第19話 死地からの脱出

 エルンストは王国兵に話しかけた。


「大丈夫ですか?」


「あ、ああ……大丈夫だ。ありがとう。君、強いな?」


「ははは、ありがとうございます。お役に立てて嬉しいです」


 ヨハンの動きを意識して修業した1年で、かなり腕を上げた自負はある。剣術の師匠からお墨付きをもらってはいる。だが、それで自惚れるほどエルンストはお気楽ではない。


(たまたま不意をつけただけだ。多勢を相手に勝てるなどと思うなよ、エルンスト?)


 そう自分を戒める。


「そこの人は?」


 そう言いながら、エルンストは動けないもう一人に目を向ける。まさかの知り合いで踊りた。部隊長のバーナムだったからだ。


「え、バーナムさん!」


「ははは、君がいてくれてくれて助かったよ。ありがとう」


 意識ははっきりしているようで、話をし始める。


「右腕と右足の骨が折れていて、動けないんだ。外の戦いで負傷して、ここに身を隠そうとこいつに連れてきてもらったんだが、帝国兵に襲われて――君が助けてくれた。ありがとう」


「当然のことをしたまでです」


「ここに隠れていようと思ったが、どうにも意味がないな。帝国兵の進軍が速すぎるので、とおからずここは陥落するだろう。逃げたほうがいい。俺を置いてな」


 その言葉に、バーナムのために戦っていた騎士が顔をしかめる。


「お前を捨ててなんていけない!」


「状況を考えろ。もうすぐ帝国兵たちが殺到する。そうなる前に逃げるんだ」


「だ、だけど――」


 言い淀む男への説得を諦めたのか、バーナムはエルンストに視線を向ける。


「こいつと俺はな、幼馴染なんだ。同じ女を好きになったり――ま、腐れ縁だな。とはいえ、戦場で怪我人は捨てていく――それが鉄則だ。何も1人の犠牲ですむところを、3人で死ぬ必要はないからな」


「3人で助かるんだよ! しのごの言わずに俺と一緒に逃げよう!」



「ダメだ――おい、エルンスト。こいつを連れて逃げろ」


「…………」


 バーナムの言葉が正しいことくらい、エルンストも理解できる。学院でもそう教わったから。いや、それ以前に常識的な判断力だけでもわかる話だ。

 バーナムを捨てて、逃げるべきなのだ。

 エルンストは静かにバーナムに近づき、首筋に当て身を叩き込む。バーナムは鈍い声を発すると、そのまま意識を失った。

 男が慌てた声を発する。


「おい、本当に置いていくのか!? だったら、俺だけでも――!」


「いえ、置いていきません。連れていきます。さっきのままだと、拒絶されますから。運んでもらっていいですか?」


 男に視線を送る。


「俺が守ります」


 エルンストの言葉を聞いて、蒼白だった男の顔に喜びが浮かぶ。


 ――結局、エルンストにも捨てる、という判断はできなかった。


 バーナムを助けたいと願う男の、悲壮に満ちた表情を理屈だけで無視できなかった。

 甘いのか?

 甘いのだろう。

 バーナムの言っていた言葉こそが戦場の真実なのだから。

 だけど、バーナムを救いたいという男の気持ちを理解できてしまったのだ。馬鹿なことしたというのなら、エルンストだってそうだ。いち早く逃げなければいけないのに、ヨハンの装備を守るために、こんなところ留まっているのだから。


(頭の悪さなら、俺のほうが一枚上かもな……)


 人命ですらないのだから。

 だけど、大切なものなのだ。エルンストの命を救ってくれたときのもので、エルンストにとってそれは、尊敬するヨハンとの絆を繋ぐものだ。そして、眼前の男もまた、バーナムとの絆に殉じようとしている。


(俺はこの人を助けたい)


 覚悟を決めた。


「行きましょう」


「ああ!」


 男が意識を失ったバーナムを背中に担ぐ。かなり重いと思うが、男もまた鍛えているのだろう、問題はなさそうだった。

 外へと向かいながら、エルンストが口を開く。


「……もうここは持ちそうもないので、逃げます。それでいいですね?」


「ああ、構わない」


 方針は決まった。できれば、うまく王都の方角へと抜けたいのだけど――

 そんなエルンストの希望はあっさりと打ち砕かれる。

 外に出て村の状況を確認したところ、どうにも王都方面で戦いが著しい。帝国兵たちも、逃亡先がそちらになると踏んで、厚めに兵を配しているのだろう。


(俺一人なら、突破できるかもしれないけど――)


 戦えないどころか、意識を失ったバーナムを抱えて機動力すら怪しい男を守りながらとなると確信が持ていない。

 一方、逆側――帝国方面が手薄になっている。

(逃げるなら、そちらだろう)


