第22話 ヨハン・フロイデン賞

 翌日、ヨハンは様々な予定を調整して、エルンストの通うボストン学院にやってきた。

 予定の調整は珍しいことではない。なぜなら、常にヨハンは多忙であるため、プライオリティに沿って見直しをよく行う。

 今は、これが最も優先順位が高いというだけだ。


「よくぞお越しくださいました、ヨハン様」


 騒ぎにならないよう、授業中にやってきたヨハンを学長が平身低頭で迎える。

 この学校はヨハンの生家であるフロイデン家の経営であるが、フロイデン家の人間が足を運ぶのは稀で、今をときめくヨハンに至っては滅多なことでは顔を見せない。

 その滅多なことが起こったのだから、学長としては肝の冷える思いだ。


「学長、私はエルンスト・シュタールについて知りたいと思っている。学校でわかっている限りの成績の閲覧と、彼を担当する教師たちとのヒアリングを希望したい――もちろん、エルンスト本人には内密でだ」


 学長はエルンストがヨハンの従士だということを知っているので、特に不思議なことと思わなかった。もちろん、ヨハンは経営側の人間であるのだから、不思議であっても抵抗などできないが。

 それからヨハンは時間をかけて、エルンストの成績や学校での態度を精査した。

 なぜこんなことをしたのか――

 それは最後の確認である。ヨハンの懐に入れるとして、エルンストにその価値があるのか裏どりをするためだ。ヨハンの前だけ塩らしくしている――そんな人物であれば切り捨てるのみ。

 ヨハンはいっときの感情に流されるほど甘くはないのだ。

 その結果――


「完璧じゃないか」


 思わず、つぶやいてしまうほどにエルンストの成績は非の打ち所がないがない。

 剣術も学業も非常に優秀な成績を収めている。着目するべきところは、成績の急進が見られるのは『ヨハンと出会ってから』だ。

 エルンストが送ってきた手紙にはこう書かれていた。


 ――ヨハンの従士として名に恥じぬ働きをする。


 エルンストにとって、それは平時でも同じことであるようだ。ヨハンのために不断の努力をする。そのいじらしさがヨハンの胸をくすぐった。

 学校での態度も非の打ち所がない。

 仮初とはいえ、ヨハンの重視になれた慢心はどこにもなく、昔と変わらず謙虚な様子で他者と接しているらしい。いや、むしろ決して他者に傲慢だと思われないよう、以前にも増して謙虚な態度にも見える、と教師たちは証言した。

 性格という点においても得難い人物のようだ。

 そして、それを知れば知るほど、ヨハンは落胆した。


(ヨハン・フロイデン……お前の人を見る目はどうしようもないガラクタだな……。あれほどの逸材に気付けるチャンスを得ながら、視界に入れようとしないなんて……)


 ギリギリで気づけた事実に感謝したい。


「学長」


「はい、なんでございましょう?」


「エルンスト・シュタールは実に優秀な生徒だな?」


「はい。誠に同意でございます。将来が楽しみな生徒です」


「ラグハーツ剣術大会には任務の関係で参加できなかった。学長は大会を見学したか?」


「はい。当学院からも参加者がおりますので」


「エルンストは任務の関係で出場できなかった。もしも、出場していたら優勝できたと思うか?」


「同じ質問を、ともに見学した剣術の教師に投げかけました」


 学長が目尻を柔らかくする。


「彼の答えは、間違いなくエルンスト君が優勝していたとのことです」


「……ふむ……」


 ヨハンは大会を見学していないが、優勝者の名前なら知っている。その人間の実力も噂レベルで聞いたことはある。正直、それほど目の醒める実力者という印象はない。


(1年前、ヘルマンの家で見た才能を順調に伸ばせば、勝てない相手ではないな)


