第15話 学徒出陣

 その日、エルンストはボストン学院の学長室に呼び出しを受けた。


「エルンスト・シュタール。君宛に『特別任務』の召集令状が出ている」


 曖昧な名称の任務だが、それが意味するところは、『戦地』での任務である。レンブルグ帝国との戦いを支援するため、前線へと赴くのだ。

 まさかの戦地への招集――

 だが、エルンストに驚きはなかった。学長から呼び出しを受ける、というのはそういうことだ。多くの生徒たちが同じプロセスを経て、特別任務を言い渡されているのは周知の事実だから。


(……いよいよか……)


 騎士を目指すものとして心に昂るものがある。王国を支える戦力として戦地に赴くのだから――それはずっと願っていたことだ。

 いつかはあるだろう、そう思っていたから、返事に迷いはなかった。


「承知いたしました。謹んでお受けいたします」


 内容を聞いてから、という前提は必要ない。出陣の命令が出た以上、それを断ることなら国を捨てる覚悟が必要だ。


「うむ、君の勇気を誇りに思う。詳細を確認して欲しい」


 学長が差し出した用紙にエルンストは目を走らせる。

 一言で言えば、補給部隊の護衛だ。前線の維持に人手を取られているので、その不足を補いたいらしい。

 率直なところ、あまり危険度のない簡単な仕事だ。

 実際、学生兵が無茶苦茶な任務に放り込まれるケースは稀で、大半は安全な雑務ばかりだ。将来が期待できる優秀な学生を出す以上、未熟なうちに無駄死にさせるはずもない。

 あくまでも現場研修的な側面が強い。


「問題は、期日だな。準備期間も含め、往復して帰ってくる頃には1ヶ月ほどの旅程だ。帰ってすぐにラグハーツ剣術大会があるが、大丈夫かね?」


 学長は学長で、エルンストに剣術大会で優勝して欲しい立ち位置だった。それは学院の自慢になるから。

 影響があります――と答えるとどうなるのか興味深いところだが、エルンストは迷わずに答えた。


「問題ありません。任務の間も個人的に鍛錬を続けます」


「そうか、安心した。だが、あまり無理はせぬようにな」


「はい」


 問題は、エルンスト本人の状態よりも『任務が期日通りに終わるかどうか』だ。ただ、向かう場所はそれほど激戦地でもなく、平坦な道を行くだけ。最近の気候も落ち着いている。多少の遅れがあったとしても、致命的なレベルになるとは思えなかった。


(任務もやり遂げて、大会でも優勝する!)


 そうエルンストは己の未来を定めた。天才ヨハンの従士であれば、それくらいのことができなくてどうする。

 ラグハーツ剣術大会はヨハンも優勝した大会だ。そこで名声を上げれば、ヨハンの覚えも愛でたくなるのではないか――そんな気持ちもある。


(頑張るぞ)


 学長から任務に関する書類一式を受け取ると、エルンストは辞去の挨拶をした。


「それでは失礼いたします」


「ああ、最後に、ひとつだけ――」


「はい、なんでしょう?」


「これは貴族社会を何年も眺めてきた心配性な老人の独り言なのだが、どうにも気にかかる部分があるのだ」


「……と、言いますと?」


「ラグハーツ剣術大会で優勝したいと思っている貴族は多い。そして、君は優勝候補だ。そこに何かしらの意図がある可能性もある。君は、家格のわりには目立つからな」


「…………」


 何を言わんとしているかは理解できる。

 この任務へのアサインは、エルンストへの嫌がらせという可能性だ。任務が遅延して不参加なら申し分なし、よしんば戻ってきても疲労困憊であればまことに重畳。

 優勝の栄光を、男爵家の倅に持って行かれてたまるか!

