第24話 ヨハンとの晩餐

 万雷の拍手を受けながら、ステージで俳優たちが挨拶をしている。

 同じく隣で拍手を送りながら、ヨハンが口を開いた。


「ふむ、なかなか素晴らしい演劇だった。ヘルマン、君はどう思う?」


「そうだな、脚本がよかった。確か、この脚本家の前作は『恋愛の天使はいたずら好き』だったか?」


「ああ、あの酷評されたやつだね。確かにひどかった」


 くくく、と楽しげにヨハンが笑う。


「その評判を覆したい、という気持ちが伝わってくる熱の入った脚本だったな。ヒロインが主人公を送り出すときに言ったセリフ、前作にも似た言葉があったような――」


「あったあった。天使が主人公に言っている。ただ、きっちりと伏線と演出を張っているから、上滑りした前作よりもはるかに効果的だった」


「こういう効果を狙っていたんだな、前作は」


「見事に滑ったけどね」


 耳に入ってくる二人の批評を聞きながら、エルンストは全く理解できない己の無知を恥じていた。

 ヨハンだけではなく、武人として名高いヘルマンまで知見があるだなんて!


(やはり、もっと色々なことに興味を持たなければいけない……)


 勉学や武術を身につけただけではまだまだ。己の世界の狭さを知ることができた、有意義な1日であった。


「すまないね、勝手にこっちだけで話が盛り上がって。エルンストはどうだった?」


「……す、素晴らしかったです……」


 残念ながら、それがエルンストの語ることができる限界だ。

 厳密には、これでも相当無理しているのだが。

 なぜなら、ずっとヨハンの説明のせいでドキドキしていたから。ずっとあなたのイケボが気になって集中できませんでした、とは言えない。


「今日が初めてなのだろう? 楽しかった――それだけを今日は家に持って帰りたまえ。だが、より深く理解をするには、私が話したような背景知識も必要だ。それは今後、学んでいけばいい」


「はい!」


 気後れせずに、威勢よく返す。これはポーズではなく、心からの気持ちだった。ヨハンが良かれと思って言ってくれたのだ。それを疑う気持ちなど、エルンストにあるはずもない。

 そんな心情が通じたのか、ヨハンが口元を綻ばせる。

 そこで、ノックの音が響いた。


「ヨハン様、お時間ですが、準備を始めてよろしいでしょうか?」


「構わない。入ってくれ――さて、ではそろそろ祝いの第二席と行こうか?」


(祝い……?)


 ふらりとヨハンの口からこぼれたワードが気になる。なんの祝いだろうか?

 ドアを開けて、劇場のスタッフたちが入ってくる。彼らが運ぶ手押し車には、美味しそうな料理の数々が食欲をそそる香りを広げていた。


「ちょうど夕食の頃合いだ。食事でも楽しもうではないか?」


 2枚の大皿の上に大きなローストダックがそれぞれ載っている。運び込んできたスタッフがそれをあっという間に切り分けてくれた。

 山盛りのサラダと、濃厚なチーズの香りを振り撒くオニオングラタンスープが食欲を刺激してくる。


「いくらでも追加で頼めるから、足りなければ遠慮は無用だ」


 スタッフたちが出て行った後、ヨハンが切り出した。


「おめでとう、エルンスト。私からのささやかなお祝いだ」


 お祝い――再びそのワードが転がり落ちた。全く見当がつかない。


「お祝い……なんの、ですか?」


「ええ? 今日、受賞しただろう? ヨハン・エルンスト賞だ」


「ああ!」


 そこでようやく、エルンストは納得できるものを得た。そのために、ヨハンはエルンストをこんなにも祝福してくれているのだ!

 エルンストが話題を引き継ぐことはできなかった。


「ぶはっ」


 横でヘルマンが変な声を出す。食べていたものを喉に詰めて苦しんでいた。それを飲み下してから、ヨハンに突っかかる。


「な、なななな、なんだ、そのヘンテコな名前の賞は!?」


「エルンストの通う学校で創設された賞だ。何か気になることでも?」


 ヨハンは悪びれることなく胸を張った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「それでは失礼いたします」


 エルンストを乗せた馬車が去っていくのを、ヨハンはヘルマンとともに見送った。

 ヨハンの胸にあるのは充足だ。


(素晴らしい一夜を過ごした……!)


 エルンストの表情は新しいものに出会った衝撃に満ち溢れていた。

 それがヨハンにとっては実に楽しく喜ばしい。

 エルンストにとって生涯初の、興味深い経験を与えることができたのだから。

 そして、それを悪いことだとは思わない。むしろ、正しいことだ。勉強と腕っぷしだけで貴族の価値は決まらない。芸術を愛でる教養の深さも立派な要素だ。


(博物館がいいか、美術館がいいか……彼の知らない世界をもっと教えてあげたいねえ)


 あの未熟なだけの青年を、完璧なる紳士として育てあげる――

 その愉悦が、今はたまらなく甘い。

 教え、導く喜びがヨハンの背筋をぞくぞくと興奮させていた。無垢な雛鳥を育てること、新しい経験を与えることがこれほどまで楽しいものだなんて!


(ふぅむ、従士制度、意外と悪くない)


 今までの『仮初期間』はなんだったのだとツッコまれそうなことまで思い出す始末だ。

 馬車が離れてから、ヘルマンが口を開いた。


「……ヨハン、今日のこれは、なんなんだ?」


「どういうことだい?」


「あの少年はお前にとって『使い捨ての隠れ蓑』だろう? 今日の対応は、あまりそういう感じがしなかったが」


 親友の疑念は不思議ではない。ヨハンはまだ、彼に決意表明をしていなかったから。だから、今ここで行おう。


「彼を愛でることにした」


「……は?」


「お前も望んだことだろう? エルンストの面倒を見る、そういうことだ」


 ヘルマンがのけぞった。まるで、死んでしまった友人の幽霊でも見たかのように。


「どど、どういう風の吹き回しだ!?」


「どういう風も何も……マスターと従士、それが普通だろう?」


 今までのことなど気にも留めず、しゃーしゃーとした様子でヨハンが言う。


「普通じゃないのが、お前だろうが!?」


「失礼だな、君は。理屈や利益で動くのが私だと言うのなら、彼には私が時間をかける価値がある――それでどうだい?」


「それはそうだな……エルンストは化ける」


 その事実がまた、ヨハンには楽しい。

 ヨハン自身を超えるとまでは思わないが、小ヨハンくらいにはなれるかもしれない。ここで教え導いた存在が、そんな高みにまで上れば実に気分がいい。


「ま、別にお前にとってもエルンストにとっても悪い話じゃない。俺はいい方向に転がったと思って喜んでおくよ」


「そうしてくれ」


「だけど、気になる部分もある」


「何がだ?」


「ヨハン・フロイデン賞とか、明らかにお前、やりすぎじゃないか?」


「そうかね?」


 この1年間、ヨハンからの冷たい仕打ちにも心折れず、頑張り続けたエルンストをただただ褒め称えてやりたい、その気持ちが発露しただけなのだが。


「それくらい、普通では?」


「お前の権限とか実行力って、もう普通じゃねーからなー」


 大きくため息を吐く。


「お前の親父さんも溺愛型だったよな? ……入れ込むなよ? それが才能を壊すこともある」


「はっはっはっは、あの父と一緒にしないでくれ」


 ヨハンは絶対の自信を持って、次の言葉を続ける。


「節度を持って導くつもりだ。君が心配するような事態にはならないよ」


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