第20話 一方、ヨハンは
「本日、早馬から伝達があり、補給基地として利用しているラクロー村が帝国兵の奇襲を受けたとのことです」
騎士団の団長たちや、大臣たち、有力貴族たちが集める王城内の大会議場にて、ヨハンはその報告を聞いた。
聞いた当初、ヨハン本人は特に反応を示さなかった。なぜなら、自分の従士がそこに参加していると知らなかったからだ。むしろ、それを知っている周囲の人間たちがざわついていた。
報告をした人物が言いづらそうに言葉を続けた。
「ヨハン様、従士エルンストも生死不明の状況です――」
ここまできて、ヨハンもようやく状況が飲み込めた。
(なるほど、そういうことか)
そして、明敏なヨハンの頭脳は、今の自分の態度がおかしいことに気がついた。愛する従士がそのような状況であれば、動揺を示すのが普通なのに、あまりにも平然としすぎている。
「皆様のご心配に感謝します。ですが、心配は不要です。エルンストは強く、私は無事だと確信していますので」
平然を、揺るぎない信頼にすり替える。
「ここは国の方針を定めるための場です。私の個人的な小事など些少なこと、構うことなく議題を進めましょう」
ヨハンは淡々と語った。近くにピレネー砦があること、そちらにも早馬が出て、すでに救援部隊が出ていると推察されること、それが自明の帝国兵は急襲後、すでに撤退しているであろうこと――
「ゆえに、王都からの造園は不要と存じます」
非の打ち所がない分析と結論に周囲が唸る。その声には、己の従士の苦難にも、増援を不要と言い切るヨハンの強さに対する多くの感情が含まれている。
ヨハンはそんなことを気にしない。
考えていたのは、別のことだった。
(なぜ、このようなことを? 前線が近いとはいえ、こちらの勢力圏内の拠点を襲撃したところで、恒久的に保持などできない――物資の破壊以外の価値はないのに)
それは嫌がらせでしかなく、軍を使って行う行為ではない。
そんなことに兵を割いてどうする……?
(このヨハンの従士にそれだけの価値があると考えた?)
なくもない。ヨハンは己を過大にも過小にも評価しない。冷静に考えて、それはとても価値のあることだった。
そうすると、少しばかり考えも膨らむ。
(王国には、急進的な私のやり方を好まぬ人間もいる。その人間が手引きをした……?)
なくもない。それに内通者がいるとすれば、どうして、前線に近いとはいえ勢力圏内に奇襲を仕掛けられたのか説明もつく。
(ふぅむ……少し煮詰める必要があるな……)
裏切り者には制裁が必要だから。
仕事が終わり、公爵邸に戻る直前、冷静沈着な態度を咎めるものが現れた。
「ヨハン! もう少しエルンストを心配してやったらどうだ!」
親友のヘルマンが、人気が途絶えたところで襟首に掴みかからんばかりの勢いでまくしたてる。
「……心配しても何も変わらないだろう? それに、しょせんは誰でもいい従士だ」
「お前ってやつは……! 見損なったぞ!」
他者に対する愛情の深いヘルマンが肩をいからせながら帰っていく。
(まあ、愛情が深いゆえに、私の無礼を許してもくれるのだけど)
こんなやりとりは学生時代から無限に繰り返したものだ。
公爵邸に戻ってからも多くの仕事をこなし、ようやくヨハンが一人で物事を考えられるようになったのは夜遅くだった。
「……しょせんは誰でもいいんだよ――そう思っていたのにな……」
何も感じることはない。
それがヨハンの思う王国の巨人『ヨハン・フロイデン』という男のはずなのに。
どうにも予想と違う心の動きをしていた。
エルンストの生死が気になり、心配している自分にヨハンは気がついた。報告を受けた当初はそれほどでもなかったけど、時間が過ぎるにつれて感情が形になっていく。
顔を合わせたのは2度だけ。
ゆっくりと過ごした日数はわずか1日だけ。
(そんなものに情が湧いたのか、このヨハン・フロイデンが……?)
従士とマスター――その関係は特別だと言われている。形だけの関係であっても、意識化に影響を及ぼす檻のように。
それがヨハンの精神に何かしらの影響を与えたのか。
「そういえば――」
ふと思い出して、ヨハンは机の引き出しを開けた。
そこには、ボストン学院から届けられた、エルンストからの手紙が入っていた。その封に破られた痕跡はない。受け取った後、読まずにそこに放り込んでいたからだ。
封を切り、手紙に目を通す。
そこには、自分が特殊任務に指名されて補給部隊の護衛を行い、ラクロー村に向かうことが書かれていた。死の危険はあるが怯えることなく任務に励み、ヨハンの従士として名に恥じぬ働きをすると誓いが立てられていた。
「で、最後が『返事は不要です。』か……」
手紙が届けられた日は覚えている。そして、手紙には何日から任務に赴くか書かれている。つまり、出発の直前に手紙を渡したことがわかる。
そして、手紙には『任務に関する話』以外は何もなかった。ヘルマンが告げてくれた、学校で首席を取った事実も、剣術大会で優勝候補という話も。そして、手紙の末尾には返事がいらない旨――
「ずいぶんと気を遣った臆病な手紙だね……」
ヨハンは手紙をひと撫でする。
手紙を出すことを恐れて、雑談をすることを恐れて、返事がもらえないことを恐れて――エルンストの感情が揺らめきが伝わってくるようだ。
ヨハンに嫌われたくない、そんな気持ちが。
何かしら、ここにはいないエルンストの心の琴線に触れたような気がした。
「……君はそれほど、私との関係を大事なものだと思っているのかい……?」
返事はないけれど。
ただ、エルンストはこんな仮初の関係に対しても実直でいよう、誠意を尽くそうとしているの様子が感じ取れる。
「……もう少し、優しくしてやればよかったかな」
ただ振り回しただけの少年に、ヨハンは少しばかり罪悪感を抱いていた。
やや寂寥感、あるいは喪失感を覚えるヨハンだったが、それに長く引きずられることはなかった。ラグハーツ剣術大会が終わってしばらく後、バーナムたちを連れたエルンストが王都に帰還したからだ。
もちろん、その吉報は、
「ヨハン様! 従士エルンストが王都に戻られました! ご無事のご様子です!」
すぐヨハンに届けられた。
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