ろを振り返る。


「確かにズレている形跡はございませんね」


「この地層のズレ、剣技による物だと考えている……と僕が言ったらどう思う?」


「御冗談を」


エメリナはルーウィンに微笑み返す。

しかし、ルーウィンから微笑みは返ってこなかった。


「ありえるのですか?」


「ありえない……そうは思うんだけどね。部分的な地層のズレ……まるでケーキを刃物で切ったみたいだ。そして地層がズレるんだから、さぞ奥までこの切り口は続いているんだろう。剣技ではないと頭で理解しようとすればするほどに、なぜか僕の頭は逆の結果を告げてくるんだ」



ルーウィンは剣を抜くと、流れるような剣さばきで、同じように岩肌に斬り込みを入れる。

岩肌に弾き返されるかと思った剣は、剣技と剣自体の素晴らしさ、両方のおかげでかなり深い斬り込みが刻まれている。


この様な斬撃をまともに受ければ、盾や鎧ごと切断されてしまうだろう……


「御見事です」


エメリナはそんな剣技を披露したルーウィンをほめたたえる。


「剣技には少しばかり自信はあったんだけどな……これを目にしてしまうと……」


自身が付けた斬り込みと、ルーウィンが斬り込みと仮定している部分を交互に指でなぞる。


「やはり……剣技によるものと言うのがしっくりきてしまう」


エメリナはそんなルーウィンを見て黙ってしまった。


「そして、あの不自然に起きた地震……」


ルーウィンが再び考え込もうとしていた時、


「やはり……ここにはなんの痕跡もありません。この先の調査を行おうとしたのですが、崩落が起きており先に進むことは不可能でした」


賊の痕跡をもう一度探す様に命じていた隊の一人が二人の元へとやってきた。


「誤情報……ではないと思うのですが」


エメリナは不安気な表情をルーウィンに向ける。


「報告から僕達の出立までの間に逃げたと仮定しても、ここまで完全に痕跡を消すにはあの賊一味の規模からすれば時間が足りないはずだ。そして、ここの状況を見れば、間違いなく何かがあったのは明らかだ。しかし……壊滅させられたのか、逃げたのか……それが不明とあっては正直収穫は0と変わりないな……」


そう話すルーウィンの表情には少し影が見える。


「これではルーウィン様があいつらにいいように付け込まれるだけに……探しましょう!!」


エメリナは声を張り上げる。


「別にあんな連中にどう言われようが僕は構わないんだが、賊に苦しめられている人々に、胸を張って報告できないことが残念だよ」


「ルーウィン様……」


「もう内部には何もないだろう……もしかしたら外には賊の痕跡があるかもしれない。そして、先にやってきていた何者かの痕跡も……」


「隊に通達! 早急に引き上げる。 各員速やかに集合せよ!!」


エメリナの凛々しく透き通った声が地下空間に木霊する。


ルーウィンはもう一度あのズレに目を向ける。


「あの気配の持ち主がこれをやったんだろうか……そうであった場合、味方であって欲しいが……もしそうでないとするならば……」


聡明な雰囲気と凛々しさを併せ持つルーウィンは、そう呟くとエメリナ達が向かった入口へと歩みを進めるのだった。

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