第14話 その頃、ヨハンは

 エルンストが学年首席に輝いた数日後、ヨハンの邸宅を友人のヘルマンが訪れた。

 ヨハンは多忙な人物であり、ほとんどの場合で『急な訪問』は日を改めて、ということにしているが、ヘルマンは例外だった。


 理由は2つ。

 1つ目は、ヘルマンが本音で話せる数少ない親友であること。

 2つ目は、ヨハンが多忙なことを知っているヘルマンは滅多なことでは約束もなく訪問してこないこと。


 ヨハンは自宅の応接室でヘルマンを迎えた。


「やれやれ、多忙この上ないときに来てくれたものだ。それなりに面白い話を聞かせてくれるんだろうね?」


 テーブルには2杯のティーカップが置いてあり、芳醇な香りが部屋に広がっている。ヨハンは正面に座るヘルマンの視線を正面から受け止めた。


「……どうだろう、今回はあまり自信がない」


「頑張れ、友人殿」


「お前に他人の心を理解できる優しさがあれば、面白い話だろう」


「それは最も僕にとって遠い感情だなあ」


 ヘラヘラとヨハンが笑う。それは彼の酷薄さというより、厳然たる事実だった。王国最強にして天才たるヨハン――生まれ持った時点で全てを持つ男に、持たざる者たちのことを理解するのは難しい。

「お前の従士君に関してだ」


「ああ、エルンスト君だね」


 1年もあっていないのに、ヨハンはエルンストの名前を覚えていた。彼にとってはたまたま拾った路傍の石の如き存在にも関わらず。だが、これはエルンストに対する執着を意味しない。天才ヨハンは記憶力も抜群なのだ。


「彼がどうしたんだい?」


「その前に……1年ほど前に俺の家を訪れてから、どれくらいの頻度で会っている?」


「昨日、記憶喪失を起こしたのが残念だ。100回くらいじゃないかな」


「殴るぞ」


「ごめんごめん、冗談だよ。ゼロ回だ」


 その答えを聞いた瞬間、ヘルマンが大きくため息をこぼす。その瞳には失望の色が浮かんでいる。

 人としてのヨハンに落胆したとき、この親友はよくこんな行動をする。


(あーあ、お気に召さなかったか)


 それは想像できたけど。さすがにヨハンも長く『人間』をやっているので、自分の行動が親友をがっかりさせることくらいは想像できる。だから、冗談で誤魔化そうとしたのだけど。

「ヨハン、いいか。従士とマスターは互いを慈しむものだ」


「普通の関係ならね」


 ヨハンは悪びれない。


「だけど、私は『形式的な関係』であることを彼に説明している。彼も了解して契約を受け入れてくれた。問題はないと思うけどね?」


「それにしても限度ってのはある。少しくらい顔を見せてやれ」


「どうして? 彼だって理解しているから、彼の側から連絡をとってこないんだろ?」


 その辺が、ヨハンの人の心が読めない理由だった。

 あちらからも連絡を取らない。ゆえに満足している――論理的にはそうだが、実際のところ、人の情には『遠慮』が存在する。

 だけど、ヨハンはそこを理解できないのだ。


「立場の違いを考えろ。上のお前が、配慮をしてやるべきだ」


「悪いけど、そんなことをするつもりはないよ」


 せっかく世を忍ぶただ目だけに形だけの契約を結んだのに、こちらがなぜ気を使う必要があるのか――

「それだけかい? 悪いけど、今までで最も興味の薄い話だよ」


「いいや、今まではただの現状確認。本題はここからだ」


「ほう?」


「エルンストが学年首席になったらしいぞ」


「ふーん……それはそれは頑張ったね」


 ヨハンの反応は薄い。彼にとって首席は当たり前のことだからだ。特に苦労せずに取れるもの、それが首席。


「おめでとうの祝辞でも打てと?」


 それですら、ヨハンは面倒だと感じていた。そもそも、今の没交渉の状況は実に理想的なのだ。祝辞くらい簡単なものだが、あちらが図にのってマメに連絡をとってこられるのは避けたい。


