第21話 苔の一念、岩をも通す

 エルンストの無事と、状況を聞いたヨハンは仕事が片付き次第、エルンストが入院する治癒院へと向かった。

 はやる気持ちを抑えきれず――

 というほどでもない。


(従士が命からがら戻ってきたのだから、マスターが見舞うのは当然か)


 当然、そんな擬態的な判断からである。

 だが、それが100%というわけでもなかった。エルンスト自身に対する気持ちも、ほんのわずかだが入っている。

 エルンストが休んでいる部屋に通された。

 そこは個室で、窓際にあるベッドエルンストが横たわっている。誰かが来たことに気づき、エルンストは首を巡らせる。そして、その目を見開いた。まさか、ヨハン・フロイデンがそこにいるなんて!


「ヨ、ヨハン様……?」


 それから、今の状況に気がつき、エルンストは慌てて身を起こそうと――

 それをヨハンが遮った。


「構わない。君はそこで横たわっていなさい」


「……ありがとうございます……」


 エルンストは素直に従って、起こしかけたベッドに身を横たえた。ベッドの横に立つヨハンにエルンストが口を開く。


「本当に嬉しいです。まさかヨハン様がいらっしゃるとは思ってもいませんでした」


「2人の人間を救い、死地から脱した英雄である従士を見舞わなければ、さすがに仮初の関係というものがバレてしまうね?」


「そう、ですね……」


 少し残念そうな表情を浮かべたエルンストを見て、ヨハンが付け加える。


「――まあ、口実ではあるね」


「口実……?」


 困ったようなエルンストを置いて、ヨハンはヨハンで少しばかり奇妙な気分だった。


(かわいそうなエルンストの表情が気になって、フォローの言葉を入れたのか、私は?)


 どうしてそんなことを?

 ヨハン自身も理解できない行動だった。

 口実とはどういうことですか、その質問が来るよりも早く、ヨハンは話を先に進める。


「ところで、体は大丈夫なのかい?」


「はい。別に入院するほどでもないんですけど、念のため、ということで……すぐに退院できると思います」


「そうか、それならよかった――ところで、ここに戻ってくるまでの状況を全て教えてもらえないだろうか?」


「はい!」


 これからエルンストが語る内容を、実はすでにヨハンは聞いていた。当然、すでに軍部にエルンストは話をしていて、それは要約されてヨハンに届けられているから。

 だが、それだけでは物足りない部分があった。それを直接質問してもよかったのだが、ヨハンの性格はそれを良しとせず、全体的に説明することを要求した。


「――ということです」


 エルンストが説明を終える。だけど、その説明を聞いたところで、ヨハンの聞きたかった話はなかったのだ。


(ふぅむ……仕方があるまい)


 ならば、こちらから聞くだけだ。


「エルンスト、まず礼を言いたい。君はラクロー村に飾ってあった私の装備を回収してくれたのだね?」


「はい」


 その部分は、エルンストの話から漏れていた部分だ。もちろん、軍部からの報告にはあったから、ヨハンは知っているのだけど。


「どうして、それをさっき話さなかった?」


「……ヨハン様本人に恩を着せるような感じがして……それに、仲間を連れての脱出という観点だと重要ではないと思いました」


「ふむ」


 そこにもまた、ヨハンへの遠慮と恐怖を感じた。こんなことをしたんだよ! と公言することで見下されることへの恐怖を。


「では、恩を着せてあげよう」


 ニヤリと笑ってから、ヨハンが続ける。


「あまり物には執着しない私だが、あの装備には思い入れがある。私が名を上げたピレネー砦での戦い――知っているかな? そこで身につけていたものなのだよ」



「し、知っています!」


 なぜか興奮した様子でエルンストが口を開く。


「お、俺も――あ、いえ、私も、その場にいましたから!」


「へえ……君が?」


「はい! あの場に……まさにヨハン様が敵兵に向かっていくときに私はいました。帝国兵に斬られそうになった私を救ってくれたのは、ヨハン様なのです!」



「…………!」


 滅多に驚愕しないヨハンの心が震えた。

 その風景は今でも思い出せる。なぜなら、あれがヨハンの初陣であり、初めて人を斬り殺した瞬間だったから。

 あのとき、帝国兵の足元に動けなくなっている少年がいた。

 少年の顔を意識したことはなかったが、そう言われてみると、全く知らない顔ではない。そう、ちょうど、目の前にいる――

「君が、あのときの……?」


「はい。ヨハン様に救われて、私はここにいます。ありがとうございます――ああ、やっと言えた!」


 本当に嬉しそうな声色だった。


「やっと言えた……?」


「はい。ヨハン様と再会して、いつか伝えたい、お礼を言いたいと思っていましたから」


「すぐに言えばよかったのに」


「ヨハン様にとって、それが大きなことなのか、小さなことなのかわかりません……できれば、普通の流れで伝えたいと思いました」


「なるほど――」


 確かに、会話の流れも何も関係なく、いきなりそんなことを言われてもヨハンは感じ要らなかっただろう。へえ、そうなんだ? くらいの感じだ。今この瞬間、この流れだったからこそ、大きな共感があったのは事実だろう。


