第13話 エルンストの飛躍

 ボストン学院では、試験での上位成績者が張り出されることになっている。

 屋外の掲示板に、先月末の定期試験の結果が貼られていた。


『1位:エルンスト・シュタール』


 掲示板の前では生徒たちがごった返しているので、エルンストは遠目からそれを確認した。

 正直、安堵の息がこぼれる。


 ――剣も大事であるが、学問もまた大事だ。軍事と政治は切り離せないものだから。


 ヨハンの父から伝えられた宿題――本人にそのつもりはないだろうが、エルンストにとっては忘れられない宿題――を果たそうと、剣術だけではなく軽んじていた勉学にも励むことにした。

 そして、それをエルンストは成し遂げた。

 1年の時間をかけて、ついに学年1位の座についたのだ。


(長かったなあ……)


 胸に沁み入るような感情が湧き上がる。それは充実感へと変わっていく。ヨハンとの釣り合いを縮めるための努力が、ようやく形となって現れたのだから。

 生徒たちの声が耳に入っていくる。


「さすがは、エルンストだなー。ヨハン様に選ばれる男は違う」


「天才のヨハン様が直接勉強を教えてくれるんだろ? 羨ましいなあ」


「環境が変わると人も変わる。俺もヨハン様に選ばれたいいいい!」


 そんな言葉が聞こえてくる。

 ヨハン、ヨハン、ヨハン――どの言葉にもエルンストというよりは、ヨハンの影響を羨ましがる言葉ばかりだ。

 無理もない。剣術においては非凡だった騎士の倅が、急激に学力をつけて文武両道になったのだから。そして、その始まりはヨハンの従士となってからなのだから。

 そこに関係を見出すのは不思議でもない。

 事実は違うのだけど。

 この1年間、エルンストは己を磨くことに専念した――専念できたのは、ヨハンのおかげでもある。あの公爵家の一夜以降、エルンストとヨハンが顔を合わせた時間は0秒であった。

 ただの一度も、時間を共にしていない。

 それが『契約』だからだ。

 互いに契約を履行した。互いの時間を邪魔しないという契約を。なので、全てはエルンストが独自に積み上げたものなのだが、誰もそれを尊重しようとはしなかった。


(別に腹が立ったりはしないさ)


 なぜなら、エルンストもまた、その誤解を積極的に広めた人間なのだから。

 エルンストはヨハンとの関係を質問されるたび、あの大切な1日を何度も焼き増しし、微妙に改変を繰り返しながら、答えを捏造し続けた。

 やや胸の痛みと虚しさのある行為ではあったが、仕方がない。

 それが、ヨハンとの契約なのだから。

 ヨハンに対する絶対的な親愛を抱くエルンストにとって、ヨハンとの約束を守るためなら、それくらいはやってみせる。


(逆に喜ぶべきなんだ。俺の流した言葉を彼らは信じきっているのだから)


 つまりは、正しくヨハンを守ることができている――

 それを誇りとすればいい。

 ただ、首席を取った今日という日は少し特別で、エルンストに多少の感傷を与えた。


(この喜びを分かち合うことができたら……)


 誰と? 

 ヨハンと。

 ヨハンが満面の笑みを浮かべて「素晴らしいね、エルンスト! 私の従士にふさわしい成果だ! 実に誇らしい!」――そんなことを言ってくれたのなら、心にともる情熱の熱量は想像もできない。

(――ダメだ、エルンスト。それは考えるな)