「……剣術でもかなり腕を上げているらしい。今年の『ラグハーツ剣術大会』の優勝候補として挙げられている」


 ラグハーツ剣術大会とは、同じ年代の少年たちを集めて行われる大会である。ヘルマンも出場経験があって2位。1位はもちろん、ヨハン・フロイデンだ。


「優勝ねえ。ぜひ頑張ってもらいたいものだ」


 そんなことを言ったけれど、ヨハンは優勝は不可能だろうと見ていた。

 エルンストに剣の才能はあるけども、それは天才には至らず、秀才にも届かず、有能のレベルで留まると思っていたから。

 上位入賞は間違いないが、優勝をするには生半可な努力では足りない。

 だが、努力を知らない天才ヨハンはこうも思うのだ。


 ――そもそも、努力をしている時点で平凡なのだ。


 もちろん、そんな思考はヨハンとの付き合いが長いヘルマンも見抜いている。


「……エルンストの腕だと、優勝は無理だと思っているだろ?」


「ふふふ、まあね」


「俺も最初は難しいと思っていた。俺も、あいつの腕前は見ているからな。だけど、そこから相当の鍛錬を積んだようだぞ。優勝候補は伊達ではないらしい」


「ふぅん……」


「勉強を苦手とする男が、学年首席をとって、己の才能を超えるほどの鍛錬を積んで剣術大会で優勝しようとしている――なぜだと思う?」


「名誉欲、出世欲。己を磨き続けるのは大切なことだ」


「本当にお前には人の心がないな?」


「え?」


「お前に認められたいからだよ、ヨハン! お前との釣り合いを少しでも取るために、必死に努力しているんだよ!」


 その言葉を聞いたヨハンの反応は、驚愕だった。

 そんな可能性をかけらも考えていなかったから。


(なぜ、そんな無駄なことを……?)


 それがヨハンの結論だから。


(私が考えを改める可能性なんてゼロなのに)


 そもそも学年首席を取ろうとも、剣術大会で優勝をしようとも意味などない。ヨハンにとって価値のあるものではないから。そして、傍に立つ人間にそんなものも求めない。ヨハンはすでに全てのものを持っているのだから。

 ――それ以前に、ヨハンは傍に立つ人間すら求めていない。

 だから、ヨハンには気づけなかったのだ。

 もちろん、そんな感情を外部に漏らすほどヨハンは無能ではない。いつも通りの、余裕のある表情のままヘルマンに視線を返す。


「ふぅん……」


「いじらしいだろ? 少しくらい時間をとってやれ。別に前みたいに1日ずっと一緒にいろとは言わん。今日の俺とのように、少しだけでも時間をとってやれ」


「……1年前に少し顔を合わせただけの相手に、ずいぶん肩入れするね?」


「責任があるからだ。あの馬鹿げた契約の責任は俺にもある……」


 言葉の意味をヨハンは正確に理解している。もともとは『従士関係に興味のない』ヨハンが、どうすればいいのかをヘルマンに相談したのがきっかけなのだ。

「忘れていたよ。お前が人の心がわからない冷たいやつってことを。巻き込まれたエルンストが可哀想に思えてきたんだ」


「気の使える男は実にカッコいいね」


 揶揄するような口調だったが、ヨハンの本音だった。この親友は有能さの他に、人格者という点でも周囲から評価を受けている。それはヨハンがヘルマンを認める部分でもあった。


「そうだな……まあ、剣術大会で優勝すれば、何か考えてみよう」


「お前の考えるは、信用できないんだがな」


 ――我が親友殿はよく見抜いていらっしゃる。

 ヨハンは内心で苦笑した。実際、うやむやにするつもり満々だったから。エルンストが優勝したら、親切な人格者である親友が釘を刺しにくるところまで想像できる。


(……だけど、悪いね。私の気持ちは変わらないだろう……)


 そもそも根本的に考え方が違うのだから。

 エルンストもヘルマンも、この銃士契約に未来があると勝手に勘違いしている。だが、ヨハンの考えは違う。すでに終わっているのだ。あの契約は、結んだ時点で終わり。そこに『先』はないのだ。


(もしも、私が彼と顔を合わせることがあるとするなら、この仮初の関係が危機的な状況に陥ったとき)


 その場合、契約に基づいて対処が必要だから。1年前のあの日にように。


(だけど、1年も何もなかった。私も彼も、うまく周囲をごまかせている)


 つまり、今さら何かが起こることもない。

 ゆえに、ヨハンにとってはすでに過去のものと成り果てている。


(優勝して連絡して、変に希望を与える……そのほうが彼にとっては残酷だろう)


 きっとそのまま没交渉が互いに平和なのは間違いない。

 親切だがお節介がすぎる親友の追撃をかわす――どうやってそれをしようかとヨハンは優秀な脳細胞を活発化させた。

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