第10話 パパヨハンとの会合
早速、近場に立っていた貴族の夫妻がニコニコとした笑顔で近づいてきた。
「やあ、久しぶりだね、ヨハン君」
「お久しぶりでございます、クレアトン様」
ヨハンが無駄のない完璧な動きで会釈をする。
「こちら、父方の血縁者であるクレアトン様だ。王宮で法律に関する仕事をなされている」
「ヨハン様の従士エルンスト・シュタールです。初めまして」
「初めまして、エルンスト君」
挨拶が終わり、雑談へと移行していく。
――いいかい、エルンスト。私が仕向けるから挨拶だけは正しくしたまえ。笑顔で快活に。貴族はさわやかさが命だ。特に君のような騎士を目指す人間はね。それが終わったら、あとは私に任せて、横で適当に笑顔を作って相槌を打っていてくれればい100点満点だ。
そんな簡単ではないだろうと思っていたが、実際にその通りだった。
ヨハンの雑談コントロール能力は実に巧みで、会話の99%をヨハンが答えている。悪目立ちしそうだが、内容のある返事が不要なタイミングでエルンストに話を振り、まるでエルンストが会話に入っている印象も残している。本当にエルンストは隣で、あー、とか、うー、とか言っているだけですんだ。
(……すごいな……)
万能の天才が本気を出すと、こんな偽装工作までできてしまうのだ。
そんなノリで、次から次へとやってくる血縁者たちを、ヨハンはばっさばっさと排除していった。
このまま、同じことの繰り返しで終われると思っていたら――
「なかなか楽しそうだな、ヨハン?」
その言葉とともに、空気が変わった。
ヨハンの父ミルコ公爵がそこに立っていたからだ。
彼の姿を見た瞬間、エルンストは喉が締め付けられるかのような緊張をはらむ。最もヘマをしてはいけない人物――もちろん、それもあるが、それ以上に、漂わせている雰囲気だ。
まだ30代の後半くらいの年齢で、経験的にも身体的にも強度を保っている。全身から漂う優秀さと王国を支える柱としての自負がエルンストに圧を感じさせる。
「楽しませていただいております、父上。今日は私どものためにこのような会を設けてくださりありがとうございます」
ヨハンはそう言って、さりげない様子でエルンストに手を差し向けた。
「こちらが、私の従士エルンストです」
「初めまして、エルンスト・シュタールです」
「ヨハンの父ミルコだ。会えて嬉しいよ、エルンスト」
そう言って、ミルコが手を差し出してきた。今まで雑談に来た人物で握手を求めてきた相手はいない。
(に、握り返していいのか……?)
同じ貴族といえど、男爵家と公爵家には天と地ほどの格の違いがある。そもそも、こうやって目を合わせて会話していること自体が異常なのだ。
これ自体が何かの試験ではないのかと、エルンストは勘繰ってしまう。
視線をヨハンに向けるか? それもまた微妙だ。全てを頼るような弱さを、見せたいとは思わない。
「こちらこそ光栄です」
臆せず、瞳を見つめて。溢れそうな震えを殺して、その手を握り返した。
手を離す――叱責の類はない。どうやら、勘ぐり過ぎだったようだ。
「ボストン学校に通っているそうだね」
「はい」
「そこにはちょっとしたコネがあってね、少しばかり君の成績や学習態度を教えてもらったんだ」
ちょっとしたコネどころか――経営しているのはフロイデン公爵家なのだが。どうやら公爵なりの冗談らしいが、少しばかり心臓に悪い。
「皆の先頭に立ち、クラスを引っ張っていく中心的な人物。学習態度も良好で、特筆するべきは剣の腕前。非凡なものを持っている、と」
「恐縮です」
「学問は少しばかり努力が必要とも言われたな」
「……努力いたします」
「剣も大事であるが、学問もまた大事だ。軍事と政治は切り離せないものだから」
しかし、公爵の声はそれほど厳しいものではなく、どちらかというと優しさがある。
「なかなか優秀な子に声をかけたのだな、ヨハン?」
「そうですね、とても重要なことですから」
「だが、よくわからないこともある。どうやって出会った? シュタール男爵家とは特に接点はなかったはずだが……?」
「学校に何度か出向く機会がありまして――優秀な彼の噂を聞きつけました。その後、個人的に世話をする機会を設けまして、彼ならば問題あるまい、そう考えた次第です」
全て嘘だが。
そんな個人的なレッスンを受けた記憶はエルンストにはない。だが、これくらいのストーリーがなければ他人は納得できないのも事実だ。
ミルコが少し困ったように目尻を細める。
「可愛げのない選び方だな」
確かにそうだろう。今の言い方ならば、優秀だから選んだ、ということだから。通常、従士の関係を結ぶのは『相性がいいから』とか『二人の絆を形にしたい』とか、もっと若々しくて感情的な理由なのだから。
「公爵家として、個人的な感情を優先させる考えはありません」
ヨハンはつれない。それは正論であり、そんな息子をきっとミルコは頼もしいと思う反面、もう少し子供らしさがあってもいいのに、という思いもあるのだろう。
「公爵家として振る舞うのであれば――釣り合いは考えなかったのか?」
ついに公爵は誰もが思う疑念を口にした。
――なぜ、名もなき男爵家のせがれを選んだのか?
