第11話 宴の終わり
「ミルコ様。ありがたい申し出なのですが、辞退させてください」
「……む? なぜ?」
「家柄について釣り合いが取れていない件は重々承知しております。お心添えも感謝いたします。ですが、それは与えられるものではなく、こちらが積み重ねるものだと思っています。どうか、今しばしのお時間をいただければ幸いでございます」
(これが、正解か……?)
エルンストは、じっとミルコに視線を送る。ミルコは少し驚いた様子で、エルンストの視線を受け止めていた。
「ほぅ、欲の少ない子であるな」
「それが彼の美徳ですよ、父上」
「なるほど、少し急ぎすぎたのは事実、私の悪い癖だな。わかった、では、この件は保留としよう。エルンスト君とシュタール男爵家の努力に期待するとしよう」
それから、二、三の雑談を交わした後、ミルコは会釈して別の場所へと移動した。
(あ、あ……)
ようやく体が緊張から解放された。
ヨハンの父親という以上に、大貴族なのだ。不興を買えば、その一事で家を取り潰されて王都から追い出されてもおかしくはない相手だ。
父親の直後を避けているのか、誰も話しかけてこない。
ちょうどいいので、エルンストは小声で確認することにした。
「……あ、あの……あれで良かったんですかね?」
「そうだね、特に問題はない」
「よ、良かったあ……」
心底からの言葉がこぼれてしまった。
「それより、申し訳ないことをしたね。君のお父さんが騎士団長になりかけたのに」
「え? でも、あれって話だけですよね? 私が受けたら、処断されるのかと――」
「いいや、あれは父の本気だよ」
「はっ!?」
あまりにも大きな声がでかけたので、エルンストは慌てて口を押さえる。
「え、ええ? ほ、本気?」
男爵家の実績のないエルンストの父親を騎士団長にすることが?
「さすがに騎士団長への推挙は無理だろうけど……部隊長くらいならあるんじゃない?」
今はただの下っ端――それだけでもずいぶんな出世だ。
「ああいう人なんだよ。こう、身内に少し甘いところがあってね。それは変な欲があるとかそういうのではなくて、相手のことを思ってなんだけど。なおさらタチが悪いかな」
はあ、とヨハンがため息をつく。
「君が悪いことを言われないように、少しでも状況を整えようと気を遣ってくれたのだ」
「そ、それは、ありがたいですが……」
「そう、さすがに頑張りすぎだ。ま、いつもはここまでしないのだけど、君との距離感に混乱して余裕がなかったのだろうね」
混乱していた……?
全くそんな感じはなかったけれども。血縁のヨハンだから感じたのだろうか。
「……ああなることが薄々読めたのでね、君には釘を刺しておいたのだ」
そこで、イタズラっぽい笑みをヨハンが浮かべる。
「断って、少し後悔しているかい?」
「いえ、そんなことは」
きっぱりと、本心からエルンストは答える。
与えられるのは幸せなことで、きっと喜ばしいのだろう。だけど、度すぎた幸運が自分をダメにすることも想像できる。ミルコに伝えた通り、『積み重ねること』を大事にしたいと思っている。
(そう、いつか追いつくんだ)
エルンストの野心は『
「――少しよろしいかしら?」
今度は綺麗なドレスを身にまとった女性が姿を現した。歳のころはエルンストと変わらないのに、綺麗なドレス以上に美貌が目をひく少女だ。立っているだけで目立つという意味ではヨハンと似ている。
「もちろんだとも、ミレーネ」
ヨハンの声に親しみがこもる。どうやら、血縁者の多いパーティーの中でも、より親しい位置にある人物のようだ。
ミレーネはエルンストにまっすぐ視線を向けた。
「あなたが従士のエルンストね?」
「はい、そうです。初めまして、ミレーネ様」
エルンストは丁寧に返事をしたが、ミレーネは返さなかった。
――少しツンケンとした感じが視線に含まれている。
(嫌われているのか……?)