「だから、私の装備を守ろうとしてくれたのか?」


 それが、ヨハンの知りたかった質問だった。

 なぜ、すぐに脱出しなければいけない状況なのに、ヨハンの装備を守ったのか。そこに対するエルンストの気持ちが、軍部の報告からは抜け落ちていたのだ。


「はい。ヨハン様の装備が帝国側に渡れば、どんな辱めを受けるかわかりません。王国が揺るぐほどのものかはわかりませんが――彼らの憂さ晴らしにはなるでしょう」


 例えば、傷だらけにした盾に『臆病ヨハン!』と悪口を書き、へし折った剣と一緒に戦場で晒す。子供のいたずらレベルだが、それで帝国兵の戦意が上がるのも事実だ。僅かではあろうが、ヨハンが不快な気持ちを抱くのも。

「それが俺には耐えられませんでした」


 そんなことのために――君は危険を犯したのか……。

 その言葉をヨハンは飲み込んだ。『そんなこと』に命を賭けてくれた従士に告げる言葉ではない。

 エルンストの目には、自分は間違ったことなどしていないという信念のようなものが輝いていた。また再び、同じような状況に陥ったとしても、エルンストはヨハンの装備を守るために命を賭けるのだろう。


(……なんという男だ。こいつは、とんでもない男じゃないか……)


 ヨハンは内心でため息をついた。王国内でヨハンを慕う人間は多いが、エルンストはその中でも最たるもので、最上の忠誠を持つ人間だ。目の力にも、言葉にも、ヨハンへの敬愛が満ち溢れている。


(私の目は節穴だ。これほどの思いに気づいていなかったなんて!)


 だけど、もう気づいてしまった。気づいてしまった以上は、もう無視もできない。ヨハンは冷たい男だが、自分を無条件にしたってくれる犬を無視できるほど酷薄でもないから。


(とんでもない男に声をかけてしまった!)


 愛着を持つべきではない仮初の関係としての相手としては最悪に近い。これほどの敬愛を示されては、雑な扱いをするわけにはいかないから。


(この男は大事にしてやるべきだ)


 ヨハンの気持ちはひとつのところに落ち着いた。方針が定まれば、ヨハンという男の行動原理はガラリと変わる。


「私の装備を守ってくれたことに、恩賞を与えなければな」


「本当ですか……!?」


「なんでも言ってみるといい。可能な限り、尽力しよう」


「それならば――」


 じっと考えてから、エルンストが続けた。


「持ち帰った剣と盾を、私に下賜してもらえないでしょうか?」


「……あの剣と盾を……?」


 確かに公爵家のヨハンが身につけていた装備なので品質はとてもいい。おまけに、由来もあるので一定の付加価値もあるだろう。だが、別に最上級品というわけでもない。公爵家に望むのなら、もっと価値のあるものでも構わないのだが。

 拍子抜けするヨハンに言葉を重ねる。


「あの装備がいいんです。確かにヨハン様の従士だったと胸を張れますから」


「……なるほど……」


 この男の頭の中には、どこまでも自分への敬愛があることをヨハンは確認した。そして、エルンストにとって、仮初であったとしても『ヨハンの従士』がどれほど価値があるのかを。


(……真に得難い男だ……)


 これほどの厚い感情に加えて、剣の腕前も勉学も目を見張るものがあるのだから。


「わかった。では用意させよう」


「ありがとうございます!」


 本当に、心の底から嬉しそうだった。

 その笑顔を見て ヨハンは背筋にぞくりとした電流のようなものを覚えた。


(ああ、その笑顔をもっと見てみたい――)


 ヨハンの父親には、気に入った人間に(その人物が引くレベルまで)色々とやってあげる、という困った悪癖がある。その血は間違いなくヨハンにも流れていた。


「では、エルンスト、私は帰るよ」


「はい。本日はありがとうございました」


 部屋を出る間際、ヨハンは付け加えた。


「そうそう、覚悟しておくように」


「……へ?」


 よくわかっていない様子のエルンストの表情は実にかわいらしい。それだけでヨハンの気分は楽しくなった。その惚けた表情がどう変わるのか――

 ヨハンは部屋を出た。


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