純愛であれば、皆が納得するであろう。だけど、ヨハンは『公爵家のために選んだ』と言った。ならば、その条件に『家柄』がないのは矛盾している。
「……まさか、その質問をいただくのが父上からだとは……とても残念です」
ヨハンは両目に失望の輝きを灯す。
「古来より、国を発展させた王はいずれも優秀な人物の登用に血道をあげていました。家柄や血筋が、人物の能力を決める決定的な鍵にならないと知っていることでしょう。私もそれに倣い、実力本位で人を見定めたいと考えています。間違えておりますか?」
理路整然とした、完璧なる論破であった。
このロジックを切り崩すことは容易ではない――しかし、
「いや、間違っておるよ」
「む」
真っ向から否定してくるミルコに、さしものヨハンも呻き声をあげた。
「どういうことでしょうか、父上」
「家柄よりも能力主義。お前の話す話は半分だけ正しい。だが、釣り合いも大事なのだ。世界にいるのはお前たちだけではないのだよ」
つまりは、常識を破るようなことはするな――それもまた強固なロジックであり、万事に聡いヨハンがとっさに言い返せないほどの強さを秘めていた。
(俺が何かを言わなければ!)
公爵が納得する何かを切り返して、場を納める必要があるとエルンストは身構える。
だが、それよりも早く公爵が話を進めた。
「勘違いをするなよ。男爵家が悪いのではない。シュタール男爵家に釣り合いが取れないのなら、取れるようにしようではないか」
(――え?)
なんだかよくわからない言葉を聞いてエルンストは混乱する。
「エルンスト君の父親を第一騎士団の団長にするのはどうだろう?」
(は? え、親父を、団長? 団長って言った?)
意味が不明だった。
「エルンスト君にも素晴らしい装備を与えようではないか。当家にある、かの名工グレーディアが作り出した豪剣ブラックスと真盾ラグーンを貸与するのはどうだろうか?」
(え、え、え?)
グレーディアといえば、すでに亡くなった大昔の鍛冶師である。その武具はどれも一級品でとんでもない値打ちがついている。
(え、そ、それを、俺に……?)
「エルンスト君の父上の戦歴をさらって、何か勲章を贈れるほどの活躍はないか探してみるのはどうだろう――」
なんだか話がとんでもない方向に向かいかけている。
脳内が茹ってきたところで、冷静な言葉がふと脳裏に蘇った。
――もし、父上が変な提案をしてきたら、即座に断るように。
それは宴の前にヨハンから釘を刺された言葉だった。
(試されているのか?)
それしかないと思った。ここでホイホイと食い付けば、きっと『公爵家から与えられるものに縋ろうとする小人物』と切り捨てられるのだろう。
危ないところだった。
エルンストはすっと息を深く吸い、気分を落ち着けてから言葉を吐いた。
「ミルコ様。ありがたい申し出なのですが――」
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