第16話 出立

 エルンストが挨拶をすると、30歳くらいの男が近づいてきた。


「やあ、初めまして、エルンスト。今回の任務の隊長を務めるバーナム・ヘイゲンだ。歓迎するよ」


 差し伸べられた手をエルンストが握り返す。剣を握る男の手だった。


「荷物の積み込みですか? 手伝います」



「あああ……いや、いい。いいんだ」


「え?」


「君にそんなことをさせるわけにはいかない。作業が終わるのを待っていて欲しい」


 手伝ってもらうほどのものでもない、という意味かとも思ったが、エルンストは文脈に引っかかるものを感じた。

 そして、それはこの1年ほどで、よく出会う感情だった。


「ええと……ヨハン様の従士だからでしょうか?」 

「……雑用をさせるわけには、な?」


 困ったように、バーナムが苦笑する。その表情には、エルンストを厄介者とみなす輝きがあった。

 特別任務に割り当てられる学生は、エリート候補生だ。だから、将来的なことを考えると、無体な扱いは避けるべきなのだ。なぜなら、その候補生がいずれ大きな昇進を遂げて上司になる可能性があるから。

 だが、暗黙の了解として、それは戒められている。なぜなら、これは現場研修であるから。汗を流さなくては意味がないのだ。不満があってもノーサイド――それがマナーとなっている。

 だけど、ヨハン・フロイデンの従士という肩書は、それすらも粉砕してしまうらしい。


(……実際、王国の超大物に寵愛された人物なんて、一緒に仕事したくないよな……)


 どんな些細なことが不興を招くかわからない。少年の後ろにいる人間は指を少し動かすだけでバーナムの首を落とせる人物なのだから――

(寵愛なんて特に受けてはいないのだけど)


 それを説明できないのがもどかしい。

 そして、この実地で経験を積む貴重な経験を見逃すつもりはエルンストにない。そもそも、自分だけ仕事をしないなど、全く気分が良くない。


「気にしないでください。他の人たちと同じように扱ってください」


 きっぱりと言い切ってから、少し迷いながら付け足す。


「ヨハン様に何かを告げるとすれば、特別な扱いを受けたことに対する不満です」


 やや嫌な気分だが、こうでも言わないと通じない気がしたのだ。

 バーナムは困ったように両肩をすくめた。


「わかったわかった、そうまで言うのなら。だけど、気が乗らなくなったらいつでもサボってくれ。別に何も言わないから」


 了解を得て、エルンストも荷物運びを手伝った。

 仕事を進めるに従い、周囲のエルンストを見る目が少しずつ変わっていく。


 ――おいおい、虎の威を借る狐がガキの遊びみたいな仕事をしているよ。

 から、

 ――すげーな、あいつ。なんか仕事量が半端じゃないぞ?


 そんな感じに。

 目標はヨハン・フロイデンの隣に至ること――高すぎる目標を置いたエルンストの常軌を逸したトレーニングは半端なものではない。一定の『仕事をこなせえば十分』なレベルで日常を過ごしている大人よりも、はるかにすごいのだ。黙々と働くことを嫌がらない生真面目さと合わさり、次々と仕事をこなしていく。

「終わりましたか?」


「お、おう……助かったよ……」


 エルンストが参加してから、あっという間に片付いた荷馬車を眺めて、バーナムが呆気あっけに取られている。


「ヨハン様の従士ってのはすげーんだな……」


「なんでも命じてください。頑張りますから」


 エルンストはバーナムに挑むような笑顔を向けた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 準備が終わったので、エルンストは補給部隊の護衛として王都を出発した。

 これから片道10日で移動して、国境近くにあるラクロー村を目指す。そこで物資を引き渡し、数日の滞在の後、再び同じ道を戻ってくる旅程だ。


 ――あっという間に三日が過ぎた。


 早朝、まだ夜の残滓が踏みとどまっている頃、エルンストは目を覚ます。旅程は基本的に野宿で、この日もエルンストは冷たい地面の上で横たわっていた。

 もちろん、エルンストは寝る場所を選ばないので、不満などない。

 目を覚ますと、焚き火の近くにいる見張りに会釈をすると、剣を片手に離れた場所へと歩いていく。

 別にどこでもいいのだが、あまり人目のある場所でやりたくはないから。

 今回はおあつらえ向きに林が近くにあったので、そちらの中に入っていく。適当な開けた場所まで歩いていくと、やおら上半身の服を脱ぎ捨てた。

 筋肉質な上半身を晒したまま、剣を引き抜く。


「ふっ! ふっ!」


 呼吸と同時に剣を振るう。学長と約束した『個人的な鍛錬』だ。

 言葉だけにして、サボるつもりなど毛頭ない。ヨハンという頂に近づくのだ、時間を無駄にしている暇はない。

 皆が目覚めるまでの早朝を、己の鍛錬に費やすことにした。

 筋肉が波打ち、汗がしたたる。じっと集中して続けていると、


「――――!?」


 ふと気配を感じて視線を向ける。

 そこにはバーナムが立っていた。エルンストの視線に驚き、両手を上げる。


「すまんすまん、邪魔をしたみたいだな」 


「……いえ、大丈夫です……どうしてここに?」


 息を整えながら、バーナムの言葉を待つ。かなり離れた場所なので、用もなければここには来ないのが普通だから。


「ん? ああ、君が何をしているのか気になってな。ほら、初日は俺が早朝の見張りだっただろ? 剣を持って歩いていくお前が気になってさ」


「ああ……」


「で、今日はお前の後をつけてきたんだ。そうしたら……頑張るねえ?」


「この任務が終わったら、剣術大会がありますので」


「ラグハーツだよな。俺も出たよ。懐かしい……ま、俺は3回戦止まりだったけど」


 バーナムが薄く笑う。


「お前は別格だな? 優勝できるんじゃないか?」



「本気なら嬉しいんですけど。どうなんですか?」


「本気だよ。俺が何年、騎士をやっていると思っているんだ。持っているやつと持ってないやつの差くらいつくよ」


 そして、ぽつりと続けた。


「お前、かなり強いな?」


「ありがとうございます」


 バーナムが騎士として褒めてくれたのが、とても嬉しかった。ならば、そのバーナムの騎士としての剣を見たいと思った。


「あの、よろしければ、模擬戦をしてもらえないですか?」


「おいおいおい!? 冗談はよしてくれ!?」


 バーナムが両手を胸の前で振る。


「俺の立場わかってくれ! 君がどう思っているかは知らんが、君に毛ほどの傷をつけるわけにはいかんのだよ!」


 それもまた、ヨハンの不興を避けるための言葉だろう。

 別に、毛ほどの傷がついたところで、エルンストは気にしないし、できれば得難い経験を積みたい気持ちが強いのだけど。ただ、これは任務の話ではない。エルンストの希望だ。なのに、ここでヨハンの名前を無理強いするのは違うだろう。


「……そうですか、ならば仕方がないです」


「そう落ち込むな。あんまり勝てる気がしないのが本音だ。お前の剣は騎士団で今すぐ通用する。正直、学生に負けたとあっては俺としてもカッコがつかない」


 ここにいるのは二人だけなのでバレないのだが、気分の問題なのだろう。


「君が優勝したら自慢するよ、あいつは俺の舞台にいたんだぜってな。じゃ、邪魔したな。時間までに戻ってこいよ」


 バーナムが背中を見せて、立ち去っていく。


(……いい人そうでよかったな……)


 気持ちよくこの仕事を完遂したい、そんな気持ちになれるのが嬉しかった。


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