 だから、学長の言葉をヨハンは素直に信じた。


「おまけに、学生の身でありながら、初陣で騎士2人を助ける働き――エルンストは当学校の誇れる生徒だな?」


「はい、その通りでございます」


「ふむ、では……」


 そこでヨハンは、ようやく今日の主題を口にした。


「この学院に、ヨハン・フロイデン賞を設立したいのだが、どうだろうか?」


「は?」


 かなり失礼な応対だったが、思わず学長はそんな反応をしてしまった。天才ヨハンが真顔でいきなり意味不明なことを言い出したのだから仕方がない。


「ヨハン・フロイデン賞だ。当学院の優秀な生徒を称える賞を作り、その生徒を未来に向けて発信したいのだ。どうだろうか?」


「素晴らしい、本当に素晴らしいです、ヨハン様。きっと学生たちのモチベーションとなるでしょう。それで、誰がその賞を最初に授与されるのでしょうか?」


「エルンスト・シュタールだ」


 当然のように、なんの迷いもなくヨハンが言い切る。


「いずれ彼が王国で輝きを放てば、この賞の価値も跳ね上がるだろう」


「はい、完全に同意です。ですが、その……」


 学長が言いにくそうに言葉を濁す。


「ヨハン様の賞をエルンストに与えて問題ないのでしょうか? 従士とマスターの関係ですから、その、依怙贔屓のような感じが……」


「学長、試みに問うが――エルンスト・シュタールの実績はそのような陰口を叩かれるレベルなのか?」


「い、いえ! そんなことはありません! ヨハン様の名を関する賞に相応しい生徒だと存じております!」


「であろう? ならば問題あるまい。話を進めてもらおうか」


「はい!」


 ヨハンは己の目的を達成できて気分を良くする。


(ふふふ! エルンストが、私の名前のついた賞の、最初の受賞者となる……!)


 エルンストはヨハンの賞で名を高め、最初の受賞者として語り継がれる。

 これほど素晴らしい贈り物はないだろう。


(思いついた私は、まさに天才だな……)


 思わずうっとりしてしまう。


(学校に戻ってきたエルンストが驚く様子が楽しみだ!)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ほどなくして、エルンストは再びボストン学院へと通い始めた。

 そもそも負傷は特になく、疲労だけが問題であり、エルンストの若い肉体はたっぷりの休息とたっぷりの食事であっという間に元気を取り戻した。

 学校に到着するや否や、あっという間にエルンストは学生たちに取り囲まれた。


「帝国兵と戦ったって!? すごいじゃん!?」



「どうだったの!?」


「逃げてるときって生きた心地しなかった!?」


 いろいろな質問が飛んでくる。すでに、エルンストのラクロー村での功績は学校中に知れ渡っていたのだ。


「ええと、はは……そうだね、意外と戦えたよ。自信になったかな……」


 質問に答えるのはそれほど難しくなかった。少なくとも、事実をありのままに伝えればいいだけであり、ヨハンとの関係のような嘘をつかなくても良かったから。

 そんな騒々しい休み時間に追い回されながら学校生活を過ごしていると、昼休みが終わった後に『緊急の全校集会』が招集された。

(急にどうしたんだろうか……?)


 あまりそういうことのない学校なのだけど。

 講堂に集まった生徒たちが訝しんでいると、前に立つ学長が声を張り上げた。


「本校に新たなる賞が新設されました。ヨハン・フロイデン賞――本校を運営するフロイデン公爵家、そのご子息であるヨハン様の希望で作られました。王国を託すに足る実績を誇る学生を称えるための賞となります!」


 生徒たちから悲鳴が起こった。

 ヨハン・フロイデン!

 賞というよりは、その名前には神話的な衝撃がある。もちろん、熱狂的ヨハン支持者であるエルンストもまた、息すら忘れるほどの驚きを覚えている。


(ヨ、ヨハン様の、希望……? ど、どうして……!?)


 あまり学校経営には興味がない様子だったのに。

 学長が話を続ける。


「厳重な審査の結果、受賞者が決まりました。今日はその人物の発表と、その誕生を皆で祝福するため、集会を催しました――では、発表します」


 一拍の間を置いて、学長が言った。


「エルンスト・シュタール!」


(俺!? 俺でいいのか!?)


 エルンストは体がびくりとするほど驚いたが、周りの反応は意外と冷静だった。なんとなく、みんな、エルンストだろうな、と思っていたから。


「エルンスト君は学業ならびに剣術について非凡な成績を示し、先の特別任務においては帝国兵たちを撃退しながら、二人の騎士を救う大活躍を見せました。最初の受賞者は彼以外にないと我々は判断しております!」


 全ては納得の理由であり、誰も異議を唱えなかった。

 エルンストだけは、俺でいいのか、と思いながら、学長より賞状を受け取った。


「エルンスト君。ヨハン様からの期待の表れでもある。ヨハン様の期待を裏切らないよう、今後も切磋琢磨しなさい」


「はい!」


 賞状を受け取る。ヨハンの直筆にる流麗な文章がエルンストを讃えている。

 まるでヨハン本人から褒め称えられているようで、それが本当に心から嬉しくて、自分がこんな賞を受け取れるのが夢のようで――

 ともかく、エルンストは己の心拍数が上がるのを感じた。


(やった! やったぞ!)


 自分の未来の何かが変わっていく。根拠はないけれど、そんな高揚が胸を熱くする。


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