 もちろん、帝国領に近づくつもりはなく、村を抜けた後はぐるっと迂回して王都を目指すつもりではあるが。


「こっちです! 行きましょう!」


 動き出したエルンストたちに、帝国兵たちが近づいてくる。手薄とはいえ、誰もいないわけではないのだ。


「首を置いていけやああああ!」


 絶叫して襲いかかってきた帝国兵は、次の瞬間に首だけになった。エルンストが断ち切ったのだ。

 バーナムを担いだ男が息を呑む。


「す、すげえな……とんでもない強さだよ」


「いえいえ、まだ未熟です――」


 決して謙遜などではない。ヨハンの王国最強の剣で叩きのめされた経験がある以上、そんな気分になれない。

 目指す高みは遥かに遠いのだから。


(少なくとも、俺の剣が戦場で通じると分かったのは収穫だ)


 積み重ねてきたものは無駄ではない。たとえ、ヨハンに振り向いてもらえなくても、磨き上げてきた力はエルンストを支えてくれるだろう。


「王国兵が逃げるぞ! こっちだ! 追え追え!」


 夜の向こう側から、帝国兵の怒声が響き渡る。

 次々と群がってくる帝国兵を斬り捨てながら、エルンストはバーナムたちを連れて、夜の中を走った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 それから3日が過ぎた――

 エルンストはラクロー村から少し離れた茂みで息を潜めていた。食料は逃げるときに持ち出した分があるので、心配しなくていいのが救いだった。

 村を逃げた次の日くらいまでは、周辺を探索する帝国兵たちと鉢合わせすることもあったが、最近は落ち着いていた。


「なんとか脱出できたみたいですね」


「ありがとう、本当にありがとう……」


 バーナムを担いでいた男――ブラウンが安堵の表情を浮かべる。その口調には、エルンストへの心底からの感謝があった。

「3人で助かる――なんとか果たせましたね」


「……ふん、だけど、俺は間違っていないからな。2度と甘い判断はするなよ」


 憎まれ口を叩いているのは、横たわったままのバーナムだ。目を覚ましてからも、自分を助けたことが気に食わず、ぶつぶつと文句を言っている。


「ま、礼は言うよ。ありがとよ」


 ぶっきらぼうな礼を口にしてから、それを誤魔化すような口調で付け加える。


「――で、これからどうするつもりだ?」


「近くの街や村に行けるといいんですけど。そこから馬車に乗って王都に戻る、とか?」


 ブラウンが口を開いた。


「……だったら、フレイルの街とかはどうだろう? この位置から最も近い場所にある。案内できるぞ」



「お願いします!」


 やっぱり人助けをしておいてよかった! そんな気持ちになる。土地勘がないので、エルンストだと迷子になっているところだ。そもそも、ここに隠れるのもブラウンが提案してくれたことなのだ。二人を見捨てていれば、決して手に入らない知見だっただろう。

 ただ、バーナムが懸念を口にした。


「フレイルの街が最善だとは俺も思うが――間に合うのか、エルンスト?」


「え?」


「ラグハーツ剣術大会が近いんだろう? 相当な遠回りの上、足の折れた俺も連れている。間違いなく間に合わないぞ」


 それはとっくの昔に答えを出していた。だから、なんの迷いもなく返事ができた。


「ラクロー村を脱出したときに諦めています」


 間違いなく、ヨハンへの貴重なアピールチャンスではあった。それに向けて期するものもあった。学長をはじめ、両親や友人たちも優勝を期待してくれていた。

 ――だけど、こうなっては仕方がない。

「戦時中であり、任務の最中です。優先するべきものありますから」


「……君一人で走っていけばどうだ? 君の健脚ならギリギリ間に合うぞ」



「うん、そうだ! 俺たちはゆっくり戻るから、急いで戻るといい! 君の腕前なら、絶対に優勝間違いなしだ。もったいないよ!」


 エルンストは首を振った。


「帝国兵が姿を見せるかもしれません。俺がいないとダメです。ここまで護衛したんです。最後の最後まで護衛させてください」


 二人の気持ちは嬉しかった。経験豊富な騎士なのだ。エルンストの言ったことなんて、二人とも気づいているだろう。だけど、エルンストを行かせようとした。今まで頑張ってくれたエルンストへの感謝を示してくれたのだ。

 それに甘えるわけにはいかない。

 命を賭けて二人を守ると決めたのだから、最後の最後まで貫くべきだ。

 万が一、二人を死なせてしまったら、優勝などなんの価値もない。


「大丈夫、気にしないでください。では、行きましょう」


 エルンストたちは王都を目指して旅をする。

 その帰還はずいぶんと遅くなるが、一方、ラクロー村の陥落は早馬により、あっという間に王都に知れ渡ることになった。バーナムの部隊のうち、多くは生死不明の状況であり、その中にエルンストも含まれている。

 ヨハン・フロイデンもまた、その情報を耳にした人物であった――


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