初対面なのだが。
しかし、勝手に嫌われる理由に心当たりはある。ヨハンとそういう関係である以上、それだけで反感を買っている可能性はあるのだから。
その場合、理由は相手側にあるわけだけど――
(どうして、彼女は俺に反感を買っているのだろう?)
そこは気になるところだ。
ミレーネは透明度の高い瞳でじーっとエルンストを見つめた。
「こんなのがねえ……」
ため息混じりにこぼしてから、
「こんなのの何がいいのですか、ヨハン様? 地味な顔の、パッとしない感じの男が!」
こんなの!?
なかなかの言いように、ヨハンが苦笑を浮かべる。
「そう人を悪く言うものでないよ、ミレーネ」
「いえ、言わせていただきます! 男爵家の冴えない男を従士にしてもヨハン様が得るものは何もありません! もっと時間を有意義にお使いください。その……私との時間も……あまり取れないのが現実ですし……」
最後のほうはモゴモゴとした口調でミレーネが言った。
「申し訳ない、ミレーネ。君を蔑ろにするつもりはないんだ。君を遇するための機会もいずれは設けるから、今日のところは許してくれ」
「絶対ですよ? 絶対ですからね?」
そして、再びミレーネの視線がエルンストに向く。
「いい、あなた? ヨハン様の従士であることは誇りであり、あなたを縛る鎖です。あなたの恥はヨハン様の恥でもある。決して甘えることなく、ヨハン様に誠心誠意お仕えしなさい。いいですね?」
「はい。もとよりその所存です」
「その言葉、覚えておきますからね」
そういうと、ミレーネは足早に立ち去った。
(なんなんだ、あの女性は……?)
なかなかの喧嘩腰だったが。
「すまないね、普段はもう少しお淑やかな女の子なのだけど」
「いえ、気にしていませんが……どういう関係の……?」
「ん? ああ、紹介していなかったね。彼女はミレーネ・セレネ第四王女――私の許嫁だよ」
「………………え?」
短いセリフだったが、情報量は膨大だった。
(第四王女に、許嫁?)
とんでもない重要ワードが隠されている。
「王族、ですか……?」
「そうだね。君と同じ歳だったかな」
背筋に冷たいものが走る。
「ええと……王女様に嫌われていたようなんですけど……」
「ああ、ふふふ、許嫁である私に従士が現れたからね、最近かまってあげていないのもあって、私を取られた気分だったんだろう。皇女を嫉妬させるなんて、恐ろしい男だね、君は……!」
あなたがそう仕向けてるんですけど!?
絶対的に無罪をエルンストは心の底から叫びたい。
「大丈夫、ああ見えても自分の権力を理解している人だから。私利私欲のために暴走することはないから」
「だったらいいんですけど――」
エルンストは何気なく、彼女に対するシンパシーを感じていた。ミレーネもまた、ヨハンの時間を欲しいと思っている人だから。そして、なかなかその機会に恵まれていない点でも。
(俺と似ているな……)
なんとかして、誤解が解ければいいのだろうけど。
「さて、パーティーはまだ続く。気合いを入れようか、エルンスト」
「はい!」
そんなこんなで時間過ぎていき――
「これにて今日のパーティーは終わりとなります。ご参加いただき、ありがとうございました」
司会者のそんな言葉とともに、宴が終わった。
(終わったんだ……)
そんなエルンストの肩をヨハンがポンと叩いた。
「お疲れ様」
身体中を包んでいた緊張感がほどけていくのを感じる。なんとか偽りの関係をバレずにすませた自信はある。仮初の従士としての重責を果たすことができた。もう今日の仕事は全て終わった。あとは寝るだけ――
なのに、喜びはなかった。
むしろ、寂しい気持ちが去来する。
「……ああ、そうか……」
悩むまでもなく、エルンストは己の感情にある根源を理解した。
――これで、全ては終わり。
ヨハンと過ごした楽しい1日はここで終わる。
最初で最後の、濃密な時間が終わるのだ――
終わって欲しくない。
そんなことを思ったけれど、すでに終わりのベルは鳴り響いていたのだった。
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