第23話 ヨハン様にお呼ばれされて
ヨハン・フロイデン賞を受賞した日の放課後、エルンストは再び衝撃を受けることになった。
「エルンスト、授業が終わったら応接室に来るように」
教師に言われた通りにしてみると、そこに初老の執事がいた。
その人物の顔には見覚えがあった。1日だけ、ヨハンと最初で最後の時間を過ごした日、自分を迎えにきてくれた執事だ。
「ええと、ヨハン様の執事さんですよね?」
「はい、そうです。ヨハン様からのお誘いを伝えるために参りました。本日のご予定は何かありますか?」
「ええと、家庭教師に授業を受ける約束が――」
「なるほど、ではそちら、キャンセルしておきます。本日の講義料は倍額でお支払いしておきましょう」
「……は?」
「ご家庭にもお伝えしておきますので、ついてきてもらえますか?」
なんだか、とんでもない速度と強引さだった。
(確かに、俺個人の家庭教師だから、別に延期にしても構わないのだけど……)
「わかりました」
ヨハンという名前が出た以上、引くわけにはいかない。
(そもそも、今まで連絡を取ってこなかったヨハン様が声をかけてきたのだ。よっぽどのことに違いない)
であれば、従士として尽くすのみ。
執事の案内で、学校の裏手に留まっていた公爵家の馬車に乗り込む。馬車はごとごとと進み始めた。
「あの、どこへ……?」
「マヘスティッヒです。そこでヨハン様と観劇をしていただきます」
「――――!」
マヘスティッヒとは演劇場として有名な場所だ。観劇に興味のないエルンストですら聞いたことがある。そこで公演できることが劇団にとって一流のステータスと言われるほどの――
(そ、そんなところに俺を……!? 観劇……!? 全くわからないぞ!?)
エルンストは混乱する。呼ばれたことは素直に嬉しいが、ヨハンの意図が全くわからない。
「ああ、服をどうしましょう。この服じゃ――」
劇団も一流であれば、客もまた一流のみ。普段着で入れると思うほどエルンストはおめでたくない。
「問題ありません。こちらをお召しください」
老執事が傍に置いてあったトランクケースを開くと、中には上質な服が入っていた。
「服はプレゼントする、とヨハン様から伺っております」
「至れり尽くせりですね……」
それは一年前にも感じたことだが――
前回とは違い、大義名分が不明なので混乱が深まっていくばかりだ。
「馬車が止まりましたら、私が先に下車しますので、その後にお召しください」
マヘスティッヒ前に馬車が停車する。ずっと長い間、多くの貴人たちを遇してきた立派な建物だ。見ているだけで歴史を感じさせてくる――そんな雰囲気が漂っている。
(あそこに行くのか、俺が……)
どうにも現実感がない。観劇すら初めてなのに、いきなり最終到達点とは。
言われた通り、執事が降りた後に服を着替える。馬車の内部は明らかに普通よりも広々としていて着替えるにも十分なスペースだった。
馬車から降りると、待っていた執事が、失礼します、と言って手を伸ばし、服のシワやら着崩れを治していく。
「それでは参りましょう」
老執事に連れられて、マヘスティッヒの中へと入っていく。
案内されたのは、劇場前に広がる観客席ではなく、スーパーVIPたちが気兼ねなく観劇できる、ステージを見下ろす個室だった。
(一流の劇団を見にくる、超一流だけが入れる場所……)
初手でこことは。頭がくらくらする。
「お連れしました」
老執事と一緒に部屋に入る。そこには二人の男がいた。
「ありがとう、下がってくれていいよ」
一方の男――ヨハンの言葉を受けて、狼執事が一礼して部屋から出ていく。
ヨハンの視線がエルンストに向いた。
「やあ、いきなり呼び出して申し訳ない。来てくれて嬉しいよ、エルンスト」
(……?)
エルンストは小さな違和感を覚えた。
一年前、たった一度だけヨハンと長い時間を共にした。それはたった1日の出来事だったけど、それを返す返す思い出していたエルンストにとって克明な記憶だった。
それと比べて、何かが違う――
ヨハンマニアのエルンストはすぐにそれを察した。
(何か……声色や顔つきが柔らかい……?)
それがどうしてなのかはわからないが。
「こちらこそ、お呼びいただきありがとうございます」
ともかく、頭を下げた。そして、もう一方の人物にも挨拶をする。
「お久しぶりです、ヘルマン様」
部屋にいたのは、1年ぶりに顔をあわせるヨハンの親友であるヘルマンだった。たおやかに美しいヨハンと、男性的な強さを魅力的とするヘルマン。この二人が並ぶ光景はなかなかに爽快だった。
「ああ、久しぶりだな、エルンスト。こいつの気まぐれで大変だな、お互いに」
そこで両目に慈愛をたたえる。
「噂は聞いているぞ。初陣にしては上出来だ。よく頑張ったな」
高名な騎士ヘルマンからの、心の底からの激励はエルンストの胸を熱く揺さぶった。
「ありがとう、ございます……」
「おい、ヘルマン」
そこで面白くなさそうな声でヨハンが割り込む。
「人の従士をかどわかすのは辞めてくれないかね、色男のヘルマン君」
「かどわかすって、お前……」
困ったように苦笑するヘルマン。
(変な言葉だな)
本当に、大切な従士だと思っていなければ出てこない言葉だ。だが、ヨハンにとってエルンストは『仮初の従士』でしかないのだが。
(……親友のヘルマン様をからかうための戯言だろう)
そんなふうに理解した。
「座りたまえ、エルンスト」
ヨハンが自分の隣の席に手を向ける。
「そろそろ開幕の時間だ。観劇の経験は……?」
「お恥ずかしながら、ありません」
「そうか、それはそれは、素晴らしい」
なぜか上機嫌な様子でヨハンが反応する。
「であれば、この私がここで解説してやろう。幸い、ここには私と君しかいないから、話をしても邪魔にはならない」
「おい、俺を忘れていないか?」
「心優しいイケメンのヘルマンは、私の雑談くらい許してくれるだろ?」
「……お前の奢りだ、好きにしろ。ほら、始まるぞ」
舞台の幕が開く。
それは王宮を舞台とした、権力争いと悲恋の物語。煌びやかに着飾った貴族たちが、己の欲望を満たそうと権謀術数を繰り広げる――
正直、エルンストはあまり舞台の内容が頭に入ってこなかった。
「ほら、エルンスト。ごらん……」
個室とはいえ、あまり大声で喋るとマナー違反になるのだろう、ヨハンがボソボソと話をする。エルンストに顔を近づけて。
「あの男優はね、かの大名優の息子なんだ。常に親と比べられて、七光だと揶揄されて――でも実力は折り紙付きなんだ。偉大な父親を越えようと努力する主人公の役にピッタリだろう?」
薄暗い部屋で、尊敬する人物の、息遣いすら聞こえてきそうな距離で、低くて艶やかな声が耳に入ってくる。
(集中できない!)
こそばゆい感覚に全身を支配されながら、エルンストはカチンコチンになりつつ演劇を鑑賞した。
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