 そういうことだ。

 エルンストがヨハンの従士というのも大きく作用しているのだろう。いい意味でも悪い意味でも、その肩書きは『目立つ』――そして、ヨハンという王国の巨人は必ずしも、万人に愛されているわけではない。英雄として持ち上げられているが、その輝く名声にやっ紙を覚える人もいる。

 雑魚い家柄のエルンストは八つ当たりにちょうどいいのだ。


(……そういうこともあるのか……)


 学長の言葉はエルンストにとって新鮮だった。人のいい、まっすぐな性根のエルンストにとって、そんな感情や企みは考えつも気もしないから。

 学長が首を振った。


「心配しすぎなのかもしれん。ただ、警戒はしすぎても損はない。老人の独り言として頭の片隅に入れていておいてくれ」


「ありがとうございます」


 深く一礼する。

 学長の懸念が事実であれば、より強い警戒が必要であろう。

 ――首謀者たちが、大会からエルンストを排除して満足するとも思えないから。

 エルンストの命そのものを狙うのが容易い。死んでしまっても不思議ではない。なぜなら、任務の最中なのだから。名誉の戦死というやつだ。


(そうすれば、ヨハン様の従士の席があく)


 そうすれば、新しい誰かが立候補することも可能になる――

 はたして、どこまでが『狙い』なのだろうか。それとも、やはり思い過ごしか。

 頭が痛くなってきたので、エルンストは首を振った。


(厄介な状況になってきたな)


 ただの男爵家の倅であれば、こんな悩みは抱えなかっただろう。ヨハン・フロイデンの周辺に席を作るということは、こういうことなのだ。

 エルンスト本人も注目を集め始めている。


(負けないように頑張るだけだ!)


 エルンストは拳を握りしめる。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あっという間に出立の日になった。


「頑張るんだぞ、エルンスト! だけど、絶対に生きて帰ってこいよ!」


 そんな父親をはじめとした家族から激励されて、エルンストは集合場所の街外れへと向かった。

 特別任務の話をしたとき、父親が大喜びしてくれたことが嬉しかった。


「でかした! エルンスト、お前はすごいな!」


 父親もまた、それが『エリート候補』にしか与えられないことを知っているから。もちろん、単純明快な父親は『学長が気にしたような危惧』など頭にはないのだけど。

 同じように喜んでもらいたい人もいた。

 エルンストは貴族街に目を向けた――ちょうど、ヨハンの屋敷がある方角へ。

(……本当にあれで良かったのかな)


 学長と話をしてからずっと、さんざんエルンストは迷った挙句、出発の前日にヨハンへの手紙を学長に託した。


「フロイデン公爵邸に届けてください」


 ボストン学院はフロイデン公爵家が経営しているのでルートは存在する。

 従士である本人が届けないことに学長は不思議そうにしていたが、特に質問を投げかけることなく快諾してくれた。

 手紙には、ただ自分が任務に赴くことだけを簡潔に書いた。

 安全とはわかっていても、戦争に関わるのだ。命の危険はある――学長の懸念も含めて。

 だから、何かを伝えたいと思ったのだ。とはいえ、


(……これは契約違反にならないだろうか……?)


 すごく迷ったけれど。

 なので、自分の成績や剣術大会への思いなどには触れず、不確定な情報でヨハンを悩ませてはいけないとも思って学長の懸念にも触れず、ただ、出陣だけを告げた。最後に『返事は不要です。』とまで記して。

 

(ただ、知っていてさえもらえればいい)


 それだけがエルンストの願いだった。

 とはいえ、返事を期待していないわけではない。知人からの手紙であれば、あんな文末でも返事をすることもあるだろう。

 どうしても返事を待ってしまうし、あればあったで内容が気になる。ヨハンの反応が怖かったので、留守にする直前に手紙を出すことにしたのだった。


(俺は臆病だなあ……)


 実に気疲れする期間だった。元来、騎士らしくシンプルな思考を好むエルンストにとって、他者との距離の測り方は苦手な範疇なのだ。


(ともかく、もう考えるな、エルンスト。送ったんだ。帰ってくるのは1ヶ月後。結果は出ているさ)


 気合いを入れ直した。

 こんな、ふわふわとした人間関係にふらついている気分ではいけない。これから赴くのは戦場であり、何が起こるかわからないのだから。

 エルンストは町外れにある集合場所にたどり着いた。

 補給物資を積んだ複数台の荷馬車があり、甲冑を着た兵士たちが忙しくなく荷物を積み込んでいる。


(……最初が肝心だな)


 すっと息を吸い込んでから、エルンストは大きな声を吐き出した。


「エルンスト・シュタール、到着しました!」


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