第12話 少年は最強への道を歩み始める

 エルンストはヨハンとともに客たちの帰りを見送ることになった。フロイデン本家の血脈に並んで、出ていく客に会釈をするのだ。


(……俺がここにいていいのだろうか……?)


 従士は主人と一心同体という観点であれば、確かに無理ではないのだけど。

 出ていくとき、ヨハンの許嫁のミレーネからはきつく睨まれた。そこは私の席なのよ! というアピールなのは明白だ。


(大丈夫、すぐに譲りますから……)


 王族と張り合うつもりはないし、しょせんは仮初かりそめなのだから。

 全ての客たちが帰った後、ヨハンの父ミルコが近づいてくる。


「エルンスト君、お疲れだったね。もしよければ、私の部屋で話をしないか? もちろん、ヨハンも同席で――」


「父上、申し訳ありませんが、もう夜は遅くエルンストも疲れています。またの機会でお願いいたします」


 ヨハンが割り込んでピシャリと言い放つ。


「確かにそれもそうか……では、エルンスト君、またの機会に」


「はい」


「率直に言って、ヨハンは未熟な男だ。先の先まで物事を考えられるが、足元が見えていない。きっと君を振り回し、困らせるだろう。この男に必要なのは才能ではなく、常識だ。ぜひ見捨てることなく、支えてやってくれ」


「精一杯、お支えしようと思います」


 その言葉に嘘はない。

 仮初であっても――ただ、それを成し遂げるだけ。彼が必要としてくれる限り、できることをするのだ。

「では行こうか、エルンスト」


 ヨハンに連れられて、エルンストは部屋を出ていく。

 ヨハンは口を開かない。それは疲れているであろうエルンストへの配慮なのか――


(あるいは、もう役目は終わったからか……?)


 役目が終わった以上、ヨハンがエルンストに構う必要はない。無駄なことをしない、それがヨハン・フロイデンという人物だ。

 どっちなのかを問いかける勇気はエルンストにはなかった。

 そうこうしているうちに、エントランスホールまでたどり着く。待機していた使用人が袋を差し出した。


「お脱ぎになった服を入れております」


「あ、ああ……この服は――」


 そう言って、エルンストは己の服の襟を掴むが、

「約束した通り、その服は進呈する。大切にしてくれたまえ」


 ヨハンがそう言った。

 玄関には馬車が停まっていた。


「君の自宅まで送るように言いつけてある」


「何から何まで、ありがとうございます」


 ここでお別れなのか、ヨハンも同乗して送り届けてくれるのか――それがわからなかったので、エルンストは辞去の挨拶ができなかった。

 馬車に乗り込む。

 ヨハンはついてこなかった。


「君のおかげで、今日はうまく行った。もう何事もなければいいのだけど。達者でね」


 今日の出来事は全てイレギュラーだった。

 それは無事にこなし、平穏に戻る。ヨハンとエルンストは仮初の関係に戻り、一切の干渉を行わない。

 ヨハンの言葉には、それが滲んでいた。

 エルンストにはそれが寂しかったけれども、意を唱えるわけにはいかなかった。

 なぜなら、それこそが契約の1行目に書かれている約束なのだから。それをこちらから破り捨てようとすれば、それを願おうとすれば、一瞬で関係はゼロになるだろう。

 己からではなく、ヨハンから願うようにしなければならない。

 だから、今はこう言うのだ。


「そうですね。今日は良い経験をありがとうございました」


 馬車のドアが閉まり、車輪が回り始める。

 フロイデン公爵家が遠のいていく。無人の玄関をぼんやりと眺めながら、エルンストは胸に去来する様々な感情を思い返していた。


 ――エルンストの長くて特別な日が終わりを告げた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 翌朝、エルンストは自室で目を覚ました。

 肉体的な疲れよりも、精神的な疲労が大きかったので、昨日は泥のように眠った。あまりにもぐっすりと眠ってしまったので、昨日の記憶が遠い。


 ――ヨハン様との時間は夢だったのか?