 そう、考えてはいけない。それがヨハンとの約束なのだから。

 エルンストが己の思考に沈んでいると不意に声をかけられた。


「よう、エルンスト。絶好調だな! 首席おめでとう!」


 そこに立っていたのは、友人のトマスだ。


「ありがとう、そして、おめでとう。トマスの名前もあるじゃないか」


「嫌味か、首席様! 紙の端っこギリギリだけどな!」


 苦笑を浮かべながらトマスが反論する。下のほうから数えたほうが早いのは事実だが、そもそも『成績上位者のリスト』なので、それでも充分すごいのだけど。

「ま、端っこでも名前が載っていて良かったよ。ベラヒアさんからのプレッシャーがすごかったからなあ……」


 ベラヒアとは、トマスを従士に選んだ人物だ。家柄は男爵家。家柄はそれほどでもないが、学問も剣術ともに非凡な成績を残している。彼もまた将来を嘱望されている人物だ。


「僕の従士なのだからリストに載っていなきゃ、許さないからね?」


 トマスがベラヒアの口調をマネる。なかなかに似ている。


「勉強は見てくれるんだけど、ツッコミが激しくてさあ……ホント、吐きそうだった」


「はははは」


「ま、お前ほどじゃないか。ヨハン様だったら、もっとプレッシャーは凄かったかな」


「どうだろう、言えないな」


「ええ、なんでだよ?」


「とんでもなく怖い――なんて証言したら、ヨハン様の名前に傷がつくかも、だろ?」


「はははは! そりゃそうだな。むっちゃ怖そうー」


 またひとつ、誤魔化しを積み重ね、親友への気まずさが重なる。

 もちろん、相当のプレッシャーがあったのは事実だけど。ただ、それはヨハン本人からではなく、自分自身からのプレッシャーであり、周りからの『ヨハンの従士がどれほどものなのだ?』というプレッシャーだ。

(俺も受けてみたいんだけど、ヨハン様からのプレッシャー)


 そして、ありのままを口にした。きっとそれはとても気持ちがいいことだろう。

 プレッシャーがきつい、という話は、結局のところ、惚気のろけなのだ。お互いの感情が正しく通じ合っているから、そんなことが言える。現に、マスターとのそんな話をしているときの従士たちの表情は実に嬉しそうだった。


「じゃ、俺は行くよ。ベラヒアさんに試験の報告をしてくるよ。お前もそうだろ?」


「もちろん」


 もちろん、そんなことはしない。ヨハンが求めていないから。


「じゃあな!」


 手を振ってトマスが去っていく。親友は正しくマスターと従士の関係を育んでいるようだ。たびたび剣の修業もつけてもらっていると聞く。そして、トマス自身もベラヒアの期待に応えようと必死に努力し、尽くしている。

 まさに理想的な関係だ。


(それに引き換え、俺は――)


 歪な関係。

 だけど、それでいいのだ。だからこそ、大幅な瑕疵があるこそ、剣しか取り柄のない平凡な男爵家の自分に幸運が舞い降りたのだから。


(それをここまでとするのか、その先に押し通すのかは、己の努力次第だ)


 1年だけではなく、2年でも3年でも――ヨハンとの関係が制限時間を超えても――

 努力を続けて、いつかやがて、天才ヨハンを振り向かせる。


(そうだ。そのために感傷に浸っている暇はない)


 王国最強のヨハンと凡人の間にある距離は途方もないものなのだから。

 エルンストは歩き出す。

 学園が手配してくれた剣術家との練習時間が近づいてきたからだ。


(それに、そもそも今の時点で恵まれている)


 ヨハンの従士に選ばれてから、学園は『多くの手心』を加えてくれるようになった。凄腕の剣術家を手配してくれたのも『特別』なのだ。

 剣術家だけではない。

 急激に学力を伸ばした背景には、エルンストのたゆまぬ努力があるのも事実だが、有能な家庭教師たちがついたのも事実だ。彼らのアサインもまた、学園側の配慮だ。

 そして、教師たちも指名があれば喜んで受けてくれる。

 ヨハンの従士の世話をする栄誉に預かれるのだから。


(この環境で大成できなければ、お前は無能だ、エルンスト!)


 ならば、不可能を可能にするしかない。

 いつか、ヨハンとの釣り合いが取れるその日まで、エルンストは己を磨き続けるのだ。


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