 現実的ではないことばかりだったから、そんなふうに思ってしまう。

 だけど、壁にかかっているヨハンから与えられた礼服が、現実だと主張していた。

 全ては現実で、今と地続きなのだ。

 ただ、夢のような時間を終えたというエルンストの主観があるだけ。


(しっかりしろ、エルンスト。これからがお前の仕事の本番だ)


 その認識は正しかった。学校に向かうと、エルンストはすぐに学友たちに囲まれた。エルンストのお披露目会は招待されていない貴族たちの間でも広まっていて、当然、昨日の感想を聞かれた。

 胸を張れる結果だったから、エルンストは澱みなく答えられた。

 質問者が増えたから、それ以外の質問も増えた。

 今までは答えにくかった、どんなことをして過ごしているのか、とか。

 それも問題はなかった。


「ヨハン様に剣の訓練をしてもらったんだ。とても強くて――」


「ヨハン様と食事に行ったよ――」


 経験を手に入れたから。その言葉も仕草も、全てを詳細に覚えている。あの時間は、エルンストにとっての宝物だから。揺るぎないベースがあるのだから、適当に嘘を交えて話すのも無理ではない。嘘をつくことに対して微妙な感情はあったが、ヨハンが望んだことだと己に言い聞かせる。

 放課後になると、エルンストは真っ先に職員室に向かった。


「すみません、訓練室の鍵を借りたいのですが」


「ああ、構わないよ」


 教師がポンと鍵を貸してくれる。

 これもまた、ヨハンの従士となった影響のひとつだ。多少の融通なら、何の問題もなく通してもらえる。教師たちの視点からすると、エルンストの背後にはヨハンがいるのだから、下手に逆らうつもりはないのだろう。


(あまりヨハン様の影響を使いたくはないのだけど――)

 

 これくらいは勘弁してもらおう。別に悪いことをしているわけではないのだから。

 エルンストは訓練室に入った。

 ここは剣の訓練を行うために使う建物だ。授業だと大勢の生徒でごった返しているが、今はエルンストだけ。


 壁際に置かれている箱から、訓練用の刃を落とされた剣を取り出す。取り出した剣を構えて修練を始めた。

 何度も何度も剣を振り下ろす。

 そんなことは小さな頃からずっと繰り返していることだ。だけど、頭の中に浮かべているイメージは全く別のものだった。


 エルンストが思い返しているのは、昨日のヨハンの斬撃だ。

 まるで雷鳴のように閃き、一瞬でエルンストを打ち据える――あの一撃。


 ずっと前に命を助けてもらったときは、じっくり眺めて咀嚼している余裕はなかった。だけど、昨日の経験は違う。痛みとともにエルンストの体に刻み込まれた。死ぬその瞬間まで、いつでも鮮明に思い出せる記憶として。

 答えは手に入れた。あとはその答えに至るためのプロセスを作り上げるだけ。


「あの一撃を、俺のものにする――」


 王国最強の剣を、己のものに。

 それがエルンストの、これから成すと決めたことだ。己には剣しかない。だけど、剣の才能には自信がある。

 剣で頭角を表せば、ヨハンの気持ちも変わるかもしれない。

 仮初の従士から、本物の従士に。


(そう簡単なものではないだろうけど)


 そもそも王国最強が認める強さとはなんなのか、エルンストには見当がつかない。どれほどの高みなのだろうか。

 あるいは、ヨハンの強さを超える以外に道はないのか――

 それはエルンストの口元を緩める。


(不敬だな。ヨハン様を超えるだなんて。だけど、いいじゃないか、俺が内心で何を目標にしようと。途方がなくてもいいんだ。俺が目指すものだから)


 釣り合いが取れないのなら、己で埋めるだけ。積み重ねた先に何があるのか。

 少なくとも、積み重ねることが無駄になることはない。


(やろう。ただ、やるんだ)


 ヨハンの強さを己のものに。

 それだけを胸に宿してエルンストは剣を振るう。

 あの日以来、ヨハンと再会することもないまま、あっという間に一年の月日が過ぎ去った――


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